終章 『彼女の夢は叶った』
エピローグ
「ほう」
それを見た女性は驚きの声を上げた。
旅に出て数年……行く先々で保護した孤児などを問答無用で送り付けていたが、自ら足を向けたのは本当に気まぐれだった。
伝わって来る噂話がどんどん嘘らしくなって来たので不安になったのだ。
だがどうやら噂は本当だった。
あの小さかった村が……どこから見ても恥ずかしくない"街"になっている。
その入り口に掲げられているゲートには『ヴァルハラ』の文字がある。名付けた者の趣味だ。
ゲートを潜り記憶を頼りに歩けば、その店はあった。形と規模は変わっていたが。
「失礼」
「いらっしゃ……キッシュ?」
「ああ。久しぶりだ」
「あら? 傷心の旅は終わったの?」
「何の話だ?」
「アオイとサラの結婚式の次の日に旅立ったから心配してたのよ」
「一区切りと思って旅に出ただけだ」
「そうね」
優しく笑う店主に誘われて彼女はカウンター席に座る。
店内でせわしなく働いているのは、自分が拾い送りつけた孤児たちだ。
「子供たちは全員元気よ」
「そうだろうな。ここは"病気も怪我も直ぐに癒える街"だ」
「どんな難病でも少額の寄付で癒される。アオイは本当に恐ろしいことを考えたわね」
「ああ。それでサラは元気か?」
「生きた神様ですから……皆に大切にされてるわよ」
クスクスと笑い駆け寄って来た少女の頭を撫でたエスーナに促され、彼女によく似た子供が頭を下げて逃げて行った。
「今のはエミーか? 大きくなったものだな」
「でしょ? 本当に元気いっぱいで困ってるの」
「父親があれの割には素直そうな子に育って良かったな」
「ええ。本当に苦労してるわ。父親に似ないようにね」
二人は声を立て笑う。
この街の長となった者は、『モテる男の宿命だ。俺は一人の女性に縛られない!』と宣言し、二人の妻を得ている。
一人はこの街……いや"国"の財務大臣を兼任している大商人エスーナ。
そしてもう一人が人魚王妃サラフィーだ。
彼女の生き血は病を癒す効果があるので、この国全体から厳重なまでに保護されている。
何せ地下深くまで存在する遺跡を抱えている以上、冒険者の怪我や病気や呪いなど日常茶飯事だ。
ヒールによる治療にも限度があるが、人魚の生き血はそれ以上の効果を見せる。
それによって街は大きく栄え……今ではこの世界で初の"国"となった。
神官王アオイが統治する奇蹟が最も起こりやすい場所。
それを知った者はこぞっと訪れて、そして奇蹟を得た皆が祈りを捧げる。
だが王は言う。『この場所は"神"に愛されているから奇跡が起こるのだ』と……何故か呆れ気味に。
「それでアオイは?」
「あの人なら趣味の農作業かしらね」
「サラフィーは?」
「最近は中央の池で、子供たちに"絵本"を読み聞かせて居るわ」
「そうか。ところであの絵本とやらはどこから持って来るのだ?」
「さあ? アオイのお姉さんに聞いてくれる?」
「正直あの人は苦手だ。何と言うか……人じゃない気配がしてな」
「そうね。でも良い人よ? アオイとは三日と開けずにそこら中で喧嘩してるけど」
「……変わらないのだな」
店内を見渡しキッシュは思う。
街並みや建物は変わっても、住んでいる人は余り変わっていないらしい。
「で、キッシュ?」
「ん?」
「私……旦那さんと新しい子供を作りに行きたいんだけど、お店の方を任せても良いかしら?」
「解った。しばらく預かろう」
「おかーさん」
「なに? アオバ?」
「人魚さんはおーじさまと仲良くくらしたの?」
「そうよ」
「ぼくたちみたいに?」
「そうよ」
池のほとりに腰かけ抱きしめている息子に頬ずりをする。
本当に可愛らしくて素直で良い子だ。
どうか父親に似ませんようにと……神に祈ろうとして止める。
神も神で性格が悪いからだ。不意にたくさんの絵本を持って来てくれるのは感謝しているが。
「かあさーん」
「ん?」
「ほらほら~」
「もうワカバ。もう少し静かに泳ぎなさい」
「はーい」
池の中を小さな少女が泳いでいた。
腕に抱く息子とは双子の妹だ。ただ人魚になれるのは妹だけで兄はそのことで良く拗ねる。
「クサヤ~」
「ひっ!」
「にゃー! ブクブクプク……」
「……アオバ。本当に止めなさい」
「はーい」
恐怖の言葉で水没した娘は、水の中なら問題無いので復活するのを待つ。
人魚になれない息子は父親から恐怖の言葉を教えて貰い、こうしてたまに悪戯をするのだ。
向けて来るその笑顔には曇り一つない。たっぷりの愛情で育まれている自慢の我が子だ。
チュッとその頬にキスをしてサラはギュッと抱きしめた。
叶わないはずだった夢はこんな形で叶った。
今はこうすれば……いつでも王子様とキス出来るのだから。
「我ながら会心の出来だと思う訳だ」
「ここまで何度失敗した?」
「農業にチートは無いんだな。地道な努力の積み重ねだと知った」
「あら?」
この国一の最悪コンビが歩いて来た。
王と神だ。
アオイに子供が出来てから、神の居る率が恐ろしいほど増えた気がする。
「お姉ちゃんだ」
「おお。アオバよ」
精神年齢が近いせいか、とにかく神は子供たちに大人気なのだ。
サラの腕を抜け出し駆け寄って来た王子様を抱き寄せ、クルクルとその場を回って居る。
「あれ? ワカバは?」
「あの辺に水没してます」
「水の中なら良いか」
隣に腰かけた彼は手の中にある物を洗い出した。
ゴツゴツとした緑色の不思議な植物だ。たぶん根っこか何かに見える。
と、水面が揺れて……ヌッとそれが顔を出した。やんちゃな王女様だ。
「とうさん。それなーに?」
「これか? ようやく育ったわさびだ」
「はう!」
「にゃ!」
ブクブクと娘は水没して行く。
話し相手を失ったアオイは、手の中の物を見て呟く。
「だからこれは肉とも合うんだって。醤油とわさびは万能なんだ!」
「わたしの前でその言葉を口にしないで下さい!」
「なぜに!」
「恐怖しか感じないんです! 何度も言ってるでしょう!」
「失敬な。これでも頭は良いから一度言われたことは忘れない」
「忘れてますよね? 本当にもう!」
涙目で全力で非難する相手に笑いかけ、アオイはそっとサラを抱きしめた。
「忘れないさ。忘れない様にこうしてお前をからかってるんだ」
「からかわないで下さい!」
「嫌だね。こうしていつも確認してるんだ」
「何を……ですか?」
「俺の知らない
その唇にキスして、アオイはわさびを相手に見せる。
「これを擦るにはサメの皮が良いらしいんだが……お前の足でいけるか?」
「いや~! 削れますから!」
「大丈夫。ちょっとだけ……先っぽだけ」
「そんな物を、わたしに擦り付けないで下さい!」
わさびを持って嫁に襲いかかる旦那の姿を見つめる息子の目を遮り、神は言う。
「お前ら……子供の前で何をしているんだ?」
神に愛された国は末永く繫栄し……その王家からは常に笑い声が絶えなかったそうだ。
おしまい。
~あとがき~
これにて完結です。
お付き合いいただきありがとうございました。
(C) 甲斐八雲
自称人魚のお嬢様と出会ったのだが…醤油とわさびはどこにある? 甲斐八雲 @kaiyakumo
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