第3話

▼嘉永7年(西暦1854年)2月15日 横浜応接所


【料亭・百川総出で準備していた饗応の場は、この五日前の二月十日に無事終わりました。饗応係も一安心して和親の交渉も緩んだとか、緩まなかったとか。いずれにせよ、贅を凝らした本膳料理がアメリカ人の口に合ったか、江戸中を総ざらいして用意した名器は目を楽しませたか、本音のところは日記にでも書いてあるのでしょう。さて今日はというと、小春日和の応接所にて、交渉の合間の交流会が催されるとのことで】


町奉行・井戸  「伊沢殿、これまでたいそう苦労なされたな」

浦賀奉行・伊沢 「井戸殿もまた。お互いにですな」

林大学頭    「お二人とも、今日くらいは休息を取ってもよろしいでしょう」

浦賀奉行・伊沢 「いいや、まだまだ」

町奉行・井戸  「昨日の話し合いの場で固まった、アメリカ国との陸上交流も今始まろうとしておる。これまで毎日のように話してきて、少しは融和しておると見てよいのであろうか?」

林大学頭    「わたしはそう見てよいと思っておるが、どうであろうな」

浦賀奉行・伊沢 「ううむ、おそらく。もっとも、先方は上の者も下の者も、みな陽気で真意はようよう計り知れん」

林大学頭    「その通りですな」

町奉行・井戸  「そうじゃな。昨日も急に、このような贈り物やら、お互いの文物の見せ合いやらをしようとは。青天の霹靂」

浦賀奉行・伊沢 「そこから我々は江戸へ早馬。我が邦のさまざまなものを集めた。林殿には馴染みの町方にも話を通して頂き、かたじけない」

林大学頭    「いえいえ。日頃から風流な町人ともさかんな交流があったゆえ」

町奉行・井戸  「アメリカ人の気まぐれか、そのおかげでゆうべも一睡もできぬ」

林大学頭    「お疲れのようで」

浦賀奉行・伊沢 「これで話し合いの場は人が変わったように厳しくなるのだから、アメリカ人はわからん」

町奉行・井戸  「ビジネスライクなものよ」

浦賀奉行・伊沢 「はて、米国語?」

町奉行・井戸  「提督が何度も言うので、通訳に聞いて覚えてしまった」

林大学頭    「そうでしたか」

浦賀奉行・伊沢 「はは。それにしても、海岸をご覧じろ。アメリカの将と兵が」

町奉行・井戸  「今まさに水際に揚がろうと」

浦賀奉行・伊沢 「岸辺、浜辺の防備を担っていた身としては、感慨深いものが」

町奉行・井戸  「百人ほどでもあの偉容じゃ。いくさとなればぞっとする。いや、今のは聞かなかったことに」

林大学頭    「いや、分かりますぞ」

浦賀奉行・伊沢 「実はそれがしも同感だ。だが、今、世は揺れ動きが激しい。世間には激烈に強硬な一派も生まれ始めておるという。あまり弱った態度を見せると」

町奉行・井戸  「噂に聞く。異国を打ち払うのに、身内にも血なまぐさい沙汰もいとわぬという。あの蒸気船も大筒も偉丈夫もガンも知らぬ者どもめ」

浦賀奉行・伊沢 「ガン?ああ、銃」

町奉行・井戸  「我々は反射的に刀に手がのびようが、向こうは遠くからガンで撃つだろう」

浦賀奉行・伊沢 「それにつけても、阿部様もおっしゃるように、いくさはない」

町奉行・井戸  「そうじゃな。もろもろ、江戸の阿部様にも伝えねば」

浦賀奉行・伊沢 「今夜も文が書き終わらん」

町奉行・井戸  「思いやられる。まあ、今はあの上陸したアメリカ人たちとのコミュニケーションじゃ」

林大学頭    「さよう。コミュニケーションとゆきましょう」


【またたく間に上陸した水兵たちにより小船からさまざまな物が浜辺に揚げられます。そこからも、またたく間に水兵たちにより準備が進められます。屯所の設営、天幕の設置、贈り物・見世物の整理、一同の整列があれよあれよという間に実行されてゆきます。周りで見ているお侍は、何もする間もなく、手伝いの申し出さえするいとまがないほどの迅速さでありました。特筆すべきは、いつの間にか、蒸気機関車とレールまで】


町奉行・井戸  「こ、これは?たしか昨日見せてもらった絵のなかにもあった」

アメリカ水兵  「カンセイシマシタ」

浦賀奉行・伊沢 「お、おお」

林大学頭    「これは機関車なるものだ」

アメリカ将校  「カンタンナモノデスガ、ノッテミテクダサイ。オイ、ヒヲイレロ」

アメリカ水兵  「イエッサー」

町奉行・井戸  「乗れとな?またがればよいのか?」

浦賀奉行・伊沢 「お、おお」

林大学頭    「人や馬の力もなく、前に進んでおる」

浦賀奉行・伊沢 「お、おお」

アメリカ将校  「アメリカデハ、コレガイクツモツラナッテ、ハシッテイマス」

町奉行・井戸  「このレールがあれば、どんなに重いものでもどこまでも運べるということか」

浦賀奉行・伊沢 「お、おお」

林大学頭    「地図で見ても大きな大きなアメリカ国の、西から東をこれが貫いているという」

浦賀奉行・伊沢 「お、おお。お、おお。これはこれは。だがのう、こんな、またがったままじゃ、股が割れてしまうわ」


【アメリカの蒸気機関車に、模型といえども皆がびっくり仰天しているなかで、とりわけ驚いている浦賀奉行・伊沢のこの言葉が、近くに控えていた力士に聞こえます。この力士、日本の応接係がアメリカ使節を驚かせようと手配した、向こうの言葉でスーパーマンとでも言いましょうか。その、松風部屋の力士がひと言】


力士      「なんと世界は広い。アメリカ国の力士はあんなもので股割をしているのか」


【これを聞いて浦賀奉行・伊沢は股を割りながら】


浦賀奉行・伊沢 「どうりで、アメリカ国の者ども、股が深く割れて足がたいそう長い」


【これに応じて力士】


力士      「じゃあ、てっぽうはどうやって?」


【日本語がわかったのでしょうか、ある水兵がやおら遠くを狙って】


アメリカ水兵  「Shooting a gun in this way.」


【この水兵が撃ったのが、作者の都合も知らずのんびり飛んでいたガンだったと言うんですから、何ともくだらないお話で】


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