振り向けばタコがいる

ぺんぺん草のすけ

全1話 振り向けばタコがいる

 振り向くと、必ずあいつがいた。


 そうタコだ!


 毎朝、僕が学校に行く時に限って、防波堤の上から黄色いプラスチックのような目でコチラをじっと見つめている。何をするわけでなく、ただじいっと僕の事を見つめ続ける。

何なんだ……一体何なんだよ。あのタコは!

 わざわざ海に沈められたテトラポットの間を通り抜け、そり立つ防波堤に足をかける。コンクリートに身を削りながらゆっくりと毎朝、登ってくるのだ。頂点が平らになった防波堤の角に、ピタリと一本足が伸びると、ヌメッとした体が徐々に表れてくる。そして、無表情な双眸を僕に向け続けるのだ。


 僕は、はじめこの物体がタコだとは分からなかった。異世界からスライムが転生でもしてきたのかと思った。


 平らなコンクリート上にヌメッとした体の中心が盛り上がって黄色い目が2つ。その後ろに口のようにパクパクとするロウト。進むたびにヘビのようにうねる足。


 正直、タコと言われなければ、気づくわけがない。そもそも、こんな高い防波堤の上にタコがいるわけがないんだから。だから、タコと気づいてからも、それは、誰かのいたずらだと思っていた。


 子猫が面白がって猫パンチを繰り出している。そりゃあ、子猫にとったらいいおもちゃだ。


 聞き覚えのある同級生の女の子の笑い声が背後から響いた。振り返ると、女子学生が曲がり角を曲がり学校への道を歩いていく。この曲がり角でいつも出会う五十嵐いがらしさんだ。


 再び、タコに目を戻すと、アイツはすでにいなくなっていた。子猫も、いなくなっていた。おそらく、飽きたんだろう。


 僕は波が打ちつける港町に住んでいる。僕の家は漁師の家だった。しかしもう、過去のことだ。今年の夏、漁師だったじいちゃんが癌でなくなった。

 膵癌だそうだ。

病気と聞いて、亡くなるまであっという間だった。


 じいちゃんは、最後まで友達がいない僕のことを心配していた。

「友達はできたか?」

「相手の気持ちを考えろ!」

「不満ばかりを口にするな!」

 顔を合わせば、そればかり。

 見舞いに行くのは、本当にうんざりだった。

 でも、母さんが、もう会えなくなるよと涙ぐむ。

 あぁ、じいちゃん死ぬんだ。と、なんとなく僕にも理解できた。


 じいちゃんの言う通り、僕には、友達がいない。


 僕は、一つしかない地元の中学に進学した。だから、当然、家の周りには同級生は多い。ただ、それは、友達ではなく、あくまでも同級生だ。


 僕は、ことあるごとに不満を口にする。何が不満という訳ではない。何か漠然とした、黒い渦のようなものが僕の心の中で渦巻いていた。その渦は、人の心を真っ黒に染め上げるような漆黒の闇そのものだった。何かをしようとすると、タコの墨のように、僕の心を染め上げていく。


 何もかも黒く見える。

 何もかもが悪意に感じる。


 バカにするな……


 目の前で笑う女の子たちが、僕のことをバカにしている。バスケットボールを持つ同級生が、肩を叩き呼び止めると、僕をカモるつもりなのかと身構えた。


 そう、僕の周りには敵しかいない。どいつもこいつも、僕のことバカにする。世界のすべてが敵なんだ。


 静かにしろよ! このタコ女どもが!

 ボケタコが! バスケなんかするかよ!


 一人、また、一人と僕に話しかける奴はいなくなった。清々する。ウニのように尖った僕の心には、誰も触れない。触れさせない。心はウニの殻のように固く閉ざされていた。学校にいる僕は、常に深い深い海の底に一人ポツンといるような感覚だった。


 そんな僕を心配したのか、じいちゃんは、漁がない朝は、必ず僕を見送った。

僕は、そんなじいちゃんがうっとおしかった。


 ほっといてくれ。


僕は僕なんだ。僕のことは僕でやる。だから放っておいてくれ。


 だからなのか、じいちゃんは、何も言わない。何も言わず、ただ僕が学校へ行くのを見つめ続ける。防波堤の上で腰に手を当て、僕が見えなくなるまでずーっと見送っていたという。


 そんな、じいちゃんが死んだ。


 僕の彼女を見るまでは死なないと笑いながら約束したにも関わらず。


「お前も、文句ばかり言っていないで、彼女でも作れ」

「彼女を作るには笑顔じゃ! 笑顔!」

「ワシはこの笑顔でこの町一番の婆さまを口説き落としたんじゃ!」


 ばあちゃんが町一番の美人かどうかは知らない。僕が物心ついた時にはすでに死んでいたから。


「わかったよ。だから、じいちゃんも死ぬなよ」

「当たり前よ! これは海神様との約束だ!破れば、タコになるからな」


それなんだよ!?

約束を破るとタコになる?


そんな話は聞いたことがないよ。僕は笑って答えた。じいちゃんは、笑ってそんなことはないぞと言う。

「この町の海神様はタコを祭っている。だから、約束を破るとタコになるんだ。だから、約束は破るなよ」

「それなら、じいちゃんもな!」


 爺ちゃんが死んだ翌朝からだ。


 タコが目の前の海から僕を見送るかのように毎朝現れるようになったのは。もしかしたら、じいちゃんが約束を破ったからなのか。


 死ぬなよと言う約束を破ったから……

 そんなバカな事あるはずがない。


 僕は、タコの視線を振り切って学校に向かう。通学路でも、教室でも、常に一人だ。

周りの話声でさえ、何か、違う世界の音に聞こえてくる。しかし、そんな甲高い笑い声が、僕の心を逆なでる。


 向こうで話せよ。タコどもが!

 不満で心が汚れていく。


 ズル……ズル……


 何かが背後から音がする。

 何かが後ろからズルズルと近づいてくる感じがする。


 その嫌な気配に、僕は振り返る。


 しかし、振り向くと何もいない。ただ、足元には、何かが這ったあとだろうか。水滴が薄っすらと残っていた。


 アイツが現れてからだ。


 タコが僕を見つめはじめてから、僕が、不満を口にするたびに背後から何かが這いずる音がする。そして、水滴の跡は、徐々に僕へと近づいた。


 昨日よりも今日。

 確実に近づいている。


もしかしたら、僕もタコになるのだろうか?


 じいちゃんとの約束を破ったから……


いも言われぬ恐怖がこみ上げてくる。


 じいちゃんが言った海神様を祀る神社に行けば何か分かるかも。


 神主さんが、境内を掃き清めていた。


「じいちゃんから聞いたんだけど、ここ海神様は、約束を守らなければ、本当にタコにするの? そんなことはないよね」


 神主さんは最初、驚いていたが、すぐに笑って答えてくれた。

「そんなことはないよ。海神様は、漁師を守る神様。帰ると約束しても、海の機嫌一つで亡くなった。約束を守れなかった漁師たちは、無念さから海に囚われる。そんな漁師たちを救ってくれるのが、海神様だ」

「海神様は、漁師たちを守ってくれてるって言うの?」

「そうだよ。だから、タコにしたりするもんか」


 少し安心した。なら、あの音はなんで近づいてきているのだろう。

僕は、少々バカな質問をした。自分でもバカだと思って。

「タコって人を食べに陸に上がったりする?」

「わははははは」

神主さんは大笑いした。

「さぁ、タコはなんでも食べるかなら。そういえば、わしのばあちゃんが畑にタコが大根を食いに来るって言ってたな。でも、最近は、聞かないな、もっと美味しいものを見つけたのかもしれないな。そういえば、野良猫が、最近、少なくなったような」


 もしかして、あのタコが子猫を食ってしまったのか?そして、次は、俺なのか?


 タコに、なるのではなくて、タコに、食べられるのか。


 それは嫌だ!


 でも、タコって小さくない?あんな小さいタコが人間を襲えるのか?

 常識的に考えて、普通、無理だろう。


 しかし、気のせいだろうか、防波堤の上のタコは日増しに大きくなっているような気がしないでもない。初め見たころは、防波堤の平らなコンクリ―トにスペースがあった。しかし、今は、足がはみ出てこぼれている。


 明らかに大きくなっていやがる。


 このままどこまで大きくなるんだ? その前に、捕まえて、たこ焼きにでもしてやろうか?


 僕は、たこ焼き屋の兄ちゃんに声をかけた。

「でかいタコがちょくちょく出てくるんだけどいらないかい?」

 兄ちゃんは、タコ焼きを焼きながら頭を突き出した。

「タコか! 最近、仕入れ値が上がっててな、ちょうどいい。教えてくれよ」

 よほどうれしかったのか、タコ焼きを一皿おごってくれた。


 次の朝、振り向くとやはりタコがいた。何も知らずにユタユタと。

その横には網を掲げたたこ焼き屋の兄ちゃんが。

 コレで奴は、たこ焼きだ!

薄ら笑いを浮かべた僕は安心して学校に行った。


 しかし、その帰り道、たこ焼き屋のシャッターは閉まったままだった。何か嫌な予感がする。だが、たまたま休日なのかも知れない。その日は、そんな予感をいだきながら家路についた。


 その翌朝、タコはいた。黄色い目で僕を恨むかのように防波堤の上から、睨んでいる。背筋が少々寒くなった。


 いや……手が震える。

 怖い


 しかし、たこ焼き屋の兄ちゃんは、どこに行ったんだ? もしかして、食べられた? そんなことはないだろう。


 僕の足は、学校に向かわずにたこ焼き屋に駈けて行く。しかし、昨日と同じくシャッターは閉まったままだった。


 僕は、隣の店のおばちゃんに声をかけた。

「ココの兄ちゃんはどうしたの?」

 おばちゃんは店の前に水をまきながら答えてくれた。

「あぁ、連れて行かれたよ。悪いことばかりしてたからね」

「連れて行かれた?」

 僕は、力が抜けてその場にへたり込んでしまった。

「あんたも悪いことばかりしていると連れていかれるよ。早いうちに、改心しな!」

 おばちゃんはそういうと、また、柄杓で水をまきはじめた。


 何をしたらいいんだろうか。

 どうしたら、あのタコから解放されるのか?

 いや、そもそも……背後にいるのはあのタコなのか?


 分からない僕は不安にさいなまれた。不安が僕の心をさらにビリビリに引き裂いていく。ただでさえ、敵にしか見えなかった同級生が、既に異質な物へと変わっていく。もう奴らは人間ではない。もしかしたら、こいつらはエイリアンなんじゃないだろうか。火星から来たエイリアンが、僕を連れ去ろうというのでは。そういえば、火星のエイリアンはタコのような姿って言うじゃないか。


 壊れそうな僕の心は、前にもまして不満を口にする。


 近寄るな!

 誰も!近寄るな!


そのたびに、僕の背後に何かが這いずる音がする。


 来るな……来るな……来るな……来るな……


 トイレの中で膝を抱え、うつむき震える。

その這えずる音から逃げるために、トイレの個室へと逃げ込んだ。


 何も考えたくない。


 抱える頭は小さく震える。おびえる瞳からは、涙がこぼれた。


 なんで、僕なんだよ。


 僕が何をしたって言うんだよ。


 誰か助けて!

 誰か……


 じいちゃん……


 その時、ふいに、じいちゃんの言葉が思い出された。


「不満を口にするな」


 おびえた僕の目が大きく見開いた。


 まさかね……そんなことで


 恐怖に包まれた頭を押さえる手の震えが止まった。それでも試してみる価値はあるんじゃないか。

 僕は、その日から不満を口にすることをやめた。そして、笑顔を浮かべるように努力した。顔の筋肉が痛い。慣れないことをするのはやはりしんどい。


 それでも笑い続けた。周りの同級生は驚いた。

「お前、まるでタコのように丸くなったな」

 俺はタコじゃない。タコから逃げるために笑っているんだ。内心そんなことを思う。以前の僕なら、すぐさま口から不満が出たであろうが、今の僕は、そんな気持ちをグッと飲みこんだ。


 そんな日が何日か続くと笑顔を作ることが苦でなくなった。トイレで泣いた日以来、僕の背後で這いずる音は聞こえなくなった。まさか、本当に、それが原因だって言うのだろうか。


 さらに、そんな日が数週間続くと僕の中の不満の声は、小さくなっていった。

 タコ焼き屋も店のシャッターを開けた。タコ焼き屋の兄ちゃんは笑いながら悪い悪いと頭を掻いた。どうやら、悪いことをして警察にご厄介になっていたようだ。


 通学路を歩く僕の顔には、自然と笑顔が溢れてくる。


「おはよう、結城ゆうき君」


 クラスメイトの五十嵐いがらし翔子しょうこさんだ。


「おはよう、五十嵐さん」

「一緒に学校行ってもいい?」

「もちろん」


 今日も振り向けばタコがいる。

 その横で、子猫が楽しそうにタコにちょっかいを出している。タコは猫から脚を動かし逃げている。

 少しうれしそうに見えるのは気のせいか。


 心が変われば、見える風景が変わる。


 朝日に照らし出された水平線が、キラキラと輝いている。じいちゃんは、これが言いたかったんだ。


 僕の周りには友達がいる。

 僕の周りには笑い声が溢れている。

 これでいいんだよね。じいちゃん。


 でも、まだ、彼女はいないけどね……


 今日もタコが僕を見送ってくれる。

「行ってきます!」


 ところで、あのタコ何なんだ?

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