エピローグ2:ある男の独白

傷害、殺人未遂、威力業務妨害、騒乱罪、果ては国家転覆罪……種々の罪状。国を騒然とさせたテロリスト。


全国民から好奇の目を向けられながら、俺は懲役257年という懲罰的な判決を受けた。執行猶予などない。この歴史を辿ったこの国は、法解釈も欧米諸国に倣っており、ペナルティにはシビアなのだ。だが、幸か不幸か死刑はない。


死なぬ体。老いぬ体。百年たっても死なない囚人に対し、社会はどんな反応を見せるだろうか。マスコミはセンセーショナルに報じて面白がるかもしれない。しかしそれは、報道されればの話。実際はモルモットのように身体中を調べられ、あらゆる薬物の実験体になるだろう。


だが、そんなことすら今の俺にはどうでもよかった。あの魔女を、なぜ忘れていたのだろう。あれほどの時間を共にした、あのお方を。


一度目の輪廻で、俺にはまだ、日本人としてのアイデンティティが残っていた。俺が転生した地はインドの南部だったため、日本は殊の外遠い土地だった。俺はタチバナという名の他にヒンドゥという名を名乗り、アニミズミックな信奉者を作った。そうしてしばらくして姿を消した。何度も名を変え、姿を変え、記憶はどんどん曖昧になっていったが、あの方と家族を忘れることはなかった。


本格的な活動を開始したのはイエスが死没して千年ほどたった頃だ。当時、大陸を制覇したかの草原王の軍勢に潜り込み、一軍を担う立場となった。そしてかの王が東端の島国への侵攻を告げた時、俺は迷わず立候補した。


あの国が見たかった。


1度目の敗北を経て、ついに俺にチャンスが巡ってきた。その時俺は大将軍と呼ばれるほどの地位についており、日本侵攻の指揮をとった。対馬から九州に渡り、ついに故郷の土を踏んだ。まだその頃は俺が生きた時代ほどの発展は遂げられておらず、かの国は武士と呼ばれる野党のような輩に支配されていた。


だが俺は嬉しかった。

この土地、この空気、この人々。この食べ物。……俺が知っている時代と比べて食べ物の味は非常に貧相なものであったが。

敵を知ることこそ肝要と理由をつけて、日本語を勉強したふりをした。そしてよく知るその言語を話した。発音、唇の動き、抑揚のないアクセント。その全てが懐かしかった。


だが、どうしたことか。俺の同朋たちはまだまだ純朴で馬鹿正直で、蒙古の火薬の前に次々と斃れていく。業を煮やした俺は、あの方から分有した力の一部を使い、超大型の台風を巻き起こした。星の気まぐれなどのレベルではない、この地が大陸と地続きになることなどあり得ないほどに大きなものだ。


すると、どうだろうか。

歴史は変わった。

三度目の侵攻はなくなったのだ。



そこから俺の知らない歴史が始まった。大陸から伝来したイエズ教は、大地に根差した農民たちの感覚に合わず、大きく流布することはなかった。


王を失わないこと。それはつまり、伝統を失わないことにほかならない。親を失わないことにほかならない。その知らない歴史を、俺は、見てしまった。窮屈で世間知らずで封建的だが、国父の下、6000万人が家族のように調和した社会を。







だからこそ、許せない。





あの方の過ちを。たとえ、全能であるとしても。畏れ敬うべきものであるとしても。


この体は、八千年を輪廻する。

西暦2102年を迎えると、八千年前、すなわち5898年前に俺は転生する。

歴史が変わった日本を見てから、俺は常に神風を起こし、その歴史を守ってきた。その回数は那由多を超えた。


だが、繰り返す無間の年月に必ずイレギュラーが起きる。




それは、かの魔女の戯れ。少女の浮気と秋の空。

その地点を新たな起点として、俺は来栖明と融合する。



そしてその頃にはもう、あの方の記憶はないのだ。












その日、俺は看守に呼び出され、こぎれいな部屋に通された。


身なりの良い、検事と弁護士と思しき男が二人、豪奢なソファに座っていた。俺は少しその雰囲気に気圧されながら、案内された椅子に座った。



「恩赦が出ました」





その言葉に驚愕する。


恩赦? 王のいないこの国で?



「面白い冗談だ」



俺は自虐気味に笑った。


「……それが、冗談ではないんですよ。貴方は本当に幸運だ。まさか」


検事と思しき男がそう言いかけた時、背中のドアからノックが聞こえた。

音を聞き、目の前の二人の顔に若干の緊張が走る。


「どうぞ」

初老の弁護士がそう言うと、ゆっくりとドアが開いた。


そこには、歳は三十半ばほどと思われる女性が立っていた。その顔は厳しく、眼光鋭く部屋の中を見回す。それは幾多の修羅場を潜ったであろう凄みがあった。しばらくして、奥のソファに座る俺に視線を向けた。


視線を合わせたその顔に、既視感を覚える。


「……よかった。元気そうで」


女性は、春の雪解けのような、冬の乾風を受けたしかめ面のような、複雑な表情をした。そして、童子のように顔を綻ばせた。




「覚えてる? 」

「もちろんだ」

俺は即答した。



「貴方は本当に幸運だ。まさか、こんな政界の大物と知り合いだとは」

弁護士が安堵したような表情で俺たちを見た。



「ずいぶん老けたな。だが、その笑顔は変わらないな」

「先生こそ。全然変わってないじゃない。何なの本当に。不死身なの? 」

まあ、そうなのだが。


女性の目には涙が浮かんでいた。



「立花先生、危険思想はもうやめた? 」


その言葉に俺は何年ぶりかの本当の笑顔を見せた。




「止めるわけないだろう。俺のライフワークだ」

女性は少しこめかみをひくつかせた。俺はすかさず続けた。

「だが、この国では、思想信条の自由は保証されているだろう? それがただの妄想なのであれば」

すると女性はぷっと吹き出して、少女の笑顔に戻った。



「お帰りなさい、先生」

「ただいま、ひかり」



その様子を、微笑ましそうに検事が見ていた。

「新聞を見ていれば知っていると思いますが、来栖法務大臣は、最年少の大臣です。『恩赦』の制度を大統領に進言し、実現させました。そう、貴方はその第一号です」


「来栖光大臣だろう? もちろん知っているさ。だが、まさか、俺の知るひかりだとは」

俺の胸には熱いものがこみ上げていた。教え子であり、姉であり、焦がれた女。この狂った感性は、仕方がない。そうでもしないと飽きてしまうのだ。


「ありがとう」


俺は心の底から謝辞を述べた。光子は真っ直ぐに口を結んだまま、あの時の、高校生の時のような顔に戻った。


「……結婚してくれるかい」


思ったことをそのまま漏らすと、弁護士と検事は目を丸くした。



「……うーん、嬉しいっちゃ嬉しいんだけど、もうちょっと待って。なんか昔からね、先生は親のような、姉弟のような、そんな感じがするんだ。なんか絶対やばいよね」






そう、女の勘は恐ろしい。





あの方もきっと。




奔放さと気まぐれと、コンプレックスを正当化するために。







神は、女性なのだ。






八千年の魔女 了

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八千年の魔女 蓼原高 @kou_tatehara

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