お家に帰ろ

惟風

ミコと私

「ちょっと何触ってんの!バカじゃないの!?」

 ミコが怒鳴るなり席を立った。ボーッと立っていた私はびっくりしてしまった。隣に座っていた男に身体を触られたらしい。

 怒られた男は、何も無かったかのように宙を見つめている。足下には鼻をかんだ後らしきくしゃくしゃのティッシュがいつの間にか散らばっていて、何とも汚ならしい。

「最低!何こいつ!」

 ミコは可愛い顔を真っ赤にして怒りながら私の横に立った。二人で運転席の近くまで移動する。

「ねえ、もう次で降りようよ。気持ち悪い。」

 高校からの帰り道。親友のミコと一緒に、バスで私の家に向かっている途中だった。

 かなりの大声でミコが騒いでいるというのに、他の乗客はおろか運転手も、何の反応もしない。座席はほとんど埋まっていて、それなりに人数はいるはずなのに不気味なくらい静かである。いつもこんな雰囲気だっただろうか?痴漢がいるという理由以外でも、早くここから離れたい。

「うん、降りよう。」

 まだ外は明るいし、歩いても大した距離ではないだろう。定期を取り出しながら次の停留所はどこだったっけ…と外を見て、今度は私が大声をあげた。

「どこ走ってるの!?」

 同じく鞄を漁っていたミコも、異変に気付いた。

「何で…歩道…?」

 ミコの声は泣きそうだった。私も泣きたかった。

 バスは当たり前のように歩道に乗り上げ、走行していた。窓の外の建物が馬鹿みたいに近い。

 運転手は進行方向を見つめたまま無表情でハンドルを握っている。

「何!?どこに行くの?もう降ろしてよ!!」

 ミコは半狂乱で運転手に叫んだ。私は怖くて声が出なかった。

 このままわけのわからない場所に連れて行かれるのだろうか、と思いかけたところで、意外にもあっさりと停止し扉を開けてくれた。運転手はこちらを見ようともしない。

 ミコが私の手を取って、二人で転がるように外に出る。バスは私達が降りると、迷いなく発車して去っていった。相変わらず歩道を走っていたが、角を曲がって見えなくなってしまうと、まるで今の出来事が夢だったかのように思えた。


「怖かった…怖かったね」

 ミコは私に抱きついてきた。お互い震えて泣いた。ミコの明るめの髪から、ふわりと良い香りがする。

「行こう。」

 落ち着いたところで、ミコに促されて頷く。涙を拭きながら歩きだした。歩く度に、ミコのツインテールが揺れる。

「ありがとう。ミコが居てくれなかったら、降りられなかった。私、怖くて固まっちゃってたもん。」

 鼻声で話しかける。

「ううん。ナオミがいなかったら、私だって運転手にあんなに言えなかったし動けなかったと思う、こちらこそありがとうだよ。」

 ミコは思ったことをハッキリ言うし、堂々としている。こんな異常事態でも発揮される行動力に、救われた。彼女がいてくれて良かった。


「ナオミの家ってこの近くだったんだ、私も昔この辺住んでたんだよー懐かしい!弟とよくあそこのコンビニに行ってた。」

 ミコは努めて明るく振る舞おうとしているように見える。さっきの事を早く忘れたいのかもしれない。

「そうなの?じゃあ私よりこの辺り詳しいんじゃないかな。私去年引っ越してきたとこだし。」

 私も調子を合わせて話す。なるべく明るい雰囲気にしたい。

 

「よお、姉ちゃん。こんなとこで何してんだよ。」

 コンビニの前を通り過ぎようとすると、見覚えのある男が立ちはだかった。

「高遠先輩。」

 有名な不良の先輩だった。身体が大きく、喧嘩も相当強いらしい。怒ったら手がつけられない、とクラスの男子達が噂しているのを何回か聞いたことがある。普段の鋭い顔つきと違って、不自然なくらいニヤニヤしてミコを見つめていた。ミコが可愛いから狙っているんだ。咄嗟に彼女を後ろに庇った。

「あの、今から…帰る、とこなんです。」

 自分の声が震えているのがわかる。

 ミコも身体を強ばらせているのが背中から伝わってきた。

「帰る?どこに?二人で?」

 先輩はずっと私の後ろを見ている。やめて。近づいてこないで。怖い。

「ナオミ、こっち!」

 ミコがいきなり私の手を引いて、来た道を走り出した。よろけながら後に続く。制服のスカートから覗くミコの引き締まった足が、眩しかった。


 先輩が何か叫んでいたようだが、無視して走り路地に入る。何度か角を曲がって、やっと立ち止まった。

 二人ともゼイゼイと息が乱れていた。

「ナオミの家ってここから遠い?どこにあるの?早く連れてって!」

 ミコが焦ったように言う。私も早く帰りたい。今日は、何かが変だ。


「ダメだ。」

 私がミコに返事をするより早く、先輩の大きな声が響いた。

 すぐ後ろに近づいていたことに全く気づかなかった。私達は全力で走ったのに、先輩は汗一つかいていない。そして今度は、顔を真っ赤にして怒っている。鬼のようだ。

 逃げたい。逃げられない。足が震えて動かない。ミコも下を向いてガタガタしている。

 もう、ダメだと思った。


「もうやめろよ。。その娘離してやれよ。」


 先輩はミコにゆっくりと言った。


「え?」

 私の、聞き間違いだろうか。いや、今確かに。

 高遠先輩は、私に向き直って、びっくりするほど優しく話しかけてきた。

「あんた、まだ姉ちゃんに家教えてないよな?聞かれても答えるなよ。家においで、とか言うのもダメだからな。」


「邪魔しないでよ」

 俯いたミコの口から、驚くほど低い声が出た。

「…ミコ…?」

 何故か怖くて彼女の顔を覗きこめない。

 先輩は辛そうに続ける。

「ごめんな。」


 先輩は、一体何を言っているのだろう。

 私は、ミコを家に連れて帰らなきゃいけないのに。

 ミコもどうしたんだろう。いつもと様子が違う。

 いつもと。

 いつも、ミコはどうしていたっけ

 ミコは、堂々としていて、不良なんか怖がったりしなくてクラスでも

 ミコは私と同じクラスで、いや隣の

 親友のミコは

 親友、いつから親しくなったんだっけきっかけは

 どこで出会ったっけ何を話した他に誰と仲が良かった

 親友なの

になんで今まで私の家を知らなかったのミコはどこに住んでるの名前は名字はそうだスマホにアドレスがスマホ何で取り出さなかったのバスで怖い目に合ったのに通報しないといつからいつから忘れてたわからないしらない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない


ミコ。私の親友。

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お家に帰ろ 惟風 @ifuw

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