逃避行

らいす

ギムレットには早すぎる


 赤く、柔らかい光が机を輝かせる。時間つぶしの小説を読む。そんな放課後。教室の窓際から聞こえてくる。




奏多かなた君、好きです…。付き合ってください!」



「あー……ごめんな…俺好きな人居るんだ。」





「………」


 重い指でページをめくる。

 いつになってもは慣れない。





 走っている足音が近づいてくる。本を閉じ、帰る準備をする。



「ゆーいちろー!ごめん!遅くなった!!」


 息遣いが荒くなっている。

 下から走ってきたんだろう。


 少し笑みがこぼれる。


「ん…そんな待ってないよ。帰ろ。」


「うん!」



 俺たちは今日も一緒に帰る。として。



 俺の気持ちは、絶対に伝えてはいけない。

 絶対に。




「なあ」


「どした?」


「すっごい、変なこと言っていい?」


「いいけど…」


「俺と…俺とさ、付き合ってくれない?」


「え」



 伝えてはいけないのに。



「き、急にどうしたのさ…」


「ダ…ダメか…?」


 少し泣きそうな顔をしながらこちらを見つめてくる。


「ダメなわけないだろ!」


 頭より先に口が動いてしまった。やってしまったと思ったが、だけなら大丈夫なようだ。


「ほんと!!」


 腕を掴んで引き寄せて、抱き締められる。

 俺と身長はあまり変わらないが、肩幅はこいつのほうがある。抱き締め返そうという気持ちを我慢する。

 この幸せを噛み締めていたいが、泣きそうになるのを堪えるのに必死だった。



「じゃあねー!!!」


「ん」


 手を振り返す。

 あいつは泣きながら帰っていった。



 結局付き合うことになってしまった。

 ここまできたらもう引き返せないだろう。


 あいつの気持ちを蔑ろにするのは可哀想だ。それに俺だってあいつと一緒にいたいし、あいつの特別になりたい。そんなのずっと思い続けていた。だけど、俺がいなくなったらあいつは幸せになれないんじゃないか。だって俺が思いを伝えたら俺は……

 色々な考えが頭を東奔西走している。


「はぁ…」


 小さな溜息をついて玄関を開ける。



「ただいま帰りました。」




「遅かったじゃない。何をしていたの。」


「ごめんなさい。授業でわからなかった所を先生に尋ねていたら遅くなりました。」


「あらそう。あの学校の授業で、わからないところがあるなんて、随分と落ちたものね。」


 力が入って、奥歯が軋む。


 俺の両親は、俺に期待していた。

 言い方を変えるなら、『天才な息子』という肩書きに期待して、だろう。


 両親に初めて反抗したのは、高校に上がるタイミングだった。

 あいつと同じ高校に行くためにトップ高に行くのをやめたことだった。これをキッカケに、今までかかっていたストッパーが外れてしった。


 2階にあがり、制服を脱ぐ。鏡に写ったへそと胸がキラリと光った。両親への反抗心の表れだった。



 * * * * * *



 付き合って2週間が経ったが、恋人らしい事は何一つしていない。『友達』が『恋人』という呼び名に変わった位で正直している事は前と変わらない。

 勿論したい事は沢山あるが、どうしても人目を気にしてしまうのだ。



 その日はいつもより少し早く帰れる日だった。



「手、繋いでいいか…?」


 声が震えてる。

 もう秋なのに少し汗ばみ暑ささえ感じる。


「なあ…」


 肩が当たる程の距離。手の甲を擦り寄せて来る。

 ここは人通りが少ない道だった。


「わ、わかった…」


 絡めてきた指をぎゅっと握る。

 茹で上がりそうな程顔は熱く、届いてしまいそうな程、鼓動は煩かった。




 次の日、教室に着くと、痛いくらいの視線を感じた。嫌な予感がした。まだ秋なのに、真冬かと思う程寒気がした。


 扉がガラッと開く。


「おっはよー!」


 奏多だった。最悪のタイミングだ。


「あれ…?」


 クラスの誰も挨拶を返す奴はいなかった。

 互いにアイコンタクトをとって、会話をしていた。内容は想像がついた。


「なあ」


 聞いてきたのはクラスの中でもカースト高い男子だった。


「お前ら、昨日恋人繋ぎして帰ってたのってマジ?」


「え」


 冷や汗が背筋を伝っていく。俺は黙ってることしか出来なかった。


「罰ゲームか何かだよな?」


「あ…えと…………」


「それとも、まさか本気マジで繋いでたわけじゃねえよな?だって、男同士、なんて気持ち悪いったらありゃしねえ。なあ?」


 圧が凄かった。


「は…はは……あはは!!まさか見られるなんてな!そうだよ。あいつと2人でジャンケンして、俺が負けたから罰ゲームやってたんだよ!」


「えーそうだっけえ」


「なーんだ!やっぱホモじゃなかったじゃん!」


 教室が笑いと安堵で溢れていく。


 昔からあいつは嘘をつく時程口がよく回った。嘘だというのは知っていたし、あいつの気持ちが本当だというのも知っていた。

 だが、俺はその場にいられなかった。教室から逃げ出した。



「はぁはぁ」


 息が絶え絶えになる程走り続けた。

 あいつは中学の頃、いじめられていたのを脱する為にわざわざ、青梅市から2時間もかかる世田谷区の高校を選んだ。今の地位はキャラを変えて、みんなの人気者になれるよう必死に努力して手に入れたものだろう。そんな簡単に崩す訳にはいかなかったのは分かっているし、その努力も苦労も俺は全部見てきた。


 だけども、こんなの、あまりにも悲しいじゃないか!


 涙がボロボロと溢れ出てくる。


 雨が降り出した。ずぶ濡れになって、呆然としながら行くあてもなくフラフラと彷徨う。

 辿り着いた図書館で残りの1日を過ごした。


 それからあいつと会話することはなかった。



 * * * * * *



 高校3年生の春。会話もしないまま、半年が経ち、クラスさえも別々になってしまう。


 元々友達のいない俺にとって、疎外される事なんて痛くも痒くもないはずなのに、毎朝学校へ行く足取りはずっと重かった。



 いつもと同じ、退屈でつまらない授業を終え、帰る途中。下駄箱の戸に手を掛けた時だった。


「裕一郎。」


「………」


 聞き覚えのある声。顔を見なくてもわかる。


「話があるんだ。」


 肩を叩く手を振り払い睨み付ける。


「今更、何の用だよ。」


「頼む。話を聞いてくれ。」


 俺を真っ直ぐ見つめ、真剣な面持ちで見てくるあいつに、どうしても揺れてしまう。


 小さく溜息をついて答える。


「わかったよ。」





「…あの時は本当にごめん。」



「………仕方なかったとしても許さないよ。」



「俺がした事は絶対に許されない事だから、

 許してもらえなくてもいい。そのかわりに償わせて欲しいんだ。」


「償う?」


「ずっと、お前を支え続ける。もう絶対に独りにさせない。だから、だから、そばに、いさせてください。」


 声が震えているのが分かる。

 溜まりに溜まった感情が込み上げてきた。


「ばか…………」


 涙が溢れる。


「絶対にお前を許さない…。ずっと、

 そばにいてもらうからね。」


「うん…」


 誰もいない廊下。向かい合って手を握って、俺の肩に頭を乗っけてくる。


「俺を許さないでいてくれてありがとう……」





「落ち着いた?」


「うん」


 遠回りして、並んで歩く。


「なんで俺らは自由に生きられないんだろ」


「…ただ愛し合ってるだけなのにな。異性と同性。何が違うんだよ。」


「自分の当たり前を押し付けないでほしい。なんでこんなにも生きづらいの…」


 泣きそうな声だ。


「……俺らしかいなければ良かったのに。」


 酩酊めいてい感と悲愴ひそう感が漂っていた。



 * * * * * *



 冬。誰にも気付かれぬよう、悟られぬように静かな関係を続けて、もう半年以上経つ。


 で選んだ国公立の受験に向け、勉強をしているものの、どこか実感の湧かない日々を過ごしていた。


 受験生だからか皆、いじめの対象ターゲットで遊ぶ余裕も無さそうだった。



「なあ奏多」


「ん?」


「俺らって本当に大人になれるんかな。」


「…受験生だけど、なんだかピンと来ないもんね。」


「子どものままがいい訳ではないんだけどな。大人にはなりたくない。我儘だけどな。大人の社会で生きていける気がしないよ。きっと今より辛い思いをする。」


「そうだね。いくら昔より寛容になった、って言っても、偏見を持つ人は沢山いる。言いたい事もしたい事も堂々と出来ないのは息苦しいな。」


 漠然と将来の事を考えては不安を募らせていく。





 冬休み。

 勉強中、ほとんど音の鳴らない携帯から電話があった。あいつからだ。

 両親に聞かれぬよう、小さな声で出る。


「どした?」


明後日あさってクリスマスだろ?だから会いたくなって……」


「ふふ」


「な、なんだよ」


「3日前に会ったばっかりだろ」


「……いいじゃん。ほんとはずっと一緒にいたいぐらいなんだよ!」


「………。」


 顔が火照る。嬉しさと恥ずかしさで死にそうだ。


「もしもーし?」


「……俺も会いたい。明後日さ、うち誰もいないし、多分帰ってくるんも遅い。だからうち寄ってからイルミネーションでも見に行こう。」


「ほんと?」


「ほんと。」


 幸せ過ぎて声が上擦ってしまう。

 ……俺は幸せになっていいんだろうか。



 他愛のない話をして電話を切る。まともに恋人らしいことをしてなかったからか、心臓は大太鼓のように俺を叩きつけていた。


「楽しみだな…」


 そう呟き、宙を舞った気分のまま勉強を始めた。



 * * * * * *



 ┈┈┈┈┈ピンポーン


 チャイムが鳴る。


 バタバタと駆け足で玄関に向かい、扉を開ける。


「ゆーいちろー!おはよ!」


「おはよ…え…!髪……!!」


「そ!切ったし染めたの!どう?似合う?」


 これ見よがしに頭をフルフル振っている。


「かわいい………」


 あまりの可愛さに語彙力がすっ飛んでいく。


 元々、金髪ハーフアップが定番だった奏多がバッサリ切って、黒髪ショートになっている。しかも、天然パーマのせいで全体的にカールがかかったようにクルクルしている。


「ふふ…なんか私服って新鮮だね。私服で会う機会なんて全然無かったし。」


「そう言えばそうだな…」


 奏多の全身をまじまじと見る。

 くすんだ青のダボッとしたスウェットに、柔らかい茶色のズボン。白のボアコートにマフラーを巻いている。


 顔を見ると奏多も俺のことをじっと見つめていた。


「あ…悪い。出る準備してくるわ…っ!」


 急に腕を掴まれる。


「え、と…ど、どしたん…」


「ちゅーしていい?」


「へっ?」


 あまりの突然さに素っ頓狂な声が出て、思考回路が止まる。顔がすごく熱い。


 腕を引っ張られる。

 俺はされるがままに抱き寄せられた。

 急な展開に頭がついていけない。


「裕一郎。こっちみて。」


「う…恥ずかしい…」


「あはは、顔真っ赤だね。」


「………うるさい…」


「………」


 瞼に焼き付きそうな程、じっと見つめ合う。

 頬から頭にかけて両手で掴まれる。



 緊張で震え、冷たくなっている唇がじんわりと暖かくなる。


「ん……」


 そのまま溶けてひとつになってしまいそうな程長い間キスをした。


「……裕一郎、好きだよ。」


「……うん…。」


 喉まで出かけた言葉を飲み込む。

 ┈┈┈┈┈┈この想いを伝えられたら…。

 込み上げてくる気持ちを抑えられずに涙が溢れ出す。


 奏多は何も言わずに抱き締めてくれた。




「めっちゃ寒いねー!」


「な」


 あちらこちらが光り輝く木々の間を練り歩く。


「お」


「あ!クリスマスツリーだ!」


 大通りの突き当たりには巨大なツリーが立っていた。


 手袋をしてこなかったから、ポケットに突っ込んでいる指先が氷のように冷たい。



「手冷たい?繋ごうよ。人いっぱいでよく見えないって。」


「…ん」


 そっと差し出した手に、指を絡めるように握られる。俺はギュッと握り返した。



 イルミネーションを眺める。

 人混みに紛れ、俺たちは2人だけの世界に入り浸っていた。

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逃避行 らいす @naakin

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