オー・タン・クレール

さまよ~い

オー・タン・クレール

 ここはどこだろう。突如僕は我楽多がらくたの山の上で目覚めていた。

 鉄パイプや歯車などの我楽多が山以外にもあちこちに散乱していた。天井から一部が崩落しているため光が漏れており、かなり老朽化が進んでいるようだ。いわゆる廃墟というものなのだろうか。

 生憎僕には目覚める以前の記憶がなく、かろうじて言語機能や一般常識が残っているだけだった。

 ゆっくりと身体を起こし、我楽多の山を下っていく。床はコンクリートのようで所々ひび割れて地面が剥き出しになっていた。歩き出すとコツンコツンと乾いた音がよく響いている。決して不快ではない音だ。

 相変わらず我楽多が散乱しており、よほど人が来ない場所なんだろう、という印象を持ちながら歩き続ける。すると次に目に付いたのは――機械の腕だ。これは義手というものだろうか。接続面が欠けているが、何故こんなものがここにあるのか。誰かが捨てたのだろうか。そう考えながら歩き続ける。

 その次に目に入ったのは――人間の足? いいや違う、これは出来のいい義足だ。よく観察してみると皮膚らしきものが一部破れており、鉄の骨が覗いていた。先ほどの義手と同じく接続面が欠けており、またこの義足に至っては小指の先端がやや欠けていた。

 そして次に目にしたのは何の変哲もない水溜まりだった。そういえば僕は目覚めて以来、一度も自分の顔を確認していない。だから気になって仕方がなかったのだ。かがんで覗いてみれば病的なほどに白い肌に幼い顔の少年が水面に映っていた。かがんだ上半身の長さからして、年端もいかぬ子供だろう。十代前半といったところか。流石に正確な年齢までは分からなかったがおおよその外見年齢はつかめた。

 そうして探索しているうちにここが廃工場だと理解した。恐らくかつての僕は廃工場にでも探索に来たのだろう。あるいは家出なのかもしれない。外見年齢から考えてみれば何も不自然ではない。どちらにせよ、廃工場で僕は事故に遭い、記憶を失ったことには間違いないだろう。

 大体の事情を把握したことで僕は出口を探す。この廊下を走り抜けた先に崩落で壁に穴が開いていればそこから出ればいい。そう思いながら走り廊下を出るが、不思議なものが僕の目を釘付けにした。無数の人形が列に並んで吊るされていたのである。ああなるほど、先ほどの手足は義手や義足ではなく人形の一部だったのか。

 プツン――と気味の悪い音がした。上を見上げれば白皙はくせきの人形が天から垂直に落ちてきていた。思わずその美しさに目を奪われ、逃げるのが遅れてしまった。凄まじい金属音が僅かに聞こえたのと同時に僕の意識は飛ぶ。

 数分、いや数時間は経ったのだろうか。不意に僕の意識が蘇る。目の前には四肢が千切れた人形と――油っこい血を欠けた足から出す、水溜まりに反射した僕の姿が映っていた。血が水溜まりを反発している。決して赤黒く染まらない、そもそも僕の血は赤くすらないのだ。欠けた足からは火花が散っている。ああ、そうか、僕は白皙の人形達こいつらと同じ機械人形なんだ。

 脳内で警告音が反芻する。視界が赤く点滅する。無数の黄色い文字が映っては消えていく。頭がますます熱くなっていく。赤い点滅の頻度が落ちていく。視界が暗くなっていく。


 そして僕は最初の言葉を発した。


「ユナイト社製家庭用機械人形オートマタオー・タン・クレール、ナンバー8753、緊急停止します――」


 目が覚めた時、そこは廃工場ではなかった。

「システム起動――損傷無しオールクリア」

 人間らしからぬ機械音声が発せられる。ああやはり機械人形だったのか。

「よ、起きたか。だいぶひでぇ損傷だったからメモリも含めて直しておいたぜ」

 今度は人間らしい声が聞こえてくる。上体を起こして見てみれば、少し髭の生えた男性がソファーに腰かけていた。

「ご主人様でしょうか? お名前は?」

 メモリ修復の影響か、発する言葉がより機械らしくなっている。だけど彼の素性を知るにはちょうどいい言葉だろう。

「ああ、ユマンだ。ユマン・ローセルだ。そんなことより戦前の記憶とかねぇの? メモリ修復したんだし多少はあんだろ?」

「戦前とは何でしょうか? 何かあったのでしょうか?」

 言われてみれば、ユマンの身なりは博士と比べても――博士? ああそうかメモリ修復のおかげか、工場が潰れる以前の記憶が蘇っているのだ。つまり博士とは僕を作った科学者のことだろう。

「何かあったどころじゃねぇんだが、お前がさっき目覚める前に戦争があったんだよ、世界規模のな」

 あの短期間で……と言うことではないだろう。ユマンはそれより前に僕が目覚めていたことを知らない。だとしたら廃工場で目覚めた以前、つまり工場がまだ機能していた頃のことだろう。

「事情は分かりました。では知っている限りのことを話します。僕はユナイト社製家庭用機械人形オートマタオー・タン・クレール、ナンバー8753としてキッド・ゴーティエ博士によって生産されました。僕が生産されたばかりの時、博士が珍しく地下室から出たようでして、工場の生産ラインを眺めていました。それでたまたま完成されたばかりの僕に話しかけてくれたそうです。そこで博士が機械工学の専門ではなく実は医療技術の専門であることを知りまし――」

「あーそのよく分からん博士の話はいい。もっと工場が潰れた時の話とかさしてくれねぇかな?」

「左様ですか。ほんの一瞬の出来事でしたが、博士の話が終わりかけたその時に、突然工場の外で凄まじい爆音がしたのです。爆心地からはかなり離れていたようですが、強い威力のせいか工場にまで爆風が押し寄せてきたのです。僕も焼かれるのかと思いましたが、そこで何故か博士が飛びついてきたのです」

 今思えば、何故博士は覆い被さるように飛びついてきたのか。皆目見当がつかなかった。

「……ご愁傷様だな。俺にはハッキリと分かんねぇけど、きっと博士は幸せだっただろうぜ」

「どうしてですか?」

「んーとな、自分の作った機械人形息子を守って死ねたのなら科学者としては本望じゃねぇの? 親子愛的な?」

 ユマンは背中をかきながらそう言ったのだ。愛……とは?

「愛というのは、どんなものなのでしょうか? 辞書的な意味では理解しているのですが……」

「概念的な意味で分かんねぇと。まぁそんなところだろうと思ったぜ」

 ユマンはさらに背中をかきむしりながら言葉を続ける。

「だったら、旅でもしてみるといいぜ。男二人じゃ恋愛感情なんて湧きずれぇだろうし、湧いても俺が困る……という冗談は置いておいて、要は旅先で女捕まえて恋した方が手っ取り早いわけだ」

 言い終えると、ユマンは手元のグラスに注がれたワインを飲み干す。しかし、何かがおかしい。すぐさま僕は疑問を口にする。

「友愛じゃダメなんでしょうか? 友情も立派な愛でしょう。概念的な意味だと違うのでしょうか?」

 僕がそう言うと、ユマンはばつが悪そうに視線を逸らす。

「……違わねぇよ。ただ俺といて楽しいのかよ」

「今はまだ分かりません。一緒に暮らすまでは」

「そうかよ。だったら好きにしろ。無理に追い払いはしねぇ。ま、よろしくな、クレール」

 諦めた様子で返すユマン。意外と押しには弱いのかもしれない。

 そうして機械人形の僕と人間のユマンの同居生活は始まった。


 同居を始めてしばらく経った頃、僕は初めてこの世界のことを聞いたのだった。

「ここはフランスで間違いないんですよね?」

「ああ、国なんてあってないようなもんだけどな。間違っちゃいないぜ」

 国があってないようなもの――かつて僕が博士と交わした会話の中では決して想像できない話だが、ここフランスに限らずどこの国も破綻している状態が続いて六十年だと言う。

「どうしてこんな争いになったのですか?」

「知らねぇよ。どっかの国の陰謀とか、ウイルスをどっかの国がばら撒いた報復とか、挙句の果てには神が起こした天罰だとか、堕天使のいたずらだとか……どれも根拠ねぇ噂ばっかだ」

 よほど世界は混乱しているらしい。情報が行き届いていない状況では、これ以上聞いたところで、何も正しい情報は出てこないだろう。

「自分のことで精一杯ってことだ。ま、俺みたいなお人好しもいるにはいるがな!」

「そうですね」

「やめろバカっ。肯定すんな」

「どうしてですか? ユマンは僕の恩人ですよね?」

 ユマンが優しい人物なのは、この数ヶ月間で十分理解していた。それを何故肯定した後に否定するのか分からない。

「とにかくだ。あんま人に構いすぎるのもあれだ。時には見捨てなくちゃなんねぇ。俺が言っても説得力ねぇけどよ……」

「そうですね。説得力皆無ですね」

 ふとユマンの表情が陰る。しかしそれは見間違いだったのか、次の瞬間には、

「ああ、そうだな!」

 と満面の笑みを浮かべた。


 ある日、ユマンが倒れた。呼吸は酷く弱り切っており、衰弱している。

「なんでっ、どうして! いわ、言わなかったんですか!」

「言ったところで……治んねぇからだよ……天使病アンジェはさ……特効薬だって希少だしよぉ」

 そう言いながら、彼は背中をかきむしっている。翼をもごうとしているのだ。天使病とは人から翼が生える病気だ。後天性の変異で有翼人種になってしまう恐ろしい病。翼は人の精気を吸い続け、やがて吸い殺してしまう。戦争の直前の流行り病ではあったが、まさか現代にまで続いているとは……

「なんで隠していたんですか……」

「言ったところでどうにも……なんねぇのもあるがな……クレール、お前に心配……させたくねぇんだよ。初めに言っただろ……女でも捕まえて仲よくしろって……そこで行ってりゃあ……こんな心配せずとも済んだのによぉ……」

 この人はバカだ。どこに恩人を置いて旅に出る機械人形がいる。世も末? 知ったことか。僕は戦前の機械人形だ。世間なんてこれぽっちも関係ない。

「待っててください! 薬取ってきますからっ!」

 勢いで家を飛び出す。ユマンが制止していたが、全く聞く気が起きなかった。

 しかし確実な当てがあるわけではない。病院? ただの荒くれ者の巣窟じゃないか。研究所? とっくに潰れてる……そうか。戦前、キッド博士は医療技術の専門家だと言っていたではないか。なら特効薬の一つや二つ盗まれてなければ持っているだろう。ではどこに? ああ、そうだ。キッド博士はいつも地下室にいたじゃないか。だったら地下室にあるに違いない。というより他に当てがないじゃないか。

 相当大きい建物で家からもそこそこ近かったためか、見つけるのにさほど時間がかからなかった。地下室に関しても、博士が教えてくれていたおかげで当時と景色が違ったとはいえすぐに見つかった。問題は特効薬だ。これに関しては完全な憶測だ。博士が天使病の研究をしていたとは一切言っていないのだ。ただ医療技術の専門家ならば、持っていてもおかしくないという独断でここまで来たのだ。

 真っ先に棚を見る。フランス語で綴られた薬品が綺麗に残っている。中には試験薬ももざっており、探すのは一苦労だ。あれじゃない、これじゃない、これでもない、それでもない。そうして探している間に一時間、二時間、三時間……と刻々と時間は過ぎていく。気が付けば、もう夜だ。暗くて見づらい。なんで機械人形なのに、目が光ったり指先から灯りを灯したりできないのだろう。暗視ゴーグルが内蔵されていないのだろう。博士への愚痴を垂れこぼしながらも探し続ける。雪が降ってきた。流石に寒さまでは感じなかったことには博士に感謝した。今まで博士のことをそこまで考えたことが無かったので、ある意味新鮮だった。そんなことを考えている場合じゃないと思いつつ、また探し続ける。どこだどこだと探し続けたのち、ようやく発見する。天使病の特効薬だ。

「やりました! 天使病の特効薬ですっ」

 柄にも合わず、大声をあげて喜んでしまった。でもこれでユマンは助かるんだ。笑みをこぼしながら、廃工場を後にユマンの家へ戻っていく。

「ちょっと待ってもらおうかぁ、ガキ」

 不意に後ろから、ドスの利いた声が聞こえてくる。何者かと思い後ろ振り返れば、柄の悪い男三人が僕のことを睨みつけていた。

「さっき俺達の廃工場アジトから出てきたよなぁ? 一体どういう了見だぁ?」

 スキンヘッドで顔面に傷を負った男が突っかかってくる。そもそもあそこは僕の廃工場実家です、貴男達のものじゃないですよ、と言ったところで話が通じるとは思えない。いつから住み着いたのかは知らないが、少なくとも僕が目覚めた後のことだろう。

「兄貴、こいつなんか薬持ってねえか?」

 サングラスをかけた金髪の男がスキンヘッドの男に耳打ちする。

「あぁ? 薬かぁ、丁度いい、何の薬か知らんが高く売れるに違いねぇ。おいガキ、それよこしたら許してやるよ」

「何が許すですか。別に何も悪いことはしていないでしょう」

 刹那、荒くれ者は僕の顔面に向かって蹴りを喰らわす。だが僕には痛覚なんてないし、硬さだって同じ機械人形をぶつけない限りは砕けることはない。それくらい丈夫なのだ。故に悶え苦しんでいるのは荒くれ者だった。

「ぐっぎ、ぎゃあぁ……こいつ、もしや……あのユナイト社の機械人形か……?」

「そうですよ、僕はユナイト社製家庭用機械人形オートマタオー・タン・クレール、ナンバー8753」

 それを告げたのと同時に、男達は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。何がそんなに恐ろしいのだろうか。単純に硬くて男達の武器で壊せないから? 今はそんなことはどうでもいい。一刻も早く薬を届けなければ。

 夜の雪道を走り抜け、家を目指す。機械人形の僕に疲れはない。常に一定のペースで走り続ける。転ぶこともなく、走り続ける。家の灯りが視界に入る。やっとだ、ようやく辿り着いたんだ。

「ユマン! 特効薬ですっ。すぐに服用してください」

 勢いよくドアを開けたのと同時に大声で発した。しかし返事はなく、ユマンは大量の羽根の上で荒い息をしていた。僕は水を取ってきた後、無理やり抑えつけ、錠剤を呑ませる。まだ息は荒いが、時期に治まるだろう。やがて彼は眠り、僕は傍で寝顔を眺めていた。

 数時間後、ユマンは目を覚ます。以前と比べるとか細い声で僕に話しかけた。

「……ありがとうな。薬持ってきてくれてよ……」

「当然のことをしたまでです。何せユマンは命の恩人ですから恩を返すのは当然です」

「本人が望んでいない……恩を返すのは当然か?」

「え……?」

 情けない声を出してしまった。何故? ユマンは死にたかった? そういうことなのか?

「そんな顔すんなよ……あんとき俺は、お前に行くなって言っただろ? ……本当に恩を返すつもりなら……行かないのが正解だ。俺の中ではな。でもお前は……俺を無視して探したんだ。つまりこれって……愛じゃないのか?」

「愛……ですか?」

「ああそうだ。愛ってのは……いろんな形があるんだ。付き従うだけの愛もあれば……反発し合う愛もある。愛故にな。付き従うだけのお前が初めて俺に反発して……そして助けてくれたんだ……それも立派な愛だろ?」

 その瞬間、僕は初めて、愛を自覚した。そして、博士が僕を庇った理由も。ユマンが僕を突き離そうとした理由も。全ては、愛故だったのだ。

「そうですね。これも立派な愛ですねっ」


 僕は白皙の人形兄弟達と違う。愛を知る唯一の機械人形オートマタ、オー・タン・クレールなのだ。

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オー・タン・クレール さまよ~い @katsuie

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