最終話 また会う日まで

「やっぱり彼女は最高だなぁ!」


 スカイ・モービルに乗り込んだエイサが賞賛を口にすると、運転席から声がかかった。

「先生、時間がないんですから急いで」

「余韻にくらい浸らせてくれよ、ドゥドゥ」

 そう答えて、エイサは子どものようにむくれる。

 コンサートはまだ序盤だが、山のように溜め込んでしまった仕事が待っているので、どうあっても帰らなくてはならない。それどころか、数日間は徹夜を覚悟するべきか。


「早く固定ベルトを締めてください。それと、口調が素に戻ってますよ」

 ドゥドゥが注意すると、エイサは固定ベルトをカチャカチャいわせながら答える。

「あーもう、今日はやめやめ。ここには俺たちしかいないんだしさ」

「この数日間、よく皆さんの前でボロが出ませんでしたよね」

 呆れたようにドゥドゥが肩をすくめる。

「まったく、自分でもそう思うよ」

 ため息まじりの投げやりにエイサはそう返す。

 そして、窓の外に遠ざかってゆくコンサート会場をちらりと振り返る。


「それで、フィオンさんとは心行くまでお話できました?」

 そう問われ、彼はひらひらと手を振る。

「見てたらわかるだろう? 緊張してろくに話せなかったって」

 ここ数日間を振り返ってみると、言いたいことの七分の一でさえも伝えられていないのではないかとエイサは思った。

「もったいない」

 ふがいないとばかりに、ドゥドゥが鼻を鳴らす。


 自分のふがいなさは承知の上だが、これでも精一杯やったほうだ。

 褒められこそすれ責められる覚えはない――などとぼやきながら、エイサは初めてフィオンと話した日のことを思い出す。


「……そもそも、ホテルでのファーストコンタクトが悪かったんだ。こっちはただでさえ緊張してるっていうのに、いきなり彼女が謝ってきたから」

 そこから自分がなにを話したのかよく覚えていない、とエイサは白状した。

 モービルを運転しながら、ドゥドゥがその言葉を聞き咎める。

「ホテル……とは?」

「だから、彼女が泊まっているホテルに――」

 そう言いかけて、エイサはしまったという顔をしたが、もう遅かった。


「……は? ふらりといなくなったと思えば、まったく。約束もせずいきなり会いに行ったら迷惑になりますよって、僕はあれほど言いましたよね?」

「だ、だって、ロビーで偶然マネージャーを見かけたから、つい……。ほら、運命かなあって思ったんだよ」

 そう言ってエイサは笑ってごまかそうとするが、そんなことでごまかされるドゥドゥではなかった。

「先生が何かするたびに僕の仕事が増えるんですから、少しは自重してくださいよ」

 よほど怒っているのだろう。心なしかドゥドゥの全身の毛がわずかに逆立っている。

「わかった、わかった、悪かったよドゥドゥ」

 エイサは全面的に自分の非を認めたあと、ぐずぐずと言葉を付け足す。


「……でもさ、おかげで彼女が誘拐されたときに短時間で救出できたし、あのマネージャーを説得して彼女を屋敷に招くこともできた」

「急な話で僕はびっくりでしたよ」

「それは本当にごめん」

 申し訳なさを声に滲ませながら、でも、とエイサは思い出す。


 急な話にも関わらず、ドゥドゥは惜しみない協力をしてくれた。

 歌姫の身を案じ、彼女の好物を用意し、カラスの捕獲にまで協力してくれた。あまりにも優秀な助手だ。彼がいてくれなければ、この数日間はもっとギクシャクしたものになっていたに違いない。

 そして今も案の定、彼は小言を並べたあとで結局はエイサを勇気づける言葉をくれる。


「でもまあ、せっかくご縁ができたんですし、後日こちらから連絡をしてみてはどうです?」

「んー、そうだなあ」

 連絡かあ、とエイサは呟く。

 浮かんできたのは、ステージ裏の光景だった。彼女は華やかな衣装をまとい、大勢のスタッフに囲まれていた。その向こうには何万という観客が彼女を待っている。

 彼女はもう、か弱い少女ではない。

 自分の手を離れて『宇宙の歌姫』へと戻ってしまった。


「……どうかなあ。相手は全宇宙で有名な歌姫で、俺は一介の作詞家でしかない。彼女にとっては忘れたいことも多いだろうから、いつまでも俺が関わったら迷惑だろう」

「本当にそうなのか、フィオンさんと気の済むまで話してみればいいんですよ」

 ドゥドゥが放った言葉に、エイサは思わず喰らいつく。

「ちょっとそれ……どういう意味だ? なにか知ってるのか、ドゥドゥ?」

「さあて、どうでしょう? 僕の口からはこれ以上言えません」

 取りつく島もない助手に、エイサは大きなため息をついてだらしなくシートにもたれかかる。


「……話すって言っても、なにを話したらいいのやら。って? いまさら?」

 エイサは自分自身の言葉に呆れて鼻で笑った。

「それで充分ですよ。そもそも、あのマネージャーさんはそのことを知ってるんでしょう?」

「そうだな。だからこそ俺を信頼して歌姫を預けてくれたわけだけど」

「だったらフィオンさんにバレるのもどうせ時間の問題じゃないですか」

「うーん、まあ、一応口止めはしたつもりだけど」

「あの様子だと、忘れていると思いますよ」

 フィオンは可愛いと、その溺愛っぷりをさらしていたグリーズの姿を思い出す。自分もあそこまで正直になれたらいいのだろうかとエイサは思う。


 そして、彼女と自分とではやはり住む世界が違うのだと再確認する。

 そのあいだを繋ぐものといえば、あまりにも細い糸だけだ。


 ――エイサ・エトワールの名を有名にしたのは、とあるニュースだった。

 辺境の銀河に隕石群が飛来し、いくつもの惑星が壊滅状態に陥った。

 その惑星から脱出したわずかな生存者は幾日も宇宙空間をさまよい続け、食料も尽きて死を待つばかりだったが、そのとき、宇宙船が惑星からの電波を拾った。

 それは音楽で、エイサが作詞をしたものだった。その歌詞に勇気づけられ、彼らは生きる希望を得たのだという。

 そのエピソードは銀河中の涙を誘い、エイサは一躍有名になった。


 仕事の依頼が殺到する中で、エイサは一人の歌手がデビューしたことを知る。

 彼女は、壊滅した惑星群の生存者たちと同じ髪の色をしていた。

 彼女の過去を知るうち、エイサはその美しい歌声に惹かれている自分に気付いた。

 もともと才能があったのだろう。彼女はみるみるうちに人気を得て、ついには宇宙でもっとも有名な歌姫として知られるようになった。


 大災害で故郷と家族を失ったという彼女の過去が、人々の同情を誘ったのかもしれない。

 しかし、そんなことはどうでもよくなるくらい彼女の歌声は美しかった。もし彼女が、あの日、宇宙船の中であの曲を聴いていたなら。そんな馬鹿げた妄想をすることもあった。

 しかし、どうやらその妄想はあながち間違っていなかったらしい。その意味を深く考えようとして、エイサはあっさりと思考を放り投げた。

 いつか、彼女自身に聞いてみればいい。


「……疲れたけど、本当に楽しかったなあ。この数日間」

 ひとつひとつの出来事を思い出しながら、エイサはシリウス・ペンをくるくるともてあそぶ。

「よいことです。さあ、飛ばしますよ」

 そう声をかけ、ドゥドゥはスカイ・モービルのアクセルを全開にした。ふたりを乗せたモービルが青空に吸い込まれる。

 惑星オラシェの街並みが、眼下に沈んでゆく。


 フィオンの声はもう届かない。

 振り返ると、コンサート会場の上空に虹色のオーロラが揺れているのが見えた。

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歌姫と彗星カラス ハルカ @haruka_s

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