天の使いと夕暮れと

四夜

天の使いと夕暮れと

 目が覚めた僕は、窓の外の、レモンを投げ入れたバタフライピーティーみたいな空を最期に見た。


 デジタル時計が言うには、今は十月四日の午後二時。

 「大智?大丈夫?」

 いつもよりボォっとする頭で隣のベットの方を見た。

 栗色の柔らかい髪を風に揺らしている少年は、起き上がらない僕を気にしていた。

 「なんだかなぁ、今日は調子悪いみたい。」

 正反対の黒くて無骨な自分の髪を軽く揉みながら僕は言う。

 「今日はゲームやめておこうか?」

 「えー、やりたいんだけど」

 「調子悪いならやめておきなよ、今日は話すだけにしよ。」

 少年は、いつものようなすごろくや将棋のボードではなく、「ながしろ ますみ」と名前の書かれたノートを取り出した。

 真澄は早速、ノートに何かを書いていく。

 「今日はどんな話を書くの?」

 「うーん、なんだろうな。まだ思い付かない。」

 ペンで線をぐるぐると適当に引いているようだった。

 しばらくの間、なんでもない話をしながら真澄は思い付いたように文字を書き、を繰り返した。すると真澄のスイッチが入ったのか、そのうち無言になったので、つまらなくなった僕は真澄に話しかけた。

 「何かお話できた?」

 真澄は手を止めると、少し恥ずかしそうに笑いながら

 「天使が願い事を叶えてくれる話、とか?」と言った。

 「そう、神様の使いの天使がさ、心の綺麗な人を助けてあげるんだよ。」

 「どんな風に?」

 「実はまだ何も決まってない」

 「......そっか」

 「この話が完成したらさ、一番最初に読んでよ大智。」

 そのあと僕たちは、またなんでもない話をして、眠たくなって昼寝した。

 その時のおやすみが、最期の話だった。


 突然苦しくなって目が覚めた僕は、動くことも声を出すこともできないまま、真澄の寝息を聞きながら、窓の外の、バタフライピーティーみたいな空を最期に見た。

 デジタル時計が言うには、今は十月四日 午後......





 「おはよう、寝坊助さん。」

 僕はどこかに立っていた。目の前には、蜂蜜を限界まで薄くしたようなキラキラした金色の髪の子供が立っていた。

 男の子とも女の子ともつかない子だ。

 「キミの名前はタイチだね?ミナトタイチ。」

 いい名前だねぇと子供は笑う。

 「どうして僕の名前を知ってるの?」

 「君のお迎えに来たんだよ」

 「まさか、僕の母さんでも父さんでもないよ君は。そもそも年だって僕より下に見えるよ」

 ありゃ、何も分からないのか。と髪の毛を指で弄りながら子供は呟いた。

 「いい?ボクは天使でキミは幽霊なんだ。キミ、死んじゃったんだよ。」

 「......死んだ?僕が?」

 「そうだよ。お葬式ももう済んだんだ。キミはその時まだ身体の中にいたから気付かなかったんだね。」

 そう言われて、最後の記憶を思い出した。

 確かに、あの時とは違って全く苦しくない。それどころか、今までよりも身体は軽く、遠い昔の健康だった体に近い。むしろ一番遠いらしいけれど。

 「さぁ、そろそろ天国に行こうか。いいかい?今からボクが渡すものを......」

 「まっ、待って。ちょっと待ってほしいんだけど。」

 無理かもしれないけど、どうしてもさよならをちゃんとしておきかった。

 ずっと隣にいた彼に。

 「真澄に、会いに行きたい。」

 幽霊ってことは、僕のことは見えないかもしれないし、声も聞こえないかもしれないけど。

 自己満足でしかないのは分かっていたけど、自分なりに区切りをつけたかった。

 「マスミ......ああ、隣のベットの子か。」

 天使はそう呟くと、絵画のように微笑んで、

 「それじゃあ、急がなくちゃ。」

 と言った。

 僕の心は晴れやかになった。しかし次の一言で、壊れたオルゴールでも聴いたかのような不安な気分の塊に一気に押し潰されてしまった。


 「あの子もそろそろ死んでしまうから。」


 「真澄も死ぬの?」

 「そうだよ、キミと同じように死ぬ。」

 そんなの駄目だ。いや、本来人の死に駄目も何も無いのかもしれないけれど、とにかく僕は咄嗟にそう思った。

 「どうにかできない?」

 だってまだ真澄には、描いてた未来があったのだから。

 真澄はまだ、物語を作っていない。

 作家になるって夢も叶えていない。

 「真澄を助けることはできない?」

 天使はそれを聞くと、ホームビデオの少女のように微笑んだ。


 「それをキミが望むなら。」


 天使は懐から、ひとつのペンダントを取り出した。

 飾り部分に嵌められている、天使の髪色そっくりの、薄い蜂蜜の色の宝石が淡く光っていた。

 「これは神様の力だよ。」

 天使は静かに言った。

 「これは一度だけ使えるんだ。どんな願い事も叶えられる。使うときは、これを握りしめながら、願い事を神様に伝えるんだよ。」

 天使はペンダントを僕の首にかけた。

 「マスミくんは今日の日没に死んでしまうから、それまでにたどり着くこと。わかった?」

 「うん、ありがとう。」

 「それじゃあ、入り口からになっちゃうけど、病院に送るね。キミの姿は他の誰にも見えないから、それを忘れないでね。」

 天使が指をパチンと鳴らすと、瞬く間に見慣れた病院が目の前に現れた。

 真澄。君の書く物語みたいに、天使が助けてくれたよ。

 空は、あの時と同じように、青が少しずつ赤に侵食されていっていた。急がなくちゃ。


 早速中へ入ろうとした僕は、自動ドアに激突した。

 幽霊だからって壁をすり抜けたりはできないようだ。なのにセンサーは気付いてくれないらしい。

 こんな中途半端な時間だと、出入りする人は少ない。入り口付近にいるのも、出てくる気配の全くない清掃員さんが一人いるだけで、いきなり僕は困り果ててしまった。

 どこから入れば良いのだろう。

 あの清掃員さんが、出てきてくれたら助かるんだけどなぁ。

 別に入れるところがないか探そうとしたとき、中からこちらに近付いてくる人がいることに気付いた。

 僕がしめた、と思ったその瞬間、その人は自動ドアの前に、飾られていた花瓶を投げた。

 花瓶はドア越しでもよく聞こえるほどの大きな音を立ててその形を崩した。

 その人の奇妙な行動に、僕はすっかり固まってしまって、清掃員さんが花瓶に近付いたことでドアが開いたことに気付くのが、一瞬遅れた。そして、近付いてきた人が僕を見ていたことに気付くのも、一瞬遅かった。


 僕と同じ入院服の上に、柔らかそうなカーデを羽織ったロングヘアーの青年が、目の前にいた。

 「透明」としか言い様の無いような青年だった。形はちゃんとあるのだが、そこには色が一切無く、影を構成するはずの白黒すらどこにも存在せず、とにかく「透明」なのだった。


 「君、幽霊でしょ?」


 この人も幽霊だったのか。そう理解するのに時間はかからなかった。

 「すいません、あの......」

 僕が青年に協力を求めようとした瞬間、彼の手は僕の首もとに伸びてきて、

 「これ、俺に頂戴?」

 危機を感じた僕は、わざと後方へ尻餅を付いてその手を躱し、慌てて閉まりかけたドアの中へ転がりこんだ。

 入り口の大きな窓から見える位置に留まるのは危険だと思ったので、僕は一度、一階の奥の方にあるトイレに隠れることにした。

 一番奥の個室に飛び込み、ドアの鍵をかけた。

 次見付かったら力を横取りされてしまう。そうしたら真澄は助けられなくなってしまう。

 怖くなって、無いはずの心臓がドクドク震えた。


 「ここの窓、早く修理した方が良いよね。簡単に忍び込めてしまう。」


 背後から、聞いたばかりの声がした。

 便器の上の小さめの窓から、青年が入ってこようとしていた。

 腕から入るようにして、少しずつ、少しずつ。長い髪なのも相まって、有名なビデオのお化けみたいに見えた。

 僕自身の焦りと恐怖、トイレの鍵の古さが無駄なハーモニーを奏でたため、解錠に手間取った僕は、青年と入れ替わるようにして個室を出た。そしてもつれて転びそうになる足を無理矢理動かし、走ってトイレを後にした。

 このまま病室に行くしかない。先に願ってしまえばこっちのものだ。

 僕はトイレをでて病院の左側の階段へと向かった。

 エレベーターは時間がかかるから使えない。 僕は端っこの階段の方まで走り続けた。

 僕と真澄のいた病室は七階である。

 息切れもしない、足もよく動くこの体なら、何より真澄のためだと思えば、こんな階段なんて屁でもない。

 走ってきたままの足を休めず階段を登り始めた。

 清潔感はあるが、蛍光灯以外の光も無い少し閉塞感のある空間を、僕は進んでいた。

 四という数字が書かれているのを横目に見た。半分を切ったのだ。この調子なら...

 その時突然、目の前の踊り場のドアが開いた。


 「見つけた!」


 幽霊の青年だった。

 例に漏れず追いかけて来るので、僕は慌てて下の段へとかけ降りた。

 そのまま咄嗟に三階のフロアへと進んだ。

 エレベーターを通りすぎた頃、チラリと後ろを見ると、青年はまだ追いかけてくる。僕は足を前へ前へと動かす。

 しかし、今までと違って遮るものも無い、まっすぐな道なので、このままでは僕よりもずっと大きく、歩幅の広い青年には追い付かれてしまう。どうにかして逃げられないだろうか。

 一階の大きな待合室が見下ろせる、吹き抜けのところまでたどり着いた。

 一階と二階を繋ぐ大きな階段と、その端に付いているエスカレーターが真下に見える。三階だけが孤立している。

 もうすぐ後ろに、青年が迫っている。

 「どうしてそんなに僕を追ってくるんだ!人のものを横取りしてまで叶えたい願いってなんなんだよ!」

 走りながら、青年にそう叫ぶ。

 「......それは......っ!......言えない、けど!」

 後少しのところでスピードをあげた彼の手がすぐ傍まで迫ってきた。

 やっぱり、奪われる訳にはいかないな。


 僕は手すりを飛び越え、二階へと落下した。


 流石もう死んでいる幽霊だ。受け身なんてとらずに落ちても痛くないし怪我もしない。

 僕はさっきまでの進行方向と同じように走り、病院の右側の階段への扉を音が響くくらい思い切り開けた。

 「あの子供ちょこまかと......!」

 僕より少し遅れて同じように降りてきた青年は、僕がドアを開けた階段の方へと進んで行った。

 僕は青年が行ったのを確認すると、階段から少しずれたところに置かれていた、ベンチの下から這いずり出てきた。

 この分なら青年は、僕がこの階段を使って逃げていると思ったに違いない。

 そして僕は、エレベーターの方まで戻っていった。


 数人の乗客に紛れてエレベーターに乗った。そしてできるだけ奥の方へ潜った。

 乗客は、松葉杖の入院患者に背の高い入院患者、老人の入院患者とその人に寄り添っている見舞いにきた妻と思わしき老女、同じく見舞いに来たのだろう若者や小柄な少女と、バラエティーに富んでいた。

 特に何も気にせず乗ってしまったが、このエレベーターは七階へも止まるようだ。

 青年は僕が何階へ行くのかは知らないはずだし、これなら撒くことができるだろうと僕は考え、束の間の安息に少し浸ることにした。


 五階で松葉杖の患者が降りると、エレベーター内は僕と少女の二人きりとなった。

 次に止まるのがいよいよ七階だ。緊張と期待に、無いはずの心臓が踊った。

 七階に着き、エレベーターのドアが開く。

 目の前には、仁王立ちした青年が立っていた。

 「ごめんね、ゲームオーバーだよ。」


 僕は尻餅をついた。

 最初のようにわざとではなかった。

 驚きと絶望から、力が抜けたのだった。

 「......して?」

 自分でもびっくりするくらい静かで聞き取りにくい声だった。

 「どうして......?ごめんねって言うくらいなら通してよ......この力は僕が叶えたいことのためにもらったものなんだ......」

 僕の今にも消えそうな言葉を聞いて悲しそうな顔をするくせに、彼の手は僕の首もとに伸びていく。

 これで全部終わってしまうんだ。

 悔しくて悔しくて、視界が滲んだ。

 その時。


 「メッ、だよ。これはタイチのなんだから。」


 突然視界が真っ白な羽で覆われて、青年の姿が見えなくなっていく。

 後ろを見ると、エレベーターに乗っていた少女の背から、大きな羽が生えていた。

 「タイチも、サトルも、なんだかボクに見覚えあるなって思わなかった?」


 天使だ。

 エレベーターに乗っていたのは、僕を助けてくれた天使だった。


 サトルという名前だったらしい青年は、予期せぬゲストに目を白黒させて、僕と同じように尻餅をついていた。


 天使は僕を見て微笑んだ。

 「さぁ、ここはボクに任せて。早く行きな?」

 僕は再び走り出した。


 エレベーターを飛び出すと、見飽きるほど見慣れた廊下に出た。

 たくさんある病室のうちの、行きなれた一部屋。

 ドアを開けると、空っぽのベットの隣に、見飽きないけど見慣れた人が眠っていた。

 窓の外では、真っ赤なリンゴみたいな太陽が、水平線へ沈もうとしているところだった。

 ギリギリセーフだ。間に合った。

 僕は眠った真澄に近づく。

 もういつもの顔よりも、色が悪く、少し痩せこけても見えた。

 どうか元気になって、これからも生きてほしい。

  僕はペンダントを握りしめた。


 「......たい......ち......?」


 掠れた小さな声が僕の名前を呼んだ。

 真澄の目は閉じたままだ。

 「大智......もしかして、そこに、いるの......?」

 「......そうだよ。助けに来たんだ。」

 届かないだろうとは思っても、返事をせずにはいられなかった。

 真澄の口から続いた言葉は、声が聞こえていないのを裏付ける言葉だった。

 「迎えに、来てくれたんだね。」

 僕はギョッとして、真澄を見つめた。

 真澄の独白は始まる。

 「......良かった。大智がいなくなって、僕は生きていたくなくなったところだったんだ......ほら、約束しただろう?僕の書いた話、一番始めに読んでねって。」

 そのうち真澄はうっすらと目を開け、僕だか、その遥か先で咲いている、熟れた太陽だかを見つめた。


 「生まれ変わっても、一緒が良いなぁ。」


 太陽が完全に沈むのと同時に、真澄の瞼も下がっていった。


 僕は、とうとう静かに泣き出した。

 震える手でペンダントを掴み、神様にお願い事をした。


 「僕と真澄を天国へ。そして来世も一緒にいさせて。」


 パキン、と薄いガラスが割れるような音と共に、ペンダントが大破する。欠片すら残さずに。


 気が付くと、僕の体は空高くへと放り出されていた。

 辺りは一面群青で、ずっとずっと端のほうだけが、ほんのり朱かった。

 さっきまでのようにうまく体は動かせない。水の中でも泳いでいるようだ。無重力空間はこんな感じなのだろうか。

 「大智!」

 振り返ると、そこには同じように空中を漂う真澄の姿があった。


 二人手を取り合うと、どこかここよりもっともっと高くから、眩しい光が射し込んだ。



 「一時はどうなるかと思ったけど、あの子達が無事に逝けてよかったよ。」

「つまらないの。」

 一番星の瞬き始めた空がよく見える屋上で、青年は先に、天使は後にそう呟いた。

 「つまらなくて結構。俺たちみたいな存在はもう世界のどこにも要らないよ。」

 青年は、冷めた目で天使を睨んだ。

 「何が天使だ。地獄のサタンも裸足で逃げ出す悪鬼の癖に。」

 「サトルったらひどいなぁ。」

 「酷い、だと?」

 お前以上の奴がいるか?とサトルは続けた。

 「神様の力のルール。一人の人間に一度しか使えない。使うのも、使われるのも......それだって、話さなかったんだろう?あの子に。」

 神様の力は本来、その時死んだ人間があの世へ行くために用意された力だ。

 一人の人間に使えるのは完全に一度きりである。

 効果を使われるのも、である。

 例えば、自分が死んだ時に、その力を誰かに使ってしまえば、自分は永遠に成仏できない。

 その力を使われた人も、その後成仏できず死んだ場所に留まり続ける。

 「おまけにそんな大切なこと、知らない奴には話すことができないっていう呪いのオマケつき。」

 「お得だねぇ~」

 サトルの天使を睨む目付きが一層強くなる。

 「そのお得のお陰で、俺は永遠にこの病院から出ることもできないし、アイツも事故で死んだ交差点から動けない。」

 きっとそれは、例えこの病院が廃れ、町が無くなり、全部更地になって、地球自体が壊れても変わらない。


 「それはそれは、キミってばとんでもないことしちゃったね?キミのせいでその子は......とばっちりだぁ。」

 とばっちり。その単語を聞いて、サトルは口をつぐんでそっぽを向いた。

 性格の悪い天使は、この世の悪意をまとめて煮詰めたような笑顔をしながら、

 「ザイアクカンに縛られてるキミが可哀想だから、またこういう面白いことになったら、今度こそお友達増やしたげるからね。」

 と愉快そうに言った。

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