めくらのゴーシャ
茶無
めくらのゴーシャ
彼というべきか彼女というべきか分からないが、とにかくそいつ、ゴーシャは生まれつき目が見えなかった。
美術室のいちばん端っこの席で、ゴーシャはとなりの子にたずねる。
「どうだいアリス、君を描いてみたんだけど。よくできているだろ?」
「うん、うん、とても素敵ね。よく描けてるわ。」
アリスもまた、誰かの絵を描くのに夢中のようだ。
「嘘だね、目と鼻と口を3つずつ描いてあるんだから。それとも君はバケモノか何かなのかい?」
「失礼なひとね!私の鼻筋はナタリーポートマンのようにキレイに通って、唇はエマワトソンのよりもチャーミングなのよ。まあ目の見えないあなたに言っても仕方ないだろうけど。せいぜい想像してごらんなさい」
ゴーシャは首をかしげたまま、想像する。"なたりーぽーとまん"だなんて、まるでナポリタンじゃないか。ナポリタンといえばゴーシャの大好物である。学校帰り、住宅街にひっそりとたたずむ喫茶店に寄っては、特製ナポリタンを注文するのだ。そして食後にコーヒー片手に読書をするのが、ゴーシャにとって至福のひとときなのだった。もっとも、ゴーシャは目が見えないので読書のフリしかできず、その度に虚しくなりコーヒーカップを地面に叩きつけるのだが。
「でも、君だって自分の顔なんか鏡でしか見たことがないはずだ。そういう意味では想像でしかないだろ?」
アリスは一瞬、ゴーシャに目を向ける。
「たしかに、その通りね。目の見えないあなたにそんなことを言われるのは腹が立つけれど。」
「へえー、ずいぶんと冷たいじゃないか。」
「いいじゃない。もうめくらはやめるんでしょ?」
ゴーシャは今日、病院へ行くのだ。科学技術の発達によって、視覚障害者の目を見えるようにすることはもはや容易になった。ただし、その手術を受けられるようになるのは14歳をこえてからと法で定められていた。そして、ゴーシャの14歳の誕生日が、ちょうど今日なのだった。
「そうさ、この真っ暗な世界とも、今日でおさらばだ!」
「さあ、どうかしらね。」
アリスは筆を動かしながら、ぼそっと呟く。
「なんだって?手術が失敗するとでも言いたいのかい?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
彼女は筆を動かすのを止めて、ゴーシャの方に体 を向けて言った。
「どちらにしても、わたしたちは真っ暗な世界にいるのかもしれないわ」
「また、変なことを抜かしやがって。クラスのみんなはいつだって楽しそうにしているけど、それはみんな目が見えるからに決まってる。真っ暗どころか、何もかもがキラキラして見えるんだろうね」
ゴーシャの言うとおり、このクラスはいつも笑顔で溢れていた。深い悩みを抱えた学生なんて1人もおらず、みんな毎日楽しそうにしているのだった。
「僕はこの日を待ちわびていたんだ...この目をひらけば、きっと素敵な世界が待っているにちがいないんだ」
アリスは少し黙って、また筆を動かしはじめた。
「そうね、きっとそうだわ」
暗い。果てしなく暗い。僕の目が見えないからだろうか。それとも僕が暗い場所にいるからだろうか。
刹那、視界が明るくなったような気がした。今まで味わったことのない、不思議な感覚だ。
何かがこちらを覗いている。マッドサイエンティストの実験台にされているのだろうか、それとも白衣を着た天使が迎えにきたのだろうか。ぼやけていてそいつの姿がはっきりと見えない。
しばらくして、また視界が暗くなった。真っ暗闇だ。だんだんと感覚が薄れていく。何も見えず、何も聞こえない。いや、女のむせび泣く声が聞こえたような気もしなくはなかったが。
僕は死ぬのだろうか。別に今なら死んでもかまわない。死が、そんなにたいした事じゃないような気がするのだ。ああ、だんだん眠たくなってきちゃった...
朝のホームルームに、ゴーシャが姿をあらわした。目隠しで両眼を覆っているが、口元が少しにやけているのがわかる。
「えー、きのうゴーシャは目の手術を受けました。まずはみんなの顔が見たいということなので
、この場で初めて目隠しを外してもらいたいと思う。みんな、ゴーシャにとっておきの笑顔を」
クラスの全員が、いつもに増してにこにこしている。いじめっ子のウェンディも、学級委員のエリオットも、野球部のエイトも、グレッチ先生も。ただアリスだけは、少し機嫌が悪そうだ。親と喧嘩でもしたんだろうか。
「それじゃゴーシャ、目隠しを外してごらん」
ゴーシャは静かに、目隠しをはずした。
「...」
次の瞬間、ゴーシャは目を見開いた。そして鬼のような形相で窓の方へと駆けていき、そこから飛び降りた。
ぐちゃあ、という鈍い音が校庭中に響きわたった。
クラスのみんなは相変わらずにこにこしている。なぜなら、たった今ゴーシャが窓から飛び降りたということを誰も知らないからだ。
やつらは、目がなかった。
めくらのゴーシャ 茶無 @Ciam
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