02 死んでる?

 シェリーの朝は早い。


 朝の5時に起きると、窓のカーテンから、昇ってきた朝日の光が漏れ、ぼろ家の中が淡い光に照らされていた。


 まだ眠っているアランを横目に、シェリーは体を起こして思いっきり伸びをする。


 顔を洗い、アランのために夜までの食事を用意すると、いつもと同じ白のワンピースに身を包み、ぼさぼさになった桃色の髪を梳かす。そして、鏡に写る自分に、にっこりと笑いかけた。


 これが、彼女の日課ルーティン。


 シェリーは眠ったままのアランに小声で「行ってきます」と言うと、鞄を肩から下げて家の扉を開けた。


 今日も、いつも通りの1日が始まる。


 すっかり昇った太陽の光を存分に浴びながら、シェリーは本日の一歩目を元気よく踏み出した。


 すると。


「うっ…………!」


 唐突に、頭を殴られるような痛みが襲う。


 ズキン。


 シェリーは、咄嗟に頭を手で抱えて蹲った。


 ズキン。


 痛みは、物凄い速さで増して行く。地面を一直線に捉えているはずの視線は、ぐるぐると回るように動転し、呼吸はみるみるうちに荒く乱れていった。


(これ……これ、私、何か知ってる…)


 強く目を瞑って、鈍器で殴られているかのような痛みに耐えながら、彼女は心の中で呟いた。


(お母様の時と、同じだ…)


 シェリーの母であるルリアーネが過労で倒れた時と、全く同じ症状だ。あの瞬間をしっかりと見ていたシェリーにはわかる。


(…それって、つまり……私、死んじゃうの……?)


 シェリーの脳内に、不穏な思考が浮かび上がった。


 まだ、17歳なのに?

 やり残したこと、沢山あるのに?

 エリーゼさんに貰ったお金、使えてないのに?

 ……アランが、1人で眠っているのに?



「…………ありえない……」



(……いやいやいやいや、ありえない!!!!!)



 シェリーは喉から漏れるような声を出すとともに、心の中でそう叫んだ。


 アランを残し、1人で先に死ぬなど言語道断。シェリーは、アランが年を取って誰か素敵な人を娶るまでは側にいると、そう決めているのだ。なのに、過労でぽっくり逝ってしまうなどという事があってはならない。絶対に、ありえないのだ。


「…うぅ…!! ふんぬ〜〜〜〜!!!」


 そうして淑女らしからぬ声を上げながら、シェリーはその重たい足を必死の形相で立ち上がらせた。


 痛みは更に速度を上げて彼女の頭を攻撃してくるが、そんな痛みなどお構いなしで、シェリーは朦朧としていた視界を気合で安定させる。そして、痛みが襲う頭を押さえていた手を下ろすと、なんとかまた一歩を踏み出した。


 そして、次の瞬間。


(……あれ……?)


 今度は、その痛みが一気に消えていく。

 先程までシェリーを襲っていた酷い頭痛も、息切れも、めまいも、何事もなかったかのように勢いを落とし、遂には完全に元の健康体に戻った。


「へぇえ………??」


 病気に波があるのはアランを見ているので知ってはいたが、こんな一瞬であの物凄い痛みがなくなるものなのだろうか。病は気からとは言うが、もしや本当に気力だけで治ってしまったというのか。


(……いやいや)


 そんな事を足りない頭で考えていても答えは出ない。シェリーは考えを放棄して、右足を前に出した。


 と、一瞬、目の前を黒い何かが通過する。


 首を傾げながら、シェリーは周りを見渡す。だが、横も前も後ろも、特に変わったものはなかった。


(疲れ…溜まってるのかなぁ……)


 今日は少し早めに上がらせてもらおう、そう考えながら、シェリーはまた一歩、二歩と進む。


 そして、その時は訪れた。



「…………ばあ!!!」

「ぎゃーーーーーーーー!!!!!」



 突如、上から聞こえた謎の声に、シェリーは大きく体を跳ねさせて叫んだ。


(な、なに……!?)


 訳がわからず、声が聞こえた上方をゆっくりと向く。


 するとそこには、黒のローブに身を包んだ男が、ふわふわと宙に浮かんでいた。


「…………????」


 シェリーは、右手で目を軽く擦った。

 だが、その黒ローブは、まだ彼女の頭上にいる。


 シェリーは、もう一度目を強く擦った。

 だが、やはりその黒ローブは、まだ頭上にいる。


(幻聴に、幻覚……深刻だ、私だいぶ深刻だ!)


 今日はもう、仕事より先に医者に診てもらおう。昨日エリーゼから貰ったお金、勿体無いけどこれに使おう。そう決めて、シェリーは「私は何も見てません、私は何も見てません」と唱えながら足を進めた。


「やっほ〜、おーはようございまーす! お迎えにあがりましたよ、お嬢さん!」

「んぎゃーーーーーーーー!!!!!!」


 また聞こえてきたその声に、シェリーは再度叫び声を上げる。恐る恐る上を見ると、そこにはやはり、にこにことシェリーに笑顔を向ける男が立っていた。いや、浮いていた。


「げ…幻覚……過労……し、死ぬ……?」


「あぁ、驚いた? 僕、“死神” と申します。今からお嬢さんを、あの世に送り届けてあげましょう!」


「……へ………………?」



 しに、がみ?



 シェリーの頭の上には、いくつもの「?」が浮かび上がっていた。涙の溜まった金色の瞳は、意味不明な事を言うその人に不安そうに向かっている。


 男は、またその口を開いた。


「驚くよねぇ、わかるわかる。そりゃそうだ、僕もそうだったからね。突然死んで死神が迎えに来たとか言われても、意味わかんないって思うよね〜、うん、僕もそう思う」

「し、死んだ……?」


 シェリーの頭の上に浮かびながら止めどなく口を動かすその男は、1人で納得したように頷くと、突如猛烈な速さでシェリーの目の前まで降下してくる。


「っ……!!」


 空から人が落ちてきた、とでも言うような落下ぶりに思わず心臓が飛び出る思いをしたが、当の本人は両足で着地をして、シェリーの目の前にしっかりと立っていた。


(な、何これ……本当に、私おかしくなっちゃったんじゃ……)


 そう思わずにはいられない怪奇現象ぶりに、シェリーは小さなその身を震わせた。そして震える声で、その謎の飛行物体にゆっくりと問う。


「だ…誰、です、か……」


 恐怖と驚愕が混ざり合った眼差しで、人なのかもわからないその男を見つめ言うと、男は一瞬きょとんとして、直後「ぶっ!」と噴き出し、腹を抱えて笑い始めた。シェリーの頭上の「?」が更に増加する。


「くくっ、うはは……!! はー、ごめんごめん、あまりにも可愛い反応するもんだから…うはっ! ひー、こりゃ当たり引いたわ、僕…で、何だっけ? 僕が誰か、だったよね?」


 涙目で笑いながらそう言う彼を上目で見ながら、シェリーはそっと頷く。すると、その男は姿勢を正して、またその口を開けた。


「僕は、さっきも言ったように、君を迎えに来た死神です。さっき命を落としてしまった君をあの世に送り届ける、あの世からの使者です!」

「…………はぇ?」


 何を、言っているのだろうか。

 シェリーはそう思いながら、目の前で得意げに笑う変人を怪訝な目で見つめる。


(死んだ? 私が? ちゃんと体もあるし、こうやって生きてるのに?)


 突然初対面の人に向かってそんなことを言うなんて、どう考えても変人だ。変人以外の何物でもない。

 シェリーの脳内で恐怖心よりも疑心が勝り、眉間を寄せ、今度は先ほどよりも少しはっきりとした声で男に言った。


「私は、ちゃんと生きてます…。死んでたら喋れてないし、なにより体も…」

「チッチッチッチ」


 シェリーの言葉をさえぎるように、死神と名乗る男は人差し指を立て、横に揺らす。


「誰でもそう言うものなんだよ~。死んだら喋れない? それは大きな間違いだね。喋れるし、体もそのまんまだから、突然死の人は自分の死に気付かないことが多い。君もそうだよ」

「ええ……?」


 本当に、いよいよ意味が分からない。

 シェリーは、こんなことを言われて「へえそうなんだあ! 私、死んじゃったんだあ!」なんて言うほどのお馬鹿ではない。可愛らしい見た目でも、そこまで抜けてはいない。


 シェリーはキッと男を睨みつけると、再度その口を開けた。


「そんなこと言って、私をどこかに誘拐するつもりなんでしょう…? そ、その手には乗りませんよ…!」

「ぶっは!!」


 かなり強気に言ったつもりだったのだが、その男はまた腹を抱えて笑い出す。


(真面目に言ってるのに……!)


 あまりに理解不能な言動しか取らないので、シェリーの内心ではだんだんと憤りが増して行っていた。

 笑い終えた様子の男は、まだ涙の残る瞳をシェリーに向けると、今度はゆっくりと彼女に向かって足を出した。

 思わず仰け反るがそれも遅く、彼はシェリーの目の前まで体を近付けると、悪戯っぽい笑顔で言う。


「信じてもらえないなら、来てもらうのが1番早いよね」

「えっ、えっ?」


 彼は戸惑うシェリーの様子を楽しむような目で見ると、右手を出してシェリーの手首を掴む。


 瞬間、彼の表情と動きが、凍りついたように止まった。


 男は何かに反射したように、ぱっと手を離すと、驚きの眼差しでシェリーを凝視する。


「……?」


 何が何だかわからず、シェリーは掴まれていた手首をもう片方の手でさすった。


 すると、男はさらに体をシェリーに近付ける。

 そして、先程離した彼女の腕を、勢いよくまた掴んだ。


「な、なに…!?」


 変態さんか!?

 と言う間もなく、今度はシェリーの口の前に、彼が自分の手をかざした。彼の手に、戸惑いで少し乱れたシェリーの息が軽く当たる。


 10秒ほどそのままの状態を保った後、彼はその手を顎に当て、考え込むように俯いた。


 そして、少しの間何かを考えたあと顔を上げると、ゆっくりと、彼はその口を開く。



「君……ほんとに、生きてる感じ……?」



 死神と名乗った男は、その声に、今日初めての戸惑いの色を見せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る