Ⅶ 反撃の魔術師(2)

「――ハァ……ハァ……あいつだ! ガアプ!」


 ほどなくして、闘技場のあるホールへ戻ったマルクは、リング上で露華を追い詰めるミカルを指さすと、肩で息をしながらガアプへ知らせる。


 といっても、ガアプは四人の王とともに姿を消しているため、他の観客達に姿は見えず、もとより試合に夢中の観客達が騒ぐようなこともない。


「どれ……ほう。あの男に憑いているのはキマリスだな。暗黒大陸の侯爵キマリス……オスクロ大陸出身のあの男には相性抜群の悪魔だ。戦士でもあるしな」


 目的の人物を教えられると、ガアプは赤い眼を怪しく輝かせ、ミカルを透視して憑依している悪魔の正体をあっさりと見破る。


「キマリスかあ……どうりでずいぶんと強いはずだ。取り憑かせた術者も相当な知識を持っているようだね。魔法修士かな?」


 それを聞くと、マルクは納得したというように溜息を吐き、敵ながらその悪魔の選択チョイスに感心した。


「それはともかく、キマリス相手でもなんとかいけそうかな?」


「まあ、体から追い出すまではできるだろうが、一つ問題がある。キマリスは願いをかなえる対価として、死後、あの男の魂をもらう契約をしているようだ」


 気を取り直して尋ねるマルクに、知り得たもう一つの重大な情報をガアプは告げる。


「知っての通り、差し出される対価の大きさによって、悪魔の与える利益の質も決まってくる……それが俺達、悪魔の絶対のルールだ。魂を対価としてるとなれば、いくら俺でも意識を開放するまでだな。肉体の強化はどうしても残っちまう。つまり、残念だが完全に狂戦士ベルセルク化を解くことは無理ってわけだ」


 そして、その情報をもとにして、大変不都合な事実を包み隠さずマルクに突きつける。


「いや、それで充分だ。キマリスの意識支配さえなくなれば、後はあのが自力でなんとかするだろう……彼女はね、悪魔以上に悪魔的な、恐ろしく強い拳闘士なのさ」


 だが、その事実を知ってもマルクは絶望することなく、逆に不敵な笑みを口元に浮かべると、自信満々にそう返した。


「ほおう。随分と惚れ込んでるようだな……んじゃあ、久々に暴れさせてもらうとするか。ちいとばかし騒ぎになるが、かまわねえな?」


 そんなマルクにガアプも意味ありげな笑みを浮かべると、最後にもう一つ、彼に確認をとった。


「ああ。ここは秘密倶楽部の闘技場だからね。お集まりの皆さまは派手な演出が大好きだろうさ」


「なら安心だ。それじゃ、そのままキマリスを連れて地獄へ戻るから、これでおさらばだ。また、何かおもしろいことでもあったら読んでくれ……行くぞ、四人の王達よ!」


 その問いにも悪戯っ子のような笑みを作り、冗談めかしてマルクが答えと、ガアプはそう言い残してお付きの王達へ指示を送る……と次の瞬間、突如としてリング上にガアプと四人の屈強な王達が半透明のその姿を出現させた。


「キャアっ! な、何あれ!?」


「あ、悪魔だ! 悪魔が現れたぞお!」


 そのいかにもな悪魔の姿を目にするや、試合に夢中になっていた観客達も俄かにどよめき始める。


「ナンダ……?」


「悪魔……ネ?」


 また猛攻を続けていたミカルも、それをギリギリでかわしていた露華も異様な闖入者に思わずその動きを止めてガアプ達に見入る。


「オ、オマエハガアプ! ドウシテコンナ所ニイル……ウワアッ! ナ、何ヲスル! 放セエェェェェェェ……」


 数瞬の後、それがガアプであるとミカルの中のキマリスは気づくが時すでに遅し。突然、屈強な四人の王達がミカルの体へ取りつくや彼の屈強なその巨体をすり抜け、黒い騎士姿のキマリスだけをがっぷり四つに抑え込むと、そのままガアプの先導でどこか彼方へと飛び去ってしまった。


「…………アレ? オレ、今マデイッタイ……」


 突如現れた悪魔達の姿に、騒然とする会場の中、わずかの時間差をおいてミカルは意識を取り戻す。キマリスんよる肉体の支配が解けたのだ。


「なんだ?……何が起きたんだ……?」


 また、観客同様、悪魔や魔術の知識に疎いサリュックは、目の前で起きた現象の意味を理解できず、キョトンとした顔をして目をパチクリさせている。


「……ソウカ。コレガ言っていた〝その時〟ネ」


「も、もしかして……取り憑いてた悪魔を祓えたってことか……」


 一方、事前にマルクから話を聞いていた露華とジャンは、少し時間はかかったものの、その現象の意味をだいたい理解する。


「今だ! ミカルから悪魔は追い出した! まだ肉体は強化されたままだけど、今ながら痛みも感じるし、気絶するれば起き上がれないはずだ!」


 と、そんなところへ、駆け寄ってきたマルクの声が露華の耳に木霊する。


「待っテましたネ……それじゃ、温存した力デ最強ノ一撃ヲお見舞いシテやるネ……八卦の内、〝震〟トハ〝雷〟を象る物ナリ……スゥー……」


 その言葉を聞いた露華は居ずまいを正すと、静かに大きく息を吸い込む。


「ナンダカワカラナイケド、今ハ試合大事……イクゾ、ウオォォォォォォォォーッ…!」


対して自身の意識を取り戻したミカルも、試合中であることを思い出し、咆哮もろとも、まだキマリスの強化の残る巨体で露華めがけて突っ込んで来る。


「震脚っ!」


 瞬間、まさに雷が如き速さで露華は動いた……瞬時にミカルの懐へ入り込んだ彼女は、飛び蹴りをその腹部へと叩き込む。


「ウグッ…!」


 しかも、それはただの蹴りではない。その足裏より打ち込まれた気が波紋の如く同心円状に体内へと広がり、あたかも雷に打たれたかのように、全身の筋肉を痺れさせるのだ。


「カ、カラダガ……動……カン……」


 ミカルは譫言のようにそう呟きながら、今度の今度こそ白眼を剥いて、リングの上へと崩れ落ちる。


「今度こそ決まったか? …………うーん。完全に気絶してるな。今度は立ち上がりそうにないですね……勝負ありましたあっ! 本日最後の死闘の勝者は、東方のアマソナス! 陳露華ぁぁぁぁーっ!」


 それを見て、最早、戦闘不能なことを確認したレフリーが勝者の名を高らかに宣言すると、ホール内は割れんばかりの一際大きな歓声に包まれる。


「や、やった……やったぞ、露華っ! これで俺は大金持ちだあーっ! サリュックのインチキ野郎め、ざまあみやがれっ! ワーハハハハハハっ…!」


 その観客達の歓声に混じり、歓喜乱舞するジャンの高笑いも聞こえる。


「そ、そんな……悪魔が憑いてたのに負けるなんてバカなことが……これで、俺は一文無しだ……」


 その反面、どうやら彼もジャンと同様、自分の拳闘士に全財産賭けていたらしく、一夜にして破産したサリュックは顔面蒼白に膝から床へ崩れ落ちる。


「フゥ……ツマラナイなんて、とんでもなかったネ……ワタシモまだまだ井ノ中ノ蛙ネ……」


 そうした喧噪の中、露華は安堵の溜息を大きく吐きながら、疲労の溜まった足を引きずってリングの脇へと戻って来る。


「だったら、その井の中・・・から大海へ出てみる気はないかい?」


 そんな彼女に、マルクは屈託のない満面の笑みを浮かべると、そんな意味深な言葉を笑顔とともに投げかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る