忘却の救い

夏野彩葉

忘却の救い

「せっかく忘れかけてたのに。」

 神様は酷なことをするものだ。

 机の上に並べたのは、高校時代の日記帳とペン――そして、君の結婚式の招待状。君が今の恋人と結婚するんじゃないかって、風の噂で聞いていたけど。

 日記帳を開く。書いたのが昨日のことのように鮮明に思い出される。



 君とは、高校のときに出会った。三年間同じクラス。家もそこそこ近くて、二人でホームルームの買い出しにも行ったし、ゲーセンやカラオケにも行った。

 君は生まれつきのリーダーシップがあって、いつも周りの人に好かれてた。君は眩しいひとで、そんな君にワタシは全く免疫がなくて、火傷しそうだった。なんで君は、ワタシにばかり構ってくれるんだろう、とそればかり考えていた。結局、「君が優しいから」という答えに他ならないんだけど。


 君を好きになったのはいつだったか、今になってはもうはっきりとはわからない。でも、一年生の文化祭の打ち上げで、君が隣に座ったときのことはよく覚えてる。クラスメイトたちが、まるでお酒でも飲んでしまったかのように騒ぐなかで。君は「もっと笑ったらいいのに!」とワタシの頬をつついたのだ。「いつものクールな顔もいいけどさ!」といたずらっ子みたいに笑って、すぐに別の会話にまざっていってしまったけど。


 君が隣のクラスの子と付き合い始めたと知ったときは、胸に穴が開いたようだった。その中に、君と恋人の行動が逐一風のように吹き込んでくるものだから、ワタシはずっと凍えていた。君を忘れたくて、別の人と付き合ったりもした。でも、ダメだった。穴は君じゃないと塞げなかったらしい。憐れむような微笑と共に、「今度は言えるといいね、『さみしかった』って」と言ってワタシとの関係を断った恋人は、それをうすうす気づいたようだった。


 日記帳の文字は、「忘却は救い。チクショウ。次は笑うんだ」という言葉で終わっていた。

 その通りだ。忘却は救い。すべて忘れてしまえば、苦しむことなど何もない。この報われない恋も、優しい君の記憶も、明日になったらすべて忘れている――なんて、何度夢見たことだろうか。



「君を忘れている時間が長くなった。……このことをプラスにとらえてもいいのかな?」

 日記帳の続きにそう書いて、招待状の『御』を消して欠席に丸をつける。

 これは、日記帳であり、君への手紙だ。臆病で、意気地なしで、本当の気持ちを君に伝えることもできない、ワタシからの手紙だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

忘却の救い 夏野彩葉 @natsuiro-story

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ