エピローグ

エピローグ そして英雄達は日常へ

 ・・Φ・・

 ピピピッ。ピピピッ。ピピピッ。

 朝陽がカーテンの隙間から差し込む寝室に、目覚まし時計の電子音が響く。

 幅の広いベッドに眠るのは孝弘と水帆。もぞもぞと動き出したのは孝弘の方だった。


「ん、んん……」


 ピピピッ。と己の職務を果たす目覚まし時計のボタンを男が押すと、起きろ起きろと主張する大きな音は鳴り止んだ。


「朝六時……、もう起きなきゃな……。水帆は……、今日の朝食当番は俺だしもう少し寝かせてあげるか」


 孝弘は水帆の頬を優しく撫でると、メガネをかけて布団から出てベッドから起き上がってリビングとキッチンがある部屋に向かう。カーテンを開けて朝陽が入るようにし、電気をつけてテレビの電源をオンにした。電子画面の向こう側では天気予報が始まろうとしていた。


『二月二二日、金曜日。先週後半に襲った寒波もようやく抜けて、今日は全国的に暖かい日になりそうです。まずは全国各地の予報からお送りしましょう!』


「最高気温は一〇度か。コートはいるけど先週よりはずっとマシなレベルだな」


 孝弘は天気予報を見ながらキッチンに移る。途中にあるカレンダーには二〇四一年と書かれていた。

 彼は慣れた手付きで朝食を用意していく。昨日は比較的早く帰れたから、寝る前に朝食の用意をある程度済ませておいたのだ。

 コールスローサラダは既に小分け済み。具が多めのコンソメスープは火を入れて温めるだけ。クロワッサンは袋から出せばいいだけで、コーヒーもさくっと淹れられる。調理が必要なのはベーコンと卵だけだった。

 

 IHコンロでベーコンを焼いて目玉焼きも作ろうとしたタイミングで、寝室のドアが開いた。出てきたのは寝ぼけ眼であくびをする水帆だった。


「おはよう」


「おふぁよ……」


「今日の目玉焼きとベーコンの気分は?」


「はんじゅく……、カリカリ……」


「オッケー」


「ありがふぉ……。髪の毛梳かしてくる……」


「ほい」


 洗面所の方から水の音とカチャカチャとした音が聞こえるなかで、孝弘は調理を続ける。目玉焼きは指定通り半熟に、ベーコンはカリカリにして盛り付けを完了。そうしている間にコーヒーメーカーで淹れていたコーヒーは出来上がり、コンソメスープの温めも完了していた。コールスローサラダが入った小皿もテーブルに持っていけば、朝食一式の完成だ。

 

 あとは食べ始めるだけの状態になると、とりあえず髪の毛だけでも整えようと梳きに行った水帆が戻ってきた。


「わあ、今日も美味しそうね。いい匂い」


「希望通りの半熟でカリカリだ。温かいうちにどうぞ」


「ありがと。片付けは私がやるわね」


「おう」


 二人は朝食をとりながら土日のどっちかでどこへ行こうかだとか、来月は人事異動前の時期になるからドタバタしそうだとか、とりとめのない雑談をする。


 今日の活力を食べ終えれば仕事に出る準備だ。二人が袖を通したのは魔法軍の第二種軍装の冬服。彼等はあの戦争のあとも魔法軍に残っていたのだ。

 

 ただし変わった点が二つある。一つ目は肩にある階級章が星三つになっていること。約四年経って二人は大佐に昇進していた。もう一つは所属する部隊。特務連隊のような特殊部隊ではなく、別の意味で珍しいところに属していた。

 

 軍装へ着替え終わると、二人は住処にしているマンションを出る前に毎日恒例のスケジュール確認をする。


「今日の予定は午前中が学校長室にて校長と大輝に知花と俺達で定例会議。午後は第一特務連隊の視察。熊川准将閣下には連絡済みだ」


「夕方は今のところ特に目立ったスケジュールは無いわね。強いて言うなら教官達とのミーティングくらいかしら」


「こっちも似たようなもんだな。今日は月末金曜でノー残業デーだから教官達もなるべく早く帰したいし」


「同感。私達もさくっと仕事を終わらせましょ」


「だな。じゃ、行くか」


「ええ。行きましょう」


 二人はそう言うと、唇と唇が触れるだけのキスをした。彼と彼女の左手薬指には指輪が輝いていた。



 ・・Φ・・

 二人が車で約三〇分かけて向かったのは岐阜県井口市羽島区にある魔法軍のある拠点だった。そこは基地でもなければ広報拠点になる地域本部でもない。正門には『日本魔法軍特務学校』と書かれている。ここは魔法軍が一昨年設立したばかりの軍学校だった。


 二人は警衛のチェックを受けて敷地内に入ると、軍学校だけあって広い面積を持つが、流石に駐車場と建物の距離は近い。二人の軍務室がある本棟と駐車場は目と鼻の先にあった。


 孝弘と水帆は車から降りて本棟に入ると一度別れる。孝弘が魔法射撃課程の教官長で、水帆が総合法撃課程の教官長と属している部署が違うからだ。

 孝弘が教官長室に入ると軍務のサポートをしてくれている秘書官と挨拶を交わし、午前の定例会議の準備をしていく。

 会議で使う資料の用意を終えるとまだ少し時間があったから、タンブラーを片手に窓の先にある青空をぼーっと眺める。


(そういえば、もうちょっとしたらアレ(終戦)から四年になるのか。この四年で色々ありすぎて、あっという間だったなあ)


 孝弘が感慨深くなるのも無理はない。世界で同時に実施された作戦が成功して異世界からの侵略者に勝利し戦争が終わってから、世界も日本も、何より孝弘達にも色々あったのだ。

 終戦から一年は、世界も日本も復興ではなく復旧に必死だった。この大戦では文字通り滅んだ国も多く、どこから手をつければいいか分からないほどにひどい有り様だったからだ。日本一つとっても、甲信越及び静岡から関東・東北・北海道の復旧が急務で、復興については計画を作るのが精一杯だったほど。本格的な復興は二〇三九年に入ってやっと始まったくらいなのだから、国土の半分や大半を帝国に奪われた国など未だに復旧がおぼつかない状態だった。


 孝弘達個人も終戦の年と翌年は治療とリハビリに専念せざるを得ず、世情がある程度落ち着いてから結婚式をやろうということもあって孝弘と水帆が挙げられたのは二〇三九年前半で、大輝と知花の二人の結婚式は知花のリハビリが少し長引いたこともあり、挙げたのが二〇三九年後半になった。


 四人の立場もこの四年で変わっていた。終戦の年と翌年は治療などの関係で一旦予備役扱いとなっていたが、やはりというべきか最後の戦いでの無茶がたたってかつてのような全力が出せなくなっていた。個人で若干のばらつきがあるものの、彼等が出せる力は大戦時の六割から七割程度。魔力回路の損傷こそ軽度で済んでいたがツケが無いわけでなかった。


 とはいえ孝弘達がよく知るあの人物を含め元々がSランクだから今でも相応には戦えるし、膨大な実戦経験を積んだ貴重な士官を予備役のままにしておくほど日本軍――どこの国でも同じではあるが――にまだ余裕はない。


 そこで軍上層部が取った手段は魔法軍特殊部隊の育成を効率化する為に軍学校を新たに作るからそこに配属させよう。というものだった。

 ある人物は退役するにはまだ早いしその職務なら今の状態でもこなせなくはないとのことで了承。孝弘達も異世界込で軍務歴が長く今更全く違う職種で働けるかどうか言われると疑問だったし、退役後の年金でも暮らせないことはないが将来のことを考えるといつか足りなくなる可能性が出てくるからということで彼らも首を縦に振ったのだ。


(世界も日本もまだまだ課題が多い。地球世界に残った神聖帝国軍・属国軍将兵捕虜の取扱問題や、ズタズタにされて各国間の経済・産業・貿易・物流・通信の復旧と復興。色々やることは沢山ある。けど、俺達に出来ることは限られている。だから今日も、自分のできることをしよう。)


 欲を言えば異世界転移のせいで大学は強制中退になって学問が中途半端になっているから、学び直しも含めてまた大学に通いたいんだけどな。とひとりごちるが、それは情勢が落ち着いてからだろうなあ、と薄くため息をつく。


「米原大佐、あと五分で定例会議の時間ですが大丈夫ですか……?」


「おっと、すまない。ちょっと考え事をね。行ってくるよ」


「はい。いってらっしゃいませ」


 孝弘は電子資料のデータが入ったタブレット端末を持って教官長室を出る。

 自分の執務室がある二階から五階に上がり、軍学校長室の前に着くと馴染みの顔が揃っていた。


「あら、孝弘が最後なんて珍しいわね」


「な。てっきり最初にいると思ったぜ」


「何かあったの?」


 軍学校長室の近くにいたのは水帆のほかに、召喚士養成課程及び近接戦養成課程教官長の大輝と、魔法情報管制課程教官長の知花がいた。二人とも大佐に昇進していて、孝弘・水帆と同じように左手薬指に指輪をつけていた。


「いや、何にも。ちょっとぼーっとしてただけだ。天気が良いからついついな」


「今日はあったけえもんな」


「ついぼんやりしちゃうよねえ」


「ベンチでコーヒーや紅茶を飲みたくなるわよねえ」


「それいいな。部下達が来なさそうな人気の少ない中庭があるからそこでどうだ?」


 孝弘が提案すると三人とも賛成の意志を示す。

 雑談はこれくらいにしておいて、と四人とも歩きだすと気を引き締めて表情も真面目なものになる。

 軍学校長室の前に着くと、孝弘がドアをノックする。


「七条少将閣下。米原孝弘以下教官長四名、まいりました」


「よろしい。入りなさい」


「はっ、失礼いたします」


 孝弘達が部屋に入ると、ニヤリと笑った見た目は幼いが立派な成人女性が彼等を出迎える。

 執務机に座っていたのは、左目にARカメラ機能付きの最先端技術仕様義眼を装着し、右目はモノクルをつけている以外は見かけはあまり変わっていない七条璃佳だった。階級は少将に昇進していた。特務学校の校長とは、璃佳のことだったのだ。


 ちなみに彼女の左手薬指にも指輪がつけられている。相手が誰なのかは、言うまでもないだろう。


「ま、座って楽にしてよ。もう長い付き合いなんだし」


「了解しました」


 四人はソファにそれぞれ座ると、璃佳はゆっくりと歩く。最後の戦いの後遺症は重く、結局彼女の運動機能は全回復とはいかずこうなる前の七割しか戻らなかった。当の璃佳は、二の鍵を開けて五体満足も同然なら奇跡だし、とあまり気にしていなかったが。


「んじゃ。定例会議を始めようか。今日は機能喪失したまんまでモニュメントと化してるアフリカの残存転移門の最新情報が上からきてるから少し長くなるかも」


「私含めて五人とも今や軍学校教官職か校長職だというのに、上も律儀ですね。もしくは何かあれば出番ってパターンですか?」


「そうともいうしそうじゃないともいえるね、孝弘大佐。何もなければ私らは今のまんま。何かあったら……、貴重な転移門目撃者だから仕方ないよね」


「何もないことを願いたいです。自分は今の生活がとても気に入ってますので」


「同感だね。私も旦那とゆっくり過ごしたいもの。今じゃ特務連隊はアイツに任せてるでしょ? 何かあったら真っ先に飛んでくのは特務だしさ」


 璃佳が唇をとがらせると、孝弘達はあー……。と言いながら頷く。確かにそれは、誰だって避けたい。結婚した二組にとっては痛いほど分かる感情だった。いざ任務となれば四の五の言ってられないのはよく分かっているけれども。


「っと、失礼。私が話を脱線させちゃったね。孝弘大佐、水帆大佐、大輝大佐、知花大佐。今日もよろしく」


 よろしくおねがいします。と頭を下げる四人。いつも通り、会議は始まった。


 異世界を救った英雄達は、故郷であるこの世界も救った。

 彼等は世界を二度も救ったのだから、きらびやかな世界で生きているのかと思ってしまうかもしれない。


 だが。決してそんなことはなく。


 世界はまだまだ苦難と課題ばかりではあるが、少しずつかつての日常を取り戻そうとしていて。


 英雄達はその日常のなかで、今日も穏やかに過ごしていた。


 これからも、どうか穏やかでいられますようにと願いながら。




異世界帰還組の英雄譚〜ハッピーエンドのはずだったのに故郷が侵略されていたので、もう一度世界を救います〜    完

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異世界帰還組の英雄譚〜ハッピーエンドのはずだったのに故郷が侵略されていたので、もう一度世界を救います〜 金華高乃 @takano11021

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