外鍵の籠。


崎田さきた菜穂子なほこは怯えていた。









正直、あの男を雇った時から疑っていた。

明らかに犯罪者の目をした男。


案の定男は、加賀沙弥―今は藤枝沙弥か……彼女をボロボロにして運んできた。

彼女の足は大きく腫れており、衰弱していた。


鎮痛剤と睡眠薬を飲ませ、横たわらせる。

患部を冷やし、キッと睨むと男は笑った。

「アンタの力で治せるのに何故そんな事をする。」

「……私は、看護師だから。」

無駄に患者に苦しんでもらいたくない。


力が効くまでの間、その苦しみも和らげたい。

それだけなのにどうしてこんな下品な男に笑われなくてはならないの。


「二人きりにさせて。あなたは洋岸君に報告するんでしょ。」

「苗字で呼ぶと嫌がられるぞ。……だが、少し急ぎの報告があるんでな。

無駄話はこのくらいにするよ。」


男は大声で話していた。

護衛の女を殺したこと、町田旭を殺し損ねたこと。

……これからすぐに町田旭を殺しに行くこと。


うんざりだ。

何が、話し合いだ。

こんなの、拉致じゃないか。

指先から溢れる温かな形容しがたいものが沙弥を包んだ。

「ゆっくり眠って……休んで。」


男が出ていく音がすると今度はバタバタと慌ただしい音が聞こえた。

洋岸砦が声をかける。

「崎田さん。急ぎで荷物を纏めて。このままじゃ殺される。」

血の気が引いた。

なに?殺される?

「どういうこと!?田村くんは買い足しに出ていってしまったわよ。」

「彼には僕から連絡する。

とにかくすぐに出るよ。その女の囲いのヤバイのが凄いスピードで来てる。」

「トムさんは?」

「彼は先に大物を持って避難先に移動した。

トラックが折り返してくるから、僕らはそれで逃げる。」


砦の能力は今回の情報。

世界を全て把握できる沙弥が変えた、この世界の新しい情報を把握することが出来る。

与えられた能力ギフトの強さは前の世界の行動次第と言うが……彼はどの程度なのだろうか。

……どこまで読んで、どこから演技で、どこから本気でその驚いた顔をしているのだろう。


心のどこかで、じわじわと彼を疑っている。


沙弥の苗字が藤枝に変わった事は沙弥が変えたことだろう。

聞いた話が本当ならば読める筈なのに、田村が調べるまで知らない様子だった。

田村は気弱で、砦に嘘をつけるような人間ではない。

しかも、田村の能力は弱くなると神に告げられたらしい。

ならば、この曖昧な洋岸砦の能力ギフトは……。


深く考えながら荷物を纏めていたら、両手に荷物を抱えた田村が帰ってきた。

「良かった!崎田さん、彼女を治してくれたんですね!」

「……ええ。その大荷物は?」

「買い出しの途中で砦さんから連絡が来まして。

細かくは言えませんけどその関係です。」

田村にだけ連絡をしない可能性があったが、きちんとしていたのか。

ほっと息をつき、水を田村に渡した。

嬉しそうに田村が礼を言って飲み干した。

「田村くん、その指示だけれど―。」

「あ!駄目です!

崎田さんが今忙しそうにしてるのも砦さんの指示ですよね?

追加指示で『その指示を終えるまで絶対に口に出さないで欲しい』と言われたので俺にも言わないでください。」

再び荷物を抱えた田村は、砦の方へ向かった。



そして、田村は……報告を耳打ちで済ませると、その場に倒れこんだ。

「どうしたの!?」

「落ち着いて崎田さん。……なにか飲ませた?」

砦は田村の口の前に手を翳した。

「疲れていたようだから水をあげたわ。」

「普通の?」

「ええ。そこのウォーターサーバーのものよ。

私も飲んだけど…確かにただの水のはず。……眠ってしまったの?」

田村は寝息をたて始めた。

砦が軽く頬を叩くが、首を振った。

深く眠ってしまっている。


どうしたものか悩んでいたら、外が明るく光った。

中型のトラックだ。

中からすらりと影だけでも美しさがわかるものがおりてきた。

「誰?」

その影がこちらへ来ると、砦の顔は一気に愛おしげに、優しく、狂おしく、恋しく。

見たことのない顔に変わって、そして抑えつけるように…一秒もせずに落ち着いた。

祥子しょうこさん。彼女は僕らを逃がしてくれる人だ。早く行こう。」

「でも、田村くんは……?逃げないと命が危ないんでしょう?」

砦は笑顔で応える。


「大丈夫、連絡はしたから。」


笑顔は柔らかなのに、鋭い何かで張り付けられたように何も言えなくなった。

祥子と呼ばれた美しい女性も笑う。

「一人は寝てしまったのね。

安全のために早めに来たけれど、まだ時間はある……と聞いているわ。」

砦が頷いた。

彼女トリガーが起きる前にここを出れば問題ない。

崎田さん、あれはいつ起きる?」

アレ?沙弥の事か。

「……さっき処置したから……乱暴に骨が折られていたし、一日半~2日くらいね。」

「一日をきることは?」

「無いわ。」

砦は目と口をさらに笑顔に曲げた。

「田村が疲れて寝たにしても24時間も寝こけることは無いだろうし、大丈夫だよ。

念のため、崎田さんが田村に飲ませたコップを貸してくれる?」

おずおずとコップを砦に渡した。

「あら、彼は薬で眠らされたの?」

聞いたのは祥子だ。

「疲れているだけかもしれないけれど、念のために。」

「私がやるわ。」

続けて、止める間もなく祥子はコップを奪い取って淵を舐めた。

「彼は水を飲んでから眠るまでどの程度かかったかしら?」

「そ、そんなには……なので、それほどの薬がコップについていたとしたら相当な濃度になります。」

「やめてよ祥子さん。僕が運転する羽目になっちゃう。……一応まだ15なんだけど。」

狼狽える砦ににっこり祥子が笑うと、時計を見てしばらく待った。


数分後、小さく、祥子の笑い声が響いた。

「当たりよ。とても眠い。」

「もー。」

「ナビはつけるから……貴女、運転できるでしょう?」

祥子の艶っぽい声が急に此方に向いた。

「は、はい。」

驚き、素直に返事をしてしまった。

「崎田さん運転できるんだ!助かったー。」

砦は子供っぽく喜んだ。

「前ならともかく、僕はまだ見た目でわかるくらいの子供だから見つかれば一発アウトだよ。」


あれよあれよと、

運転席に座らされ……荷物をテキパキと荷台にのせ……、

田村を残してトラックが発進した。










全て落ち着き、祥子の用意したホテルの部屋に入った。

一人にして欲しいと伝え、部屋の鍵は二重にかける。


情報を整理しよう。

実感がわかない。



死んだのは沙弥の骨を折ったあの男。


田村は、正直死ぬと思っていた。

生きているようだ。



持ち込んだ荷物からノートパソコンを出し、開いた。

が、ネットが繋がらない。

LANを挿す場所もない。

備え付けの電話……線も切れている。

「は?」

慌てて見渡すが無線機が一つベッドに置かれているだけで、連絡手段がなくなっている。

手持ちの携帯電話も役立たずだ。

慌ててドアへ駆けつけ、鍵を外してノブを回し――回せない。

金属音がなり、ノブが動かない。

ガチリガチリと。

ノブは滑りやすく丸いもので、体重をかけてまわしたりはできなさそうだ。

「……やられた!」

窓の外の景色は素晴らしく、高層ビルの建ち並ぶ素敵な夜景が拝める。

つまり、高層階だ。窓から逃げることも出来ない。


―――閉じ込められた。


何度見渡しても罠のような無線機しかこの場を動かせるものがない。

恐る恐る無線機を使った。

「あら。遅かったのね。」

透き通る鋭く冷たい声。

針を隠した真綿のような。

声色は柔らかく、刺々しい様には聞こえないのに。

首筋に冷や水が伝う感覚。

「どういうこと?……ですか。

それにあなた…眠っていたんじゃ。」

崎田さきた菜穂子なほこさん。」

ビクッと肩が強張る。

「貴女もトムみたいに可愛ければ良かったのに。」

クスクスと笑い声が響く。

おつむが中途半端ね。


田村を眠らせたのは私よ。

あのコップ、内側と淵にぐるりと薬を塗ったの。

わかってて馬鹿みたいにそのまま舐めるわけないじゃない。

だけよ。


あのタイミングで田村に飲ませるように仕組んだのは砦。

貴女とトムには『今すぐ避難するから準備しろ』

田村には『暫く籠城するから準備しろ』

そうしたら田村はあのトリガーとあそこで二人、暴走した追手と出くわし、撃たれて死ぬ運命だった。

本当は殺したかったの。


ねえ、なんで田村は生き残ったのかしら?


ねえ?わかるかしら?


とてもとても不愉快なの。」


私はずっと、洋岸砦が全てを企てていたと思っていた。

祥子を見たのは避難したあの日、あのトラックからおりたのが初めて。


コップに薬を塗った?

馬鹿な。あそこにコップを置いたのは前日だ。

前日に置いたコップを?私がそれを選んで田村に渡すと計算して……。

いや違う。そもそも色々おかしい。いつから見ていた。

いつから傍に居た。


「砦はとても可愛いのよ。」


砦が全てを祥子に渡していた?

まさか、祥子も何かの力があるのだろうか。

「……あなたは、どんな能力ギフトを貰ったの?」


祥子は恐らく、微笑んでいるだろう。

驚いたような吐息など何もなく、「いいえ」と、落ち着いて否定した。


「砦は嘘を言っていないわ。

私は、前回……カミサマから贈り物なんて貰っていない。」


ならばなんで?

「そんなの嘘よ。」

消えそうな声で抵抗した。


「嘘だとすると田村の能力か田村自身を疑うことになるわ。

田村は確かに能力が劣っているけれど、国内に関しては贈り物を受け取った全ての人間を把握している筈。」

何故それがわかる。

ただ、それより何より……私はこの声の主を人とは思えなくて。

「貴女は人間ではないんですね。」

素直に伝えた。


祥子は、フッと大きく息を漏らした後に、大笑いをした。


上品だった彼女の声を忘れるくらい壊れた声でカタカタ笑った。

永遠とも思える恐ろしい時間を、青ざめながら固まって棒立ちになり…耳に流し込まれた。



そして、満足した彼女がこたえる。




「そうであれば良いわね。」






無線は無情に切られた。


力無く、だらんとのびた腕の先から無線機が落ちた。






















そして、崎田さきた菜穂子なほこは監禁された。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る