だってなんにも知らないもんね。

ぱくぱくかつおちゃん

だってなんにも知らないもんね。


どうしよっかゆうくん。

どうしようね。

逃げちゃおっか。

それでもいいね。


小山田くんが歌っている。あたしとゆうくんの間を繋ぎ留めるみたいに半分こされたイヤホンの中で歌っている。

ボーイズ、トリコに火を放つ。

あたしたちの乗った電車は、見たこともない市街地をしゃかしゃかと走っている。踏み切りを走り抜けて、少し先には住宅街が広がっている。電気の付いているおうち、まだ寝ないのかな。隣で電車に揺られているゆうくんもおねむみたいだし、みんな、寝たほうがいい。

あのおうちでも、だれかがだれかに愛されているんだろうか。知ったこっちゃないんだけどね。

ゆうくんはあたしにもたれかかるように眠っている。レールの継ぎ目で、終電間近の電車は均等にかたたん、とステップを踏む。だいすきな寝息と、規則的なかたんかたんに運ばれて、あたしとゆうくんは夜に踏み入る。いとしい。いとしい。いとしい。

ゆうくんの黒い前髪は目に入りそうな長さでふんわり揃っている。ちょっと払って、うん、あたしのこの世でいちばんすきな顔。あたしの動いたのに気づいたゆうくんが眉間にしわを寄せながらちょっと目を開けた。


おこしちゃった?

ん……や、ううん。

ねてていいよ。

うん、


あたしたちにしか聞こえない温度で少ない言葉を交わして、とろんとした瞳と目が合って、触れるだけのキスをする。人そんなに乗ってないし。みんな、ひとりで、寝ているもの。いとしいいとしい、すき。一生ふたりで、この電車に乗っていられたら。そのまま、気づかないうちに死ねたらどんなにしあわせなんだろう。

しばらくして、何駅か過ぎた頃、車内アナウンスが静かにしゃべりだす。


ゆうくん、終点。

んん…おりよ、

そうだね、降りよう。


降り立ったホームにはほとんど人がいなくて、灯りもすごく頼りない。でも隣にゆうくんがいるから、何も怖いことない。小山田くんはまだ歌う。iPod、そんなに電池持たないけど、止めておいても減ってくんだからつけといたってきっと変わらない。あたしは今を、その場のしあわせ、最優先で生きているんだから。

駅員さんが遠くから懐中電灯をふりふり歩いてきて、あたしたちに照準を合わせた。

「駅舎閉めますよ、出てください」

眠そうに催促されて、あたしたちは素直に駅舎を出た。ほのかに海の匂いがする。


荷物はないから、手は宙ぶらりん。手持ち無沙汰だから、手を繋ぐ。持ってきたお金はポケットにねじ込んで、長い旅には歌が必要だからイヤホンは外さない。それが今のすべて。

あたしはゆうくんをだいすきで、ゆうくんはたぶんあたしのことが嫌いじゃない。といいな。だって恋人だから。


行こっか、ゆうくん。

どこ行くの。

海。朝日をさ、みようよ。

海なんてあるの?

あるよ。さっき匂いがしたの。

そうなんだ。


夜の中を歩く。並んで歩くコンバースはかかとに靴擦れを生んだ。それでも歩くのは、あたしたち、止まることができないからだ。


真っ暗だね。

そうだね。こわい?

なんにも。ゆうくんが一緒だからね。

そう?僕非力だよ。

それは知ってる。

それでも僕のことがすきなんだね。

そう!一生を賭してもすき。

大袈裟だよ。

そんなことないよ。

……僕たちもう二人しかいないんだね。

どういうこと?

僕の世界にはきみしかいないしさ、きみの世界にも残念ながら僕しかいないよ。

最高だよ。一片の悔いなしだよ。

……ねえ、波の音するね。

あたしたちどれくらい歩いたの?

いっぱい。もう倒れそうだよ。

その時はあたしが支えてあげるからね。

いいよ。僕が倒れたら、きみは一人で離れて、しあわせになって。やくそく。

やだ。それはだめ。

やくそくしてよ。ほら、空が明るくなってくる。



夏がくる。夜明けはどんどん早くなって、あたしたちを急かすけど、あたしたちは動じない。でも夏がきたら、もうこの海にはいられない。行かなくちゃ。


ちょっと肌寒い。夏を待っている浜辺には、海の家みたいな小さな小屋が建っている。こんな夜更けにはもちろん何もなくて、忍び込んで二人でお店やさんごっことかしてみたいなと思う。誰も気づかないここで少しだけお金を稼いで、慎ましく慎ましく生きていくのもたのしいだろうな。ゆうくん、一生あたしに飽きないといいけど。

思わずさすったノースリーブの二の腕を、ふわりと落ち着く香りが撫でた。


これ着ときな。

ゆうくん寒くない?

うん。きみといっしょだし。


だいすき、と思いながら、ゆうくんが肩にかけてくれた軽いジャケットの襟のあたりをキュッと掴んだ。ゆうくんが抱きしめてくれているみたいな気持ちになる。ゆうくんはジャケットを脱いでTシャツ姿になって、すこし頼りない華奢な腕が白く透けるようで、なんか目に毒なくらい眼福だと思う。


これからどうする?

これから?

お金もいつかなくなるしさ。

んー、そうだね。

なんか考えてたりする?

うーん、じゃあ、商売でもする?

えぇ、なんの。

海の幸をこう、とってきて、焼いたりして?

まんま海の家じゃんね。んー、お酒だそうよ、ウォッカとかさ。

飲みたいだけでしょ。えぇ、じゃあ、どっかからギターとってきてさ、ゆうくんが弾き語りとか?

きみが歌うなら弾こうかな。

ほんと?じゃあ歌う。



しんじゃおっか。

……え?

どうしようもなくなったとき。


ゆうくんもあたしも、それくらいには値すると思うよ。

そうかもね。………うん、そうしよっか。


あたしとゆうくんは、ちょっとばかり、しあわせになりすぎた。手に入れすぎたんだと思う。でもなんの後悔もないのは、ゆうくん、あなたがいるから。それは、万事の理由で、最高の証明になる。


あなたとふたりで秘密をつくったら、

いつまでも一緒にいられるとおもったの


ボーイズ、トリコに火を放つ。

そうしてあたしたちは、僕たちは、あの寝室に別れを告げる。


僕のことがだいすきなおんなのこと一緒に、

僕のことがだいすきなおんなのこを 。



きみを選んだ理由は簡単だ。きみのほうが、僕のことすきだったからだよ。


僕はあいしてほしかっただけだよ。




テトラポッドの陰に、置いていかれたトランジスタラジオを見つけた。ゆうくんが拾いあげて、電源ボタンをおす。砂でだめになっているかと思ったけど、案外しっかり起動に成功した。ざあざあと、灰色のノイズが垂れ流しで流れ出る。ゆうくんは初めから興味のなさそうな顔のまま、ゆっくりつまみを捻って局を探す。遠くを隠す霧が暴かれていくみたいに、徐々に明瞭な女性の声になっていった電波は、早朝のニュースを読み上げた。




昨日(さくじつ)未明、静岡県東部のアパートで火事が発生し、このアパートに住んでいた19歳の女性が遺体で発見されました。

調べによると、女性の住んでいた二階の角部屋が特に焼失が激しく、女性の部屋周辺に引火性のある液体が撒かれて火がつけられたとのこと。警察は、怨恨の線もあると見て、放火として捜査を続けています。犯人は、現在も逃走を続けている模様です。




火事だってさ。

そんなことよりゆうくんさ、ほら見て。

ん…おぉ、

きれいだね、朝焼け。

きれい、だね。


ゆうくんが、ふらりと砂浜に腰を下ろした。

あたしも並んで座る。歩き疲れて、足はしばらく動きそうにない。震えている。止まっちゃったら進めなくなることはわかっていたのに、ゆうくんが座れば付いて座ってしまう。同じ高さで、同じ景色をみたいのだ。同じものを見て、同じ空気で肺をいっぱいにして、同じところで生きて、しにたい。それだけ。

それだけなんだけどなぁ。



膝はがくがくするし、空腹もひどくなってきて、あたしはぱったりと砂浜に横たわった。ひりひりするほど喉が乾くけど、海水って飲みたくないしな。ぼんやりした頭で悶々としていると、となりのゆうくんも同じようにぱったり横たわった。あたしの耳からイヤホンが外れる。それでも、あたしたちはもっと何かきれいなもので、繋ぎ留められて、もう切れないと思うんだ。

浜辺にふたり寝っころがって、朝焼けを見ている。まるで映画のワンシーン、それもクライマックス。あたしたちにおあつらえ向きなのは、どう考えてもうつくしすぎるバッドエンド。それなのに、こんなにしあわせでいいのかな?倒れたあたしたちは、目が合って不思議と笑いだす。その爽快でいとしい後悔を海にかえす。


ねぇこれからどうしようか。

そうだね。


でもさぁ、




あたしたち、なんにも知らないもんね。だって、ずいぶん遠くから来たんだから。

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