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 それは、自分の側に感情を溜め込むような声の発し方だった。笹山くんは、続く言葉を何度か飲み込んで、でもそれ自体に押し切られるようにして口を開く。


「俺にとって、小野がいることにはめちゃくちゃでかい意味がある。それすらも無意味だって言われてるみたいで、すげぇ腹立ってる」


 笹山くんは、本当に腹を立てた顔をしていた。それからぐっと目元をぬぐって、ついでに鼻もこすって、息を大きく吸ってゆっくりと吐いて、真っ直ぐに私を見た。


「悪いけど俺は、あっけなく死ぬ気なんかない。無意味に死んでくとか、一人で決めつけるな。おまえの人生くらい、俺がハッピーエンドにしてやるよ。そういうふうに思ってる奴のことをな、勝手に無意味とかで片付けるな」


 笹山くんは最後に、わかったか、と付け加えた。ヒーローが悪者をやっつけて、二度と悪さはしないようにと正義の説教をした最後に放つような、堂々とした「わかったか」だった。

 私はひどく叱られたような、なのに茹で上げられて惚けたような気持ちのまま、わかった、と答えた。そして、あぁ、逃しちゃいけない、と思い立って、慌てて自分のカバンを掴み、ポケットからスマホを取り出して操作する。


「笹山くん、今なんて言ったっけ。おまえの人生くらい、俺が……?」

「は? なにしてる」

「メモ」

「え? なんで?」

「だって、嬉しかったから。なんだっけ、ハッピーエンドに……?」

「ちょ、えっ、は?」


 画面を覗こうとする笹山くんから逃げつつ、さっきの笹山くんのセリフをそのまま入力する。一文字もこぼさないように。


「ほんとにメモってんの!? やめろぉ!」

「大丈夫、私が読み返すだけだから。大事にとっときたいだけだから」


 笹山くんは、勘弁しろぉ、と言いながら急激にしぼむ風船みたいに大人しくなった。

 あとはなんだっけ、なんて言ってくれたっけ。私はついさっき放たれた笹山くんの言葉を、もう一度手繰り寄せるようにして文字にする。


 そこで気付く。画面上に並ぶ文字を見て、あぁ、と息が漏れる。

 笹山くんがくれる言葉たちは、熱だけを残してあっという間に流れていってしまうから、そのままの形で繋ぎ止めておきたくて、いつも慌ててコピーして保存する。

 私はその言葉たちを、何度も読み返してきた。それは私の頭の中で笹山くんの声で再生されて、何度でもあたたかい火を灯す。なにもない私の中に、意味が生まれる。生まれて、いたんだ。

 それは、新しい答えとなった。かちっと音が鳴るくらいに、私の中にきっちりとはまった。

 あぁ、ともう一度息を吐く。大丈夫だと思った。



 お姉ちゃんが死んでしまってから、なぜか何度も頭にのぼってくる記憶がある。小学生だった私が、なんだか学校に行きたくなくて、足が痛くて歩けないから行けないと、玄関で嘘をついた朝。お姉ちゃんは、「しょうがないなぁ」と言って、自分のランドセルをお腹の側に持ってきて、その状態でかがみ込み、空いた背中を私の方に向け、「ほら、おんぶ」と言った。

 結局、ランドセルは邪魔だし重いし、お姉ちゃんは案外力がないしで、おんぶされて立ち上がる前に二人して玄関で崩れた。あまりにも派手に横転したので、おかしくなって笑い出してしまった私に、「ほら、大丈夫じゃん」とお姉ちゃんは言った。いじわるなような、勝ち誇ったような笑顔だった。それから、「笑えるなら大丈夫だよ」と言って、私の手を引いて、玄関を出た。それだけの記憶が、なぜか色濃く、何度でも思い出されるのだ。

 それは、私が思い起こさなければもう二度と掬い取られることのない過去で、でもその朝は確かにかつて存在していた朝で、もうお姉ちゃんはいなくて、私が掴んでいなければ消えてなくなる記憶で、だから私はそれを強く掴む。


 お姉ちゃんはあっけなく死んでしまった。その結末を変えることはできない。

 それでも。

 全部のことがなにもかもから手放されていて、ただ無意味に浮かんでいるだけなのだとしても、そこに意味を見つけ出すことはできる。きっとできるんだと、今は思う。

 私の中にある「お姉ちゃんがいた意味」は、この先も絶対になくなることはない。巨大な無意味がそれを連れ去っていこうとしても、決して放してはいけない。





「ドリアンソーダ、飲んでみようよ」


 私の誘いに、笹山くんは苦笑いをする。


「絶対まずそうなんだけど」

「わかんないよ、飲んでみないと」

「よし、じゃあ毒味は任せたぞ」


 笹山くんが蓋を捻ると、炭酸の逃げるプシュッという音と共に、瓶の中を細かな泡がのぼり始める。透明なそれを見ながら、おいしいといいな、と思った。


〈了〉

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ドリアンソーダにのぼる泡 古川 @Mckinney

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