第3話 不運で間の悪い訪問客
――申し訳ありませんお嬢様。お客様が見えられたので、お出迎えの労をお願いいたしたく。
数分の後、ドアの向こうでデスモンドが呼ばわる声。はて、とエルマは首を傾げた。
通常ならば客人は門衛が誰何してそれを奥向きへ伝え、主が迎え入れるかどうかを決定するのだが――忠僕がいきなり「出迎えを」などと伝えてくるということは。
「デスモンド。どなたが見えられたの……?」
――はい、お嬢様……カンブレー公でございます。
「王弟殿下が!?」
誰何するまでもなく、迎え入れるしかない相手であった。カンブレー公ウィリアム・ルドフォルトとは、現王の末弟である。もとは継承権第七位を持つ王家の一員だが、兄王の息子たちを憚って数年前に家督を妹に譲り、国庫から多額の年金を享けて国内を気ままに旅するようになったという。
年は三十をわずかに過ぎたあたり。従軍の経験があり幾ばくかの武勲を謳われる一方、詩文に優れ狩猟をたしなみ、甲虫のハナムグリに魅せられてこれまでに四百点余りの細密なスケッチを描き貯めている、という多才の士。歯に衣着せぬ表現をとるならば、つまり一代の奇人であった。
「殿下なら……ご旅行中でも届くようにと、一番最初に招待状をお送りしたわね。早めにいらしたということかしら」
状況をなんとか飲み込みつつ、エルマは頭を抱えた。少なくとも粗略に扱える相手ではない。またその教養は王国でも有数、専門の学者を前にしてもいささかも怖じることなく、何時間でも話に花が咲くという具合。
――あれは王が国内の貴族たちに学問を奨励し、また過度の吝嗇や蓄財をさせぬように目を光らせるために自由にさせておるのではないか。
そんな風説が半ば公然とささやかれるのもなるほどとうなずける人物である。粗略には扱えないが、エルマとしてはずっとその相手をしているわけにもいかないので頭が痛い。
(どうしよう)
両親、つまりヴィスビー侯爵夫妻は婚礼に先立ってのこまごまとした準備のために、領地を接する隣の貴族、親戚筋に当たる家を訪問中で、あと数日は帰ってこない。殿下をもてなす責任は、つまりエルマの肩にのしかかっているのだ。
(……でもこれは……そうね、考えようによってはありがたいわ。またとない助けになるかも……!)
まともな頭では到底出てくるはずのない発想が、エルマの頭を捉えていた。カンブレー公といえば一級の教養人。写字師の技術も身に着けて名高く、彼の筆跡には好事家が少なからぬ額の金貨を投じると言われてもいる。
「……いいわ、デスモンド。殿下をご案内して。お待たせしないようにね」
「かしこまりました。ご滞在中の客間はどちらを?」
「東棟の『カンポルスの間』をお使いいただきましょう。あそこなら強い日差しも当たらないから、標本などがあっても安心でしょう」
かしこまりました、と出ていくデズモンドを見送りながら、エルマは机の下でそっと両のこぶしを握り締めた。
(殿下にも、断り状の書写をお願いしてみましょう)
ウィリアム殿下は筆記が早く、正確なことでも知られている。四人での作業が五人力になるくらいの働きは、期待できるはずだった。
置き去り令嬢と腐れ縁の騎士、最初で最後の共同作業 冴吹稔 @seabuki
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