森小鬼のラダとルダ
はなまる
第1話
「兄ちゃん……ぼくもう疲れたよ。いくら頑張っても、ニンゲンたちが台無しにしてしまう。もう嫌だよ!」
「俺たちが諦めたら、この森は死んでしまうだろう? 俺がやるから、おまえは少し休んでいると良いよ」
「兄ちゃんはずっと働き通しじゃないか! そんなじゃ、倒れてしまうよ!」
「ルダは優しいな。ホラ、カナンの木に花が咲いたぞ。きれいだなぁ」
森小鬼の兄弟、ラダとルダ。今日もせっせと森を育てます。兄のラダは楽しそうに、弟のルダは文句を言いながら。
森小鬼の緑色の手は、植物を育てるのがとても上手です。そして少しだけ、植物の気持ちがわかります。
人間には植物の声は聞こえません。毒を撒き散らしながら、森を切り開きながら、人間はどんどん増えてゆきます。
「ルダ、南の斜面にガオガオの種を蒔こう。春になったら、一面が黄色い花畑になるぞ」
「兄ちゃん、ガオガオの実は油が採れるからニンゲンが来ちゃうよ。ぼくたちも見つかったら、きっと殺されてしまうよ」
「そうかい? ガオガオの花は良い匂いなんだけどなぁ。じゃあルポラの花にしよう。夜に咲くから、きっと見つからないよ」
森小鬼は、緑色の小さな小鬼です。短い手足、盛り上がった背中。人間には嫌われています。隠れるように、森の奥でひっそりと暮らしています。
人間に見つかってしまった森小鬼は、連れて行かれて見世物にされたり、もっとひどい時は殺されてしまいます。
ルダとラダは今よりもっと小さい子供の頃に、人間に見つかってしまった事がありました。
一緒に暮らしていたお爺さん小鬼は、ルダとラダが逃げる時間を作るために、ケガをしたふりをして、人間の前にヨロヨロと出ていきました。
『振り返るな! 走れ‼︎』
ルダとラダは手を繋いで、声を殺して泣きながら走りました。
『イヤァ! 森小鬼よ! 汚らしい! 早く殺してちょうだい!』
そんな声が聞こえてしまっても、耳を塞いで走ることしか、小さな二人にはできませんでした。
それからルダは人間が大嫌いになり、ラダは声を出して笑わなくなりました。それでも二人は今日も、人間の出す毒から森を守り、育てながら暮らしていました。
ルダとラダ以外の森小鬼たちもみんな、似たような悲しみを抱えています。そして耳を塞いでも聞こえてくる、森の木々の悲痛な叫びを聞きながら、毎日ヘトヘトになるまで森を歩き回ります。
ある日、大きな森が燃えました。人間が火をつけたのです。森を潰して、人間だけが食べるものを作るためです。木々は悲鳴をあげ、動物たちは逃げまどいました。
森小鬼たちは走り回りました。動物たちを助けるために、少しでも火を食い止めるために。それでも森小鬼の小さな緑色の手は、ほんの少しのものしか、助けることはできませんでした。
森小鬼たちは、煙の上がる灰の中に立ち尽くしました。顔を上げる力さえ、もう残ってはいませんでした。
その時です。
たった一箇所燃え残った、高台の小さな森から、小鬼たちを呼ぶ声が聞こえてきました。
『おいで、おいで、小鬼たち。長老さまが目覚めるよ。最期のお話を、聞きにおいで』
ぼんやりと不思議な光に包まれた森から聞こえてくるのは、哀しみ満ちた歌でした。森小鬼たちは、なぜが胸に湧き上がる懐かしさに、涙を流しながら高台を目指します。
ラダとルダの兄弟も、傷だらけの足を引きずって支え合いながら、最後の力を振り絞って歩きました。
その小さな森に入った途端、不思議な光が森小鬼たちを包んでゆきます。
『ありがとう。今までずっとありがとう。もう頑張らなくていいよ。ごめんね、ごめんね』
みるみるうちに、木々が立ち枯れてゆきます。光を放ち、小鬼たちの傷を癒し、歌いながら枯れてゆきます。
「待って、待ってよ! またぼくたち頑張るよ! 枯れないで‼︎」
ルダが叫びました。
「そうだ! まだ頑張れる! 一緒に元の森に戻そう!」
ラダも言いました。
「ありがとう、小さな兄弟。だがもう手遅れじゃ。この森はもうお終いじゃよ。わしもじきに枯れる」
森の中心にある、大きな木が言いました。
「今までずっと、すまなかった。わしは森を守るのが精一杯で、お主らに力を与えることが出来なかった。燃えた仲間たちは皆、最後にお主らに渡してくれと、力をわしに託してくれたよ。受け取ってくれ」
大きな木――森の長老さまの低く穏やかな歌声が響くと、澄み切った朝の空気のようなエネルギーが流れ込んできました。
身体が根本から変わってしまうような、大きな大きなエネルギーの
ラダとルダもしっかりと手を握り合い、目を閉じて長老さまの哀しく美しい歌を聞きました。
どのくらい時間が過ぎたのでしょう。
森小鬼たちは、古ぼけた分厚い
長く繊細な手足、背に流れる滑らかな銀色の髪、淡い光を帯びた四枚の
その姿は人間たちが妖精と呼ぶ、美しい種族のものでした。
「
本当にすまなかった。
森の長老さまの声から、だんだんと力が抜けてゆき、もうすっかり微かなものになってしまいました。枝の先から少しずつ崩れてゆきます。
長老さまの根元に小さな渦が現れ、やがて若葉の色に輝く扉を形作りました。
「ふう……なんとか扉が開いたようじゃ。この先にはまだ若い森があるはずじゃ。わしにはもう、見届けることは出来んが、お主らが穏やかに暮らせることを祈っておるよ」
さあ、行くが良い。愛しき森の民よ。わしら森の全ての命は、お主たちを魂で愛していたよ。
森小鬼……いいえ、美しき森の民『シリーリア』たちは、順番に木の長老さまの幹にキスをしてお別れを言うと、扉へと向かって行きました。
ルダも長老さまにキスをします。
「ごめんね長老さま。ぼくたち、森を守れなくて」
「何を言っておる。お主らは、手に
「でもぼくは、この森が大好きだったよ」
「ありがとう。達者で暮らせよ」
涙をぬぐいルダが顔を上げると、ラダが少し離れた場所でうずくまっていました。
「兄ちゃん、早く行こう。扉閉まっちゃう」
「うん、でもルダ、ここに芽があるんだ。俺は残って世話をするよ。芽のままで枯れるなんて可哀想だろう?」
「何言ってるんだよ! みんな行っちゃった。長老さまが枯れちゃったら、この森は全部枯れちゃうんだよ?」
「俺が世話すれば長老さまもこの芽も、枯れないかも知れない。やってみる」
「兄ちゃんのバカ! こんな世界に残ったら、またニンゲンに酷いことされるに決まってる! こんな綺麗な姿になっちゃったら、すぐに捕まってしまう」
「うん、だからルダはみんなとお行きよ」
「そんなの! ぼくも……ぼくも……一緒にやるよ!」
若葉色の扉は渦に戻り、やがて小さくなって消えてしまいました。
「ふふふ。仕方のない頑固者兄弟じゃな。わしも、その小さな芽を枯らすのは忍びないと思っておったよ」
長老さまの声は、二人の頭を撫でるように、優しく響きました。
「実はわしの最期の力は、まだ残っておる」
「えっ⁈ じゃあ枯れないの?」
「いいや、わしは枯れるよ。だが最期の力で、この地に呪いを振り撒こうと思っておってな。三百年の間、この地に草木一本生えぬ呪いじゃ」
「そんな……! ニンゲンだけじゃなく、他の生き物も死んでしまう」
「脚のあるもの、飛べるものは逃げるだろう。逃げた先のニンゲンも愚かなら、また森が消えるだろう」
ラダとルダは、そんなことない――とは、とても言えませんでした。二人の知っているニンゲンは、壊して奪うことしか知らない、どこまでも傲慢な生き物です。
「だが、優しい森小鬼の兄弟と、その小さな若芽のために、少し他のことにも力を使おうかのう」
その晩、森を焼いた国の人間たちは、ひとり残らず夢を見た。炎に巻かれ、逃げ惑う動物になった夢を。枝の先から火がつき、全身を焼かれ燃え尽きてゆく木になった夢を。
うなされ、叫び声を上げて飛び起き、背中を伝う冷たい汗に震えながら知ることになる。
自分たちが何をしたのか。
自分たちが、今まで何をしてきたのか。
自分たちが、何に、なぜ呪われたのかを……。
森を焼いた愚かな王は、夢の中だけでなく本物の緑の炎に包まれて、
自らの利益しか見えなかった商人たちは、悪夢から抜け出せずに、三日三晩うなされ続けた。
人々は、自分たちが醜いと蔑んだ森小鬼の心根を知り、自分たちの醜さを恥じた。
だが、全ては遅すぎた。
その国は緩やかに乾き、ひび割れ、長い長い呪いの夢に沈んでゆく。
▽△▽
「ねぇ長老さま、三百年は長過ぎるんじゃない?」
「そんなことはないわい。短すぎるくらいじゃ」
「でも夢を覚えているニンゲンがみんな死んでしまったら、また同じことが起きるかも知れない」
「うむ……。それは一理あるのう。ではお主たちが決めるが良い。
「それは大役だなぁ」
木の長老さまは、その巨木の根が抱く丘を、丸ごと空に浮かばせてくれた。焼け残った森の動物や昆虫、植物たちも一緒だ。
長老さまは力を使い果して、もうすぐ枯れてしまうけれど『植物の意識は明確には別れておらん』って言っていた。ぼくにはちょっと難しい話だけれど、いつかまた長老さまに会えるのかなって思っている。
ぼくと兄ちゃんは割と忙しい。森の住人たちはみんな傷ついて、疲れているから。毎日走り回って世話をしている。でも毒を撒き散らしたり、森の色々なものを根こそぎ持って行ってしまうニンゲンがいないから、心が押し潰されそうになることはなくなった。
力を使い過ぎると、ぼくらは森小鬼の姿に戻る。夜、月の光を浴びてのんびりすると『シリーリア』の姿になる。ぼくはどちらの姿も気に入っている。自分の価値観だけで、違う種族の好き嫌いを言うなんて、ニンゲンだけだ。
三百年が過ぎて呪いが解けたら、ニンゲンはどうするんだろう。ぼくにはニンゲンが優しい生き物になるなんて、とても思えない。
ニンゲンがひとりもいなくなってから、ぼくと兄ちゃんで少しずつ森を育てて行く方が、きっと上手く行くと思うんだけどなぁ。
▽△▽
呪いの及ばぬ空に浮かぶその丘は、閉ざされた美しい緑の楽園です。不思議な光に包まれ、漂うように移動します。乾いた大地で喘ぐように暮らす人間たちは、空を見上げるたびに、何を想うのでしょう。
悔いるのか、羨むのか、恨むのか、妬むのか。
それとも、ただ……憧れるのか。
この楽園に足を踏み入れる人間がひとり、やがて現れます。それは心も身体も強く、健やかに優しいひとりの可憐な少女です。人間嫌いのシリーリアの少年は恋に落ち、共に乾いた世界に緑をもたらす旅に出ることになるでしょう。
でもそれは、まだまだ先のお話。少女が産声をあげるまで、まだあと八十余年。
今はまだ、大地には乾いた風が吹き、緑の丘はただ、空に漂うばかり。
森小鬼のラダとルダ はなまる @hanamarumaruko
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