(28.) 辛口バレンタイン
バレンタインデー。本来なら聖ウァレンティヌスと呼ばれる神父の命日であるものの、日本お得意の自己解釈的独自進化によって全く異なる異文化に成り果てている。俺から言わせてみれば二月十四日はバレンタインデーなどではなく、『チョコレートを贈るちょっと特別な日』と名称を変えた方が実情にフィットしている気がする。
と去年までなら間違いなく、こんなバカみたいな哲学を考えていたと思う。けど今年は違う。なぜなら今年はチョコを贈られる当事者だからだ。
当事者になってしまえば、バレンタインデーであろうと『チョコレートを贈るちょっと特別な日』であろうと些細なことだ。だって小鳥から手作りチョコレートが貰えるからね。
そのことを考えると、いやがおうにも浮き足立つ。去年みたいな「今年は可愛い女子からチョコレート貰えるかな……。どうかな……」といったような浮き足立ち方とは違う。それが何よりの幸せだった。
だが今はそんな多幸感よりも気になることがあった。
「……でお二方は何をしているのかな?」
放課後、図書室。机に向かい合う千葉昴と細江千尋の状況を見て、思わず訊いてしまった。
ただ向かい合ってるだけなら、「カップルが仲睦まじく談笑でもしてるのかな」ぐらいにしか思わないのだが、木製の机の上にうず高く積まれた市販品のチョコレートを見ると、そう訊かざるを得ない。
俺の素朴な疑問に、細江は首を傾げ答える。
「え? 何ってチョコレートの在庫処分」
「在庫処分って……。味気なさ過ぎません?」
「仕方ないじゃん。私、誰かさんの彼女みたいに料理上手くないし。もしかして嫌味?」
「いや、高校二年生男子生徒の素朴な疑問」
「それも嫌味な言い方だね」
始めは淡々と答えていた細江だったが、途中から拗ねたような口調になる。おそらく本当は手作りにしたいのに、市販品で済ませざるを得ないことを恥じているのだろう。そういう所は乙女だなあとか思ってしまう。
しかし自分がこんなことを思っても無駄だ。てか単純に気持ち悪いお節介焼きだ。そう思い、当事者の昴に水を向ける。
「昴的にはどうなんだ? こういうのは」
「うーん。まあこれはこれでいいんじゃない? こう言っちゃ悪いけど、僕があんまり手作り好きじゃないし」
彼氏である昴の言に納得する所はある。俺は全然苦手ではないが、世の中には潔癖症やらでハンドメイドが苦手な人もいるだろう。
手作りが苦手な彼女と手作りを必要としていない彼氏。これはこれで、需要と供給のバランスが取れているのかもしれない。
しかし二人でチョコレートを次から次へと食べている姿を見ると、少し自分も食べたくなってきた。今まで黙々と勉強してて、糖分不足なのも無関係ではないだろう。
だがチョコレートの山から一つ取ろうとすると、千尋が手のひらを俺に差し出す。
「……なに」
「お金」
「えぇ……」
嫌そうな声を出す。いや、別にお金を払いたくない訳じゃない。それは細江が買ったものだし、異論はないのだが……。異論があるとすれば、俺がチョコを取った時の反応が手で払うとかではなく、ナチュラルに金銭を要求したことだ。強かすぎるでしょ。
「てかいいじゃん。こんな量産品のチョコレート物乞いしようとしなくても。可愛い彼女からチョコ貰えるんでしょ?」
「しつこいな……。もしかしてこの話題に触れたこと、根に持ってる?」
すると今までの無表情から一転、口許に笑みを湛える。端的にいえば、ニヤリという悪い笑いだった。
「いや別に。私、サバサバ系で売ってるから、根に持つなんてありえないね。これは彼女持ちでバレンタインデーに浮き足立ってる高校二年生男子生徒への、ちょっとしたいびりだよ」
「ぐっ……やっぱり根に持ってんじゃねぇか!」
私サバサバ発言が、全て反故にされるくらいのしつこさだった。でも言ってることはかなり的を得ていたので、否定するにも困る発言で黙りこんでしまう。
細江はくっ、と声を出して笑うと、俺の手からチョコを取り上げる。
「これは貰わない方がいいよ。そう思うよね、昴」
「そうだね。折角の千尋チョコが減っちゃう」
「もう! 違うでしょ」
俺は一体何を見せつけられてるのだろうか。今のやり取りは完全にバレンタインデーを楽しむカップルのそれだった。
ごほん、と仕切り直すように一つ咳払いをする昴。自分が何をしているかに気づいたらしい。いい心がけだ。
「多分、千尋が言いたいのは、彼女いるのに他の女子からチョコ貰ったら彼女が悲しむってことでしょ」
「そうそう、それそれ~」
「ふーん。なるほどね」
それもそうかと思い直す。小鳥から見ればただの市販品のチョコレートなので、バレることはないだろうが、そういった不義はしたくない。これは経験則からだ。もう二度と繰り返したくない。
*
「小鳥~。終わったぞ~」
教室で今まで自習をしていた小鳥に声をかける。
図書室でああ見えても図書当番をしていたが、昴と細江に半ば追い出される形で、いつもより早い五時半で切り上げさせられた。
それは小鳥も気になったようで訊いてくる。
「あれ、早いね」
「昴と細江に『今日は彼女を待たせすぎるな』って言われて図書室を追い出された」
「あはは。じゃあ気遣いに感謝して行こうか」
小鳥は開いていた教科書とノートをパタンと閉じ、リュックサックに入れる。
二人で生徒玄関を出る。約十日前は節分、つまり立春とか言われる日だったが、依然として寒い。コートを着けてるというのに、この寒さ。
「うぅ〜、さっぶいな」
思わずそんな声が出てしまう。小鳥はその言葉に全く反応しない。自分は大したことも言ってないし、何がなんでも反応してほしいとか思うかまってちゃんではない。
けどいつもの小鳥はこんな何気ない言葉にも一言、二言は返してくれる。恋人だから、とかじゃない。元々そういう人間だからだ。
なので黙っていることが不思議に思い、小鳥が見つめる先を俺も見てみる。
「げっ……」
「あれ鷹瀬さんだよね?」
「……そう見えるな」
見つめる先にいたのは鷹瀬カンナ。あまり思い出したくないが、俺の元カノである。まあ、彼女とは色々あった。けどそれだけだ。もう戻ることはないし、振り返ることもない。
さっさと行こうと小鳥に先行するが、肝心の小鳥が動かない。ついさっき、他の女子に気がある風を見せるとよくないと習ったので、鷹瀬のことなど気にも留めないようにスルーしようと思ったのに、小鳥がこうでは仕方がない。
「……どうした小鳥」
「あれ、鷹瀬さんだけど、隣に誰かいない?」
ぐっと目に力を込めて見る。すると確かにいた。
「いるな。男子が」
「あ、本当? 最近、眼鏡の度数が合わなくて見えづらくて」
「大丈夫か? 今からメガネ買いに行く?」
「今度時間があったらね。ねぇ、何してるのかな」
くっ、話を逸らせなかったか。この話は避けたい所なのだが。
「さあ、何だろうな。ま、ここからじゃ俺も詳しくは見れないから諦めようぜ」
「……近づけば分かるかな」
もはや興味の矛先は鷹瀬に向いてしまっている。俺の言葉など小鳥の耳には入っていないだろう。鷹瀬に気づかれないように、小鳥が徐々に近づいてしまっているので、俺も仕方なくそれに付いていく。
やがて手頃な壁あったのでその裏に隠れる。
「鷹瀬さん、これ受け取ってくれませんか」
鷹瀬の傍らにいた純朴そうな男子が覚悟を決めたような口調で言っているのが聞こえた。その手にあったのは綺麗にラッピングされた直方体の箱。今日という日なので、そこに入ってるものは明白だ。つまりチョコレート。
バレンタインデーと言うと、なんとなく女子から男子にチョコを贈るイメージがあるが、この場合は逆である。まあ、あんま鷹瀬が人に贈り物する姿は想像できないし。それにそのイメージすら、日本によって生み出されたなら、何を言っても野暮ってものだ。
ただ彼は気持ちを伝えたくて、こういう行動に出ているのだろう。
俺も小鳥も息をひそめて、次の鷹瀬の言葉を待つ。
「そう、ありがと」
小声でそう言うと、男子生徒からチョコレートを受け取る。俺は内心かなり驚いていたし、小鳥はその衝撃が顔に出てしまっている。
今日という日を理解しているなら当然、チョコを受け取る行為の意味も理解しているに違いない。それはつまり……。
「えっ、鷹瀬さん。受け取ってくれるということは……」
「は? そんなつもりないんですけど」
寒い。成り行きに集中して、つい寒さを忘れていたが、急に冬が戻ってくる。そのくらい受かれた男子生徒に対する鷹瀬の反応は冷たかった。
その寒さにやられて、男子生徒は氷漬けになったように動かない。……なんか、俺に似てて同情するなあ。
「あんたがくれるって言うから貰うだけだから。文句ある?」
うっわ……、鷹瀬の毅然とした言いっぷりに引いてしまう。小鳥は男子生徒を労る気持ちが強いのか、瞑目して手を合わせている。なむなむ。戦場で死せる魂よ、安らかに眠ってくれ。
「それじゃあ、あたしはこれで」
「ああ、うん」
男子生徒は半ば放心状態で、その場を去ろうとする鷹瀬を見送る。おそらく十二月、雪の降る日の俺と同じ気持ちであるに違いない。
しかし鷹瀬は同じ気持ちで終わらなかったらしい。くるりと一度振り返る。そして肩を落とした男子生徒に一言、声をかける。
「……これは助言だけど、気持ちは言わなきゃ分かんないわよ」
ふぅ、と嘆息ようなものが漏れる。変わった、という解釈でいいのだろうか。
鷹瀬の今までの言動を見るに、完全に女王様気質に影響されているように感じた。バレンタインデーで本命のチョコを受け取って、気持ちを受け取らないなんてまさにそうだ。
そこは何も変わっていない。でも最後にかけた助言は、『優しい』と評価して差し支えないものだった。あれから二ヶ月経って変わったのかな。まあ、俺との出来事によってとは限らないだろうが。
そんなことをぼっーと考えていると、小鳥がはっとしたように俺の手を取る。
小鳥が鷹瀬と男子生徒の光景を見て、何を思ったのかは知らない。けど少し焦ったように
「ええっと、行こっか」
と急いで俺を連れて歩き出した。
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