暮れゆく空色

まゆし

暮れゆく空色

 私は、いつか言った。

「行くなら、海にいきたい」

 貴方も、いつか言った。

「いいね、僕も海は好きだよ」


 何気ないやり取りが、これから世界に絶望した私たちが心中しようという流れになった気がした。

 そしてずっと一緒にいることができると思った。しかしこれは大きな勘違いで、私が一方的に勝手に好きなっただけで、一方的に愛していただけだった。


 ひとり私は夜の海に身を投げた。


 ☆☆☆☆☆


「おねえさん、おねえさん」


 私は重いまぶたを、ゆっくりと開けた。景色はよく分からない。朝なのか昼なのか夜なのか。朦朧もうろうとする意識。蒼玉サファイアの眼を持った少年が、私に声をかけて視ていることだけがわかった。その眼は吸い込まれてしまいそうで、実際に吸い込まれてしまいたいと思う。

 吸い込まれて、いなくなってしまいたい。


 ──なんて綺麗な天空の眼なのかしら。


 私の眼から涙が、一粒ぽろっと落ちた。


「おねえさん、動ける?」

 少年が問いかけてきた。

「……わからないわ」

 身体も心も自分の状況も何もかもがわからなくてそう一言だけ、聴こえるか聴こえないか程度の掠れた声で私は答えた。


「じゃあ、僕たちのところへ連れて行ってあげるよ。寒いでしょう。すぐそこだからね」


 少年はそう言うと、白く細い腕で私を立ち上がらせて、おぶった。一体、どこにそんな力があるのかわからないけれど、何もかもがどうでもよかった私は拒絶もせずにおとなしく少年に身体を預ける他なかった。


」と少年は言っていた。でも何故か、私の身体は寒さを感じていなかった。少年の背中からも体温は感じられない。濡れた身体は冷えきっているはずなのに。

 唯一心だけが冷えていて、氷を敷かれた上に置かれたように寒かった。


 私は何をしようとしてたのかしら。あぁ、死のうとしたんだったな。失敗したのね。彼の言うことを全て信じて、全てを受け入れて、全てを愛した。けれど、彼はあっさりと私の前から消えた。

 要するに、捨てられた。


 私は、『人間』という種類の欠陥品。


 こんな私に何ができるのかと考えた時。何もないという結論に至り、私の眼は陰り、この世の闇を眼に宿して死を選択した。


 だが、それも失敗に終わったようだ。

 次は、もっと確実に……


「おねえさん、着いたよ」

 少年の声で、ハッと我に返る。

「これから、修理点検メンテナンスを始めるよ」

 近くから、別の声がする。


 ──修理点検メンテナンス


 私は自分の状況を確かめる。真っ白な天井に壁。私の身体はベッドに横になっている。拘束などはされていない。

 先程の少年と、もう一人少年が横で視ている。二人とも顔の造型が全く同じといっていいほどで、双子の様だった。今、会ったばかりの少年は、眼が菫青石アイオライトで、二人の眼は少し色が違う。


「僕たちも、自動人形オートマータだからね」


 僕たち?まだ働かない頭の中をフル回転させて、言葉の意味を何度も何度も繰り返して考えた。

 思考した結果が導きだしたものは『私は自動人形オートマータである』ということを、その事実を、彼らは突き付けようとしている。


 菫青石アイオライトの眼を持つ少年が、「じゃあとっととやってしまおう」と作業を開始しようとした。


「ちょっと待ってよ!どういうことなの!?君たちは何なの?私はどうなるの!?理解できない!ただ死のうとしていただけなのに!どうしてこんなことになったのよ!」


 私は混乱して勢い良く悲痛な思いの丈を、思い切り叫んでしまった。私は『人間』なのよ。決して自動人形オートマータなどではない。

 彼を愛したという愛情を、死のうとした絶望という感情を知っている。何より、心はすでに言葉にできない程の哀しみで氷のように冷えきっている。


 二人の少年は、顔を見合わせた。

 そして、菫青石アイオライトの眼を持つ少年が話し出した。


「えぇと、僕がスミレ。こっちがソウ。双子型だから、眼の色で判断してくれると助かるかな。基本的には服装も同じものしか持ってなくてね。そんで、ここは研究所ラボ研究所ラボとはいっても、主に二人で自動人形オートマータ修理点検メンテナンスをやってる」

「ちなみに、僕たちは修理点検メンテナンス専用型の自動人形オートマータだからね。おねえさんの状態からすると修理リペアしなきゃいけないかな」

 と、ソウと呼ばれた少年は、スミレの発言に付け足した。


「君は、ちょっとした障害アクシデントが起きてしまったようだね。自動人形オートマータであることも、自動人形オートマータの役割も、忘れてしまっているようだし」

 スミレはそう言った。


 障害アクシデント?役割?何のことなの?彼らの言葉の意味が理解できない!私は……『人間』じゃない?


「君の持つ眼は、灰簾石ゾイサイトだね。スーサイドと間違えないように、タンザナイトという名前があることは、知ってた?」

 ふふっと笑って、ソウが言った。


 急に、頭の片隅に砂嵐のようなノイズがザザァとよぎる。思考回路が機能し始めた。


 私の眼は『ブルーゾイサイト』と呼ばれた鉱石が嵌め込まれているってことね。それが『ブルー・スーサイド』と聞き間違えられないように『タンザナイト』という名をもらったという経緯があると。


 ──そういうことだったのね。


 まさか、自分自身が間違えてしまうとは思いもよらなかった。何らかの衝撃ダメージで、私の思考回路の一部が変化してしまい例外イレギュラーが発生し、自分のあるべき姿を忘れてしまった。

 だから『人間』だと思い込んでしまった。海に身を投げ出してしまったのだ。スーサイド。


 もうただ、じっと眼を閉じて修理リペアが終わるのを待った。自動人形オートマータにとって、通常では考えることができない感じることができない、貴重な『感情』を思い出していた。

 でも、途中からそれは切れ切れになっていって、今までの『感情』は遠くに去っていく。どんなに手を伸ばしても、もう届かない。そして、ついに手を伸ばそうとしなくなった。


 ──終了。


 ──私は全てを思い出した。


 私は灰簾石ゾイサイト、タンザナイトの眼を持つ自動人形オートマータ


 自分を『人間』と思い込んでいた欠陥品、だった。ただの故障アクシデントが起きただけ。例外イレギュラーが起きただけ。それは消去デリートされた。

 自動人形オートマータとして最初から存在する欠陥部分に関しては『これは欠陥ではありません』と頭の中に入力インプットされた。

 私は欠陥ではない欠陥を持つ、自動人形オートマータ


 私たちの存在が必要があると判断された時、現れる。そうして、ずっと旅をする。


「あ、おねえさん。ちょっと待って」

 ソウと呼ばれていた少年が呼び止める。

「はい、これ」

 私の手に乗せられたのは、灰簾石ゾイサイトの欠片。青い硝子ガラス光沢を輝かせる。手に乗せられた欠片をじっと視ていると、ソウは言った。


「おねえさんの、『涙』だよ」


 彼を愛し絶望した『感情』は、故障アクシデントによる例外イレギュラー、錯覚をした在りもしない『心』であった。それはもう修理点検メンテナンスと再度の情報処理プログラミングにより、無くなっている。今は一つとして寂しさや哀しみはない。誰かを愛する『心』も無い。

 手のひらの綺麗に磨かれたような小さな欠片は、もう思い出せもしない『経験』と『感情』を閉じ込めて美しく煌めいた。


 それを視ても、私は何も感じない。捨ててしまってもいいし、ここに置いていってしまってもいい。持っていることに意味はあるのか。私の手に乗せられたから、ただ持っている。


自動人形オートマータの『涙』は、とても珍しいんだ。人間と同じように涙を流すことは、僕たち自動人形オートマータには、あまり無いことだからね。僕たちは役割の都合上、おねえさんよりも少し『感情』があるけれど、それでも涙が出る程にはならないんだよ。だから、海辺で拾っておいたよ」


 そう言われても、やはり何も感じない。珍しいから何だというのか。


「今度は、海に落ちる前に修理点検メンテナンスに来てよね。まぁ今回は僕たちの存在も忘れてたから仕方ないけどサ」

 そっけなくスミレが言った。

スミレは、あんな風だけど。自動人形オートマータたちのことを、とても心配しているんだよ。言葉が足りなくてごめんね」

 優しくソウが詫びた。


「ありがとう」機械的に一言告げた。


 私は、美しく煌めいた宝石を持って研究所ラボを出ようと動きだす。愛着というものすら無い宝石を、無造作にコートのポケットにそのまま入れようとした。


「あ、おねえさん。それは貴重だから……うーん。僕たちが預かっていようか?」

 ソウは私が手のひらの宝石に価値があると判断していない為、貴重品を貴重品として扱わない様子を見るに見かねて声をかけたようだ。


「じゃ、お願い」


 美しく煌めく宝石らしきものは、ソウの手にぽんと預けた。


 私は自動人形オートマータ


 だから、また旅に出る。

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暮れゆく空色 まゆし @mayu75

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