Ⅵ 逆襲の闘士(4)

「……ン? 何ネ? 今、忙しいネ」


「そうだぞ、弟子。こっちはそれどころじゃねえんだ」


「いや、まさにそれに関係することなんだけどね、たぶんあのミカルって拳闘士、悪魔を憑依させて肉体強化しているよ。いわゆる狂戦士ベルセルク化ってやつだね。魔導書を使った応用魔術の一つさ」


 部外者が口を挟むなと嫌な顔をする二人だが、マルクはそれを無視すると、リングの反対側で話すサリュックとミカルを眺めながらそんな言葉を続ける。


「ナント!?」


「なんだって!?」


 その言葉に目を見開き、露華とジャンもリングの反対側へ視線を向ける。


 見れば、興奮気味のサリュックに何か言われているミカルは、奴隷のはずなのになんだか主人よりも偉そうな態度だ。


「白眼剥いてるのに動いてるし、間違いないね。たぶん、今、あの体を動かしてるのは彼じゃなく悪魔だ。どんな悪魔かまではまだわからないけど……」


「ソウカ! それデいきなり強くなったネ! アノ動きヤ陰拳ガ効かなかったのモ納得ネ!」


「おい! そりゃほんとか!? んなの八百長じゃねえか!? クソうっ! サリュツクの野郎、卑怯な真似しやがって……レフリーに訴えてやる!」


 さらに補足するマルクの言葉に、我が意を得たりというような表情を露華は浮かべ、激昂したジャンは顔を真っ赤にすると、壁の修理を監督するレフリーの方へすぐさま向かおうとする。


「待って! 訴えたって知らぬ存ぜぬと恍けられるだけさ。それより僕に任せてくれるかな? 彼に取り憑いてる悪魔をなんとかしてみるよ」


 だが、そんなジャンを呼び止めると、マルクはいつになく真面目な顔になって彼にそう告げた。


「おまえが? おまえみたいなガキにんなことできるのか? ……いや、そもそも、なんでミカルが悪魔に取り憑かれてるとわかった? なんでそんなに魔術に詳しい? いったいおまえ、何者だ?」


 当然、子供のようなマルクにそう言われても、俄かには信じられないジャンであるが、よくよく考えれば浮かんでくる様々な疑問に、彼の童顔を訝しげな眼差しで睨みつける。


「なあに、通りすがりのただの魔術師さ。でも、腕には自信あるよ? 悪魔祓いができるくらいにはね」


 対してマルクは他の人々には見えないよう、注意して肩掛け鞄の中から魔導書と思しき本を取り出して見せると、不敵な笑み浮かべながらジャンにそう自らの職業を明かした。


「ナルホド。それデ魔導書ヲ……テカ、やっぱり医者じゃなかったネ!」


「いや、医者なのも本当だよ? 騙すつもりはなかったけど、さすがに公然と魔術師を名乗るのは障りがあるからね。異端者として火炙りにされかねない」


 これまで抱いていたすべての疑念が解け、文句をつける露華に苦笑いを見せると、弱った顔のマルクはそんな言い訳をする。


「てことで、僕ならあの悪魔を追い出せる。どうする? 僕に任せてみるかい? ただし、この仕事を請け負うには一つ条件があるけどね」


 そして、再びジャンの方を向き直ると、改めて真面目な顔になって彼の意思を確認した。


「条件? ……なんだ、条件って? 金か?」


「いや、お金はいらないよ。その代わり、彼女をもらい受けたい」


 〝条件〟という単語に警戒感を抱き、深い皺を眉間に刻むジャンに対して、マルクはそう答えると、その碧い瞳を露華の方へと向ける。


「……露華を? おまえ、こいつに惚れてたのか!? それでわざわざ弟子なんかに……」


「……エ? ワ、ワタシカ? ……い、イヤ、ワタシ、結婚トカ、マダマダ全然考えタ事ナイヨ……テカ、そんな話、急過ぎテ心ノ準備ガ出来テナイネ……」


 その視線が彼女のことを示しているとわかると、ジャンは驚きの声をあげ、当の本人の露華は頬を赤らめてモジモジしてみせる。


「……え? ああいや、違う違う! そういう意味じゃない! もらい受けるってのは言葉の綾で、条件っていうのは、もしも彼女が望むならば、拳闘士を辞めて自由にする許可をもらいたいんだ」


 わずかの後、二人が大きな勘違いをしていることに気がつくと、マルクは手を高速で振ってその誤解を解こうとし、もっと具体的に交換条件をジャンに告げる。


「なんだ、そういうことか。一瞬、娘が嫁入りする父親の気分になっちまったぜ……いや、冗談じゃねえ! こいつがいなきゃあ俺の商売あがったりだ。そんな条件飲めるかよ!」


 本当の意味を知ってなんだかホッとするジャンであったが、商売の要である露華を手放すという話にはやはり納得いかずに反発する。


「ナンダ、焦って損したネ……テ言うカ、ワタシハ別ニそんな事……」


 また、露華の方は少々残念がった後に、自分にその意思はないとマルクの言葉を否定する……ただし、最近ぼんやりと感じていた、彼に見透かされた本心は心の奥に隠して。


「いいんですか? このまま彼女が負ければ、あなたは破産だ。逆に彼女が勝てば、もう彼女に稼がせなくともいいくらいの大金が手に入る……どちらを選んだ方が得かは明らかだ。ま、僕はあなたが破産して野たれ死んでも一向にかまいませんけどね」


 そんな露華の言葉をあえて無視すると、マルクはジャンに向かって脅すようにそう告げる。


「うく……ええい、わかった! 背に腹は代えられねえ。ただし、露華もこう言ってる。こいつにその気があったらだからな! いいな!」


 その悲惨な未来を想像させるマルクの脅し文句に、苦々しそうに歯ぎしりをしながらも、ジャンはやむなくその条件を飲んだ。


「そうこなくっちゃ! じゃ、老師……いや、マドモワゼル露華。これから僕は場所を変えて対抗魔術を試みるけど、悪魔をなんとかするまで多少時間がかかるから、その間、もう少しだけ耐えてもらえるかな? 勝負はその時。悪魔の力が消えれば、普通に君の技が通用するはずだ」


「……エ? あ、アア、わかったネ。ヤルだけヤってみるネ」


 ジャンの色好い返事を聞き、パチンと指を鳴らすと作戦を説明するマルクに、一瞬、遅れた反応で露華は相槌を打つ。


 先程、彼の言い出した話が気にはなるが、とにかく今は目の前の試合だ。


「ええ~…お待たせをいたしましたあ! 壁が直りましたので、試合を再開したいと思います!」


 と、ちょうどそんな所へレフリーのアナウンスが入る。


「もう時間か。急がないとな……それじゃ、そういうことで。作戦開始だ!」


 ホールに響き渡るその声に、マルクは手にした魔導書『ゲーティア』を握りしめると、そう断りを入れて走り出した――。

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