増田朋美

今日も朝から大雨が降った。晴れているというのに、なぜか大雨が降るというおかしな天気が続いている。最近は、晴れていれば旱魃が起こってしまいそうなほどの暑さが続き、雨が降ると大水になってしまうという極端から極端を繰り返している。でも、三十分程度で雨がやみ、日照りになってしまいそうなほどの極端な晴れになった。

「今日も良く降ったなあ。これが長続きしたら、大水が来るかもしれなかったぜ。」

杉ちゃんと蘭は、タクシーの中で、そういうことを言った。二人が乗ったタクシーが、富士駅の前を通りかかると、二人の人間が駅前の自動販売機の前に立っていた。一人は女性で一人は男性だ。しかも男性のほうは、歩行ができないらしく、一枚の板に車輪を付けた台に、正座の姿勢で乗っていた。

「運転手さん、ストップ!」

と、杉ちゃんが、自動販売機の前で、無理やりタクシーを止めさせた。

「どうしたの、杉ちゃん。」

驚いて蘭がそういうと、

「あいつら、てんとみわさんではないのか?今時、いたの上で正座で移動する奴なんていないよな?」

と、杉ちゃんが蘭に言った。確かに杉ちゃんが顎で示している通り、自動販売機の前にいたのは、異世界である、松の国の住人である、てんとみわの二人だった。

「運転手さん悪いんだけどさ、あの二人、乗せてやっていいでしょうか。」

もちろん、ワゴンタイプのタクシーなので、あと二人余裕で乗せることはできた。運転手が良いですよというと、杉ちゃんは、でかい声で、

「おーい、そこの二人!」

と声をかけた。二人が振り向くと同時に、

「乗って行けや。」

と、杉ちゃんはまた声をかけた。みわがそれに気が付いて、てんの板に取り付けた紐を引っ張り、二人の近くまで来た。やっぱり車輪の技術はまだ発達していないようで、てんが乗った板は、がたがたと揺れていた。

「こんにちは、ご精が出ますね。」

運転手が、二人をタクシーの中へ入れると、てんは頭を下げて、あいさつした。運転手は二人のことを、単に背が小さい人しかみなさなかったようで、何も言わなかった。そのほうが、杉ちゃんたちもてんも都合がよかった。運転手は、何も言わないで、二人を含めて杉ちゃんたちを杉ちゃんの家まで送ってくれた。

全員、みわと運転手に助けてもらいながらタクシーを降りて、杉ちゃんの家に入る。杉ちゃんは、客をもてなすため、すぐにカレーを作り始めた。

「しかし、お前さんたちが、こっちへ来たということは、また何か、大変なことが、松の国であったのか?」

カレーをつくりながら杉ちゃんは言った。

「ええ、わたくしたちもこれまで野分というものは、何度も経験しておりますが、今回のものはより強力だったかもしれません。今回の野分で川が決壊してしまいましてね。避難していた住民の家がみんな流されました。」

てんは静かに言った。多分泣いてもどうにもならないことを知っているから、そう静かに言うんだと思うけど、涙を我慢しているのがわかる。

「はあそうか、最近では、日本でも、毎年のように50年に一度の大雨が降ったという言葉が聞こえてくるが、それと同じなのかな?」

カレーをかき回しながら杉ちゃんが言った。

「ええ、わたくしたちも、このような大規模な野分がやってくるとは考えてもいませんでした。とりあえず、家を失った住民は、今のところわたくしどものところで保護しております。家を失わなかった住民が食べ物を持ってきてくれたりしていますので、彼らの健康状態は、悪くありません。建設関係者が、今、家を立て直す作業に追われております。でも、わたくし自身は、このように何もできないのでありますから、何か彼らに激励のつもりで差し上げたいのです。それで、みわさんが、日本から何か持ってくればいいのではないかと、いうものですから、来させてもらいました。」

てんは、ここまでを一気に話した。しかし、住民のことを思って、涙を流す将軍というのも、また珍しい存在である。日本の政治家では、そんな人物がはたしているだろうか。

「はあ、なるほどね。つまるところ、被災者に何かプレゼントしたいわけね。」

杉ちゃんはてんたちの前にカレーを置きながらそういうことを言った。

「それはプレゼントというより寄付というべきじゃないのかい?」

と蘭が言うと、

「でも、わたくしたち橘族のしきたりでは、貨幣というものはありません。何か欲しければ自分の持っているのものを差し上げることによって成立しています。」

「そうだったねえ!なんでも物々交換で済んじゃうんだよな。お金がいらない世界って、いいよなあ。それに、文字もひらがなばっかりで、僕みたいなバカには気楽だったよ。」

てんと杉ちゃんは、相次いでそういうことを言った。

「でも、何を交換してもいいというわけではありません。実用的なもの、生活にどうしても必要になるものを交換物として使用するように、法で定めております。例えば、食品とか、着物とか、そういうものですね。そういう日常生活に腰をしっかり下ろしているものを、わたくしたちは、交換するようにしているんです。」

「ははあ、なるほどねえ。何だか古代インカとかでよくありそうなことだなあ。」

蘭は、てんの発言に、思わずため息をついた。それほど文明化していない国家なのに、将軍が住民に何か寄付するという発想は、なかなかお目にかかれない。

「じゃあ、思い立ったら、すぐに行動に移そうぜ。幸い、着物も食べ物も、日本には腐るほどあるから。なんでも安い値段で買えるから、すぐに買いに行こう。こういう時は、すぐに手に入るというか、食糧何かもいいけれど、着物が意外に手に入りやすいもんだろう。よし、カールさんとこ行って、すぐに買ってこよう。」

杉ちゃんは、急いで出かける支度を始めた。こういうところは杉ちゃんのすごいところ。思いつけばなんでも実行に移してしまう。せめてカレーでも食べさせてあげればいいのにと蘭は思うのであるが、それは、杉ちゃんの頭にはないらしい。

「よし、すぐ買いに行こうぜ。カールさんの呉服屋さんは、ここからすぐ近くだったよな。ちょっとバラ公園を横切っていけば、すぐだ。よし、行こう!」

二人が、カレーを急いで食べてしまうと、杉ちゃんはすぐにカバンをとった。

「あ、ちょっと待て。」

そこで杉ちゃんは、動作を止める。

「だけどね。移動するときに、車輪付きの板に乗って移動する奴は、日本にはどこにもおらん。歩けないやつは、大体日本では、こういう車いすというものに乗っていく。だからそうだなえーと。」

と、杉ちゃんの言う通り、紐で引っ張る一枚板に乗っている障碍者はどこにもいないのだった。

「その板の上に乗っていくのは、確かに、大笑いされちまうよな。」

「まあ、確かにそうだねえ。」

てんの姿を見て、蘭も相槌を打った。

「でも、わたくしは、これしかありませんから。」

と、てんが言うと、

「ちょっとサイズが大きすぎるかもしれないけれど、蘭の買ったばかりの車いすに乗って行けや。みわさんに押していただければ、それでいい。」

と、杉ちゃんが言ったので、蘭はおいおいと驚くが、それでもそうするしかないと思いなおした。みわが私が一緒に取りに行きますと言って、蘭と一緒に彼の家に行く。そして、玄関先においてあった、買ったばかりの車いすを出してきて、てんをすばやく乗せた。これは、蘭がネットオークションで、入手した車いすである。みわの手際の良さは、専門の介護福祉士でも、顔負けだった。

「すごいですね。へたくそな介護福祉士を雇うより、みわさんにやってもらう方が良いかもしれない。」

蘭は思わずそういうほど、みわの手際は良かった。

「ええ、私たちの国には、介護人を雇うという制度はどこにもなく、家族がやるということになっていますから、そういうことを、みんな知っているんです。」

みわはきっぱりと言った。その言葉に蘭は何も言えなかった。

「それでは行ってこよう。」

と、杉ちゃんは二人に先立って、玄関から出て移動を開始した。みわさんが、てんの車いすを押して、それについていった。蘭は連絡係として家に残った。

「それにしても、こんな立派な乗り物に皆さん乗せてもらえるということは、日本の障害者は、恵まれているんですね。」

と、てんが道路を歩きながらそういうことを言っている。

「さあ、それはどうかな。周りを見てみろよ。歩けないやつらが道路を歩いているか?松の国では平気で引っ張ってもらっている人が大勢いたのに。」

と、杉ちゃんはため息をついた。確かに、いろんな人が道路を歩いている。でも、そのほとんどが、歩ける人ばっかりだ。歩けない人は、ほとんど外を出歩いていない。

「わたくしたちの土車のようなものよりもっと便利なものがあるのに、なぜ、皆さん、外を出歩かないのでしょう。」

てんはそんな疑問を投げかけた。

「さあねえ。」

と杉ちゃんはぶっきらぼうに答える。いつもなら必ず答えを出さないと気のすまないという杉ちゃんなのに、今日はなぜか答えが出ていなかった。

やがて、三人は、増田呉服店と書かれている看板の前で止まった。看板にはホップな字で、「リサイクル着物あります」と書かれている。

「リサイクルとはどういう意味なんでしょうか?」

と、てんが聞くと、杉ちゃんは、言ってみればわかると言って、どんどん中へ入ってしまった。

「いらっしゃいませ。」

と、中にいたのは、イスラエル人のカールおじさんだった。

「日本は単一民族の国家とお伺いしましたが、実をいうとそうでもないのでしょうか?」

てんはそっとつぶやいた。

「まあ平たく言えば、そういうことやんね。早く日本そうじゃないって、認めてくれるといいのにね。」

杉ちゃんはやれやれとため息をつく。

「まあ、それは置いといてだな。紬の出物はないか?」

と、杉ちゃんが聞くとカールさんは、

「紬なら、二十枚くらい入荷したけど、どうする?」

と答える。

「二十枚あれば足りるかい?」

杉ちゃんが聞くとてんははいと答えた。カールさんが紬の着物を見せてくれたが、着物は、いずれも紺とか灰色とかの地味なもので、柄らしきものも何もなかった。カールさんが、こんな地味なのを持っていくんですか?と聞くと、てんはええとしっかり頷いた。カールさんは、わかりましたと言って、すぐに紬二十枚を袋詰めし始めた。それをしながら、紬が農業をするお百姓さんの着物で、昔は野良着だったので、あまり格の高いものではないので、礼装には使わないでねと、呉服屋さんならではの注意事項を述べた。てんもみわさんも、静かにカールさんの説明を聞いている。カールさんは、日本人以上に着物に詳しく、紬はほかの生地に比べると、軽いし動きやすいし、破れにくいので敏捷に動く人に便利など、着る人ならではの、面白話も聞かせてくれた。

「しかし、二十枚もいただくとなると、何を引き換えにすればいいのでしょうか。」

と、みわが心配そうな顔をしていった。

「ああ、一枚千円だから、二万円で大丈夫です。」

と、カールさんが言った。杉ちゃんは、急いで財布の中から、このおじさんが一万円札だったよな、と、福沢諭吉の顔を確認して、二万円を払った。

「しかし。」

何だか不思議そうな、驚きを隠せない顔をしててんが言う。

「日本ではこんなに簡単に着物というものが入手出来てしまうのでしょうか。わたくしたちの国家ですと、一枚の着物を縫うのに、何週間もかかってしまうようなものですけれども。」

「まあそうだねえ。」

と、杉ちゃんがとぼけた顔で言った。

「日本では、欲しがる人がいないからねえ。」

「そうなんですか、、、。」

てんはまだ疑問があるようだ。

「それでは、日本の民族衣装はどうなってしまうのでしょうか。わたくしたちと同じように、日本でも着物を着用しているのではありませんでしょうか。」

「いや、もうそういうことはないね。」

と、杉ちゃんは、ぶっきらぼうに言った。

「日本では、洋服というものがあるし、それよりも、もっと、便利なものが色いろあるからね。もう着物なんていらないんだよ。着物というものは、今は、ただの娯楽で着用されるということしかないんだ。」

「それでは、紬というものは、労働着として着用されるものではなくなっているのですか?」

とてんは静かに言う。杉ちゃんは、そうだよとあっさり答えた。

「では、わたくしたちと同様に、着物を日常生活として着用しているというわけではないのですね。」

そういって、店の中を彼はぐるっと見渡した。着物屋というだけあって、いろんな種類の着物が所狭しと置かれている。中には、友禅や、琉球紅型などの、高級な染物もある。鹿の子絞りと言って、絞り染めという面倒くさい技法で全部を染めた着物もある。

「ここにあるものは同じ着物でも、わたくしたちの世界では、入手できないものばかりですね。わたくしたちは、同じ着物を日常着とする種族であっても、とてもこのようなものをつくることはできません。」

てんの言う通り、日本の着物というものは高度な技術が使われている。しかし、それを作り続けることができなくて、廃業する工房も数多いのである。

「それが、二十枚で紙きれ二枚の価値しかないのですか?」

「うん、ない。」

と杉ちゃんはきっぱりと言った。

「それくらいしか、着物というものは値が付かないのさ。もう着物を着る人なんて、ほとんどいないからな。」

「そうですか。こんな美しいものが、わたくしたちの世界にあったら、住民はあまりの美しさに感激して、涙するでしょうね。」

確かにそうかもしれない、それくらい美しい色や柄をしているものもあるのだ。友禅なんかその代表例だろう。ほかにも、金箔が入ってたり、金糸刺繍で、大きな花柄などを入れたものもあった。

「でも、こんなぜいたくなものに触れたら、それこそ堕落してしまいますわ。私たちは、年に一度や二度は、家がつぶれるほどの野分に見舞われてしまうんですのよ。そんな所に、こんな立派すぎるものを持ち込んだら、ふさわしくありません。私たちは、日本の住人じゃありませんもの。それは、違うんだって、わきまえておくのが重要なんじゃないかしら。」

ふいにみわがきっぱりと言った。

「私たちは、こんな立派なものを保管できるほどの、場所に住んではおりません。それはしっかり、考えておくことが、必要だと思いますわよ。」

「ええ、わかっております。わたくしたちは、大規模な災害が多いからこそ、文明化しなかったという歴史があります。それをこれからも、崩すわけには参りません。わたくしたちは、鉄を知らないと言って、よくバカにされたりしますけど、それは、鉄も金も野分には勝てないことを知っているからです。」

てんは、みわの話にちゃんと答えた。やっぱり、歩けない人であるから、こういう事もちゃんとわきまえていられるのだろう。それがもし、歩ける人だったら、こういうきらびやかなものを見て、欲が高じてしまうかもしれない。歩けない彼には、それを拒否することができるのであった。

「わたくしたちは、何を持っていても、それを得ることはできませんもの。どんなにきらびやかなものを持っていたって、野分に会えば、一発でとられてしまいますから。わたくしたちは、すべてのものは得られないのです。其れなら、必要なモノだけ持っていればいい。わたくしは、紬と言われるものを、二十枚手に入れられれば十分です。」

てんは、にこやかに笑って、そういうことを言った。

「そうなんですね、ずいぶん勤勉な国家の方々ですな。日本でもそういうところを見習ってもらいたいものだ。日本でも、先ほどあなたが言ったような、大きな災害が、しょっちゅう起きるようになってますよ。まったく、そんな大災害が起きているのだから、もうちょっと、便利すぎるものばかり求めすぎないで、生きていることを実感してほしいものだ。こんなに、楽しいものはあるのに、なぜか、日本人は、幸せを感じている人が、少なすぎるんですよねえ。」

と、カールさんが、二十枚の着物を段ボール箱に詰めながら、そういうことを言った。

「わたくしのほうから見ますと、こんな美しいものをつくれる技術があるのであれば、それに囲まれて暮らしていけるほど、恵まれていることはないと思うのですけれども。」

「いやあねえ、そういうことをもっと言ってもらえないかなと思うんだよね。僕たちは、着物を売る側としては、もうちょっと、日本の文化は退化してもいいと思うんですよ。便利さを求めすぎて、伝統的なものが、軽視されすぎているような気がするんですよね。」

カールさんはてんの話にそういって同意した。確かに、そうかもしれない。日本は確かにボタン一つでなんでもできて、便利な国家ではあるが、大規模な災害に勝てないで、便利さはどこかに行ってしまうのが常である。てんたちはそれを恐れて、文明化するのを拒否したのかもしれない。そういうことは、日本と松の国の「気づく能力」の違いなのかもしれなかった。

「さて、着物二十枚、箱詰めできましたよ。それでは、大事に持って帰ってください。そして、大事に着物を着てあげてください。」

とカールさんは、段ボール箱をてんに手渡した。てんはありがとうございますと言って、それを受け取った。車いすに座って、膝の上に、段ボール箱を置くと、てんの体のほうが、段ボール箱と同じくらいの大きさだった。それでも、てんたちは、大きな段ボール箱を嬉しそうに眺めていた。

杉ちゃんたちは、そのままカールさんにお礼を言って、そのまま杉ちゃんの自宅へ戻った。段ボール箱は重いと思っていたけど、てんは喜びのほうが大きいと言って、平気な顔をしていた。

「そうか、良かったね。」

杉ちゃんからカールさんの店であったいきさつを聞いて、蘭はほっと溜息をついた。てんたちは、蘭に、車いすを貸してもらったお礼を言って、すぐに、自身の土車に戻った。こちらの方が、やっぱり乗りやすいですねとてんは言った。

「こんな事を言うと、失礼かもしれませんが。」

土車の上に正座で座ったてんは、そういうことを言った。

「わたくしたちは、進化しすぎた文明を見たような気がします。やっぱりわたくしたちは、松の国で、文明化しないで、毎日を暮らしていくことが、一番だと思いました。」

「じゃあ、私たちは、元の世界に戻りますか。」

と、みわがにこやかに笑って、そういうことを言う。

「ええ、じゃあ、帰りましょう。富士駅に、出口が開いているはずですよね。ありがとうございました。」

てんとみわは丁寧にお礼を言って、杉ちゃんたちの家を出ていった。なんだか、この二人と会った記憶まで、消えて行ってしまったようだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る