犬神憑き

 ある噂が聞こえてきた。都から南の山に恐ろしい二匹の黒犬がいるという。身の丈は大人の男ほどもあり、熊ですら襲い食らう。

 そこは山賊が巣くう山であったが、今はその姿は見えないらしい。彼らは全て二匹の黒犬に食われたと周辺の人々は考えている。そして恐怖した。いつか犬に自分たちも食われるのではないかと。


 この噂を知った安乾家当主は、元服が近い息子に山へ向かわせ、この黒犬を犬神として使役させることにした。

 犬を犬神にするには呪法を使うが、まれに自然に犬神に成ることがある。またこの犬が犬神でなくとも、山賊や熊を食らったのが本当ならば強い犬神に成る素質はあるはずだった。

 蓮は幼少から犬神使いとして修業をしており実力は申し分ないが、安乾家の秘伝で調整した犬しか犬神にしたことがなかった。なので野良の犬神を使役するのは良い修行になる。

 そして山へ向かった蓮が見たのは一匹の大黒犬と、犬神憑きの男だった。


 玉と名付けられることになる男は、物心がつく前に犬神憑きとなった。

 犬神憑きは陰陽師や、安乾家のような呪法使いに頼めば祓うことができる。しかし貧しい村の農民にそんなものを頼むための銭があるはずもなく、役に立たない者は間引かれるのが普通だった。

 だが殺される前に犬神憑きの本能によって逃げ出した。幼い姿であろうとも、犬神憑きは常人とはかけ離れた力を持つ。手に棒を持ち追いかける家族から、難なく彼は逃げ切った。

 それから年月が過ぎ、切ることを知らない髪の毛が背中へ垂れるほどになったころ、一匹の黒犬と出会う。全身が濡れ光る黒い毛で覆われた大犬。これもまた犬神であった。

 生物の本能か、または犬神としての呪の相性か、一匹と一人は家族となる。大黒犬を犬神憑きは親と慕い、共に狩りをする暮らしを続け、新しく家族となる蓮と出会う。


 犬神は犬ではない。飢えに狂い呪となる。

 犬神憑きは人ではない。言葉を解さず吠える。

 それでも犬神憑きは満たされる。主との絆、優しさと慈しみで。

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黒犬玉 山本アヒコ @lostoman916

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