Ⅷ しばしの別れ

 それからしばらく後、会員制倶楽部〝赤い猫ル・シャ・フージュ〟を包んでいた熱気もようやく冷め始めた深夜のこと……。


 その瀟洒な建物の脇にある淋しい脇道には、旅支度をすっかり済ませたマルクと、幾分かは疲労の回復した露華の姿があった。


「――ホントニもう行くネ? 夜道ハ危険ダシ、一晩くらい泊まってけバどうカ?」


「いや、悪魔の姿を大勢に見られちゃったからね。魔導書の不法所持でいつ官憲が取り締まりにくるかもわからない。叩けば埃の出る身としては早々にドロンするのが身のためだ」


 どこか淋しげな響きを持った声で尋ねる露華に、マルクはそう言って肩をすくめてみせた。


「ソウカ。ナラ、止めないネ……今回ハホント助けられたネ。オマエニハ礼ヲ言うネ」


「なあに、僕も辰国の〝気〟や〝神仙〟について勉強させてもらったからね。これでおあいこさ。魔導書とは違ったけど、とっても興味深かったよ」


 彼女には珍しく、素直に礼を言う露華に対して、マルクは首をゆっくりと横に振ってみせる。


「それくらいお安い御用ニモ程ガあるネ……アア、助けられた言えバ、ジャンモおかげで路頭ニ迷わずニすんだネ。アイツ、手に入れタ大金デ夢だった高級キャバレー開くトカ言って、礼モ言わず二街ノ有力者ノ所行ったケド……マ、良くモ悪くモ商売ニダケハ熱心ナ男ネ」


「ハハ…さすがジャンさん。君を見出しただけあって、興行師としての才は長けてるんだろうね……あ、そうそう。対戦相手のミカル・テーソーなんだけどさ。君に倒されたことで悪魔も契約を履行できず、魂をもらう約束も御破算になったはずだ。つまり、君も彼を悪魔から助けたことになる」


 続けて思い出したかの如く、雇い主のジャンに代わって謝意を示す露華に、マルクも言い忘れていたミカルのことについて触れる。


「ワタシガ? ……それハ、良かったネ……」


 それを聞くと、露華はどこかうれしそうに、薄っすらとその仏頂面に笑みを浮かべた。


 死闘を繰り広げた相手とはいえ、同じ異国の地で暮らす異邦人として彼にはシンパシーを感じていたりもする……。


「サリュックモ破綻シテ金ニ困ってるだろうし、ミカルヲ買い取れないカジャンニ頼んでみるネ。魂ヲ悪魔ニ売らせる主人ナンカよりハ、ドケチなジャンの方ガまだマシネ。今ノジャンハ金ガ有り余ってるだろうしナ」


「ああ、それはいい考えだ。今度開くキャバレーの用心棒とかにも向いてそうだしね……それに、君がいなくなった・・・・・・・・時の代わりとしても……」


「ワタシガ? ……さっきモ言ったケド、別ニワタシ、そんな気ハ……」


 そんな言葉を、不意に真面目な顔になって付け加えるマルクに、今度もそう言って否定しようとする露華であったが。


「いや、これでも君のもと・・内弟子だからね。この一週間、近くで見ていたからよくわかるよ。君は今の拳闘士としての暮らしに飽き飽きしているんじゃないかな? だから、僕はジャンさんにあんな交換条件を出したんだよ。もう彼も賭け試合を生業なりわいにしなくていい身分だろうし、拾ってくれた恩があるとはいえ、そろそろ君も一人立ちしていい頃だ」


「それハ……そんな事ハ……」


 〝ない〟と言おうとしたが、露華はそう言い切ることができなかった。


 マルクの言ったことは図星だった。もともと好きで始めたわけでもなく、成り行きでそうするしか生きる道がなかったこの〝拳闘士〟という職業……特に最近は、この狭い街の狭い闘技場の中で賭け試合を繰り返すだけの毎日に、言いようのないつまらなさを感じていたのである。


「じつはね、ジャンさんにあんなことを言い出したのにはもう一つ理由があるんだ……陳露華、もし君にその気があるんなら、僕もジャンさんのように君をスカウトしたい」


「ワタシヲ……?」


 本心を見透かされ、これまで押し込めていた様々な感情が沸々と心の奥底より湧き出してきている彼女に、続けてマルクはさらに驚くようなことを口にし始める。


「僕が魔導書を求めて旅しているのはもうバレバレだと思うけど、それはなぜだかわかるかい? それはね、禁書として秘蔵されている魔導書を集め、その写本を作って世に出すためなんだよ。誰もが自由に魔導書の力を利用できるようになって、君みたいに辛い思いをする人間が少しでもいなくなるようにね」


「ワタシノ……様ナ……」


 それは、白死病で家族を失い、異国の地に独り取り残された彼女の過去のことをいっているのだろう。


「でも、それを果たすには教会や各国の王権から魔導書を奪い取るための強い力がいる……だから、僕は魔導書を専門に狙う海賊団を立ち上げようと思うんだ」


「……エ? 海賊ネ!?」


 さらに突拍子もない企てを告白するマルクに、あの頃のことを思い出していた露華は一瞬にして現実に呼び戻された。


「ま、もともと僕は海賊船で船医兼航海士してたから、もうすでに海賊ではあるんだけどね……もし君にその気があるんなら、僕と一緒にその海賊をやってみないかい? 僕のその一団に、天下無双の君の武術の腕がほしい」


「ワ、ワタシニ海賊なれ言うネ!? しかも、御禁制ノ魔導書ヲ奪う海賊テ、よりいっそう大悪党ネ!?」


 さすがにその常軌を逸した勧誘には、露華も驚きの声をあげてしまう。


「露華、君は僕と同じ、魔導書の禁書政策に人生を狂わされた人間だ……海賊とはいえ、そんな同じ想いを抱く者達でなければ、僕の必要とする力にはなりえないからね」


 だが、唖然とする露華を気にすることもなく、さらにマルクは平然と話を続ける。


「もちろん、そうなれば僕と同じ、君が言う通りの世界を敵に回す大悪党だ。だから、強要はしない……でも、もし君にその気があるんなら、年明け4月の新月の夜、エルドラニア最大の港町ガウディールにある宿屋〝宝島亭〟に来てくれないかな」


「来年4月……ソノ宿屋デ一体何ガアルネ?」


 その普通に聞いたら荒唐無稽としか思えないような誘い話にも、露華は即答で断ることなく、なぜかそんな風に聞き返してしまう。


「他にも幾人か声をかけててね。その日、そこへ集まった者達で僕らの海賊団の旗揚げをし、新天地へ向けて出向する。それまで、僕はもう少しエウロパ全土を回って魔導書と団員探しをするつもりさ……じゃ、そういうことで。僕はそろそろ行くけど。また会える日を楽しみにしていうよ! さようならオヴォワ~!」


 露華の問いに答え、最後にマルクはそう告げると、暗い裏通りに踵を返し、夜陰に紛れて旅立って行く。


「ツァ、|再見ツァイチェン》ネ! デモ、行くトハマダ言ってナイネ~っ!」


 周囲の闇と同じ、黒いローブを纏ったその後姿に、一拍遅れて露華はそんな言葉を投げかける。


 だが、彼は一回振り返ると無言で手を挙げただけで、宵闇に溶け込むかのようにしてそのまま姿を消してしまった。


「……ナントイウカ、自分自身モ悪魔みたいナヤツだったネ……」


 マルクのいなくなった裏通りの暗闇を、しばしの間、露華はぼんやりとその場に佇んだまま見つめる。


「魔導書ヲ奪う海賊カ……それもナンダカおもしろそうネ……まずハジャンニ仁義切るネ……」


 そして、思わずそんな独り言を口にすると、自らもくるりと踵を返して〝赤い猫ル・シャ・フージュ〟の裏口を入って行った。


(Le Combattant Solitaire ~孤独な拳闘士~ El Pirata Del Grimorio/CERO Episodios :露華 了)




 そして、本編へ……

・『El Pirata Del Grimorio 〜魔導書の海賊〜』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054889619569


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Le Combattant Solitaire ~孤独な拳闘士~ 平中なごん @HiranakaNagon

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