その時まで

 グェンが部屋を掃除している。

 エントランスに向かいつつ、プライマスの処に行くことを告げた。

『いってらっしゃい』

 アルヴィが答える。

 外に出た。

 燦めく光子の粒、電磁の波、同じ物が降り注ぎ、同じように降り注ぎ、上昇と下降する元素の結合が流動し、光の反射と吸収によって捉えられた物が、それぞれ色鮮やかな彩りを見せ揺れている。

 アンディが庭を掃除している。

 ガレージからヴィークルを出すか迷うが、天気のいい日、歩いても一時間はかからない。歩いていくことにした。

 すれ違う人たちが笑顔で挨拶をしてくる。

 いまや人間と機械人間の見分けがつかぬほどになり、機械人間の法も改正され、人間側もそれに順応していた。側に機械人間がいて当たり前の存在となっていたのだ。

 しかし、今以てしても、人工知能や機械人間を悪用する者が、後を絶たないのも事実であった。一つ潰せば、また何処かで生まれる。人の心に生まれる。

 花々の咲き乱れる庭園が広がる家が見えてきた。

 一機のヴィークルが家の前に止まっていた。

 花が絡まり咲いている門を潜り中へと進むと、花が種類ごとに分けられ、更に咲く花の色で分けられたりと、綺麗な花壇があった。

 その側でプライマスが作業していた。

「あら、博士。おはようございます」

 声をかけてきたのは、マフィアのアンダーボスの処にいたF型機械人間。名前はビーチェ。表にあるヴィークルは彼女のだった。

 彼女の声にプライマスが顔を上げた。

「博士、おはようございます」

「はかちぇ、おはよい」

 彼の横で一緒に手伝いをしていた小さな顔が見上げてきた。

 するとそれに気づいた老父母が、笑顔で挨拶してきた。二人はこの家の主人で、プライマスの横にいたのは孫娘だった。

「今日はどうされたのです?」

 花の手入れをしていた老父が手を休め訊ねる。

 花を分けて欲しい旨を伝えると、老父母は快く了承した。

 どうやらビーチェも花を貰いに訪ねていた。というより、彼女は店に飾る花を仕入れに来ていたのだ。

 誘拐紛いの件から数年経ったある日、マフィアのナンバー2であるアンダーボスが、ビーチェの前の主人に殺されたのであった。

 前の主人はアンダーボスの元恋人で、彼を嫉妬させようと何故かビーチェを手に入れたという。だが、性的指向/嗜好がそっちではないため、酷い扱いをしていた。それを見たアンダーボスは元恋人を張り倒し、彼女を連れ帰ったのだった。

 その時のアンダーボスの真意は分からないが、連れ帰ったのは彼女を店で働かせようと単純に考えていただけのようだった。

 だが、その後に起きた店での事件で、アンダーボスは改めて彼女に一目惚れをしたというのであった。彼女の容姿にではなく、彼女の心に……。

 常に彼女を連れ歩くようになったアンダーボスに嫉妬したのは、彼を嫉妬させようとした元恋人だった。ビーチェを完全破壊することは困難だが、稼働停止させるくらいはできる。が、それも直ぐに修理されてしまうので意味がない。それなら破壊しても修理不可能で、アンダーボスはもちろん、ビーチェにも衝撃を与えられる最も効果的な行動を取った。

 そして、それは完遂された。

 犯人はそのまま逃走し、警察も行方を追っていたようだが、忽然と姿を消したとのことだった。ボスによると、「そういうこともままある話」だそうだ。〝忽然〟と言うより、〝完全〟にらしいが――。

 アンダーボスの死で、ファミリー内では多くの問題が起きていた。が、彼個人の問題としてはビーチェのこと。彼女はアンダーボス個人の機械人間だった。彼には肉親や親族といったものがいなかった。彼はボスに拾われ、弟のように可愛がられていた。それ故に家族のいない彼には、マフィアのファミリーしかいなかったのだ。そこでマフィアのボスが彼女の身元引受人となり、ボスと愛人の間にできた子に、彼の私邸ごと相続させていた。問題は彼女の記憶を消すかどうかだったが、後からでも相続させた新しい主人の意向に任せることにした。

 ボスの愛人は堅気の人間で、街で小さなレストランをやっていた。何故ボスは愛人にビーチェを相続させなかったのかは、たぶんボスの嫉妬もある。それに息子に母親らしいことを余りせずにきた所為もある。失ったアンダーボスの存在は彼女にとって大きく、それを考えたとき、息子に跡目を継がせようとは思わなかったそうだ。だから、息子がレストランを継ぐと言ったとき、彼女は喜んだという。そのレストランも繁盛し、ビーチェは今でもそこで手伝いをしている。マフィアを抜けた元ボスは、愛人と他の地で余生を送った。

 そんなビーチェだが、彼女の〝尊厳〟には、やはりアンダーボスへの想いでいっぱいだった。だが、彼女の〝尊厳〟は解放されていない。だからロクサーヌのようにはならなかった‥‥というより、彼女は〝尊厳〟を解放されても、ロクサーヌのようにはならなかったと思う。何故なら面白い現象が見られたからだ。それは彼女の〝尊厳〟には、次の主人への想いが記銘され、保持されているということだった。

 彼女はボスの息子に、

「今の君があるのは、その人への想いからなら、その記憶を消す必要なんてないよ」

 と、言われた。

 彼女の〝尊厳〟は、彼らへの想いが濃くなっていった。

 たぶん博士は知っていたのだろう。たとえ後天的記憶である〝経験〟が消されたとしても、〝尊厳〟に記憶された人への想いは消えないことを。だから機械人間の法制化の際、プライバシーの観点から相続以外の他者への譲渡・売却には、機械人間の記憶を消去しなければならなかったことに、博士は否定しなかった。そして機械人間は、〝尊厳〟に大切にしまい込んでいた。幾つもの想いを、いつまでも。

 おそらくロクサーヌは、〝尊厳〟が解放されたことで、後天的記憶である〝経験〟を消去されても、〝尊厳〟まで消去されることはないと気づいていたはず。ただ彼女の場合は、それでもそう願い選んだ。博士様のいない世界は、彼女にはあり得なかったのだ。

 アルヴィが『私はお側にいると誓いました』と言って、博士の棺に入れられた古い箱。そのことがロクサーヌの記憶に深く刻まれていたのかもしれない。おそらく博士でさえ、予測できない事柄だったと思う。

 そんな博士が末期に、『人間につきあってやってくれないか』と言っていた。それは、機械人間は人間性の鑑として存在しているわけではなく、人間と機械人間の相互作用、相互交流によって生み出されたそれを他の人間に継承し、成長を促そうとしていた。つまり、機械人間というツールを介し、人間同士に同じような作用が働くことを願っていたのだ。

 プライマスや家の人たちの花園が、まさにその形態を具現化させた一例であろう。訪れた者たちへ微笑みを伝播させている。

 花束を貰い、帰りはビーチェのヴィークルに乗せて貰う。途次、彼女はオマケで貰った小さな花束を、今の女主人に渡すと嬉しそうに話す。

 彼女も代々の主人たちから受けた想いを、今の主人に受け渡していた。

 愛の逓伝。

 機械人間がその接点なのだ。

 入り口までビーチェに送って貰い、屋敷近くの森の中へと続く径を、花束を抱えて歩く。

 やがて見えてきたこれまで何度も訪れた場所。

 エイルは立ち止まり、並ぶ墓碑を見つめた。



 アルヴィは博士から、自分のしようとすることを見届けろ、と提示されたことがあった。彼女が何を目指し、それがどういう結果になるのか。その答え合わせは、エイル本人の行動によって示される、と。

 エイルは人間と機械人間の〝想い〟の集合体である。そして、彼女の人工知能〝慈愛〟は、何かを生み出す、創り出す、ゼロをイチにする力だった。それは人間の他には神しかいない。アルヴィは、博士が神を創ろうとしたのではないかと考えた。博士でさえ有限だった脳を、半永久的に有する機械人間は、形而下に具現化させた神に等しい存在なのかもしれない。だが、それは博士の問いには不正解であり、博士が考えた結果と、エイル自身――彼女の〝尊厳〟にあった記憶と、後に彼女が地下で見つけた物――が導き出す結果とも異なるのであろう。

 彼女がそれを発現させるのは、もっと後の世界でのことかもしれない。



 エイルは墓碑に向かい、花束を捧げる。

「人が欲するなら、わたしは神になろう」

 次の墓碑に花束を捧げる。

「厭うなら魔にでもなろう」

 最後に、

「人から受け継いだその想いを、人へと繫げる。そのためにも、機械人間トランスヒューマシンであるわたしが、修理師として、人の心を修理しよう」

 花束を捧げると墓碑に触れながら、

「その時まで……」

 と、彼女は腹部に手を添えた。

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機械人間の修理師 黒穴劇場 @black_hole_theater

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