死神のおもてなし

梅明いゆ

01 シェリー

 死神。



 それは、死んだ人間の魂を送り出す、あの世からの使者死者



「お迎えに上がりました、お客様」



 毎日死んでゆく無数の魂を、彼らは日々迎え、そして、あの世に送り出している。



 だが誰しも、現世に何かしらの未練があるだろう。


 あの人に会いたかった。

 あれが食べたかった。

 あの子の成長を見守りたかった。

 あの人に謝りたかった。


 _____あいつを、この世から消したかった。


 でも、彼らにはもう、それができる命も、実体のある体もない。


 だが、未練があるまま、あの世に行きたくはない。


 ならばどうする?



「その未練、私たち “死神” が晴らしてさしあげましょう」



 そう言って、黒のローブを身に纏った死神は、今日もまた、死者に茶を汲む。



 これは、選ばれた死者として、死者の魂を護り、癒し、そしてあの世へと送る、



 死神の、おもてなしの話。





▼ ▽ ▼ ▽ ▼





「……はあ…………」



 夕暮れ前。


 平日の、日の沈みきらないこの時間。

 街の酒場通りは、昼間よりも人がだいぶ増して、活気に満ちてくる。


 そんなかき入れ時のこの時間に、酒場勤めの一人の少女は、


 家計簿を見ながら、大きくため息をついていた。


「今月分の食料費があと……私のお給料は…、この時間も働けば……」


 店の裏で、ぼそぼそと独り言を呟くその少女の周りには、どんよりとした暗い空気が漂っている。

 背中を丸め、必死の形相で家計簿とにらめっこするその様は、どう考えても普通の17歳の少女の姿とはかけ離れていた。


「シェリー!」


 唐突に低い声で叫ばれたその名に、少女の肩がビクッと跳ねる。


「この忙しい時間に何してるの! 早く戻りなさい!」

「す、すみませんエリーゼさん! すぐ戻ります!」


 シェリーと呼ばれたその少女は、家計簿を閉じると、店の中に走った。



 彼女の名は、シェリアフィーネ・ルンネイト。



 柔らかな桃色の長髪に、黄金に輝く瞳の可憐で可愛らしい外見を持つその少女は、毎日朝の7時から夜の9時まで、15時間働いている。朝はこの街の配達員として、昼間は城下町の飲食店の給仕係として、そして夜は、この酒場の看板娘として。


 今の時刻は午後6時。

 シェリーの働く“リーゼ酒場”は、仕事帰りの大人達で大変賑わっていた。


「シェリーちゃんこっちに赤ワイン頼んだよ!」

「シェリーちゃん、こっちの魚追加でな〜」

「シェリーちゃーん、ちょっとこっち来てよぉ〜」


 仕事疲れで酒とつまみと癒しを求める酔っ払い達は、物凄い勢いで注文を畳み掛けていく。


 シェリーがこの1日の過ごし方を始めてから早5年。この程度の忙しさなら、彼女にとっては朝飯前である。次々とカウンターに置かれる料理や酒をテーブルに運び、可憐で健気な少女に絡んでくる酔っ払いをあしらいながら、彼女は閉店の時間を待った。


 夜の9時。

 帰っていく客を見送り、酔って寝込んだ客を送迎馬車に乗せれば、本日の仕事は終了だ。


 ふう〜〜〜〜…、と深く息を吐いて、どっと押し寄せる疲れに抗いながら服を着替えると、店主であるエリーゼに挨拶をする。


「お疲れ様でした、エリーゼさん」

「お疲れ様、シェリー。はい、これ今日の分」


 そう言って渡された茶封筒の中には、数枚の札が入っていた。その量は、明らかにいつもより多かった。


「え、エリーゼさん、これ…」

「いいのよ、受け取りなさい。あなた、さっき家計簿とにらめっこしてたでしょう。これだけじゃ大した助けにはならないだろうけど、それでもきっと、少しは気持ちが楽になるわ」


 そう優しい顔で笑う店主は、いつもこうして、シェリーを気に掛けてくれる。仕事中は厳しいが世話を焼いてくれるエリーゼに、シェリーは日々感謝していた。


「う…うぅ、エリーゼさぁあぁん〜〜!」

「わっ、ちょっと泣かないでよ。もう…」


 17歳、ここユリアネル帝国ではもう成人している年だ。だが、シェリーは時たま、こうして子供のように泣きじゃくることがある。

 なぜか? それは、日々我慢して過ごしているからだ。過酷な労働を毎日続けているのには、相応の理由がある。


「本当…17の子を、こんなに働かせるなんて…貴族なのに、どうしてこんな目に遭うのかしら…」


 シェリーを抱き締めるエリーゼのその言葉に、シェリーの涙がぴたりと止まった。


 そう。

 この国で苗字を持つ者は、貴族だけと決まっている。つまり、苗字を持つシェリーはれっきとした貴族だ。


 子爵の爵位を持つ家に生まれた長女であり、貴族の中では地位が低い方とはいえ、本当であればもっと優雅な暮らしができていたはずの身分にいる。


 だが、彼女の家は、完全なる没落貴族だった。


 この事実を知っているのはエリーゼだけなのだが、5年前、シェリーの父親は友人の借金の保証人となって多大な借金を被り、それを払う為に屋敷を売り払い、残った借金を家族に押し付けてどこかへ逃げて行った。


 残されたシェリーとその母、そして弟は、家なし金なしの状態で生活せねばならず、その上借金というおまけまでついてきた為、働くしか道はなかった。


 だがその1年後、シェリーと共に働いていた、母のルリアーネが過労で死亡した。優しかった母親の死にとめどなく涙が溢れ、叫ぶような嗚咽は小さなぼろ家の外に大きく漏れるほどだったが、絶望している暇はなかった。


 家族2人だけで取り行った小さな葬儀の翌日から、またシェリーは仕事を始めた。父親の借金の先はとある伯爵家であり、幸い伯爵は残されたルンネイト家の境遇を哀れんでくれる暖かいお方だったので、借金の返済はゆっくりと行うことができた。おかげで、残りの借金はあと半分に差し掛かっている。


 だが、彼女がそうしてまで働き続けなければならないワケは、借金や生活のためだけではなかった。


「ただいま〜アラン」

「おかえり、姉さん」


 小さな我が家に到着すると、そこで迎えてくれたのは、寝台から上半身だけを起き上がらせた愛しい弟、アランだった。


 シェリーは、毛布のかかったアランの膝に倒れこむように顔を埋めると、情けない声を出した。


「うぅ〜〜アラン〜〜私の癒し〜〜…」

「はは、姉さん疲れたでしょ? 早く寝よう」

「うん…アラン、ご飯はしっかり食べた? お薬は?」

「姉さんが作り置きしてくれていたご飯はしっかり最後まで食べたし、薬もちゃんと飲んだよ。大丈夫」


 そう言って安心させるように微笑む弟に、シェリーは少し悲しそうな笑顔を向け、彼女と同じ桃色の頭を撫でた。


 シェリーが働き続けなければならない理由。

 そのもう1つの理由が、弟の持つ病気だ。


 医者にも原因がわからないほどの難病で、その時々の症状に合わせて薬を摂取するしか対処法がない。その薬代が、かなりの高額なのだ。実際、シェリーの給料の半分は、その薬代にあてられている。


 だが同時に、それがシェリーの最優先事項でもあった。

 シェリーは、最後の家族であるアランまで失くしたくはなかった。彼女の生きる理由は、大好きな優しい弟を守ること、その1つだけなのだ。


 大事なアランの額にそっと口付けると、シェリーは床に敷いてある毛布に横になった。


「おやすみ、姉さん」

「…おやすみ、アラン」


 そうして、シェリーは目を閉じた。



 何かの前触れのかのような、静かな、静かな夜だった。





▼ ▽ ▼ ▽ ▼





「やっほ〜、おーはようございまーす! お迎えにあがりましたよ、お嬢さん!」



 次の朝。



 身支度を終えて家を出たシェリーの目の前には、黒のローブに身を包んだ、1人の男が立っていた。



 いや、正しくは、浮いていた。



「あぁ、驚いた? 僕、“死神” と申します。これから、お嬢さんを “あの世” へお連れしますよ〜」



「……へ………………?」



 それが、シェリーの狂った運命の始まりだった。

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