(29.) 甘口バレンタイン
「お邪魔しまーす」
「ただいまー」
学校であんな光景を目の当たりにした後、小鳥の家に到着する。ちなみに帰宅途中に小鳥がそれについての話題を出すことは一切なかった。まあ、出されたら出されたで困るけど。
「おかえり。あら、響太郎くんじゃない。いらっしゃい」
「あ、お母さん。お邪魔してます」
リビングから興味ありげに顔を出しているのは小鳥のお母さんだ。小鳥とは幼なじみなので、その両親とも地区の行事やらで何回も顔を合わせている。逆に言えばただそれだけなのだが……
「何、小鳥」
小鳥の母親と会話させないようにグイグイと背中を押される。
「いや、なんとなく」
「なんとなくって……。別にそんな気はねぇよ」
「ち、違う。違うの!」
顔を真っ赤にしながら否定する。外そんなに寒かったかな……。
まず何が違うのかよく分からないし。てか会話が全く噛み合っていないな、これ。
一応訳もなく、その場に踏ん張って抵抗してみるが、押す力の方が圧倒的に強く、ずるずると二階に上がる階段まで推し進められる。これが火事場の馬鹿力ってやつか。
仕方なく階段を上がる直前、小鳥が声を上げる。
「あっ、お母さーん。紅茶淹れるからお湯沸かしといてー」
あんだけ俺を避けさせておきながら、使うところは使うのな。
*
小鳥の部屋に入るのは実は初めてだった。付き合い始めてからお互いの家に行ったことはなかったし、それ以前も幼なじみであってもリビングで遊ぶくらいで、部屋など気にしたこともなかった。
それでもここに来たのは、小鳥がチョコを渡すという目的があるからだ。
学校でいいよ、と言ったのだが「見られたら恥ずかしい」と一蹴された。俺は小鳥の母親に会う方が恥ずかしいのだが……。
そんな思惑もあり、少し粘ろうかと思ったのだが、次に小鳥がもじもじしながら「それに、食べた後の感想が聞きたい」と言われて、もう駄目だった。あんなの反則だろ。
部屋の内装はフェミニンなのを想像したが、全然違った。家具の調度はモノクロを意識した感じで、とても質素だった。小鳥の小動物然としたイメージではなく、生真面目なイメージが勝っている印象だ。
けれどぬいぐるみをベッドの枕元に置いているのは、なんとなくらしいなと思った。
「あ、あんまりじっと見ないでぇ」
ぐるりと内装を見回した俺に、小鳥は手で視界を遮ってくる。
「別にいいじゃん。ちゃんと整頓されてるし」
「そういう問題じゃないから!」
「そういう問題だろ。俺の部屋なんて誰も入れるつもりないから、半ゴミ屋敷状態だし」
半ゴミ屋敷は言いすぎかもしれないが、少なくとも今、小鳥を自分の部屋に入れたら軽く引かれるくらいはありそうな汚さだ。
そこで小鳥はカーペットの上を勧める。どうやら座ってくれということらしい。ありがたくその場に座る。小鳥は丸テーブルを挟んで、向かい合うように自分の勉強用椅子に座る。
「もしかして男子って部屋の掃除しない感じ?」
「いや、掃除はほとんどのやつがすると思うぞ。ただ女子に比べて掃除が絶望的に下手なやつが多いだけであって」
「響ちゃんも?」
「まあ、そうだな。俺が掃除しても普通に片付かないから、お掃除センスがないんだろうな」
「お掃除センスって何それ」
くすくすと小鳥が笑い声を上げる。笑っているが、これが結構深刻なんだよなあ。
たまにやる気を出して、本棚の小説を作者順に並べたりするが、大体途中で飽きてくるし、キツキツに詰めすぎると新しい本が入らず、そこらへんに適当に置いておくことになる。端的に状況を表すなら、元の木阿弥というやつだ。
むしろこんだけ整理整頓が行き届いている小鳥はお掃除センスがあるのだろう。是非師事したいくらいだ。
そう思っていると、小鳥がその場に立ち上がる。
「もうそろそろお湯沸けただろうから、紅茶とチョコ持ってくるね」
「おー、サンキュー」
少し待っていると、今日のお目当てがお盆に載ってやって来た。まずは小鳥が俺の前の丸テーブルに紅茶を置く。そして自分の前には黒く禍々しい液体が入ったカップを置く。ココアか? にしてはドロドロしすぎている気もするが……。
「何それ。コーヒー? ココア?」
「えっ。あ、これか。これはねホット・チョコレートってやつ」
「ホット・チョコレート」
初めて聞いた単語の組み合わせだ。おそらくイントネーションが違う気がするが、まあいいや。
いかにも分かってなさそうな俺を見て、小鳥が苦笑しながら教えてくれる。
「名前の通りチョコレートとかミルクを入れた飲み物って考えてくれればいいよ」
「……ココアとは違うのか?」
「本来なら同じだけど、日本ではココアパウダーを入れたものがココアって呼ばれてるから、定義の幅の問題になるのかな?」
小鳥は完璧には分かってないらしく、首をひねっている。まあ、ここらへんの定義はさして重要ではない。重要なのは
「それって旨いのか」
結局、味である。するともう一度、小鳥は首をひねる。
「うーん。美味しいっていうにはちょっと甘すぎるかな。糖分取りすぎかもって考えちゃうし」
「どのくらい?」
「どのくらいって……、三日くらいは甘いものを控えたいかな」
小鳥の思い詰めた表情に笑いが出る。そんなに甘いのか。
けど自分が本当に思ったのはそれ以外のこと。それは純粋な疑問だった。
「でなんでそれを作ったの」
ピタとカップに口をつけようとしていた小鳥の動きが止まる。何かまずいことでも言っただろうか。
しかし考えてみれば、その疑問が出るのは当然なのだ。小鳥はホット・チョコレートを『甘すぎる』『糖分の取りすぎ』を評した。可笑しそうにそれを言うので、看過しそうになったが、あまりいい評価とは言えない。じゃあなぜ彼女はこんなものを作ったのだろうか。
小鳥は俺の質問に中々答えてくれない。さっきはあんなに色々と教えてくれたのに。何か俺には明かしてはならない秘密があるのではないか、と勘繰ってしまう。
「しっ、失敗作を在庫処分したかったから……」
「失敗作?」
「はあ……。あんまり言いたくなかったんだけどな。響ちゃんのチョコを作ってて何個か失敗したから、それを溶かしてホット・チョコレートにしてるの」
「ああ……」
なるほど。よく分かった。さっきのホット・チョコレートの説明を聞くに、チョコレートを入れなければならないらしい。そしてそのチョコレートというのは……俺の分の失敗作。
料理上手で通ってる小鳥としては、失敗は許せないものだったのだろう。しかもこんな特別な日に。なのに俺はそれを白日に曝してしまった。
「……なんか悪いな」
「いや、いいよ。これを持った来た私が迂闊だった」
小鳥がしょんぼりしている。それを見ていると罪悪感が沸々と湧いてくる。俺が疑問を口にしなければ……。
せめてもの償いであることを口にする。
「なあ、それ俺にくれないか?」
「えっ、多分男子には甘すぎると思うよ」
「いいって、いいって。甘すぎるのは小鳥も同じだろ。それに失敗作かどうかは俺が決めるよ」
「ううっ……」
恭しくホット・チョコレートとやらを渡してくる。恥ずかしそうに目を伏せている。……よっぽど飲みたくなかったんだな。
カップに手を取るとぐいっと一口。
「……」
「ど、どう?」
甘い。確かに甘い。けど初めて飲んだからか、物珍しさとこんな味かという納得感で不思議と……。
「美味しくない?」
「そ、そうかな」
「確かに甘いけど、その分濃厚だし美味しいよ」
「……ありがと」
ボソッとお礼の言葉を言っている。ほとんど強引に飲んだものだし、俺が作った訳でもないので、お礼を言われる筋合いはないのだが。
二口目を堪能しようとカップを手に取る。小鳥は恥ずかしさで直視できないのか目を逸らしてしまっている。絞り出すような声で一言。
「……とにかく今日は本命を食べて」
お盆に載っていた、ワインレッドの包み紙でラッピングされたチョコレートの箱を渡してくる。今までのやり取りもあってか、小鳥の顔はもう真っ赤っかである。
「ありがとう」
「どういたしまして……」
「開けていい?」
「う、うん」
許可を頂いたので、ピリピリとラッピングを綺麗に破る。中には黒い箱。パカッと開ける。
「おおっ」
箱の中には九つに仕切られたスペースに九つのチョコ。種類はトリュフチョコというやつだろうか。丸みを帯びたシルエットに極黒の光沢があって、美味しそうだ。
俺の反応に小鳥もご満悦なのか、
「あーんしてあげようか」
と冗談を言う始末だ。けれど今日は冗談をそのままで済ませるつもりはない。それくらい浮わついていた。ニヤリと笑う。
「じゃあそうして貰おうかな」
「えっ……」
「してくれないのか?」
挑発するように小鳥に語りかける。ノッてくるという確信の元そうする。小鳥は意外と負けず嫌いなのだ。
「分かった、するよ。はい、あーん」
箱からトリュフを取り出し、覚悟を決めたように俺の口に突っ込もうとする。顔は先ほどよりも一層紅潮しており、今にも爆発しそうな感じすらする。
……しまった、俺も心の準備が。だがもうどこかヤケクソな所があるのか、俺の反応など関係なしにあーんをしてくる。くっ、こんなの望んでいたバレンタインじゃねぇ!
だが抵抗虚しく口にトリュフチョコをぶちこまれる。強気から一転、上目遣いで小鳥が訊いてくる。その感じもあざといんだよなあ。
「ど、どうかな?」
「どうって……」
旨い。今まで食べたチョコで一番旨いと言って差し支えない。ていうかこれからの人生において、これ以上のチョコが出てくる? って感じだ。けどロマンスがなぁ……。
それでも美味しいのは事実なので、ちゃんとそれは感想として言ってやる。もちろん笑顔で。
「美味しいよ」
望んでいたであろう一言を口にする。すると真っ赤な顔に満開の花が咲いた。
女王様気質な彼女に『地獄に堕ちろ』と言われ破局しました。 明日野ともしび @tomoshibi420
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