第8話

 呆気ない幕切れの報が学園にもたらされたのは、翌朝だった。

「ここまで大きくなった学園を、廃校覚悟で取引する必要がなくなったのは、良かった」

 望月千里の報告に、理事長が重々しく頷く。

「この後、速瀬伸が転校するか否かは、家庭内の問題だから、私はお役御免、という事でいいな?」

 早い所、教師の立場だけの役に戻りたいと切り出す千里に、髪が薄くなって久しい中年の男は振り返りながら答えた。

「今朝がた、父親が直接話に来たぞ。何度も転校させるのも、子供にとっては悪影響だろうから、家のごたごたの有無にかかわらず、息子はここで学ばせたいとな。今は中坊だが、数年後はお前の管轄だ。今から調教するのも、いいんじゃないのか?」

「はあ?」

 嫌そうに返す同窓生を一瞥し、理事長は苦笑した。

 望月千里と長く行動を共にしている女二人が、真剣に相談して来たのは新年度に入ってからだ。

「まさか、あんな奴が、あの方以外にも生まれて来るとは、思わなかった」

 そう言って、百合と名乗る女とその分身が話してくれたのは、大昔の話だ。

 獣として少し変わっていただけで、親に見捨てられた一匹の狸と、ある僧侶の話だ。

 どんな生き物にも攻撃的になり、時に人間にすら牙をむいていた幼い獣を、その僧侶はすぐに手なづけた。

 老いてその世話もままならなくなると、信頼していた女武芸者に獣の身を託し、成長を見守り続けてくれた、仏の様な僧侶だった。

「自分の身に降りかかる痛みに、恐ろしく疎い方で、見守っている方がやきもきしたもんだった」

 その僧侶の死の後、獣の主となった女武芸者は、別な式神の餌食となり、今はある別な女の体に同居しながら、眠り続けている。

「顔は似ていないけど、二つまで似たところが揃ったガキだ、あいつと一緒にいれば、主の方も目を覚ましてくれるかもしれない」

「いい事なのか悪い事なのかは、判断不可能だが……望月の方は? その主が目覚めた後、命を落とすなんてことは、ないんだろうな?」

 そんな不安を投げる男に、女は二人顔を見合わせた後、言った。

「ああいう、大勢の化け物を知ってるなら、言ってもいいか」

 化け物とは、若を筆頭とした方々の事か?

 想わず顔を顰める理事長に構わず、黄金が告げた。

「主は、天狗に見初められて、その身を捧げた娘を、母に持つ方だった」

 双子の女の子供だったが、里では育てられなかった。

「姉の方が、恐ろしく体が弱くて、妖しの里の空気が、完全に毒になっていたらしいんだ。だから、僧侶の師匠が、まだ放浪している牢人だった時に、その器を見込まれて、二人が託された」

 後に主となった妹の方は、一人残されるのを嫌がり、姉について来たのだと聞いている。

 術の使い方が下手くそだったため、武芸を極める事に決め、里から連れ出してくれた男に、永く仕えた。

「主だった方と、慕っていた方が、同時期に鬼籍に入ったのが、矢張り堪えてたんだろうな。ああいう時だったからこそ、あの程度の不意打ちが命取りになったってだけで……もう、何もかも終わらせたかったから、千を助けたのかもしれない。休みたかったから、そのまま、一度も顔を出してくれないのかも」

 だったら放って置けばいいと思うのだが、女からするとそうもいかないらしい。

「縛られてるんだ、オレたちと主は。主従の間柄が消えているのなら、命からがら逃げなかったし、今迄、千にくっついていなかった」

 主が襲われて絶体絶命の時、自由の身だったのなら、そのまま見捨てて逃げただろう。

 それだけ弱い獣が、必死で女の体を抱えて逃げた。

「だから、一度主には目覚めて貰って、オレたちを自由にしてもらいたいんだよ。その後、主が眠りにつこうが千がどう生きようが、関係ないだろ?」

 百合と名乗る女が言い切ったが、理事長は内心で、生暖かい笑みを浮かべたくなった。

 その辺りの話は、雅にも聞いていたのだ。

 付け加えられなければならない、内輪の話も。

 その呪縛は、存在しない。

 いや、元々は存在していたようだが、すでに消えている。

 呪縛が消された事で、主であった女と千里の心は、一つに重なり始めている。

 それを、今は二人に分かれている獣の女は、聞かされている筈なのだ。

 どう消されたのかは、予想している。

 追及する気はないが、千里の友人だった男は、心の中で感謝する。

 獣の女たちの画策は、生き物としての望月千里の幸せ、その願いだけだ。

 それに乗らないと言う選択は、なかった。

「いいか、あの生徒は、恐ろしく優秀だ。この学園始まって以来の、この地の財産になるべき人材だ」

 最もな理由を考え、男は厳かに言った。

「あの生徒が堕落せず、将来有望な医者になると言うのなら、我らの株もあがる。それは分かるな?」

「分かるが、その先の話が見えない」

 返す高校教師は、不信感をあらわに見返すが、そんな視線に臆していては、あの傑物たちを相手に、説得など出来ないのだ。

「これから先は永い。今回は問題にならないが、これから、どんな問題が生じて、あの生徒の将来が壊れるか、分からないだろう?」

「まあ、家庭内の問題だけではなく、学んでいく上でぐれる事も、あるだろうな」

「それを、学園内で防ぐのは、教師の仕事だ」

 千里は、眉を寄せながら頷く。

「至る所にカメラは設置しているが、万全ではない。トイレや更衣室には出入り口だけだからな」

 そう言う所が、苛めで使われやすい。

 だが、流石にその中に付けては、逆に問題になる。

 そういう時は、教師や警備員などの人材が動く。

 同様の理由で、学園の外でもその人材を使う。

「お前には、これから先数年、その役を下ろす。その代わり、速瀬伸の周辺を、徹底して見張れ」

「……」

 目を細め、何かを言いかける前に、男は教師に笑顔で言い切った。

「勿論、手当は倍にしてやる。だが、もし、あの生徒が道を踏み外したら、給料を半分に減らす」

 手当と給料は違う。

 臨時手当より定期的な月給を減らされる方が、生活の安定を見ると痛手だった。

 こんな脅しに乗る程、弱い女ではないが、千里は眉を寄せたまま言った。

「給与云々は、別として、仕事として受けるのは抵抗がある」

「ん?」

「黄金たちがな、何故かあの生徒を、気かけているんだ」

 理由を知る男が曖昧に頷くのに構わず、女は続けた。

「もしかしたら、あの生徒を気にする事で、人間を別な角度から、見てくれるようになるかもしれない」

 昔と違って、妖しには生きにくい世の中だ。

 人見知りするきらいの、特に子供が嫌いな女が、適度に世に馴染んでくれるなら、千里としても嬉しい。

「だが、仕事として許可が出るのなら、真剣にやってみよう。まずは、周囲から攻めるか」

 あっさりと引き受けられ、男は安心したのだが……その後起こる問題の数々は、どう言う周囲を使うのか突っ込まなかったのを、長く後悔させるに充分なものだった。


 全真相が解明し、事が収まった翌日の夕方、志門が下校すると古谷家には数人の客がいた。

 一人は元気になったものの、何故か殆ど入り浸りの静で、客間のソファに今は小さくなって座っていた。

「帰ったか、今日は、寄り道なしか?」

 そう声をかけたのは、昨日と同じように笑う蓮だ。

 静の斜め向かいに座り、湯飲みを片手に軽い挨拶を投げた。

「はい、只今、戻りました」

 丁寧に頭を下げながら、志門は驚きを表に出さないように押し隠した。

 静が小さくなっている理由は、その隣にいる若者のせいだ。

 腕を胸の前で組み、前方を睨んでいる若者は、志門が客間に顔を出したせいで、話が途切れた事で気分を害したのか、苦い顔だ。

 その向かいに座る若者は、少年の挨拶に頷きながら、無言で茶を啜り、顔を上げた。

「話は蓮から聞いた。学校帰りにそんな厄介ごとに首を突っ込んで、大変だったな」

 無感情な声が、僅かに柔らかく声をかけた。

 揃う事が滅多にないはずの三人が、ここに揃っていた。

「若の厄介ごとに比べれば、些細な話でございました」

 頭を下げたまま言うと、蓮は笑いながら志門の肩を叩いた。

「こら、そんなに驚くな。今夜は偶々、一緒になっちまっただけで、悪巧みはしてねえから」

 そんな疑いはかけていないが、やらないとは言い切れない。

「あの、例の件は、どうなったのでしょうか?」

 まさかそんなはずはと思いながら問う少年に、湯飲みを置いたセイはあっさりと答えた。

「終わったよ」

 驚く志門よりも先に、蓮が横目で若者を睨んだ。

「どんだけ時間食ってんだよ、手間取り過ぎだ」

「そ、そんな言い方ないじゃないですか、私の、私情の事で、手を煩わせてしまったのに……」

 静が反論したが、その声はすぐにしぼんだ。

 隣の若者が、盛大な溜息を吐いたのだ。

「お前の話だから、手間取り過ぎだと言ったんだ、蓮は。そこまで長く準備することは、無かったはずだろう?」

「私一人で動いてもいいのなら、一日もかけなかったけど……」

 耳を疑うような答えを、セイは何でもないように返した。

「あれは、国も絡んでたからね。私が必要以上に、あの国に係らないようにするには、そうするしかない」

 じゃないと、この地での事の様に、変な祀り上げられ方をされかねないと、セイは言い訳した。

 どうも、秘かに集まった仲間たちが、妙に若者を崇めている空気は、セイも感じているようで、内心辟易しているようだ。

 申し訳ないとは思うが、信仰に近いその気持ちがどうしても消えない。

 そんな考えの一人の志門は、カーペットが敷かれた床に正座し、そのまま話を聞く姿勢になった。

「その話を、聞きに来たってのに、蓮の仕事の方を先に話し出すから、つい聞き入ってしまったではないか」

 苦い顔になっていた鏡月が嘆き、セイを睨んだ。

「どういう治め方をした? 遅くなった分、納得いく治め方をしたんだろうな?」

「大きく取り上げられるかは分からないけど、ニュースにはなるんじゃないかな。三つに分裂した国の二つを、一つに戻した」

 昔大きな陸続きの国だったある軍事国が、何代か前に分裂した。

 兄弟三人が土地を分け、それぞれ理想の国を作るべく奮闘し、それぞれの国を行き来するだけの、鎖国的な国が出来上がった。

 うち二つ、今回一つになった国は、観光客もたまに来る、それなりに開けた国で、一つは軍事の輸出を重点に、もう一つは特産品の輸出を重点に発展して来た。

 今回の騒動は軍力が小さく、国王の周りの警備隊のみ実力が特出していた国が、一握りの不穏分子により乗っ取られたのが発端だ。

「その不穏分子が、この数年で昔の財産を食いつぶすだけの権力者だと気づき、国民の不満が大きくなっていた」

 これではまずいと、権力者であるクーデターの首謀者は、輸出していた物を見直し、その全てを再び特産品として売り出そうとしたが、その内の一つで大きな財源だったのが、静の父が育てていた、警備員たちだったのだ。

 クーデターに屈した親族たちが、その命令でその育成のノウハウを知ると思われる、静を連れ戻すよう命じられ、あの誘拐劇が起こったのだ。

「隣の兄弟国に亡命した国王一家に、話を持って行く前に、ボロボロになった国を見回って来たんで、少し時間がかかったんだ」

 数年で、ボロボロになり過ぎだった。

「冬を越せる子も、数えるほどになるまで、国民は貧しい生活をしていた。観光客も拒否されていたこの数年は、ボランティアも入れなかったろうから、最悪な状態だった」

 数年前の裕福さを見ているから、尚更その変化は目に余った。

「結果を言うと、国王一家と隣国の軍を介入させて終わり、だ。クーデターの首謀者は、命乞いしていたけど、あれは、無理だな」

 反省している風は装っていたが、二度目はないと知りながらも、静にまで手を伸ばして来た。

 言い訳を延々と繰り出していたが、全て足をすくって論破し、セイは後を国に託して戻って来たのだった。

「命を取らない代わりに、色々へし折ってきたつもりだ。それでも不満なら、手配するけど?」

「……」

 無感情に言う若者を睨みながら、鏡月は小さく唸った。

「首謀者だけか? 罰を受けるのは?」

「……」

 答えず、セイは目を細めて見せた。

「……なら、いい。静、送って行く。戻るぞ」

「はい」

 意外にあっさりと引いた若者に、静は意外そうに目を見開いたが、素直に頷いて立ち上がった。

 二人を見送って客間に戻ると、蓮が向かいの席に移って、気楽に声をかけた。

「ま、後は、あの国次第だな。他の国の助けが必要かも、治める側の力量次第だ」

「そうだな、肩の荷が下りたと安心できないけど、これも気にし過ぎだからだろうな」

「……それが、ニュースになる可能性は、ねえんだな?」

 声を潜めての蓮の問いに、無言で頷いたセイを見て、志門は不意に気づいた。

 事の発端の静の親族たちは、この国を追い出した。

 その後の話が、全く聞こえてこない事に。

 語らないセイの空気で、鏡月は気づいたのだろう。

 蓮も敢て、その事には触れない。

 それは、ああいう連中とは言え、静の親族であることには変わりない者たちの末路が、最悪な物だったと察したからだろう。

「一応、向こうには釘は刺した。でも、いずれは、あの子に話す事になるだろうね」

 静本人がもう少し成長して、どんな重みにも耐えられる心か、支える誰かを手に入れた後に、話せればいいと、セイは小さく笑った。


 十年、と一言で言うと簡単だが、速瀬伸にとっての十年余りの年月は、かなり濃厚だった。

 実の父と別れ、後継人となった金田玲司に師事し、大学まで卒業し、今は金田家の経営する病院で、研修医をしている。

 顔なじみになってしまったスタッフとのやり取りも楽しく、何より中学生のあの頃から親しくなった、玲司の甥っ子健一との付き合いも、これまでの人生を濃厚にした一因だった。

 その間に、健一の方にも目まぐるしい変化があった。

 二十代前半で結婚し、その一年後には子持ちとなった。

 金田家経営の大型店で魚を捌き、時に妻子連れで旅行に出、それなりに幸せな家庭を築いている。

 どちらも忙しく、成人してからは年末年始の挨拶に、顔を見るだけだった二人が、今回結婚式の披露宴で、久し振りに会話をした。

 一度話始めると、長いご無沙汰が拍車をかけ、悪口や愚痴も含めた話が、止めどなく出てきてしまい、

「こうなりゃ、うち来い。この際、全部吐き出しちまおう」

 健一の一声に伸も乗り、金田家になだれ込んだのだった。

 子供を寝かしつけた後、妻である朋美にも先に寝てくれと告げ、健一は焼酎瓶を抱えて客間に戻って来た。

「お前、まだ飲むのか? 会場で浴びるほど飲んでたじゃないか」

 呆れた伸の声に、男はにやりと笑った。

「明日は、休みなんだろ? オレも有休取ったんだ。久し振りに、酔いつぶれちまおうぜ」

 呆れたまま頷いた男は、小さく笑った。

「そうだな、浴びるように飲んでも、あんな面子の中じゃあ、酔えなかったしな」

 豪華な招待客が、会場には揃っていた。

 古谷家の後継ぎの結婚式は、思った以上に盛大だったのだ。

「静の奴さ、招待客の多さにも、泣きそうになったらしいぞ」

 古谷志門と、岩切静の披露宴は、仏門の家にしては、西洋寄りだった。

「式の方は、和風で厳かな奴だったらしいけどな。招待した数の客が殆ど、出席したらしいから、やっぱりすごいよな」

「あの家だけの影響で、あそこまで盛大なのなら……あの人が、もし、結婚したら、どうなるんだろうな?」

「あの人って……あの人か?」

 あの人、と差された人物に心当たりがある健一は、首を竦めて答えた。

「そういうもしもの話は、怖くてできねえけどさ……無謀だよな、あの人の周囲は」

「ああ、話を聞いた時は、随分子供じみた事をしたもんだと思ったが……」

 自分たちの中学生の時は、恥ずかしい思い出として今笑えるが、セイの周囲の連中の多くは、見た目は若くてもかなり年を食った人たちだ。

 その人たちが、セイを学校に通わせるために、一つの共同作業を実行したと、ついこの間伝わって来た。

 成功したのはいいが、果たしてそんな事をしてまで学校に通わせたい理由は、何なのだろうかと首を傾げている伸だった。

 健一の方は、もう少し詳しい話を知っているらしい。

「……なあ、お前は、叔父貴や朔也さくやさんから、聞いてねえか?」

「何をだ?」

 金田玲司は、正式に医者になった後、ある女性と入籍した。

 その女性の連れ子の金田朔也も、伸より先に医者として活躍し始めていて、先輩として尊敬している。

 その二人が係わる話かと、首を傾げた伸に、健一は声を潜めて切り出した。

「良先生が、鬼籍に入った頃だから、お前、係わってねえんだな。あの頃、若がうちの病院で、検査を受けたんだ」

「え、何か、病気なのか?」

 昔からの体質の、解明のため、だったらしい。

 セイの皮膚は、とても頑丈なのだが、一度切れたら中々塞げないのだと言う。

「怪我したら眠くなって眠り込んで、十日位目を覚まさなかったら、完全に傷が塞がって起きて来るんだってさ」

「? そんなに長く、寝込んでいたと言う話は、聞かないな」

「短時間で熟睡すれば、少しずつ塞がるらしいから、ずっとその方法で対処してるらしいんだけどさ、それに加えて、雅さんが相談してきたことがあってさ……」

 それは、怪我をすることで流れ出る、血の話だった。

「その色がさ、時々で変わるらしいんだ」

「?」

 今では、仲間内の誰でも知る事実だ。

 セイの血は、通常のものより、黒々としている。

 だが、その色が時々濃くなったり薄くなったりするのだと、雅は指摘した。

 何が原因かは分からないが、恐らくは毒素の濃度が関係しているのではと、女は考えていた。

 その濃度が変わる理由やその変わり目が分かれば、多少は怪我の治療にも、体質の改善の糸口にも近づくのではという意見で、玲司は秘かに検査を引き受けた。

 事情を説明して協力を得、血液も調べ尽くし、細胞単位の遺伝子検査も行った結果、とんでもない結果が出た。

「どんな、結果だ?」

 真剣に顔を寄せた伸に、健一は声を潜めて答えた。

「……本当か?」

「間違いない。叔父貴も朔也さんも、頭抱えてたよ。でもさ、雅さんは妙に納得した挙句、ああいう事を、実行しちゃったんだよ」

 今年の初秋、古谷家所有の山中の、ある屋敷の様な家が、突如崩壊した。

 幸い仮眠で戻っていたセイは、丁度買い出しに出ていて留守だったが、留守番していた数人が、逃げ遅れて屋敷の下敷きになり、呆然と立ち尽くした若者の前に這い出して来た。

「結構、立派な家だったのに、自力で這い出て来れたのか、その人たち。すごいな」

 そこまでして学業に身を入れて欲しかった理由は、恋愛事情の前段階を学んでほしいと、切実に思ったかららしい。

「……それは、わざわざ学校に入れずとも、教えればいいんじゃないのか?」

「だよなあ」

 家を崩壊させる行動はやりすぎなのではと、思わせる理由だったが、健一は静かに首を振った。

「そんな事、あの人たちに言うのは、自殺行為だ」

「だな……しかし、学んだあとは、どうするんだ? 相手がいないんじゃあ、先がないだろう? その、検査結果に、あの人は納得してるのか?」

 真顔の問いに、男は溜息を吐いて焼酎を煽った。

「納得しているのかは知らない。でもな、雅さんは、あの人の相手を、特定してるんだよ。いや、別に、ありだとは思うぞ? でもさ、二人の性格的に、どうなんだ、あれは?」

「おい、管まかれても、その言い分だけじゃ、分からんぞ。相手って、誰の事だ?」

「でもさあ、あの二人がくっつくと、絶対、披露宴とかそう言う奴、やることになると思うんだよ。そうすると、古谷家のあの会場でも、小さいんじゃねえかな」

 嘆いているのか楽しんでいるのか、分からない様子でふにゃふにゃと言い、健一は気持ちよさそうに笑いながら、机に突っ伏した。

 一人取り残された伸は、健一の寝顔を見ながら、ちびちびと焼酎を口にする。

 何度か、顔を合わせている若者の顔を思い浮かべ、小さく唸る。

 あの人の隣に立つ人の想像が、出来ない。

 しかも……。

 再び唸って首を振り、あり得ないと強く考えを払った。

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私情まみれのお仕事 外伝1 弟子のお話 健一とお友達 赤川ココ @akagawakoko

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