みこすり半で百万語

喜多條マグロ

オナニー中脳内の声がうるさくてしょうがない

 スマホでエロ漫画を漁りながら、俺は勃起するのを待っていた。いつか脳のスイッチが入ってムクムクとしだすだろうと。だが、結果や惨め、エロサイトでDLした同人誌は俺にとって余りにも慣れ親しんでいたので、自発的にエレクトするのは難しかった。

 俺は股間に手を滑り込ませひと擦りし、勃起を促すことにしたのだが、その時見ていたイチャイチャしたエロ漫画に視線が留まった。彼らはセックスをする前から既に勃起していたのである。

 ある程度の年齢に差し掛かると、我々は朝勃ちを除いて自然に勃起する事が無くなる。昔の記憶。小学生の頃、数学や国語といった授業中に全く無意味に勃起することが多々あった。または15歳の頃、セックスをやる前の脱ぐ段階ではち切れんばかりに勃起するということが。その頃は精力が身体の中で主権を握っていたのだ。だが、今や、イケメンとやる時でさえ、あるいはいま握りしめているようにエロ漫画を見ている時でさえ、性における主権はペニス(精力)から脳へと移り、勃起を促すなどというこんな惨めな事をしている。もし男性全てが自分の意志でペニスを勃たせたり収めることが出来たら...と想像してみる。女(あるいは男)の前で恥ずかしい思いをする事もなく、小学校の授業中に勃起を隠そうとズボンにペニスを挟む事もなく、ブスとヤっている時にイくまいと母親の顔を思い浮かべる事もないだろう。

 ひと擦り半しながらページをめくると、このエロ漫画は途中媚薬を用いて男の子が我慢出来なくなるというシーン(この話を見るのも何度目だろう!)に入った。けれど、実際のバイアグラは勃起こそするものの感度が悪くなる。つまりなかなかイけなくなるし、セックスしていても感度が無いのだから気持ち良くともなんともない。そう言えば前にイケメンとやる為コーヒーに砂糖だと言って砕いたバイアグラを入れた事があったが、これは睡眠薬を入れるよりずっと素晴らしい発想に思える!というのも、睡眠薬は服用すると勃たなくなってしまうからだ。(しかし、女の場合はどうなのだろう?男は勃たないとセックスそのものが出来なくなるが、女は睡眠薬を飲んでもペニスの勃起と関係が無い。女性器で感じるのだろうか?)

 ふた擦り目、相変わらず勃起しないので別のエロ漫画を開くと、一時期ハマった壁尻ものであった。当然これも何度となく見たのだが、しかし現実に壁尻が行われていたとして、そこに参加するだろうか?(ここで俺はふた擦り半しながら、この問題提起は珍しくないありふれた考えである事に気付く)、漫画の中はいいが、現実に移し替えた場合、どこの誰とも知らぬ精子が尻の中に溢れていて、嫌悪感を感じないものだろうか?壁にハマってしまった方は構わないだろう。目隠しプレイのような想像力や、物として扱われる快感がSMのように展開し、そのプレイ、状況に恍惚とできるのだから。しかし、竿役は?俺の想像では、おそらく壁に尻があったとしても挿入せず、尻を眺めながらオナニーしているのでは無いだろうか。強姦の体験記に載っていた情報だが、男が強姦を試みたところ、女が予想以上に暴れる為萎えてしまい、出来ないと判断し、縛られている女を見ながら虚しくオナニーしたと書いてあった。壁尻も強姦と全く同じようになるのではないだろうか?(そして、この考えも何十回とこのエロ漫画を見る度になぞっている考えである。)

 みこ擦り目、イチャイチャしたセックスも、壁尻も、SMも、強姦も、俺のペニスになんの働きもしなかったので、新しくエロ漫画を買う事にした。色々漁っているとタイトルに唐獅子牡丹とついたエロ漫画が目に入った。昭和残侠伝。死んでもらいます。唐獅子牡丹。思わず高倉健の顔が脳裏に浮かび、母親の顔と同じく勃起を妨げる作用をするので急いで別の漫画を購入する。(そうだ、このオナニーが終わったら後で高倉健が歌う唐獅子牡丹をYouTubeで聞こう。タバコを吸いながら。それにしてもオナニーやセックスした後に曲が聞きたくなったりタバコが吸いたくなる習性はつくづく不思議なものだ)。放尿物、実に結構。新鮮味からかやっとムクムクとペニスが頭を持ち上げだしたが、けれど放尿についての昔の記憶が蘇ってきてしまった。飲尿プレイをした時の事だ、それまでのセックスを一度中断しわざわざ風呂に連れていかれて飲尿したのだが(EDの男が中折れしてしまった時のようにセックスを中断した時の変な空気、あれはなんと呼べば良いのだろう?)、後で聞くと飲尿で吐く人がいる為に風呂場で行うらしい。そういうものかと思いながら後日飲尿プレイで飲ませる側に回ったことがあった。これが実際やってみると想像以上に大変である。というのも、ペニスの射精と尿を出す感覚というのはまるで別であり、セックスの時は射精側にコントロールを置かなければならないのだが、しかし排尿を行うため事前に4リットルもの水を飲んでいたため、脳内で射精と排尿のコントロールが難しくなるのだ。脳内スイッチによって切り替えねばならないのだが、膀胱は破裂しそうだしけれどセックスはやんなきゃなんないし、というのでコントロールを行う脳内スイッチは混乱してしまう。壁尻も飲尿プレイもウケ側が楽なんだな。ヤる方が面倒なだけで...(勿論この考えも何百回目である。)

 シコりながら都合3冊のエロ漫画を見ていて、ある共通点に気付いた。必ず最後にはアナルセックスをしているという点である。けれど、アナルで気持ちの良い思い出なぞ思い返してみて一つも無かった。するとこれは「壁尻」や「セックスしないと出られない部屋」や「オメガバース」等々と同じように、フィクションとして捉えるべきなのだろうか?アナルセックスを?勿論、その通りである。女性器(クリトリスではなく、産道の方)に性感帯が無いのと同じく、アナルに性感帯などないのだ。常識で考えればすぐ分かる、もし本当にアナルに性感帯が有るとするなら、男女の仲だってアナルセックスをやるだろう。思うに、これはタバコと同じだ。タバコ自体は不味く苦しいだけなのに、ハンフリー・ボガート等々有名人への憧れでタバコを吸っている内に何故か気持ち良くなってしまった。これと全く同じ現象であると(何千回目に)思った俺は、最初のイチャイチャしたエロ漫画に狙いをつけた。アナルセックスが淡白に描かれていたからである。シコりながらいったいどこのどいつがゲイ=アナルセックスなどという汚らしい痛いだけの考えを最初に発明しやがったのかと思いながら、みこすり半目、射精した。

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みこすり半で百万語 喜多條マグロ @yotaro436

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