27. 女王ファースト

「訊きたいことが三つある」

「何?」


  端的な鷹瀬の一言。端から見れば、興味がないとも受け取れるが、はっきりとした声音で放たれていた。だから俺も安心して、突っ込んだ質問ができる。


「一つ目、どうしてお前はあの日、俺がデートをドタキャンしてたって確信したのか?」

「は? 前に言ったじゃん。友達から聞いたって……」

「違う。そうじゃない」


  怪訝そうに表情を歪める鷹瀬。どうやら俺の訊きたいことのディテールが上手く伝わらなかったらしい。

  なるべく分かりやすく補足する。


「俺はどうしてのかを訊きたいんだ。どうしてのかを訊きたい訳じゃない」

「ああ、なるほど」


  腕を組み何度か頷いている。理解してもらえたらしい。恐らくその裏の真意も。

  鷹瀬の性格上、他人に言われたことをホイホイ信じることはあり得ない。必ず自分の目で確かめようとする。もしくは俺にそれとなく、鎌をかけたりしただろう。けど別れる時は唐突にその話を出されたのだ。

  どこで疑惑が確信に変質したのか。その過程を俺は知りたいのだ。


「完全にそれを確信したのは……、あんたが『女といたんだってね』って言った時に否定もせず、言い訳しようとしてたことだけど、訊きたいのはそれじゃないよね」

「まあ、そうだな」


  それはほとんど空返事だった。やはりあそこで弁明に走ってしまったのが、別れる原因となった俺の一番のミスか。

  まあ、今となってはそれでも良かったのかもしれないが。


「うーん、確信した理由か。一番はあれかな。ほら九月にカフェ寄ったじゃん」

「……寄ったけど、それがどうした?」

「あんた、あの時にあたしの話聞いてなかったでしょ? その時に気づいたね。『ああ、この人はあたしに興味ないんだな』って」

「…………」

「だからあんたが卯坂連れてたって教えられても、『ああ、やっぱり』って全然驚かなかったね」


  ここまでぶっちゃけるか。俺は思わず絶句していた。だが真実とは残酷であり、質問してそれを知るのであれば、相応の覚悟を持たないといけないのだ。

  それより驚くのは、終焉がまさかそんな前から始まっていたことだ。確かにあの時の鷹瀬はおかしかったが、そんな中であいつは"終わり"を予感していたのだろう。それに気づかなかった自分はやはり鈍感だったと、反省するしかない。


「……よく分かった。じゃあ二つ目の質問。始めは知らなかったのに、なんで途中で小鳥を助けるために俺がデートをドタキャンしたって気づいたんだ?」

「それは結構単純。鎌谷に聞いたんだよ」

「鎌谷先生に?」


  それは意外な答え。思わず聞き返してしまった。鎌谷先生がどう関係しているというのだ。


「そう、鎌谷に。ほら、あいつって凄い自己顕示欲強いじゃん?」

「ほらって言われても、友達じゃねぇから知らないんだよな……」


  『鎌谷』とか『あいつ』とか、十数歳も歳上の相手にそこまで言える鷹瀬はかなり大物なのだと感じる。敬意が微塵もなかったとしても、せめて『先生』くらい付けようぜ……。

  だが鎌谷先生が自己顕示欲が強いというのは、なんとなく分かる気がする。まあ、周りよりほんのちょっとだけ強い程度だが。


「それで聞いてもないのに、なんか勝手にあっちから言ってきた。

 『俺、卯坂にも興味持たれてるんだけど、仕事柄、自分から女子高生に手ぇ出すのはアウトじゃん? だから積極的になってくれるように仕向けてる』ってね。あれが多分ストーキングしてます宣言だと思ったのよ」

「うわあ……おえぇ……」

「春宮汚い」


  なんだこれ。三十過ぎた大人が鼻の下伸ばしてそう言ったなら、生々しすぎてゲロの一発でも吐きたくなってくる。よく鷹瀬はこれを我慢したな……。


「ま、さすがに自意識過剰でキモいとは思ったね。てかほんのりキモいって言ったし」


  ……我慢しきれなかったみたいだ。まあ、鷹瀬だしね。

  それにしても鎌谷先生の一言、中々にイタイし腹立つな。小鳥は別に鎌谷先生のことなんて好きじゃねぇし。彼氏としては『何、勘違いしてくれちゃてんの?』って感じだ。ちっ、鎌谷をぶん投げたくなるなあ!

  だがこれで二つ目の疑問の答えは分かった。つまり鷹瀬が真実に気づいた理由は鎌谷先生の自爆だ。


「じゃあ最後、三つ目の質問。どうして前に俺をぶん投げたんだ?」


  以前に鎌谷先生のストーカー行為をやめさせんとするため、俺たちは策を講じた。それは台本も作って、与えられた役割を演じる作戦になる……はずだった。しかしその計画が最後の最後でおじゃんになりかけることを鷹瀬はやらかした。俺に見事な大外刈を極めたのだ。

  下手したら作戦は失敗していた訳で、台本にないことをどうしてあんな大事な時にしてしまったのか。それが俺の気になる三つ目の疑問だった。


「あー……、それかあ……」


  鷹瀬がここで初めて言葉に詰まる。果断な鷹瀬がこれだ。何か言いにくい理由があるらしい。どんな重い理由なのか。


「いや、単純にね。あんたが言い訳する演技してるのは分かってたんだけど、だんだん腹立ってきて……思わず投げちゃったね」

「そんな……」


  てへ、と舌を出す鷹瀬らしくない表情。それに俺はまたもや絶句してしまう。つまり信じたくはないが、こういうことか。


「……俺は演技のウザさのせいでぶん投げられたってことか?」

「うん、そうだよ」

「嘘だろ、おい……。あれは演技って何度も……」

「分かってる。でも仕方ないじゃん、あんたの演技迫真すぎて、言い訳がホントに思えてきたんだもん。誇っていいよ、演技を本当に思わせるなんて。俳優向いてるよ」


  あっけらかんと言い放つ鷹瀬にもはや毒気を抜かれてしまった。しかもこの調子だと謝罪は望めそうにないな。

  でもまあ、鷹瀬としては俺をフッたあの日のことを思い出すのだろう。あの時も俺はしどろもどろな言い訳を試みてるからな。鷹瀬には演技で言い訳してる姿がそれと重なったのかもしれない。それなら腹が立った理由もギリギリ分かる。そこからどうして大外刈になるかは全く意味が分からないが。


「もう、これで質問終わり?」

「ああ、そうだな」


  三つ目の疑問の答えも分かった。つまり俺が投げられたのは、鷹瀬の理不尽な怒りのせいだ。俺はあくまで可哀想な被害者だった。

  これで全ての質問が終わり、疑問は解決された。もう何も思い残すことはない。ある種の達成感を俺は抱いていた。


「ふーん、あっそ。それならもう帰るから」

「おう、じゃあな」

「うん、バイバイ」


  鷹瀬は軽く手を振って、屋上から立ち去ろうとする。その時、雪が再びふわりと舞ってきた。Yシャツに雪が入り、ぶるっと身震いする。

  『またね』という言葉は無かった。ああ、これが本当の別れか。結局俺たちは完全に分かり合えないまま、関係性を断ち切るのだ。惜しいとは思わない。そういう運命だったんだ。元々無かったものを拾おうとしたのが、そもそも間違いだったに違いない。


「響太郎!」


  屋上の扉に手をかける直前、鷹瀬は振り返り、懐かしい呼び名を呼ぶ。その距離、約十メートル。屋外の寒さで下がった体温が一気に上がった気がした。


「助けてくれてありがとう!」


  鷹瀬は満面の笑みで、ブンブンと力強く手を振る。

  結局謝罪はなかった。けどお礼はちゃんとする。そこがとても鷹瀬らしかった。決して自分が悪かったとは言わないのだ。まあ、言われる方も「ごめんなさい」より「ありがとう」の方が嬉しいに決まっている。

  そこで脳で何かが繋がる感覚がした。そうだ、違う。訊きたかったのはそんなことじゃなかった。俺が本当に訊きたかったのは――。


「鷹瀬! 最後に一つ教えてくれ!」

「なにー?」


  俺の叫びに鷹瀬も大きな声で返してくれる。何でも話しちゃいそうな気分は本当だったらしい。


「別れる時、どうしてお前は怒ってたんだ?」


  鷹瀬は言い訳する俺に『なんで怒ってるか分かってない時点で終わってる』と語っていた。

  てっきり俺はデートドタキャンしたこと自体や小鳥とほっつき歩いていたことに怒っているのだと思っていた。けど鷹瀬に言わせれば、それは違うらしい。

  怒っていた理由。それこそが本当に訊きたく、訊きづらく、そして訊かねばならないことだ。


「……なんてことはないよ。あんたはあたしを優先してくれなかった。学校で一緒にいる時もデートの時も、それと今回の作戦も」


  冷たく強い風が吹く。屋上に積もった雪がぶわっと舞い上がる。鷹瀬の艶っぽい黒い髪が風に揺れ、そこには斑のように雪が付いている。

  表情には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。やがて吹雪が止む。最後に艶やかな唇が、ある言葉を口にする。


「女性にはレディーファーストするべきじゃなくて?」


  ただその言葉を言い残して鷹瀬は屋上を去っていく。以後言葉が交わされることは二度となかった。

  雪がしんしんと降りしきる中、自分一人だけが取り残されている。その寒さに身が凍えそうだった。しかし残念ながら、冬は始まったばかりなのだ。


  『あたしを優先してくれなかった』ね。予想外で身勝手で無茶苦茶な理由だと思う。そんな『地獄に堕ちろよ』と言われるほどのことか? そんな思考が一瞬過るが、思い当たる節がいくつかあり、閉口せざるを得なかった。

  デートドタキャンは小鳥を優先したし、今回の作戦だって、振り返ると小鳥の鎌谷先生の更正案の方を採用し、小鳥の希望で作戦を変更さえした。それが自分を軽視したと見ても、何らおかしくはない。


  今もやはり彼女は女王だったと俺は思う。傍若無人でエゴイストで、挙げ句の果てにはどんなことより自分を優先しろとは。多分あのまま付き合っていても、ずっと好きでいることは不可能だったし、そもそも好きだったどうかすら分からない。

  だから俺は破局したことを全く後悔していなかった。それが俺と彼女の運命だと納得して。

  けど俺は今になって初めて破局したことを激しく後悔したかもしれない。


  それほどまでに屋上を去る女王様気質の彼女は誰よりも気高く、そして美しかった。

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