26. 鷹揚アンサー
屋上の無機質な床には新雪が降り積もっている。漏れる吐息はたちまち白く色を変え、やがて冬独特のパリッと張り詰めた空気に溶け込んでいく。
今は雪は収まっているものの、天気は不安定で雲の灰色が本来なら水色である空を隠してしまっている。屋上から眺める街並みに目をやっても、雪の白と空の灰色のおかげで、真っ先に「無色だな」と印象を受けるほどに淡泊な景色が広がり、気分が上向くものは何一つあったりしない。
でも今はこの無彩色な世界が心地いい。
ストーカー騒動やらテストやらで、十二月ももう半分が過ぎた。既にテストの結果と成績表を受け取っており、今日は二学期最後の日。すなわち二学期終業式の日だ。
鎌谷先生のストーカー騒動はほとんど収まり、またそれによる俺への影響も沈静化した。束の間の非日常は落ち着きを取り戻し、日常へ逆戻り……するには少し時の流れが早すぎた。
今日は二学期最後ということもあり、その心残りを片付けにきた次第だ。
「さっぶ~」
両手をクロスさせ、肩を擦りながら屋上に来るのは、俺の元カノの鷹瀬カンナ。主役の登場だな、締まらないけど。
「外、雪積もってんのに、なんで屋上に呼ぶかな」
「呼んだ俺が一番、予想外なんだよ」
まさか学校に着いてから、初雪が降るとは。手紙で会う場所は伝えてしまっていたので、その時にはもう場所指定を変えることが出来なかったのだ。
「もう頭は大丈夫?」
「その言い方だと、頭が残念だったやつみたいに聞こえるんだが」
「違うの?」
首を傾げながら、真顔でそんな言葉を言い放つ。こいつ、絶対内心で俺の反応を楽しんでんな……。
鷹瀬を徒に楽しませるのはこちらとしては不本意なので、あくまで真顔で言葉を返す。売り言葉に買い言葉だ。
「違う。俺は至って善良で平均的な男子高校生だ」
「少なくともその自己紹介は絶対に違うと思うけどね」
あれ。この自己分析には結構な自信があったんだけどな。鷹瀬としては確実に違うと言い切れるらしい。ま、これのくらいの認識の違いくらい当然か。しかもそう言うのは、傲岸不遜な女王、鷹瀬カンナなのだから。
ただ、一つはっきりさせとかないといけないことは、認識の解離が大きいからといって、大事な局面でその擦り合わせをサボってはいけないということだ。今回の事件でそれを一番、強く学んだ。
「それで頭は大丈夫なの?」
「言葉を変える気はないのな……。まあ、脳震盪ならもう大丈夫だよ」
「そ。それなら良かった」
鷹瀬から僅かにほっとしたような雰囲気が感じられる。
救急車で運ばれはしたものの、怪我の容態について特に異常があった訳でもなく、次の日には退院できた。それに医療費についても学校保険が適用されたため、高くはつかなかったらしい。だからそういうことでの懸念は全くないのだが……。
俺的にはそれより気になることがあった。実はまだ鷹瀬が俺を病院送りにしたことをちゃんと謝っていないのだ。
「男が何細かいことを」と思うかもしれないが、事実として鷹瀬は人をぶん投げたのだ。以後何もないというのはこっちとしてももやもやする。
それにこういうのは謝罪することで、お互いが納得する儀式でもあるはずだ。それがないと、その後コミュニケーションを取るにもギクシャクする。
だから潤滑油としての謝罪が欲しいのだが……、鷹瀬はそんな俺の気持ちなど知るよしもなく、さっさと別の話に移行しようとしている。
まあ、計画の立案者が何、駄々こねてんだって話だよな。
「そうだ。こういうのは止めた方がいいよ」
そう言って取り出してきたのは、俺が鷹瀬のロッカーに入れた手紙。
「って言われてもなあ。連絡手段がないんだから仕方ない」
「直接、あたしに言えばいいじゃん。何時何分どこそこに集合って」
「それが出来たら苦労しないんだよなあ……」
思わずため息にも似た声が漏れる。今、気づいた。鷹瀬ってこういう微妙な人間関係には無頓着なんだ。
まあ、学校では多少、人間関係がこじれても困ったことはないのだろう。強者であるが故に、そういう厄介な問題を踏み倒せるからな。やつが一睨みするだけで全て解決。俺と同じハブりの刑が粛々と執行されるのみだ。
それを避けたいと思うならば、相手は鷹瀬と一定の距離を置く必要がある。結果的にどちらに転んでも、鷹瀬が損することはない。
それ故の無頓着。人間関係に悩みを持つ者からすれば、羨ましい限りだろう。もちろん俺も。
「とにかくあんた彼女がいるんだし、こういうのはつまらない噂の元だよ」
「…………どうして知ってる」
小鳥と付き合っていることは誰にも言ってないはずだし、小鳥がその事実を開示することを異様に恥ずかしがるので、今後も言うつもりはないが……。あ、そういや言ってなくても、付き合ってる光景を見られたことはあったな。
不自然な間が空いてしまったが、先ほどの言葉に付け足すように問い質す。
「まさか昴か、細江から聞いたのか?」
「ふーん、千尋も知ってるんだ。そんな素振り見せてなかったけどな」
「……てことは昴からか」
「ええ、そうよ」
鷹瀬の言い方的に、消去法で情報を漏らしたのは昴かと推測したが、本当にその通りだったらしい。それにしてもこいつ、昴のこと嫌いじゃなかったっけな……。
続く言葉はその疑問に答えるものだった。
「本当ならあんなやつ頼りたくなかったんだけどね。お触れを取り消すにはそれしかなかったのよ。ちなみに付き合ってる情報は奴が勝手に漏らした」
おのれ昴め。情報を漏らす相手は細江だけじゃないのか。情報屋なんだから、そんなにホイホイ情報を渡してしまうと参ってしまう。
しかし今はそれより気になることがあった。鷹瀬が発した言葉を聞き返す。
「お触れ?」
「ほら。前の……あんたと卯坂をハブれっていう」
「ああ、それか……」
流れる沈黙。鷹瀬としては色々と誤解だった訳だから、それは解いてくれなきゃ困るのだが、気まずいのはあるだろう。
しかしこうして嫌いな昴に頼んでまで、お触れを取り消してくれたのは有難いことだ。これで完全に元の安寧が戻ったといえる。俺の『償い』は彼女に届いたという解釈でいいのだろうか。
鷹瀬は依然として気まずそうだが、なに、俺にはもう疚しいことはないのだ。ならば俺から話すのが良さそうだ。
「……それで今日、呼んだ理由なんだが」
「こんなクソ寒い中、呼んだにはそれ相応の理由があるんでしょうね」
「ああ。お前にいくつか訊きたいことがあって、今日は呼んだんだ」
「ふーん」
鷹瀬は気のない返事をする。しかし薄く開いた瞳は俺の眼を真っ直ぐと捉えている。心底興味がない訳ではなさそうだ。
まあ、こいつは"女王"だからな。本当に興味が無かったら、ここで立ち去るなりなんなりするだろう。そうしないということは、俺の話には多少、興味があるということだ。ならばこちらはその期待に添えるよう、話を進めるとしよう。
「あー……、もう鎌谷先生に付きまとわれてないか?」
「ん。あの事件以降、そういうのは完全になくなったかな」
「そうか。なら安心だ」
「そういえば化学の成績、上がってたよ」
「あー、実は俺も」
「気ぃ利かせてくれたのかな」
そう言ってクスクスと笑い合う。少なくとも俺は一学期とほとんど同じ授業態度、テストの得点だったにも関わらず、十段階評価で一つ評価が上がっていた。鎌谷先生にとってはお詫び、もしくは口止め料のつもりなのかもしれない。まあ、ストーカー行為をやめてくれるなら、それに越したことはない。
やがて屋上に響く笑い声は終息していく。空気が凪いでいく中、鷹瀬はポツリとだが、確かな声音で呼び掛ける。
「でも春宮」
「うん?」
「そんなこと訊きたいんじゃないよね?」
ひゅっ、と口から小さく息が漏れる。瞳の奥の真意を覗き込んで、全て読み取ってしまいそうな鷹瀬の冷たい眼差しに気圧される。
バレたか。いや、直前までは鷹瀬に突っ込んだ質問をしようと思ったのだ。けどどうも勇気が出なかったのだ。本当に自分が情けなくなる。
そして次に来たのは俺にとっては耳の痛い言葉。
「ビビるのも分かるよ。あたしの気持ちは、あんたが理解を諦めたものだから。でも訊かないと損するよ。これで最後だし、それに」
鷹瀬は言葉を切って、一転、目を細め穏やかに笑う。そんな表情は初めて見た。ていうかこんな表情をレパートリーとして持っているのが驚きなくらいだ。
「……今日は何でも答えちゃいそうな気分だし」
何でも答えちゃいそうな気分、ね……。その言葉は鷹瀬の本心か、それとも助けてくれたお礼を遠回しに表したものかは分からない。まあ、多分前者かな、鷹瀬は気分屋だし。
けど何でも答えてくれるなら、訊かない手はない。それに……こいつの言うとおり、これで本当に最後。心残りは無しでいこう。
「訊きたいことが三つある」
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