終章 リヴァイツィー二家の嫡男
「えっと。もう一度確認なんだけど、本当に君がサザンカ?」
「はい」
リビングはしんと静まりかえっている。シャルルを含め五人もいるのに、俺との会話以外の音は一切ない。
「今の名前は?」
「ミゲル・バチスタと言います。生まれはフィリピンの田舎町。歳は今年で十九です」
「え、私より年上」
「よく若く見られます」
「あ、すいません。ということは、もう高校を卒業した?」
「今年高校を卒業したばかりです。フィリピンは幼稚園から高校までの十三年間を義務教育としているので、それが今年終わったんです」
梨花も思わず恐縮し、言葉が出ない様子だった。俺も含めた他の面々も戸惑っているのだろう。思い描いていた暗殺者とのギャップに面食らっているのだ。
いつも笑顔で迎えてくれる褐色ショタの店員。年は十九になるというが、非常にあどけなさを感じる。ちょっと丸っぽくなっている眉が非常にアクセントになり、ぱっちりとした目と無邪気な笑顔によく映える。どちらかというと、インドアな感じがする。
日進月歩で日本語が上手くなっていく様は、非常に微笑ましいものだった。実を言えば、成長していく彼の姿が見たくて、彼の無垢な接客を受けたくて、あのコンビニに通っていたのは内緒である。実際通い詰めている女性ファン(おばさん)もいる。歳の離れた弟か息子がいたらこんな風だろうなと考えてしまうのだ。
そんな人間が、前世で名を轟かせている一家の暗殺者だとは、到底思えなかった。兵の腱や関節を切り刻んでいく闇の姿とは一切重ならなかった。本当に、信じられなかった。
「僚真。今度は私から質問してもいいか」
「ラティオか。はい、どうぞ」
ソファから腰を上げ、浅く座る。
「ええと、そうだな。ここではあえてサザンカと呼ぼう。いくつか質問をいいかな?」
「はい」
ソファの上、きちんと背筋を伸ばしている。
「最初からこんな事を聞くのも心苦しいが、君が前世でいつ死んだか、またどうして死んだかを説明してくれないか?」
「そう……ですね」
目線を外した。
「酷な質問なのはわかっているが、すまない。どうしても必要な情報なんだ」
「わかりました」
覚悟を決めたように、二度小さく頷いた。
「アイライル会戦に関わったみなさんなら知っているでしょうが、僕もあの戦に参加していました。自分で言うのもあれですが、贅沢にもある一定の戦果を収め評価を得ました。しかしそれを気にくわない人間が二人。父と兄です。その二人に闇討ちに遭い、命からがら逃げ出しました」
ここまではラティオに聞いた話だ。
「身を守るとは言え、父や兄を傷つけてしまった後悔とともに、パルミナードへと逃げました」
「パルミナードか。あそこなら山脈も多く、隠れるにはもってこいだな」
「はい。そこでもう……何年の時を過ごしたのかは覚えていません。獣を狩り、山にある果物や木の実などを取り、飢えをしのいでいました。しかし兵に捕まり、監獄であえなく栄養失調で死にました」
年の差を考えれば、実に八、九年の月日を、ろくに食事を与えられないまま過ごしたことになる。一体どれほどの苦しみだったのか。
「監獄?」
ここで反応したのは、梨花だった。
「あの、前世での見た目を詳しく教えてくれませんか?」
「見た目? 見た目は……そうですね。髪は真っ白で肩までの――」
「真っ白! 真っ白な髪が肩まで! 私が監獄に捕まっていた時、同じ人を見かけましたよ」
「本当ですか?」
「私、ミルダウ族ってさっき紹介しましたよね。あなたと同じ階層にいたんですよ。目の前で、真っ白な髪でガリガリなカルタナ族が連れて行かれるのを見たことがあります。私が死ぬ前のことです」
「そういえば……うっすらとですが、牢屋にミルダウ族がいるのは覚えがあります。角が生えて、髪が赤かったような」
「そう! そうです!」
「落ち着け梨花。しかし、今の話を聞いてみると……色々気づくことがある」
ラティオは、憐れむような目で彼を見つめた。
「……君は、一切人から物を盗らなかったんだね」
「それは誓ってしてないです。今まで罪を重ねてきましたが、暗殺一家から解放されてからはする必要もありません。いや、したくなかったのです。人を傷つけるなんて、元々したくはなかった。不殺の技術だって、人を殺したくないという思いから得た物です。家族には、この方が相手の戦力を削げると言い訳をしていました」
ラティオは深く頷いた。
「ようやく証明できたな。サザンカは、私たちが思っているような人間じゃない」
「……」
「私にはわかる。私が生きていた間、山賊や盗賊の被害など聞いたことがない。街道や見張りなどに万全を期しているのは、あの国くらいだろうからな。城下町や村の窃盗などはわからないが、少なくとも、人を殺して食糧を得るなどは絶対にしていない。パルミナードの情勢はあらかた知っている。賊や魔物の被害対策には二国間で協力していたからな」
「私の牢屋の件から見ても、パルミナードに隠れ潜んでいたのも嘘ではないはず」
「梨花の言うとおりだ。捕まったのは私が死んだ後だろう。おおよそ賊の生き残りと勘違いされたか」
正解です、と言うように、彼は力なくうなだれた。
「ねえ、もういいでしょう。彼が非道な暗殺者でないとわかったじゃない」
シャルルが強く言った。
「うむ。そうだな」
「だから次は私の番。私は前世ではなく、今生きているこの世界での話を聞きたいな」
にっこりと、彼に微笑む。彼は気恥ずかしそうに目をそらした。
「いつもコンビニではお世話になっています。何度も申し訳ないけど、質問いいかしら?」
「は、はい。どうぞ」
緊張する彼に真っすぐ目を向け、語りかけるよう静かに言った。
「あなたが生まれた家は、どんな家?」
「家族が七人います。父と母と、五人兄弟。僕は二番目です」
「五人兄弟、か。すごく賑やかそう」
「はい。うるさい妹や弟たちばかりなんですよ。ですが賑やかで、とても幸せでした。何もない山奥の田舎町でしたけど、本当にのどかな場所で過ごしやすい」
先ほどとは違い、口調は滑らかで弾みがある。シャルルはそれをうんうんと、カウンセラーのように聞いていた。
「子どもの頃は特に楽しかったです。フィエスタ、というお祭りがフィリピンにはあるんですが、わざわざ遠出してまで行くほど楽しい行事なんです。そしてなんと言ってもクリスマスですね。爆竹を初めて鳴らした時はびっくりして大泣きしちゃいましたが、毎年この季節が来るのが楽しみでした」
フィリピンは大多数がキリスト教徒だと聞いたことがある。日本のようななんちゃってイベントではなく、正式なイベントなのだろう。
「本当に楽しい思い出です。ただ……」
ここで彼の顔が、表情が沈んでいく。今までの楽しい感情を閉じるように、手を前で組んだ。
「その一方で、こんなに楽しんでいいんだろうか、なんて思いがありました。僕は前世で罪を犯しています。人殺しはしませんでしたが、それ以外の悪事は一通りやってきました。生まれ変わったからと言って、手の汚れが消えたわけではありません。ほんとに小さい頃は、自分に降りかかる愛情が恐くて、逃げたこともありました」
ズキッと、心に針が刺さる。
「前世で僕は、愛人の息子として引き取られました。もちろん兄には虐げられ、父からも愛情など感じることはありませんでした。当然、血の繋がってない母親からも。慕ってくれたのは、十三も歳が離れたイトナギという妹だけで、家族はほぼ全員が敵でした。そんな中、どうしても認められたくて、暗殺術や不殺の技術を会得しました。人を殺せない臆病者と罵られつつも、盗みや大集団の無力化という利点で成果を上げてきました。そしてその内、不殺の技術の方が役に立つ場面も出てきて、余計な評価が付くようになりました。つまり、それくらい罪を犯したのです」
「……」
「こちらに来て次第に受け入れてはいきましたが、やっぱりどこか心に引っかかっていました。どうしようかと悩んだまま、四ヶ月前に高校を卒業しました。そのお祝いをするために、都会で働いていた一番上の兄が帰ってきたのです。スマホを持って、です」
「スマホ」
「はい。うちは貧乏な村で育ったので、働いている兄くらいしか買ってなかったんです。それで色々な機能を教えてもらいました。その中で一番驚いたのは、SNSです。一通りの説明を受けて、ある事を閃いたんです。これを使えば、僕と同じ生まれ変わりの人を見つけられるんじゃないかって。同じ境遇の人に会って、自分の悩みの答えを探ろうと思ったんです」
自分の存在意義を確認するため、生まれ変わりを探したかった。
「なるほど。そこで初めて」
「使い方を一番上の兄に教わって、なんとか探してみました。そして前世の名前があるのではないかと、片っ端から有名人の名前を入れてみました。すると、ジアルードというアカウントが見つかりました。そして見慣れた国旗の画像も、そこで」
五カ月前に公開したばかりの画像を、彼は運良く拾ったのか。
「本当は返事を送りたかったんですが、それは兄のアカウントでしたので送ることもできませんでした。非常にもどかしく感じましたが、それで決意したんです。日本で働こうと」
「だから日本に来たんだ。俺を探すために」
「はい。色んな手続きで時間が掛かって、ようやく日本に行きました。しかし手掛かりは、山形市という字と、電柱に書かれた蓮見町。頑張って調べて同じ地名を何とか見つけて、そこのコンビニでバイトを始めたんです。SNSを使うために、自分用のスマホを買いたかったから」
そうか。あの時コンビニでスマホが欲しいと言ったのは、そういうことだったんだ。笑顔で言っていたが、そこには確かな決意があったんだ。
「今、ようやくその願いが叶いました。スマホを買うまでもなく、こんなに生まれ変わりの人と会えるなんて」
彼は、まさにゴールにたどり着いたかのように安堵した。
……こちらに来ても、彼は苦しみ続けていたんだ。心根が優しい故に、前世の罪に囚われていたんだ。それで答えを知ろうと、生まれ変わりを探していたのか。十数年住んだ地を離れ、異邦の地へ。並大抵の決意ではないはずだ。
……そんな彼に、かける言葉が見つからなかった。いや、俺に慰めを言う資格などない、と言った方がいいのだ。
俺は、人から聞いただけの情報で、彼を悪役にしたのだから。人を傷つけることを厭わない暗殺者だと、決めつけていたのだから。
嫌っていたカルタナ族と、俺は全く同じ事をしているじゃないか。何の疑いもなく、ひどいレッテルを貼っていた。あの時のシャルルと全く同じ……いや、違う。いくらでも考えを変える可能性があったんだ。サザンカがこちらに来て改心したとか、元々そんなやつじゃないとか、そういう方面の考え方もできたはずなんだ。
俺は……なんてことを。
唇を噛んでると、ラティオが息を吸って話しかけた。
「君に言う言葉は思い当たらない。前世は関係ないと無責任なことも言えない。ただ……」
彼は、ラティオにゆっくりと顔を向けた。
「昔のことを引きずっても何もならん。今は罪を忘れるな。決して忘れるな。だが、不幸になるな。後ろ向きにもなるな」
まさしく、俺に向けられた言葉にも聞こえた。
「そんなことをしたところで、誰も納得しないし、救われない。ただ、忘れないだけでいい。君は、この世界で生きていけばいい」
「……はい」
彼から一筋の涙が流れる。それを見て思わず、俺は口を開く。
「答えはすぐには見つからないかもしれない。でも俺たちは、こんな風に集まることもできる。それに俺たち夫婦は、まさしくここに住んでるんだ。だから、君さえよければいつでも来ていいんだぞ」
「僚真さん……」
「夫の言うとおりね。いつ来てもいいんだから。割り切れない気持ちが解決することは難しいけれど、緩和することくらいはできる」
「シャルルさん……」
袖で目を拭った。
「ありがとうございます。本当に、あなたたちに出会えてよかった」
それでも涙が溢れる彼を、シャルルと梨花が慰める。やはり女性陣に任せるべきか。機を見て、ラティオに近づく。
「なあ、生まれ変わりから返信が来た件。さっきのやつ」
「うん?」
「正体がわかったら、俺にも紹介してくれ」
ラティオが目を丸くした。しかしすぐにニヤリと笑う。
「考えが変わったな」
「変わったというか、何というか。彼のように苦しんでいる仲間がいると思ったらな」
そうだ。その可能性を一切考えていなかった。ただ不変だけを願い、助けを求める者を遠ざけようとしていた。
俺は……そういう考えから逃げていたんだ。
「そうか。やはり仲間で動くか」
「ん?」
「いや何」
空中を仰ぎ見て、はあ、と息を吐いた。
「アイライル会戦でナディアが死んで、お前は最大限の力を振り絞って燎化を発動させた。そして戦場を駆け巡り、戦況の有利不利などお構いなく破壊していったんだ。器用に人も殺さず、仲間を助けてな」
「……」
「チェスで言えばキングの立ち位置のくせに、クイーンよろしく縦横無尽に駆け巡りやがった。定石からは大きく外れた動き。お前は仲間のために、同属のために動けるやつなんだ。私は後方の船から様子を見ていたが、はっきりと橙色の光が見えた。兵力の差など関係なく覆して見せた。あれは恐ろしかった。しかし、味方からすればこれほど頼りになる光もないだろう。まさに燎。燎王とは、言い得て妙だな」
「仲間が付けてくれた大事な称号だ」
「そうかそうか」
仲間のためなら、か。そんなことわざわざ思ったりもしなかった。
だがその無茶が仇となり、相手の矢が無数に体に刺さることになる。時間が経つにつれて火は消えていき、ついには力尽きたのだ。
「つらい結末だが、もう過去のことだな」
「過去のことだよ。今は楽しいし、後悔はしていない。だから」
サザンカ……いや、ミゲルの方を見る。
「彼だって、きっと救われる」
「ああ、そうだな」
まだ涙を流している。本当に暗殺者だったのか疑わしくなるほどの泣き虫だ。
少し間を開けて、ラティオは言葉を続けた。
「もし生まれ変わりと会って話がついたら、また日本に来てもいいか」
「もちろんいいよ。いつになる」
「いや、今夏中には」
「早いな。移動費とか大丈夫なのか」
「ふふふ。そこは心配はない。なぜならインディーズゲームで稼いだ金があるからな」
「そんなに儲かるのか」
「今回はたまたまだ。生まれ変わりが一カ所に集まって話し合った方がずっと効率的だし、夢のための出費なら惜しくはない」
夢のため、か。
「そういえば、お前が作りたいゲームの名前って、もう決まってたりするのか」
「ああ、決まっている」
指を差し、どや顔で言った。
「ファランクス」
確か、大昔の戦術の名前だったか。
「どうしてそんな名前に?」
「ある一人の女の子が、国の政策に疑問を持ち、それから仲間を集めて集合体となり、巨悪に立ち向かうストーリー。構想としてはこんな感じだからな」
なるほど。なんか、今やっている事と被っている気もする。
ファランクスか。俺やシャルルたちが、盾と槍を構えてずんずん前へ進んでいく様が浮かんできてちょっと笑ってしまった。もし困難などがあったとしても、これなら難なく進んでいきそう。数が増えれば、より強固な陣となるじゃないか。
「ごめんなさい。取り乱しました」
表情を真剣なものに戻し、ミゲルに向ける。
「今日は突然お邪魔してすみませんでした。もう帰ります」
「おっと待つんだ。バイトは?」
お辞儀をするミゲルに聞く。
「急用がある、と無理を言って上がらせてもらいました」
「ならすぐに帰らなくてもいいじゃないか。そこでどうだろう。これからミゲルを迎えるパーティーをここでしようじゃないか」
「おお、いいですね。もちろん僚真さんの自腹ですよね?」
「当たり前だ。シャルル、俺の貯金を二万くらい崩してきてくれ」
「ああ、タンスに入ってるゲームの軍資金ね。わかった」
「わ、悪いですよ。僕なんかのために」
「なんかなんて言うな! お前はもう仲間だ。この世界で、前世を生きた人間なんだ。なにを遠慮することがある」
「仲間……」
「これほど希有な人間が集まったんだ。何もしなければ、会えるはずがなかった人間たちなんだ。これを仲間と言わずして何と呼ぶ」
ミゲルは目を輝かせる。
「ほ、本当にいいんですか?」
「ああ、遠慮することはない。むしろ、お祝いさせてくれよ」
緊張して、遠慮しての二重苦の表情を、なんとかして絆(ほだ)していく。やがて彼は、
「……わかりました」
渋々だが、ちょっと嬉しいが混じった、照れくさそうな表情で承諾した。
「ようし。そうと決まったらさっそく買い出しに行くぞ。みんなついてこい」
おおーというノリのいい声が後ろから聞こえてくる。
……何十分か前までは、生まれ変わりなんて探さなくていいとか言ってるやつがこんな事を言っております。
だが、昔のことは引きずるな、だ。二万円は痛いがしょうがない。贖罪だ。これで少しでも報われればいいが。
家族とも思える人数の集団を連れて車へと向かう。助手席にナディア、後部座席にカーリン、ズール、サザンカと乗る。
「君に色々と教えたいことがある。SNSは……別にスマホでなくても見られる」
「マ、マジですか!」
「そうだぞ。探すだけなら、図書館やネカフェのパソコンでも調べられたはずだ。だいぶ知識も偏っているようだ。どれ、シャルルと僚真はそこら辺も教えてやれ」
「ああ、わかった」
笑い声に満ちた車に、エンジンを掛け出発する。
「あ、そうだ。みんなに話したいことがある。実はな――」
ラティオの口から、アメリカにもう一人生まれ変わりがいることが話される。様々な反応があったが、そこに不快な表情をするのは誰もいなかった。もちろん、俺も含めてだ。
ここに後一人加わるのは、一体誰だろうか。俺が知っている人間だろうか。そんな事を考えながら、車を夕闇の中に走らせた。
後にこの一人が、とんでもない事象を持って日本にやってくるのだが、それはまた別の話。そんなことも露知らず、車内は賑やかだった。
まあ今は何も考えなくていいだろう。いつでも立ち止まり、考える時間はあるのだから。三人の仲間を連れだった夫婦の物語は、途中で止まることなく、これからも続いていくのだから。
魔王と勇者と姫、平成を生きる 初瀬明生 @hase-akio
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