神さまとサボタージュ
うにまる
神さまとサボタージュ
僕は雑居ビルの屋上にいた。
靴も脱いで準備万端のはずだった。
なのに。
「それにしても、今日は一段と冷え込むわね。 ついこの間までやかましい夏だったはずなのに」
『私は神さまだ』と名乗る女の声が、先ほどから僕の背中めがけてひっきりなしに話しかけてくる。
僕はとうとう
ひとり、セーラー服姿の少女が立っている。
長い黒髪を冷たい風になびかせていた。
「どこからどう見ても女子高生なんだけど」
「どこからどう見ても神さまでしょ。 失礼しちゃうわね」
はぁ……、きっと疲れすぎて幻覚をみているんだ。
「どうして神さまがこんなところで突っ立っているの」
僕は目頭を押さえながら適当に尋ねた。
「実は私、ずっと前にここから飛び降り自殺をしたの。 ほら、このビルの六階に塾があるでしょ? 元々そこに通っていたんだけど、受験戦争で全てが嫌になって、それで。 気づいたら私は神さまになっていて、ここに居続けなきゃいけなくなった」
たしかに、この雑居ビルには塾があり、そしてまた僕の働いている会社もあった。
神さまの発言は本当なのかもしれないが……、やっぱり
どうしたものか……。
神さまの対応に思い悩むのも
飛び降りたらすべて終わるじゃないか。
「神さまに見守られながら死ぬなんて、人生最期に面白いエピソードが出来たよ。 それじゃあね、神さま」
僕は全身の力を抜いて、前のめりに……。
「ちょっと待って!!」
僕の身体は神さまの声にぐいと引っ張られ、あえなく落ち損なった。
「まさかあなた、その髪で死ぬつもりじゃないでしょうね?」
「髪……?」
僕は無意識に右手でボサボサの髪を触っていた。
「今死んだら、あなたはずっとその格好で神さまとなり、ここに居続けなければいけなくなるの。 あなたはそれでいいかもしれないけれど、一緒に居なきゃいけない私の身にもなってよ。 せめて身なりを整えてから死んで」
僕はもう一度後ろを振り返った。
ひとり、セーラー服姿の神さまが立っている。
「……わかったよ」
僕は
靴紐を結んでいる間、神さまはというと屋上の入口付近に設置されている自販機をいじっていた。
がたたん、ごとん。
がたん、ごととん。
僕が靴紐を結び終え、二、三歩進んだころには、神さまは自販機の近くにあるベンチの片隅に座り、僕を見ながら手招きをしていた。
どうやら隣に座れということらしい。
「あなた、いつの日か雨の降る夜に、ビニール傘をこのビルの入口に忘れていったでしょ」
「えっ」
「もっと正確に言うと、ビニール傘をわざと置いていった。 私の予想だけど、入口でただひとり外の雨を眺めていた女子高生に、ビニール傘を使ってもらいたかったんじゃない?」
「それは、えっと……」
「あなたはスーツをずぶ濡れにしながら帰っていったけれど、結局その女子高生、迎えにきた車に乗って帰ったのよ」
「そ、そんな……」
「神さまにはなんでもお見通しなの」
そう言いながら、神さまは右手に持っていたコーンポタージュの缶を僕に差し出した。
「そんな
僕は言われるまま受け取ってしまった。
さらにはベンチにまで腰掛けてしまった。
両手はじんわりと暖かく、お尻はひんやりと冷たかった。
かちゃっ。
ふーふー、ことことこと。
「んー! やっぱ寒い日はポタージュに限る!」
「ずいぶんと子どもじみた神さまだね」
「そりゃもちろん、いつまで経っても高校生だからね。 正真正銘、永遠の女子高生」
僕も神さまと同じようにポタージュを
安っぽくて甘ったるい味。
けれど、神さまの言うとおり、冷えた身体には心地よかった。
「私ね、死んだらラクになると思っていたの。 青春の全てを勉強に捧げ、友達も離れ、家族からのプレッシャーに耐えながら、ひとりぼっちで進んでいく人生よりもずっとラクに。 だけど、どうやら違うみたい。 寒空の下、ひとりぼっちでここにずっといるのは……退屈だよ」
僕はただ、灰色の空を見上げることしか出来なかった。
「まぁ、あなたをみていると、大人になったところでラクにはならなさそうね」
「大人は……大変だよ」
気づけば僕は、自殺を決心するまでの
思いのほか、神さまが聞き上手だったせいかもしれない。
「いわゆるブラック企業ね、ご
神さまはすっかり飲み干した缶を斜め上に傾けて、底をコンコンと叩いている。
「ずいぶんと庶民じみた神さまだね」
「神さまだって、食べ物は大切にしなきゃ。 そういえば今日は仕事、休みなの?」
「いいや、死ぬつもりだったから無断欠勤」
「サボったんだ。 いけないんだー」
神さまはイタズラっぽく僕をからかった。
そして、ひょいとベンチから立ち上がる。
「だけど、サボってよかったじゃない。 だって、私と会えたんだから」
神さまは僕に背中を向けたままゆっくり歩いた。
「それに、私もサボってよかったよ。 だって、あなたと会えたんだから―― 」
神さまが僕の方に顔だけ振り向けたとき、どこからか
僕は思わず
「やっぱり今日は寒いわね」
神さまの黒髪が大きく揺れていた。
「それじゃあ、僕はそろそろ帰るよ。 ありがとう、神さま。 またいつか」
僕はベンチから腰をあげ、また歩き始めた。
足取りが随分と軽くなっている。
なぜだろう、死ににきたはずなのなのに。
きっと、神さまの……おかげかな。
僕は屋上に一ヶ所しかない錆びた扉をぎぃと開けた。
下に続く階段をひとつずつ踏んでいく。
こつこつこつこつ。
とんとんとんとん。
……ん? 足音がふたつ?
「あれ、なんで神さまも付いてきているの?」
「なんでって、そりゃ塾に戻るためよ」
「え?」
「それに、私は神さまなんかじゃない」
「神さまじゃ……ない?」
「せっかく塾を無断で休んでここに来たのに、先客がいたから……死にそびれた」
「じゃあ君は……」
「ほら、早く前に進んでよ、ビニール傘のお兄さん」
僕はもう一度だけ後ろを振り返った。
ひとり、どこかで見覚えのある少女が笑っていた。
神さまとサボタージュ うにまる @ryu_no_ko47
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