闇の物語
始まりは、僕たちが住んでいた村が魔物たちに襲われた事件だった。
あの時の光景は、記憶の奥底に深く傷つけられている。
犬の形をした魔物は畑や家屋を踏み荒らし、鳥の形をした魔物は天空から人々を攻撃していた。
僕が好きだった食堂も、僕が通っていた学び舎も、僕が通い詰めていた本屋も、僕が住んでいた家も、全てを破壊して回っていた。
その時、僕は親の仕事の手伝いをしていた。どうやら罠に使うための道具が大量に壊れたらしくて、とても父さん一人じゃ夜までに終わりそうにない作業量だった。
いつもだったら、今頃はたった一人の親友と森の中で剣の稽古をしているのだが、運悪く父さんに見つかっては仕方がなかった。
親友の名前は、ラルフ。名前の通り男の子そのものって感じで、ヒョロヒョロの僕とは大違いだった。
僕とラルフが何よりも好きだったのが、英雄譚だった。かっこいい英雄に、胸が熱くなるような物語。いつも僕がラルフを本屋に引っ張り込んで、どの英雄が一番好きかなんて言い合ったりもした。
僕なんて、なんの取り柄もないただの村人だ。誰もが憧れる英雄になんてなれる訳がないなんて分かっていた。
でも、ラルフは違う。ラルフなら僕が……いや、皆んなが憧れるような英雄にだってなれると僕は信じていた。
この時ですらラルフは、僕にとって目標とも呼べる、英雄と同じような存在だったのだから。
(早くしないと、ラルフに怒られちゃう)
急いでトラバサミのバネの部分を調整して、他のところも点検させなくちゃ、ラルフが待ち惚けをくらってしまう。それだけは嫌で、必死に作業をしていた。
……その時だった。
遠くの方で、何かが爆発した音が聞こえた。その衝撃音は僕の鼓膜を激しく揺らし、僕はとっさに手で頭を抱えて身を守った。
そしてゆっくりと爆発がした方に目を向けると……それは既に、始まっていた。
あちこちで上がる火の手。
潰されていく建物。
鳥獣に攫われていく人々。
家の中から、父さんが飛び出てくる。
「ユウラ! 早く逃げ——」
それが、僕が聞いた父さんの最後の言葉だった。
目にも止まらない早さで父さんは鳥獣に連れ攫われ、天高く舞った。
(……逃げなきゃ)
そこから僕は早かった。
圧倒的な絶望と恐怖に支配された僕は、一目散に森の中に走った。この村の近辺は森は僕の庭だと言っても過言ではない。
僕の頭には、もはや自分が助かることしか眼中になく、ラルフのことすらすっかり忘れてしまっていた。
▼
「ん……んん……」
「おはよ、ユウラくん♪」
「うわぁ!? リリーナさん、やめてくださいよそういうの!」
いつの間にか僕の布団に入り込んでいた彼女にびっくりしすぎて、顔を真っ赤にしながら跳ね起きてしまう。
彼女はそんな僕の反応が面白いのか、お腹を抱えて笑っていた。
「あはは、びっくりしすぎよ。まぁだ私に慣れないワケ?」
「慣れないですよ胸を隠してください!」
あれから長い年月が経ち……僕は今、魔王城にいる。
始めて来た時は、どこを歩いてもどこを見ても人間じゃない魔物たちしかいなくてビクビクオドオドしていたけど、今となっては慣れたもの。
魔王城では、いろんな人……いやいろんな魔族の方々によくして貰っている。特に四天王と呼ばれる方々には、お世話になりっぱなしだ。
もう一人は
そして最後の一人がリリーナさんなのだが、彼女はというと——
「しょうがないじゃない。私、
「だとしてもです!」
リリーナさんと初めて会ったのは、森の中だ。あの事件の日、無我夢中で逃げていた最中に倒れているのを見つけた。
彼女は衰弱し切っていて、足首にはトラバサミの刃が深く突き刺さっていたのを覚えている。
彼女が人間じゃないことなんて、一目瞭然だった。彼女のことなんて放っておいて逃げるのが普通だ。実際、僕もそうした。
でも僕はどうしても弱り切った彼女の姿が頭から離れなくて、道を引き返して罠から彼女を救った。
そのあとは偶然発見した洞窟に身を隠して、彼女の治療をしていた。治療が一通り終わったあとは、僕はずっと後悔していた気がする。
血迷ったことをした。今からでも遅くはない、逃げるべきではないのか。
そんな事をずっと考えていた時に、彼女が目を覚ましたのだ。
それからはまあ、色々あった。
魔王城に行く事ですら一苦労だったり、お互いが意気投合するのにも沢山の時間がかかった。
今となっては、彼女は僕が安全に魔王城で暮らせるようにと『世話係』を名乗り出て、見事に僕という『おもちゃ』を手に入れたという訳だ。
「だいたい、なんで僕の布団に入り込んでるんですか!?」
「なんでって……夜這い?」
「ぜひやめてください!!!」
もはや恒例となっている毎朝の僕とリリーナさんとの口論は、魔王城中に響き渡り魔族の方々の朝のチャイム代わりになっているらしい。まったくもって不本意である。
毎日毎日、あの手この手で僕をびっくりさせてくるリリーナさんには困ったものだ。僕の貞操はまだ守られていると信じたいところではある。
しばらくしてギャーギャーと大騒ぎしている僕たちに割って入るように、不意に部屋の扉が開いた。
「おーおー、やっとるのう今日も」
「あ! ガモラさん、聞いてくださいよ! この人今日も——」
「うむうむ、大変じゃのう」
「
部屋に入ってきたのは、魔王城にいる誰よりも大きな体を持つ魔族。平たくいうのなら、魔王様その人だった。
ガモラさんはこんな感じで、ただのおじいちゃんみたいな性格の割に、唯一『別世界に行く魔法』すらも使えるという、ちゃんとすごい人だ。
「えー、だっていつもの事じゃろ」
「そ、そうですけど……!」
「全くもう、女に弱いのうユウラは。いっそのことヤられてしまえ」
「あら、それは名案ね♪」
「お 断 り で す !」
僕は身を守るように両腕で自分を抱きしめ、限界まで後ずさる。
リリーナさんといっしょに魔王も、僕の反応を見てクスクス笑っている。いつもこんなのだ、嫌に……はならないけどさ。
「で、魔王様? どうしたのかしら、この部屋に来て」
「ん? ああ……少しばかり、頼みがあってな」
「ああ、いつものかしら。いいわよ、行ってくる」
「うむ、頼むぞ」
リリーナさんはさっさと部屋を出て行ってしまい、部屋には僕と魔王だけが残った。
先ほどの会話の意味を、僕は知っている。
「またなの……? その、暴走」
「うむ。今回は、海の方でな」
魔族は今、最大の危機を抱えている。
全国に広がる魔物たちが、不定期かつ局所的に暴走してしまうというものだ。自我を失い凶暴性だけが残り、ありとあらゆる生命や物体を破壊していく。
僕の村で起きた、あの事件もそれが原因だった。
魔物の暴走の原因は、単刀直入に言うと『ウイルス』だった。
細かいことまでは僕もよく分かっていないが、とにかく厄介な代物らしい。特効薬もなく、検出もしにくい。
もはや暴走を沈める方法は、時間によるウイルスの自然消滅だけだった。
とはいえ、魔物たちを隔離するとなると大変な労力がかかり、実害が出るまでにはとても間に合わない。
そこでガモラさんがとった方策は、長時間魔物を眠らせることだった。眠ってしまえば、暴走も何もない。
薬のない今では、シンプルかつ効果的な方法と言えるかもしれなかった。
それができるのは、
常識で考えれば、広範囲かつピンポイントで魔物を眠らせるなんてできる訳ないが、彼女はただの夢魔ではなく四天王。そんな常識は通用しない。
「……まだ、傷は癒えぬか」
「いえ、大丈夫です。だって、元はと言えば……僕のせいですから」
「じゃからアレは——」
「……」
あの事件の数日前、リリーナさんはいつも通り暴走した魔物を眠らせに来ていたらしい。その最初の準備の段階で、彼女はトラバサミに足を踏み入れてしまったのだ。
他でもない、僕が仕掛けたトラバサミに。
村の周りとはいえ、普通のトラバサミでは簡単に逃げられるくらいの力を持った魔物はウジャウジャいる。
だから『絶対に逃げられない呪文』が刻まれたトラバサミを、僕の家では使用していた。
父さんが王都で買ったものらしいけど、値段は教えてくれなかった。きっと、相当高価だったんだと思う。
だからあの事件も、元はと言えばトラバサミを仕掛けた僕のせいだった。
あんなところにさえ仕掛けていなければ、魔物が暴走化することもなかったし、父さんも殺されることはなかった。リリーナさんだって、怖い思いをせずに済んだんだ。
でも……悔みに悔やんでも、もうどうしようもない事くらいは理解している。
「そういえば、勇者たちがそろそろ来るみたいですね。どうするんですか?」
「う、うむ……」
露骨に話を変える僕に、ガモラさんはそれに気づかないフリをして話に乗ってくれる。
勇者たちというのは、魔王を倒そうとする少数精鋭のパーティだ。
神の力を借りることができる
そして……光の神から聖剣を受け取りし勇者、ラルフ。
彼らはここまで、数々の苦難を乗り越えて魔王城のある『
たった一つの目標、『打倒魔王』を掲げて。
「戦うしか、ないじゃろうな。それで我が負ければ、ひとまず世界は平穏を取り戻せるじゃろう」
「……そうですか」
彼らなら、ウイルスのことさえ話せば分かってくれるだろう。
それに、勇者になったのは僕の親友ラルフだ。僕が姿を現して話をすれば、少なくとも彼は分かってくれると信じている。
しかし、それができない理由があった。
あのウイルスを仕掛けたのは、王権政府だからだ。きっと政治を執り行う関係で魔物や魔族が邪魔になり、勇者を仕向けるための口実としてやったのだろうとガモラさんは考えている。
それなりに証拠も揃っているため、もはや確定的だった。
でもそのことは、勇者パーティは知らない。きっと、王権政府に利用されていることすら気付いていない。
そもそも彼らは今や全人類の希望だ。そんな彼らが「やっぱり魔王は倒さない」などと言い始めたらどうなるだろう。
簡単だ。
「勇者は魔物どもに洗脳された」などと言われ、掌を返したように勇者たちは——ラルフは全人類から狙われることになるだろう。
そんなこと、僕が許さない。
ラルフは、英雄だ。
今となっては僕だけの英雄ではない。全人類の英雄なんだ。高く積み上げられていった信頼と希望は、一挙に憎悪と絶望にさえなることがある。
もちろんラルフなら、きっとそんな状況も切り抜けて見せるだろう。
しかし僕は、そんな状況に彼を追い込むこと自体が嫌だった。
『魔物を全滅させる』か『魔物のために全人類と戦う』かなんて、そんな究極の選択を彼に迫ること自体、僕はラルフにさせたくない。
(……)
でも、魔族の人たちのことも僕は見捨てられない。
自らを世界に捧げるように殺されることを望むガモラさんを、僕はどうしても見捨てることができない。
だから僕も、覚悟を決めることにした。
「……ガモラさん。相談があります」
「な、なんじゃ?」
僕は、静かに深呼吸をして……真っ直ぐガモラさんの目を見て言った。
「僕を、魔王にしてください」
▼
「……そろそろ、かな」
僕は今、すっかり
そして、ただひたすらに勇者たちの到着を待っていた。
耳をすませば、遠くで剣と剣がぶつかる音が聞こえていた。きっと
でも、ドラクさんは絶対に死ぬことはない。なぜなら、負けの条件をこちらで設定しているからだ。『膝を着いたら負け』とかそういうの。
この戦いが終われば世界中の魔族は全員、ガモラさんの『世界転移魔法』といわれる別次元に転移する魔法でこの世界から去る手筈になっている。
それにはどうしても時間がかかるから、こうして僕らは時間稼ぎをしているという訳だ。
まあドラクさんは、本気で戦ってるみたいだけど。
(……)
『世界移転魔法』には、1つ欠点があった。
それは、人間は別世界に移せないという点だ。つまり、僕だけはこの世界に取り残されてしまう。
それだけではない。勇者たちには『魔王を倒した』という実績が、どうしても必要だ。しかし、魔王は魔法を練り上げるために戦闘に入るわけにはいかない。
だから僕は今……魔王の、影武者をしている。
ココロさんによる、幻術という種類の魔法訓練のおかげだ。今の僕は誰がどう見たって、ガモラさんにしか見えない。僕にはどうやら魔術の才能はあったらしいから、ラルフやその仲間を騙すことはできるだろうとココロさんは励ましてくれた。
もちろん、騙さなければならないのだけど。
(……ラルフ)
もうすぐ僕を……僕を、殺しに来る親友の顔をゆっくりと思い出す。
あれから、どれだけ変わったのだろう。髪型は変わったんだろうか。声色も、やっぱり男っぽい感じになっているのだろうか。森の秘密の特訓でずっと見てきたあの剣筋からは、どれだけ成長しているのだろうか。
遠くで、決着の声が聞こえた。ドラクさんが大笑いする時は、よほど面白い事があった時か、勝負に負けた時だ。
だから次は、僕の番。
「……あはは。ちょっと、嬉しいな」
さいごに、親友と会えるなんて。
僕の口からは自然と笑みが溢れていた。
あと一分もしないうちに、目の前の扉は開け放たれる。
僕もそろそろ、覚悟を決めなければならない。
僕は緩んだ顔と気持ちをもう一度引き締めて、できるだけ威厳を演出する。
そして……勢いよく、扉が開く。
「待たせたな……魔王!」
そこには、何年経ったとしても忘れることなんてない。昔からの親友の顔があった。
僕の想像なんかよりも強く、逞しく、勇敢で、かっこよくなった英雄の姿に、僕は少し泣きそうになった。
それを誤魔化すように、僕はゆっくり立ち上がる。
僕はできるだけ大声で、感情を込めて、英雄に言い放った。
「よく来た! 愛しき勇者たちよ!」
▼
「ん……んん……」
僕の意識は、暗く冷たい海の底にあった。
それがゆっくりと引っ張り上げられているような感覚。僕の口からは、わずかに声が漏れ出ていた。
そして視界が徐々に鮮明に——
「ユウラっ!」
「へぎゃっ!?」
一気に鮮明になった。
リリーナさんに勢いよく抱きつかれ、僕の呼吸は突如として困難になる。
とは言っても、今の僕に呼吸なんて必要ないはずだけど。
「馬鹿馬鹿馬鹿ユウラの馬鹿! 目覚めるなら、さっさと目覚めなさいこの馬鹿ッ!」
「ご……ごめ……はな…………死……」
「うるさい馬鹿!」
リリーナさんの豊満な胸に顔を埋めたまま、僕はもう一度深い眠りにつきそうになってしまう。
今の僕にとって呼吸困難なんてあるはずないことを思い出せるようになるまで、混乱した僕の脳では時間がかかっていた。
あの最終決戦で、僕は負けた。割と本気で戦っていて、結果的にはギリギリの戦いになったけど……でも負けた。多分、あれなら騙されてくれるはず。
そして僕は、ラルフの聖剣によって殺された。それは間違いない。
でも、僕の作戦はそれで終わりじゃない。
傲慢な考えかもしれないけど……僕が死んでしまえば、リリーナさんを始めとした色んな人たちを悲しませてしまうと分かっていたからだ。
では、なぜ僕はこうして生きているのかというと。
僕を離そうとしないリリーナさんの隙を見て、彼女の胸から顔を出し、命の恩人の方を向いてお礼を言った。
「ぷはっ……ありがとうございます、リーカーさん」
「………(コクッ)」
生き返った僕は人間ではなくなり、ガモラさんの世界転移魔法の対象にもなることができるから、こうしてみんなと一緒に別世界にいることができる。
我ながら、凄く良いアイデアだと思う。自慢してしまいそうだ。
とはいえ一度は死んでしまうわけだから、リリーナさんだけは最後の最後まで反発していた。正直とても嬉しかったけど、そんな彼女を説得する事が一番大変だったっけ。
「ユウラ……」
「あ……ガモラさん」
膨大な魔力を消費して疲れているはずなのに、ガモラさんは僕と目線を合わせるように中腰になってくれている。
その表情は、魔王とは思えないほどに柔らかかった。
「ありがとう。なんとお礼を言えばいいのか……」
「や、やめてくださいよ。これはその……恩返しみたいなものですから」
「君は、紛れもなく我々魔族を救ったのだ。本当に、ありがとう」
「そ、そんなこと……えへへ」
僕はつい恥ずかしくなって、下を向いてしまう。
そんな僕を、今度は九本の尻尾がグルグル巻きにした。次の瞬間には、魔物全員に見えてしまうほど天高く掲げられていた。
「うわっ! コ、ココロさん!?」
「んん? 胴上げというのは、こういうのではないのか?」
「やめてくださいよ! は、恥ずかしいですから…!」
周りを見渡すと、数多くの魔物たちに見られているのがわかる。あちこちから黄色い声が聞こえて、僕はますます赤くなってしまう。
僕への羞恥プレイに満足したのか、ココロさんは僕をグルグル巻きにしたまま地上に下ろした。
「どうじゃ? 魔物たちの英雄になった気分は?」
「英雄だなんて、そんな……」
「英雄じゃよ、お主は。ここにいるみんなが、お主に感謝しておる」
「……も、もう! からかわないでください!」
しばらくして、僕は少しだけ開放された。
また抱きついてきたリリーナさんがまだ離してくれていないけど、心配をかけてしまったんだから、このくらいは我慢しないと。
僕はさっきまでいた世界とは違う、赤い空を見上げた。
英雄になったあの親友は、今頃どうしているだろう。英雄としての物語が終わった今、彼は何をするんだろう。
ラルフのことを考えていたら、無意識に僕はボソリと呟いていた。
「また、会えるかな」
俺と僕の英雄 チョコチーノ @choco238
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