『恋愛連峰』

倉井さとり

『恋愛連峰』

「なぁ、やなぎ


 俺は、隣に腰掛ける女子生徒に声をかけた。


「どしたの?」


 柳は、読んでいた文庫本から顔を上げ、めんどくさそうに返事を寄越よこした。


「いや、ただひまだなと思ってな」


 声をかけたものの、別段べつだん、用もなければ話題すらもなかった。つまり、ただ座っているだけの図書委員の仕事にきてしまったというわけだ。


「本でも読んだら? しきれないくらいあるんだからさ」


 そう言うと柳は皮肉ひにくめいたみを浮かべた。

 柳――フルネームは『柳あんか』という――は俺と同じく図書委員のにんっている。はずなのだが、先程から本に夢中で、仕事をほっぽっていた。そんなだから、本の返却カゴは一杯になり、本が山積みになっている。

 対する俺はというと、生徒たちから返却される本を受け取っては、器用に本を積み重ね、山を大きくしていた。まあだから、俺も同罪どうざいというわけだ。


「よくこんなに重ねたもんだね。さて……そろそろ仕事しようかな」


 言って柳は、なにを考えたのか本の山をくずし始めた。


「ああ……バベルのとうがぁ……」


「なに、バカ言ってんだか……まったくもって、さい河原かわらだね」


 柳は本を目一杯かかえると、本棚ほんだなの向こうへ消えていった。


「このおにめが!」俺は芝居しばいがかった声を上げた。


「図書室ではおしずかに!」


「すまん。あまりにひまで、つい」


「だから本でも読んだら? くさるほどあるんだし」


「そりゃそうだが……」


 図書委員に所属しょぞくしているだけあり俺も本は好きだが、柳のように時も場所も選ばず夢中にはなれない。つまり、今は本を読むテンションじゃないのだ。


 それにしてもくさるほどとは言いみょうだ。それなら、ここはさながら巨大なゴミ箱といったところか。

 俺は伸びをしながら図書室をながめてみた。17才になって初めて見る夕暮れは、なにか変わっているかと思ったが、そんなことはなく、昨日までと同じいつもの放課後そのものだった。木製もくせい椅子いすつくえ木製もくせい本棚ほんだなに、紙でできた本。思えば、ここのすべては木から作られている。燃やせるゴミだろうと、夕日だけでは燃えてくれない。


 さて俺も仕事をするか。そう思い、カウンターの上に視線を落とすと、柳の読んでいた文庫本が目に付いた。タイトルからさっするに恋愛小説のようだ。かなり薄い本で、分量はあまりなかった。なんとなくその本にかれ、手に取りひらいてみた。


めずらしいな、お前が恋愛小説なんて」


 俺は文字を追いながら、本棚ほんだなの向こうへ声をかけた。するとすぐに不機嫌ふきげんそうな声が返る。


「悪いの?」


「悪くはないが、らしくない」


 柳が読むのは、もっぱらホラーやミステリーばかりだった。


「ふふ。まぁね。つまみいしてたらその本が目についてね」


 柳にしてはめずらしく、どこか愉快ゆかいそうな口振りだ。本を返却し終え、こちらに戻ってくる柳の顔は、口調にまったく寄らずの、いつもの仏頂面ぶっちょうづらのままだったが。

 柳は、面白い本が見付かるかもしれないと言って、よく、生徒たちから返却された本に目を通していた。柳はその行為こういを『つまみい』としょうしている。つまみいとはちと違うと思うが、俺はひそかにその呼び名を気に入っていた。


 さて、今度こそ俺も仕事をするとしよう。柳と同じように、本を目一杯かかえて席を立つ。丁度切りよく、すべての本を返却できそうだ。目を向けると、柳は先程の恋愛小説ではなく、別の本をつまみいしていた。


「その本はどうする?」


「いいよ。返してきて。丁度、読み終わったし」


 柳は意地悪そうに笑い、恋愛小説を、俺がかかえている本の山の、中腹ちゅうふく辺りに器用に差し込んだ。


「危ないだろ、山がくずれる!」


「おやまー」


 柳は適当な返事を寄越よこして、また本に没頭ぼっとうし始めた。

 まったく……。柳は本をあまり大事にしないのだ。本は、ただの媒体ばいたいだというのが柳の主張だった。本当、図書委員失格である。

 慣れた仕事だ。本棚ほんだなあいだをすり抜け、効率こうりつよく本を返却していく。だが突然、仕事の流れが止まる。山の丁度中腹ちゅうふく辺りで。

 山をゆかに下ろし置き去りにして、俺は柳のもとに戻った。


「これ、お前の本だったんだな」


 俺は恋愛小説をかかげながら柳に声をかけた。すると柳は本から顔を上げ、上目遣うわめづかいでこちらを見た。


「違うよ」


 そう言うと柳は意味ありげに笑った。こいつ、知ってて差し込んだな……。この恋愛小説には管理ラベルが貼られていなかった。


「お前のじゃないなら誰のだよ?」


「さぁ? 阿原あはらのじゃない?」


 柳はどうでもよさそうに答える。

 俺が恋愛小説を読まないことを知ってるくせに……。

 見ると、この恋愛小説は真新しく、新品のようだった。更に中をよく見てみると、新刊案内しんかんあんないの紙までもがはさみ込まれていた。何故なぜさっき気が付かなかったのかと、自分の観察眼かんさつがんのなさにあきれる。


「誰かの忘れ物か?」


 俺は考えついたことをそのまま口にした。


「そんなわけないでしょ。阿原と私、あるいは片方が常にここに座ってたんだよ。そんな所に物を忘れると思う?」


「まぁ、確かに……。それなら、誰かがこの本をひろって、図書室の本だと勘違かんちがいして、気を利かせてここにほうり込んだとか」


「それならありるかもね」


「だがな……普通、本を落として気が付かないなんてあるか? それなりに音がするだろ……?」


「本のかどは傷付いてないね」柳は恋愛小説に顔を近付け、言った。


 確かに……。だが待てよ……。


「面から地面に落ちたら、かどは傷付かない」


「面から落ちたなら音がするよ、気が付くはず」とすぐさま柳が反論はんろんした。


「周りがうるさかったなら気が付かない」とすぐさま俺も言葉を返した。


「解決だ」


 柳はそう言って頷くと、本に視線を戻した。


「待て待て、そもそも本を落とすなんて、余程のうっかりだぞ? 少女漫画じゃあるまいし……」


 そんな可能性の低い答えが正解とは思えなかった。


「あーうるさいな」柳は眉間みけんにしわを寄せ、目を閉じた。「そもそも、私がこの本を手に取った時には、新刊案内しんかんあんないの頭が飛び出てた」


 柳は目頭めがしらを指で数度み、もうスピードで何度かまばたきをすると、読んでいた本を閉じカウンターに置いた。

 新刊案内しんかんあんないが見えているなら、ひろった奴も、さすがに図書室の本じゃないと気が付くだろう。


「それを早く言えよ!」


「うるさいって!」


「……すまん」


 素直にあやまり、柳の隣に腰かけた。


「……紙とペンして」柳が言った。


何故なぜだ?」


「その方が考えがまとまるでしょ」


「やっと乗り気になってきたな」


「違う。阿原が、あんまり、うるさいからだよ」と言って柳は、するどにらみを利かせた。


 まったくこいつは素直じゃない。出会った時からずっとこうだ。思えば、こいつと一緒に図書委員のにんいて、もう半年がぎていた。出会った当初はなにかと張り合って、お互いに牽制けんせいし合ったものだ。お互いの読書量。どちらが年上か。どちらの方が学力があるか。恋愛経験はあるか。――まぁ……恋愛なんて学生のすることじゃない。確かに……学生の本分ほんぶん勉学べんがくだもの。あの名作古典を読んでいないなんて、本好きとは言えん! 私の方が、4ヶ月分年配者ねんぱいしゃなんだからうやまえ! ――といった具合に侃々諤々けんけんがくがくやったものだ。

 半年というと、ちょっとした時間だ。振り返れば、さつかしいと錯覚さっかくできるくらいに。


「……あれ?」


 筆記用具ひっきようぐさぐってみたが、入っているはずのペンが見当たらなかった。


「……おかしい、ペンが消えた」


 まさか、誰かがいつのにかぬすんだ……?

 思わず柳に視線を向ける。すると柳は人指し指を立てて、俺の胸に向けた。無言の圧力に、たまらず俺は両手をゆっくりと上げた。


なにしてんのよ……」


「いや……すまなかった」


 何故なぜか謝ってしまった。


灯台とうだいもと暗し」


 柳はそう言って、俺のブレザーの胸ポケットから、なにかをひょいっと引ったくった。そして誇示こじするようにペンを小さく振った。


「……あとは紙だな」俺は平然をよそおい言った。


 あいにく俺も柳も、ノートや教科書類を教室に置いてきていた。なので、2人で手分けし、使えそうな紙を探すが、これというものが見つからない。紙があるにはあるが、どれもこれも、使うと司書教諭ししょきょうゆおこられそうなものばかりだった。


「これだけ紙があるってのに皮肉ひにくなもんだ」


 ──ビリッ──


 突然、まるで俺の皮肉ひにくかぶせるように、本棚ほんだなの向こうから異音いおんが聞こえてきた。俺はなにか嫌な予感がして、音のする方へと向かった。


 ──ビリッ──


 またも音がした。


「ああ! ──なんてことを!」


 柳は、俺が丹精たんせい込めて書いた『阿原千鳥ちどりのオススメ小説15せん!』の貼り紙を、無造作むぞうさに壁からがしていた。


「ひどすぎる……」 


「こんなの誰も見てない」


「まぁ、そりゃそうだが……」


くなき自己満足の世界」


「……」


 柳と俺はカウンターに戻った。柳は貼り紙の四隅よすみのテープを乱暴にがし、裏面を上に向けて広げた。そして、そこにすらすらとペンで文字を書き込んでいった。


相変あいかわらず、汚ならしい字だ」


「……せめて悪筆あくひつと言ってよ」


「そんなレベルじゃない」


 柳は恐ろしく字が下手へただった。まぁしかしその分、文字を書くのはとても速い。にもかかわらず反対に、本を読むのは恐ろしく遅いのだ。こんなに毎日せっせと読んでいるのに。柳は薄い本ですら、何日もかけてちまちまと読み進めるのだ。他人の読書スタイルに文句を言うことなどしないが、俺はいくらでも早く読み終わりたいたちなので、柳を横で見ていてなんだか俺は、いつももどかしさを感じていた。



  本のタイトル、恋愛連峰れんぽう


  状態、ラベルが貼られていない

  新刊案内しんかんあんないはさまれていた、よっておそらく最近買われたもの?


  置かれた日時、今日の放課後



「今のところ、こんなもんかな」


 書き終えると、柳はペンを指先でくるりと回した。


「……そうだな……どれ」


 俺は『恋愛連峰れんぽう』を手に取り、ページをパラパラとめくり、顔を近付けにおいをいだ。


「こら、やめろ……」


 すると何故なぜか、柳は椅子いすから腰を浮かせ、本に手を伸ばした。


「ん? どうしてだ?」俺は、本を柳から遠ざけ言った。 


「その、なんだ、はしたないし」


 はしたない……? がらにもないことを……。


「まぁいい。とにかくにおいは異常なし」俺は満足しそう言った。


 柳は椅子いすに腰を落ち着けると、またペンを走らせた。



  におい、普通



「今日の図書室の利用者は46人だ」


 俺は言葉は、柳によって、いっそ暴力的にも見える文字に変換へんかんされる。



  利用者、46人



「よくそんなん覚えてるね?」


 柳は疑わしそうにこちらを見た。


「まぁな、ここ2~3日、この貼り紙の効力こうりょく検証けんしょうしてたんだ」


「……なるほどね。……で? 成果は?」


「……ゼロだ。まぁだがこういうのは、すぐに結果は出ないもんさ」


「……」柳はあっきれ顔でめ息をいた。


「いまに分かるさ……」


 また書き直さないとな……。まったく、俺はまだ満足してないってのに……。


「俺の記憶が正しければ、返却した人間はみんな1人一冊いっさつだったはずだ」


「……よくそんなん覚えてるね」


「……これも検証けんしょうだ、タイトルを見てたんだ。それに途中からとうの建築がきょうが乗ってな、内心、次の本が早く来ないかと待ちわびて、そわそわしてたんだ」


「……いや、となりに座ってても分かるくらい、落ち着きなかったけどね。私は内心、読書の邪魔じゃまだなと思ってた」


「……だから、何度もめ息を吐いてたのか……。さては恋煩こいわずらいでもしているなと思っていたんだが」


「学生の本分ほんぶんは勉強」


堅物かたぶつめ。そのうち、人生一生勉強とか言い出しそうだ」


「う、うるさいな……」


「そんなことより、そもそも犯人はんにんはどうやってこのカゴに本を入れたんだ?」


犯人はんにんて……。落とし物をひろった親切な人かもしれないでしょ」


「いいや、親切なら一声ひとこえかけるべきだね。げんに俺たちはこうしてまどわされてるわけだしな」


率先そっせんしてまよい込んでる気がするけどね」


暇人ひまじんにはあらがえん」


「そんなにひまなの?」


「ああ、最近やたらとひまなんだよ」


「じゃあ、丁度いいね」


「それで、いつからその本があったか、検討けんとう付くか?」


「分かんない、気が付いたら突然」


「そうか。46人全員が容疑者ようぎしゃか……どう入れたかも分からない……手詰てづまりか……」


「なら、別の角度からめてみたら?」


「別の角度?」


「……例えば、動機とか。三大柱さんだいばしらの1つでしょ?」


「動機ねぇ」


 さっぱりだ……。俺と柳は恋愛小説などに興味がない。これは俺たちに当てたものじゃない? ……まさか俺たちは、何かに利用されている? いや、違うこれは……!


「これは当て付けか!」


「当て付けぇ? なんの……?」


 柳の戸惑とまどいをよそに、俺は、メモ用紙にとされた『阿原千鳥のオススメ小説15せん!』を裏返し、カウンターに広げた。その拍子ひょうし新刊案内しんかんあんないゆかにひらひらと落ちる。


「これへの当て付けだ、おそらく! きっとこれは挑発ちょうはつなんだ! 『お前のオススメなど子供向けのお遊びにぎん、これでも読んで少しは勉強しろ』というな!」


「……し、静かにしなよ、ずかしい。……というか、そんなわけないでしょ……。これ見てるの、私くらいだよ、冗談じょうだん抜きでね」


 俺は、柳の断言に落胆らくたんし、とぼとぼとゆかに落ちた新刊案内しんかんあんないひろい上げた。俺はそれに軽く目を通す……ええい、これとなにがどう違うっていうんだ! 同じ出版社しゅっぱんしゃの様々なジャンルの本が列挙れっきょされている。著者ひっしゃの思い、発売日、書評しょひょう、などなど――と『恋愛連峰れんぽう』の文字を見付ける。

 ありふれた文言もんごんのキャッチコピーはどうにも長ったらしかった。要約ようやくすると、新人作家が送る、高校生による初々ういういしい恋物語といったところだろうか。ほかには、文庫本書き下ろしであること、筆者ひっしゃの体験がふんだんに盛り込まれていること、なども書かれている。そして、発売日は今日の日付けが記載きさいされていた。


「なぁ、柳」


「なに?」


「その本面白かったか?」


「興味深かった」


「評価は?」


佳作かさくってところかな」


「そんなわけないだろ」


「なによ、人の書評しょひょうにケチつけるの?」


「読むのが遅いお前が、今日読み始めて、正当な評価をくだせるわけないからな」


「……それはほら、この本、前に本屋さんで見かけて、途中まで立ち読みしたから」


「これを見ろ」


 俺は新刊案内しんかんあんないをカウンターに広げ、『恋愛連峰れんぽう』の発売日を指で差し示した。


「この本は、今日発売だ。それに文庫本書き下ろしだから、単行本なんてものもない」


「つまり?」


「お前はうそをついてる」


「ばれたか」


「どういうことだ? これはお前のってことか?」


「そうだけど、少し違う。これは私のじゃなくてあんたの。……誕生日プレゼント」


「……俺に?」


「今日でしょ?」


「……ああ、まぁな。ありがたいが……今日発売のをとはまた、お前らしいな。それに、そんなに内容が気になるなら、読んでからいいぞ、俺は……」


「読んでたわけじゃない。検品けんぴんしてたの」


検品けんぴん?」


「虫でもはさまってたら、嫌だから。それにほら、もう一冊いっさつ買ってあるから」


 と言って柳は、自身の小さな手提てさげカバンから、もう一冊いっさつの『恋愛連峰れんぽう』を取り出して見せた。


「おそろい」まし顔で柳は言った。


「いや……本におそろいもなにも……」


 ……俺は混乱こんらんし、思わず視線を下げた。すると、柳のくれた『恋愛連峰れんぽう』が目に映った。……いつまでもカマトトぶっているわけにもいかないだろう。正直、柳の心境の変化には考えがさっぱりおよばない、だが一つだけ俺に分かるのは……柳は冗談じょうだんでこんな物を送るような奴じゃないってことだけだ。

 連峰れんぽうにいくら声をかけたところで、返るのはやまびこだけだ、向こう側のことを知りたいなら、山を越えるしかない。


「しかしなんでまた……こんな突然……そもそもお前、学生恋愛には否定的じゃなかったか?」


本分ほんぶんは勉強とは言ったね」


 俺はふと心配になった、自分に恋なんて早すぎやしないかと。まあ、でも、この本を読み終えてから考えても、遅くはないかもしれないとも思うのだった。

 初心しょしんに帰って小説をゆっくり読むのは、ひまかした今の俺には、一番の時間の使い道なのかもしれない。

 俺が言葉を返さずにいると、柳は自分の『恋愛連峰れんぽう』を手にして、いつものように没頭ぼっとうし始めた。そして俺も、すぐにそれにならった。多分、柳も俺も分かっていたんだ。今は言葉を重ねるよりも、この小説の文字を追うことが、なによりの近道だって。なんせ連峰れんぽうは、つながっているから連峰れんぽうなんだから。

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