焦燥、清算。
まさか、と思った。
何度確認しても同じ名前だ。
「
「こんなの、簡単にいくわけはないな。」
ため息を深く吐き出し、強めのミントタブレットを噛み砕いた。
爽やかで冷たい感触が口に広がる。
キーボードを叩く指はどんどん重くなった。
その度にまた指は加速する。
きっともう、遅いんだ。
「沙弥に知れたら……縁を切られてしまうだろうか。」
・
・
だんだん部屋に近づいている。
誰か来るなど連絡はなかった。
そもそもここに人を呼ぶことは滅多に無い。
なのに、家の前で足音が止まり、金属音が響いた。
ゆっくりと部屋の鍵が回り、扉が開く。
薄暗い部屋に明かりがさした。
ここの鍵を渡した相手は一人しかいない。
肩の力を緩めたまま、武器も持たずに無防備に明かりを眺めた。
「やあ、洋岸君。邪魔するよ。」
透き通るその声は。
輝く細やかなその髪は。
美しく煙る、その眼差しは。
「苗字で呼ぶなんて意地悪だな。」
沙弥だ。
「それに突然俺の部屋に来るなんてどうしたんだ。
今は危ないから一人で動くなと言ったろう。
連絡をしてくれたら俺の方から行くのに。」
「急ぎでね。色々直接相談したいんだ。」
狂おしく、会うたびに胸が苦しくなる。
本気になれば離れると警告をされているのに、友人でいたいと自分でも思うのに何故だろうか……全く止められない。
「そろそろ誤魔化すのをやめる時間だ。」
言ったのは沙弥だ。
「なぁ、景樹君。きみはずっと私に誤魔化していることがあるだろう?」
泣きそうな顔になったのは自分でも分かった。
沙弥はそれを眺め、少し寂しそうに笑った。
「緊急事態だ。まだ君と離れるつもりはない。
……だからこそ、話す時間なんだ。」
沙弥の顔が近づいた。
キスでもしてやろうか?
沙弥は目の前のむすっとした顔に、ほんのり口元を
「私の名を、君は裏で何と呼んでいるんだ。」
「藤枝さん。」
「嘘つき。」
沙弥を、『沙弥』と、
面と向かって呼ぶことは避けていた。
気持ちが破裂してしまうから。
「抑えきれなくなってしまうよ。
それは望まないんじゃないか?」
「そうだが、もう清算だ。
気づいているだろう?何をしても君は私にふられると。」
やめてくれ。
「なぁ、お互いに男らしくなろう。」
「そんな華奢な体と高い声で何を言う。」
悪戯に沙弥の胸にふれた。
沙弥の顔色は何一つ変わらない。
「それで気が済むなら好きなだけ触れ。
襲いたいなら好きなだけ襲え。
君の欲しいものは何をしても手に入らない。」
目の前の残酷な綺麗なヒトは、冷たく突き放し続けた。
「観念したまえ。
私は大切な友人を守るために覚悟を決めてきたのだ。」
言いたくない。
まだ、茶番でいられるならそうしたい。
「言えよ。」
「……好きだ。これで良いか?」
「違うだろう。まだある。」
「沙弥、好きだ。
君の心が女でなくとも。見た目が石ころや汚物に変わろうとも、沙弥として好きだ。」
冷たい針を無数に刺されたような痛み。
目線を、沙弥に向ける事が出来ない。
視界がぼやける中、恐らく笑ったであろう沙弥の吐息に愛しさを感じた。
そしてそれは冷えきった鋸でひかれるよう様な痛みを産み、……―心はさらにぐずぐずになった。
「今日だけサービスだ。
その泣き顔を私の服で拭いても良い。」
両手を広げて優しく待つ沙弥に、
俺はゆっくり……近づいて、抱きつき、
「私がどう思おうと君の気持ちが簡単に変わらないように、……
私が君を『大切な友人』だと思う気持ちも、簡単に変わらないんだ。」
沙弥の―…細く柔らかく、あたたかい指が頭を撫でた。
・
・
長らく、どの程度か分からないが、疲れきって眠気がくるほど泣き、落ち着いた頃に沙弥にキスを頼んだら断られた。
「サービス終了早くない?」
「襲っても良いと言った時に襲わなかったろ?
手を出すのを嫌がっているのは景樹くん、君自身だ。」
「
二人で軽く笑い合うと、また、目線があった。
沙弥も泣きそうな顔をしている。
「君と友達になりたかったんだ。本気で。
だから、私もその意味ではふられている。」
その悲しい笑顔を見ると、引き裂かれたような心の痛みに少しだけ違う感覚が混ざった。
「俺も沙弥をふったのか。」
笑いながら返すと、沙弥も声を出して笑ってくれた。
「けじめだ。私にも『くん』をつけてくれよ。
恋心をすぐに消せなんて言わないから……私の君と友達でいたい望みを少しだけ叶えてくれ。」
「……やだ。」
「私の胸に触ったり抱きついたり体液をおしつけたりしたじゃないか。」
最後の言い回しが変態くさいな。
だけど
「やだ。『沙弥くん』なんて気持ち悪い。」
「じゃあ洋岸さんと呼ぶぞ。」
それだけはもっと嫌だ。
「サヤくん。」
また、お互いに笑った。
・
「急いでごめん。」
「大丈夫だ。俺もやばいと思っていたからな。」
改めて、互いの情報と不安を話し合った。
共通して『町田旭が危険』『相手に勝てない』
それだけがすぐに分かった。
「黒幕には勝てない。だが、
「は?」
サヤは目を丸くした。
「
「
「思い出せ。
俺はサヤに、祥子の写真を見せた。
藤枝沙弥の 事務所。 匿名 @Nogg
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。藤枝沙弥の 事務所。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます