Ⅶ 反撃の魔術師(1)

「――皆さま、大変長らくお待たせいたしましたあ! それでは、この世紀の決闘を再開したいと思います! さあ、両者見合ってぇ……ファイッ!」


 慌ててマルクがホールを飛び出して行った後、拳闘士二人が再びリングへ戻ると、レフリーの掛け声で闘いの続きが始まる。


「再開早々ナンダガ、主人ガ煩インデソロソロ終ワリニサセテモラウ……ウオォォォォーッ…!」


「少しダケ耐えろカ……ならば、八卦の内、〝沢〟ヲ象る〝兌〟……静かニ流れる沢ノ如く動き、湧水ノ湧き出すガ如く力ヲ溜める兌拳ネ……」


 合図と同時に、再び猛攻を仕掛けてくるミカルに対し、露華のとった戦法はこれまでと一線を画していた。


 無理に攻勢へ出ようとはせず、また、ミカルの攻撃を避けたり、防いだりはするものの、そのすべてを紙一重に、最小限の動きでこなしている。


「ドウシタ? ドウシタ? モウ反撃スル力モ残ッテハイナイカ!?」


 そんな露華の反応に、ミカル…否、彼の中の悪魔は挑発するかのように言葉と拳を叩きつけ……。


「よーし! いいぞミカルっ! そのままやっちまえ!」


 サリュックもミカル優勢と興奮して声援を送るのであったが、一見、押されているように見えて、露華は無駄な体力を使わないように心がけているのだ。


 そうして体力を温存し、反撃の機会に備える……それが八卦拳の一つ兌拳である。


「おいおい、ほんとにあのガキを信頼して大丈夫なんだろうな……?」


 しかし、やはりどう見ても劣勢に思える露華の姿に、不安そうな蒼い顔をしたジャンはいてもたってもいられない。


「ナントカ耐えてるケド……いつまで持つカわからないネ……」


 同じく露華本人もマルクを信じるしかないと思いながらも、半信半疑にその時を待って、必死にミカルの猛攻を耐え忍んでいた――。




 さてその頃、闘技場のあるホールを出たマルクは、いつも露華が使っているあの拳闘士控室に向かっていた。


 露華達が本日最後の試合となるため、周囲にある他の控室も空いていて、周囲はいたって静かである。


 遠く観客達の声援が微かに聞こえてくる中、部屋に駆け込んだマルクは蝋燭に火を灯し、鞄から取り出した一枚の大きな布を床に広げる……。


 蝋燭の淡い薄明りに照らしてみると、その表にはとぐろを巻く蛇の同心円と五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラムを組み合わせた複雑な図形が、赤や黄、青、緑の色で描き出されている……そう。エマングワイが儀式で用いていたのと同じ〝ソロモン王の魔法円〟である。


 いつでもどこでも使いたい時に使えるよう、マルクはそうして携帯用のものを持ち歩いているのだ。


 続けてマルクは黄金の五芒星ペンタグラム円盤と仔羊革の六芒星ヘキサグラムを取り出し、それぞれをマントの左胸とその下に着たシュミーズ(※シャツ)の右裾に着ける。


「ええと、33番、33番と……ああ、これだ。よし」


 さらになにやらたくさんの金属円盤を紐で括ったものを鞄から出し、その中から一枚を素早く選び出すと、香を焚くとともに聖水を振りまいて、この部屋と敷物の魔法円を魔術儀式に相応しく祓い清めた。


「さて、これでよしと……じゃ、急いでるから早々〝極めて強力な召喚呪〟でいかせてもらうよ……」


 すつかり準備が整うと、マルクは魔法円の中央に立ち、腰に下げたカットラスの柄を握っておもむろに引き抜く……だが、それは通常のカットラスのように長い刀身を持ってはおらず、ナイフほどのやけに短いものだ。


 じつはこれ、カットラスの柄を付けた短剣ダガーと呼ばれる儀式用の魔術武器なのだ。


「スー……霊よ、我は汝に強く命じ、絶え間なく強制する! アドナイ、ツァバオト、エロイム……様々な神の名によって! 霊よ、現れよ! 汝、ソロモン王が72柱の悪魔序列33番、家令公子ガアプ!」


 そして、左手には先程選び出した金属円盤――特定の悪魔に対応した印章シジルの記されたペンタクルを掲げ、右手の短剣ダガーで前方の闇を斬りつけながら、朗々とした声でマルクは悪魔召喚の呪文を唱えた。


 するとほどなくして、魔法円の前方にある深緑の円を内包する三角形の上に、むくりと黒い影が山のように浮かび上がる……やがて、それは段々にはっきりとした形を成してゆくと、いつしか蝙蝠の翼を持つ、頭に二本の角の生えた漆黒の悪魔に変容していた。


 また、その周囲には屈強な体つきをした威厳ある王が四人、その悪魔を囲むようにして控えており、ただでさえ異形の存在により不気味さを加味している……。


「なんだ、いきなり短剣ダガーと〝極めて強力な召喚呪〟を使う無礼者がいるかと思ったら、マルクの坊主か……」


 ところが、現れた悪魔――家令公子ガアプは、呼び出したのがマルクとわかるや、妙に馴れ馴れしい言葉遣いで声をかけてくる。


「やあ、ガアプ。お久しぶり。〝炎の召喚呪〟を使わなかっただけいいと思ってよ。急いでるんだ」


 そんな見た目の恐ろしさとは裏腹な悪魔に、マルクも短剣ダガーとペンタクルをさっさと下ろすと、笑顔を浮かべてそう返した。


 じつはマルク、幼少の頃より魔術の手解きを受けており、この若さにして何度となく修練のために悪魔召喚行っているため、よほど高位の悪魔でない限り、けっこう顔見知りだったりするのだ。


「ほう。急ぎの用か……で、今回は何が望みだ?」


「今、僕の友人が闘ってる拳闘士が悪魔を憑依させて狂戦士ベルセルク化しているんだけど、その悪魔を退けてほしい。あの力からして、おそらくは低級のやつじゃないと思うんだけど……」


 問われたマルクは、さっそくにその願いを単刀直入に伝える。この家令公子ガアプは、悪霊を浄化したり、術者の使い魔を奪い取ることを得意とする悪魔なのだ。


「なるほど。まさに俺の得意とするところだな……おまえとは長い付き合いだし、それしきのもの祓えないとあっては我が名に傷がつく。よし。対価なしにかなえてやろう。そこへ案内しろ」


 その願いを聞くと、よほど彼は悪魔に好かれているのか? それともその依頼内容に惹かれるものがあったのか? 意外なほどあっさりとガアプは聞き入れてくれる。


「さすがは家令公子ガアプ様だ! 話がわかる! んじゃ、ついてきて!」


 そんな気の良い悪魔におべっかを遣うと、再びマルクは闘技場へ向けて一目散に駆け出した――。

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