03 生きてる?
「君……ほんとに、生きてる感じ……?」
黒ローブを羽織った謎の男は、苦笑いをしながら首をかしげ、そう問う。
シェリーは、眉間のしわをより一層深くして男に言った。
「だから、生きてますって言ったじゃないですかぁ…なんなんですか、もう…」
天気は良好、朝の支度も手際よく終えられたのに、こんな変な人に捕まってしまったせいで、今は配達の仕事に遅刻しそうである。シェリーの機嫌は、すこぶる悪かった。
目の前の男は、睨みつけるシェリーの顔を見ながら、困ったように頭をかく。
「いやあ、大抵の死者はそう言うからねぇ…。どうしようかなあ」
んー、と唸りながら再度考え込むその様子に、シェリーは首をかしげた。
(なんで、本気で驚いたみたいな顔してるの…?)
シェリーは、意味の分からない言葉に、当然の答えを返しただけだ。シェリーは今この瞬間、ここに立って、しっかり生きている。それの何がおかしいというのだろうか。まさか、本当に死んでると思っていたわけでもあるまい。死者が見える人なんて、この世に存在するわけがないのだから。
(死神とか、言ってたけど……)
それこそありえない。
確かに、物語の中の死神は黒いローブやマントに身を包んでいるが、こんなにおちゃらけてはいないだろう。大体、死神なんてものは想像の産物だ、実在はしない。先程宙に浮かんでいたのも、何かの曲芸に違いない。
そう思っていると、謎の男は突然がさごそとローブの中を漁り始めた。
何かと思って見ていれば、男は何やらぐしゃぐしゃな紙を一枚取り出した。それを広げて、紙とシェリーを何度も見比べている。
(……?)
その不審な行動に、シェリーは顔を少し歪めた。自分の顔をじろじろと見られるのは、気分がいいものではない。
紙に何が書いてあるのか見ようとしても、紙の裏は真っ白で、何が書いてあるのか全く分からない。
不可解なこの状況に、シェリーは俯き、肩を落とした。もう確実に遅刻だ。
「ん~……やっぱり官長に聞くしかないかなあ……めんどくさい……」
ため息交じりのその声に、シェリーは顔をそっと上げた。
演技にしては上手すぎる困り顔を眺めていると、不意に彼と目が合い、びくりと肩が軽く跳ねる。
不安げに金色の瞳を向けるシェリーを見ると、男はにっこりと不敵な笑みを見せた。
正体不明の悪寒がシェリーの体を突き抜け、思わず一歩後ずさる。
すると、男はその手を伸ばしてシェリーの腕を掴み、自身の体の方に引き寄せた。
「!?」
体がぶつかることはなかったが、その少しばかり近い距離に、男性に対する緊張感というよりかは、猛烈な不安がシェリーを襲った。そして、その予感は惜しくも当たってしまった。
次の瞬間、彼は黒のローブを広げると、シェリーを覆い隠すようにして包み込んだ。そして、彼の腰に、シェリーの腕が回される。
「うーん、役得役得。しっかり掴まっててねー」
「へ? なん、でえええええぇえぇーーー!!!!!」
突如、体がぶわっと浮き上がる感覚を持った。
と思ったら、物凄い速さで空に向かって昇っていく。
「まっ、えっ、あのおおぉおおぉお!?!?」
理解の追いつかない状況に、ただ叫ぶことしかできない。何か言葉を発しようとしても、強い風の抵抗がそれを許さなかった。
(な、な、なんで、なにこれええぇえ!!)
あまりの速度に顔を動かすこともできず、シェリーはぎゅっと強く目を瞑った。
すると、それを待っていたかのように、今度はゆっくりと速度を落として停止した。
もちろん、空中で。
「ひ、ひっ……!」
止まったはいいものの、下を見れば、シェリーとアランの家が拳程度の小ささになっていた。
上空の冷たい風がシェリーの頬を撫でる。あまりの恐怖心に、シェリーは男の服を掴む力を強めた。
それを見た男は、フードの下でくすりと笑うと、シェリーの体をしっかりと抱きかかえて、体を横に傾けていく。
「…えっ、ちょっ……まっ、てええぇええぇ!!!」
シェリーの制止もむなしく、真横に傾いた体は、先程と同じ猛烈な速さで横に飛んでいった。
そのあと数分間、地上に可憐な少女の黄金の瞳から流れ出す恐怖の涙が、数滴散ったという。
▼ ▽ ▼ ▽ ▼
「うっ……はあ…………」
それから、およそ5分後。
シェリーと黒ローブ男の2人は、謎の超高速空の旅を終え、地上に降り立っていた。
涼しい顔で笑う男の横で、シェリーは膝に手をついて顔を青くしている。それを見てけらけら笑う男を、シェリーは強く睨みつけ、言った。
「あの、ですねぇ……!! 一体なんなんですか、これは!! ちゃんと説明を…」
「うんうん。もちろんするよー、説明。そこでね」
男はシェリーの言葉に被せるように軽い口調で返事をすると、指を横に向け、奥を指差した。
シェリーは、その指の先に顔を向ける。
そこには、役所のような石造りの建物があった。黒の金属製の門の横には、「神官庁しんかんちょう」という文字が銀色で記されている。
(何、この建物……)
シェリーは、ここユリアネル帝国の城下町の建物は大体把握している。毎朝の配達の仕事で覚えたためだ。周りを見れば、この周辺も、何度も配達に来たことのある地域で間違いない。
なのに、この神官庁とかいう謎の建物は、見た事も聞いた事もなかった。中々に大きい建物だし、こんな仰々しい門があれば目立つに決まっているのに、全く見たことがない。
しかも、これがさらに変なことに、人が行き交っているのだ。建物から入ったり出たりと、沢山の人が使う施設のようだった。人々の中には、シェリーの目の前にいるような黒ローブの人も多い。
こんな建物を知らないとは、どう考えてもおかしい話だ。
シェリーは男の方に顔を戻すと、恐る恐る話しかけた。
「この建物、最近出来たものですか……?」
「いんや。めちゃくちゃ前からある建物だよ」
「な、なら、改装したとか……? 人がいっぱいいるみたいですけど、なんの建物なんですか?」
「それも違うねー。これを改装できるわけないしね。なんの建物かは、すぐにわかるよ」
その言葉の意味はよくわからなかったが、男の返答で、この建物は少なくともシェリーがこの地域を最後に配達した1週間前にはもう既にあったことがわかった。いや、1週間でこんな建物を建てられるわけがないので、予想はしていたのだが。
(わけわからない……わけわからないけど、でも、たぶん、)
ただ知らなかっただけだろう。
そう自分に言い聞かせて、シェリーは考えることをやめた。飛んだり知らない建物が出現したりと、摩訶不思議が多すぎる。頭が壊れてしまいそうだ。
「あははー、あの人たちが見えちゃうとか、やっぱ相当おかしいよねぇ。んじゃ行こうか」
「えっ」
彼はまた理解のできない事を言った後、唐突にシェリーの腕を引き、歩き始める。
手首を掴まれてぐいぐいと引っ張られると、足元がもたついて、転んでしまいそうだった。
「待って、ちょっと……!」
シェリーのその声が聞こえているだろうに、男は足を止める気配もなく、鼻歌を歌っていた。
先程はあんな困った顔をしていたのに、今はこんなにも楽しそうなのだから、本当に何を考えているのかまったくもって理解できない。
足元もふらつくし、仕事には遅刻だしで、17年の人生最大の意味不明な状況に、シェリーの頭はそろそろ沸騰しそうだった。
腕を掴み返してしっぺを叩いてやろうか、そんな考えが頭をよぎった時。
進む方向に、女性が立っていた。
建物から出てきた様子の人で、黒のローブを着た誰かと一緒にいる。このまま進めば、確実に衝突してしまいそうだというのに、男は掴んだ手を離さないし、ぐんぐんと進む足も止めない。
(えぇ!? み、見えてないの!?)
シェリーは何度も何度も、向こうにいる人と、前で自分の腕を引く男の間で視線を行き来させるが、男は鼻歌を歌ったまま、表情を変えない。
「待って、ねえ、あの!」
足に力を入れて方向転換をしようとしても、男性の力には敵わない。
「だーいじょうぶだよ、安心して」
「えっ!?」
なにが、大丈夫なのだ。
(あなたが大丈夫でも、私は大丈夫じゃないのにーー!!!)
女性はもうシェリーの目の前まで迫っていた。
回避は、不可能だ。
「うぅーっ、ごめんなさい!!!」
シェリーが先にそう謝ると、女性とぱちっと目が合った。
その瞬間、ぞわっと肌が波打つと同時に、
シェリーの体が、女性の体を通り抜けた。
「………………え?」
そして、やっと足が止まる。
(……な、なに……今の………)
シェリーは、女性の方を勢いよく振り向いた。
女性は倒れるわけでも、驚くわけでもなく、黒いローブを着た誰かと、楽しそうに会話をしている。
その光景は、シェリーの頭では到底理解できなかった。
今、シェリーは衝突するはずだった。
その女性とぶつかって、転ぶか、そこまででなくとも、体に女性と衝突した感触があるはずだった。
だが、それは起きなかった。
シェリーの体は、女性の体の中を通ったのだ。まるで、物語に出てくる、幽霊かのように。
「ほらね、言ったでしょ」
不意に隣から声が聞こえ、顔を上げる。
黒ローブの男は、にんまりと笑うと、ローブを風になびかせながら言った。
「ここは、死者の集まる役場、“神官庁”」
その時、今まで見えなかった彼の瞳が、黒いフードの下に一瞬だけ覗いた。
「そして僕らは、死者の案内人、“死神” だ」
男の翠の瞳が、暗く、美しく光った。
死神のおもてなし 梅明いゆ @niconyon1112
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