異世界に天下りした官僚は、こっちでも甘い汁が吸いたい

長岡 なすび

第1話 天下り先は異世界

 流れ出る血が熱い。それは、恐らく自分が生きている証であったのだろう。

 実に無念だ。

 あと一歩、あと一歩であったのだ。

 私を刺したあの男に、私の何が分かると言うのだ。

 お前らが遊んで暮らした学生時代、私は全てを学業に費やしてきた。寝ても覚めても、ただひたすらに学業に勤しんだ。

 東大に入ったところで、それは変わらない。

 主席で卒業し、大蔵省に入ってからも、私と同じエリートたちがひしめく省内で着実に、そしてミスなくキャリアを積み重ね。

 愚かな、ボンボンの政治家どもを時にはおだて、時にはたしなめ、ようやくあっと一歩で、事務次官のイスが見えていたのだ。

 ブラック企業……、それがどうした。

 私の人生の方が、お前らよりもよっぽどブラックだ。

 来る日も来る日も、馬鹿な政治家どもに尻ぬぐいでタクシーでの深夜帰宅。

 ろくに会話もしてこなかった一人息子は、三十歳を目前に、部屋に引きこもってアニメやらゲームにうつつを抜かす始末。

 先進国である日本を導く財務省の官僚、主計局長の地位にあっても年収は2500万ほどだ。

 あれ程、努力を重ねて、これ程、働いてこれだけなのだ。

 私ら官僚を叩く民衆の中に、どれだけ私ほどの努力をした者がいるだろうか?

 年収300万……、当然ではないか。

 試験などというモノはある程度の努力で結果が出るモノ。それを怠った報いではないか。

 プロのスポーツ選手のように才能の世界ではない。公平な勝負だったのだ。

 そして、その中で私は勝ち続けてきた。

 野球選手が1億円を貰うより、官僚が1億円貰った方が、よっぽど庶民に夢を与えられるのではないか。

 だから、天下り如きでガタガタ言う方がおかしいのだ。

 貴様らも、プロのスポーツ選手にはなれなくても、努力しておれば官僚にはなれたかもしれんのだ。テレビの向こうにいるのがお前らのヒーローではない。私こそが、お前ら庶民の中からでた成功者だという事が何故分からないのか。

 しかし、そんな庶民をコントロールできなかったのは、私の懐が甘かったという事であろう。

 まさか、あんな愚かな男のナイフ一本で、私のこれまでの全てを終わらされる事になるとは……思わなかった。


 この日、政界を巻き込んだ汚職事件に絡み、事件に深く関与していたとされる財務省主計局長、財前弘55歳が、暴徒の凶刃により刺殺された。


                 ♢


「ここが……あの世」

 静かな、そしてただひたすらに白い部屋である。

「地獄……と、いうわけでもなさそうだな」

 あの世があるという事には驚いたが、そうなのだ。やはり、私は悪い事などしていない。行きつく先は天国に決まっている。

 閻魔大王という者、あれも一種の裁判官というモノであろう。むしろ、同じ公務員として分かり合う苦労もあるのではないかとすら思えてくる。

「あの世ではありませんよ」

 ふいに響いた声に、私は周囲を見回す。

 やがて、眩い光と共に、一人の女が私の目の前に現れた。

「お前は……」

 見た所、若い。

「次元の番人、アリーシャと申します」

 女が名乗る。それにしても、頭の一つ下げれば良いものを、番人風情がと思わずにはおれない。

「日本国財務省主計局長の財前だ」

 スーツ姿だが、懐に名刺はなかった。

「あの世ではない? では、ここはどこだ?」

 まどろっこしい話は時間の無駄である。省庁には無駄が多い。そんな事を庶民は言うが、そんな事は貴様に言われるまでもなく分かっている。

 しかし、物事には順序というモノがあり、貴様らの世界と違ってそうやすやすと話は進まないのだ。

「あなたは死後、異世界に召喚されました。これから、あなたは新たな世界で新たな人生を送っていただきます」

 異世界だと。その言葉は知っている。

 息子が熱中しているアニメが確かそんな話であった。

 では、何か。私は、その異世界で勇者にでも生まれ変わったとでも言うのか。

「勇者ではありません……。あなたには自由に生きる権利がある」

 女が横に振った。こいつ、私の思考を読んだのか。

 だが、不思議と恐怖はなかった。

「これから、あなたを異世界にご案内する前に、あなたのデータを書き換える必要があります」

「それはつまりアレか……。力や魔法などを決定するという事か?」

 すぐにピンと来た。これでも庶民の生活に理解はあるのだ。

「流石、話が早い」

 女がほほ笑む。

「容姿はこれでいかがでしょう?」

 女が手をかざすと、私の周りを光が包む。

「これでご確認下さい」

 目の前の空間が、鏡のように変化した私の姿を映し出す。

 栗色の柔らかそうな髪に、青い目、中背の年はだいたい二十歳前後だろうか、なかなかの美形である。

 以前の、私の容姿とは大きな違いだ。

 男は見た目ではないとは思うが、これはこれで悪くない。

「悪くない……が、もう少し背が欲しいところだな」

 女の顔を伺う。すると、女は頷き、再び私に手をかざした。

「これで如何です」

「うむ」

 先ほどよりも、背丈が伸びている。

「しかし、異世界? そこには魔物どももいるのではないか? こんな見た目で大丈夫かな?」

 現代の日本であれば、この容姿と私の知識、頭脳があれば何の不足もない。

 しかし、これから向かう先の世界でそれが役に立つとは分からない。

 なにしろ、現代日本ですら、私はたった一本のナイフで人生を終わらされたのだ。

「ご安心下さい。確かに腕力は異世界においても大事な要素の一つです。ただ、あなたにはスキルが付与されます」

「スキル?」

 首を傾げる。魔法のようなものと想像は付くが、早合点は禁物だ。

「スキルとは、特殊な能力の事です。あなたには、スキル『認可』が付与されます」

 認可か……。名前はどうでもいいが、その効果の程が気になる。

「あなたは、そのスキルによって、対象の行動を制限する事ができます。それは戦闘に限った事ではありませんから、是非、使って慣れる事をお勧めします」

「ふむ……。それで、私は何をすればいい?」

 魔物だ魔王だのと闘うのは正直、気が進まない。

「ここは、夢の果ての世界。あなたの望み、それを叶えると良いでしょう」

 女が、僅かに目を細めた。

 それが寂しげに見えたのは気のせいではないだろう。

「では、より良いセカンドライフを」

 周囲の景色がゆっくりと変貌していく。白い部屋が消えていき、目の前の女の姿も次第に擦れていった。

「セカンドライフか……。上手い事を言う」

 消える直前、女の口元は確かに微笑んでいた。

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