融解

藤原 なの子

第1話 文章がゴミすぎてマジでぴえん

 最近、ようやくtwitterなるものを始めた。私は17歳女子、一応現役JK。まさに「SNS世代」だが、かなりの機械音痴だったせいで興味こそあれど手を出せずにいた。

 何とか自分のアカウントをつくり終え、早速気になったアカウントをフォローしていく。好きなアイドル、学校の友達、趣味が似ている人、名言bot・・・。そしてトレンドを見れば、何万人もの呟きが溢れている。スクロールしてもしても全く終わる気配がない。この世にこれだけの人間がいて、たった一つの話題に対してこれだけの考えを持っているのか・・・。冗談抜きで眩暈がした。

 「気にいった投稿に『いいね!』をしましょう!」

twitterからの通知。とりあえず、一番近くにあった美味しそうなパフェの投稿に「いいね!」した。

 

 これは約一か月前の話で、今は大分twitterを使いこなせるようになった。ハッシュタグをつけるのには未だ緊張するが、ネット上で仲良くなった人とはDMもしている。

 ・・・が、「いいね!」だけは全く慣れる気配が無い。タップ一つするだけ、と言ってしまえばそれまでなのだが。

 そもそも「いいね!」とは、何に対するどんな「いいね!」なのだろう。「興味深い」‟interesting”なのか、「面白い」‟funny”なのか、はたまた「好き」‟like”なのか。分からない。「いいね!」というからには、きっと肯定的な意味なのだろう。じゃあ、殺人のニュースを知らせるツイートに「いいね!」がついているのはなぜ?

 更に言えば、どれくらい心が動いた時に「いいね!」を押すべきかも分からない。周りは皆既読感覚で押しているのか?脳がぐちゃぐちゃになる程感動した言葉も、明日には忘れるような画像も、全部同じ「いいね!」で反応しなければいけないのは苦痛だ。

 ・・・判断基準が欲しい。誰か教えてくれ、と思いながら、結局「いいね!」を押したのは今のところパフェの一回きりである。


 きっと、「いいね!」は今の「ヤバい!」と同じような感覚なのだ。とりあえず、「ヤバい!」のだ、多分。

 ・・・でも、この仮定が正しいとすれば。私達は数十年後に全ての感情を「いいね!」で表すようになるかもしれない、まるで「ヤバい!」のように。喜びも、驚きも、焦りも全部「いいね!」。

 それは少し寂しいような、不安なような。言葉の解釈の幅が広がり過ぎると、コミュニケーションを取る上で誤解が起こりやすくなるのではないか・・・。

 と、考える反面、案外悪くはないと思ったりもしている。悲しみ嫉妬も怒りも「いいね!」で肯定してもらえたら、私達はもっと自由になれる気がするのだ。(それがSNSの存在意義であり、最大の欠点なのかもしれない)


 ここまで書き進めて思う。この文章は、言いたいことも何もない。将来的に確実に「黒歴史」になるだろう。ヤバい。自分の語彙力、文章力の低さに愕然とするばかりである。でも、私の考えを私自身の手で消すなんて、釈然としない。かと言ってこれが残るのは・・・。どうしよう。「マジでヤバい」。




 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

融解 藤原 なの子 @1868004

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る