第9話


 迎えた翌日からは、平時のとおり一日が始まった。朝早くに迷宮救助隊の隊員はもれなく起床し、十分な朝食を摂って、鼠色の訓練着に着替えたら外に集まる。


 ヨナバルは普段と変わらない態度で挨拶をくれた。それがより後ろめたさを感じる原因となってしまい、アクセルは結局謝罪する機会を失った。


 アガサの号令で点呼を取る。今朝の報告は何もない。訓練開始をリックが合図した。そしていつもみたくアガサは会議に消えていくだろう、そうアクセルは読んでいたが、今日は違うようだった。


「パイパーはこれから執務室へ来なさい」とアガサ。「たまには訓練をさぼるのも良いだろう」

「たださぼるためだけならば、訓練に参加させて下さい」


 律儀なパイパーの返答に、アガサは苦笑を浮かべた。


「言葉の綾だ、まったく。とにかく来るように」

「はっ」


 パイパーは列を抜け出した。

 なぜパイパーが、とアクセルは動揺した。昨日の今日だ、迷宮での救助活動について言及されるのかもしれない。しかし仮にそうであれば、バディの自分も呼ばれているだろう。


 外周を呼びかけるリック。パイパーに視線が釘付けのまま、アクセルは気もそぞろに、皆のあとを小走りする。


 するといつ振りかにリックが隣へ並んできた。怪訝な顔でアクセルは向いた。

 何かと思えば、彼は驚きのことを言う。


「行って来たらどうだい」

 アクセルは戸惑った。

「でも、俺は呼ばれていませんし」

「あんなの呼んでいるようなものさ。パイパーだけに用があるなら、わざわざみんなの前で呼び出さないよ」


 たしかにそう捉えれば、アガサの言動は不可解かもしれない。しかし、だからといって堂々と付いていくわけにもいかないだろう。

 そんなアクセルの心配を汲んだらしいリックは、楽しげな表情でささやく。


「もちろん、こっそり行ってこい。執務室の扉の前で、盗み聞きをするんだ」

「ぬ、盗み聞きですか。けれど訓練は」

「アクセル君が自主訓練しているのは全員が知っている。怠け者だと思う奴はいないさ」


 困惑しつつ、アクセルはアガサたちの動向を確認した。ふたりはもうじき宿舎に着く頃だった。それからもう一度、リックの顔を窺う。


「行ってこい」


 ぱちっと彼は片目を閉じた。

 アクセルは決心する。

「今度お酒を奢らせて下さい!」

 踵を返して、宿舎に走った。

「俺は下戸だから飲めないぞー」

 そんなリックの言葉が聞こえた。

 

 

 階段の影に身を隠して、アガサとパイパーのふたりが執務室に入っていくのを目で追ってから、アクセルは静かに廊下を歩いて、執務室の扉に寄り添う。


「楽にしてくれ」


 かすかに、アガサの声が伝わってくる。盗み聞きという行為に背徳感を覚えるアクセルは、ここで聞こえなければ大人しく訓練に戻るつもりであった。だが会話の内容がわかる以上、先が気になってしまい引けなくなった。


 やたらと緊張して汗が滲む。心臓は早鐘を打っていた。

 扉の反対側で、話しが始まった。やはり話題は昨日の救助活動についてだった。パイパーがまとめたらしい報告書を、アガサは要点を絞って読み上げていく。アクセルが聞く限りでは、事実と相違する点はないようだった。


 そしてアガサは本題に切り込んだ。


「アクセルがバディだったとはいえ、君ならば両者を救うことが可能だったと私は思う。これについて、君の意見を教えてくれたまえ」


 目を見開き、嘘だろ、とアクセルは音もなく呟いた。

 ふたりの声をより鮮明に聴き取るべく、アクセルは扉へ耳を近付けた。


「グレイブス・カーネルを迷宮にひとまず残し、ローエン・カネールの救助を優先とした選択に誤りはなかったと自負しております」

 とパイパーは答えた。

「たしかに、最適解だ。私が君の立場であっても、同じ選択をしただろう。おまけに君は、グレイブス・カーネルがむやみに逃走という手段を取らぬため、モンスターと対峙したときには抵抗するよう釘を刺している。逃走されては発見が困難になる上、モンスターと遭遇する機会も増えてしまうからな。実に見事な対応だ」

「ですがグレイブス・カーネルは逃走をしました」

「我々救助隊は人間を操ることはできない。こればかりは仕方のない側面がある一方で、予測してその選択肢を潰すという手立てを講じることはでき得る。この報告書によると、グレイブス・カーネルの痕跡には使用済みの煙玉があったそうだな」

「わたしたちが最初にカーネル兄弟と邂逅したさいには、煙玉の刺激臭はなく、その破片もありませんでした。また、傷を負っているがために戦闘離脱が困難だった現場で煙玉を使うことは非常に考えにくいでしょう」

「なるほど、続けたまえ」

「次に彼らがいた迷宮部屋に駆け付けたとき、ほのかに刺激臭が残っていました。それとなかったはずの煙玉の痕跡。おそらくモンスターに遭遇したグレイブス・カーネルは、煙玉を使用してその場を逃げたのでしょう」


 どきり、とアクセルは胸に剣が刺さることを錯覚した。思い当たる節があった。当時の、グレイブスと交わしたやり取りの記憶がよみがえる。

 ――いざというときは。

 アクセルはたしかにそう言って、グレイブスに煙玉を手渡していた。


「グレイブス・カーネルが最後まで煙玉を温存していたのは予想外でした」

 とパイパーは言った。

「珍しい状況ではあるな」

「彼の荷物確認を怠ったのはわたしの失敗です。初任務であるアクセルにそこまで気を回せというのは、無茶でしょう。監督責任がわたしにはありました」

「その通りだ。つまりグレイブス・カーネルの死は、その確認不足が招いた結果だと言い換えることもできる」

「はい」

「小さな失敗が惨事を生む。君もよくわかっていたはずだ」

「はい――――」


 貧血を起こしたかのようにめまいを覚えたアクセルは、たたらを踏んで扉から離れた。パイパーたちの声は遠ざかり、不明瞭な音として響いてくるだけになった。


 報告書より浮かび上がった、グレイブス・カーネル死亡の一因。そこに関わったのは自分だった。とんでもない過ちを犯していたことに、アクセルは気が付いた。


 強い後悔の念が、波濤の勢いで押し寄せる。同時に、八つ当たりのような形で挑発をしたパイパーへの申し訳なさが滲んできた。


 グレイブスを救えたと息巻く昨日までの自分が、途端に道化師のようにばかばかしくなる。パイパーの判断を非難する立場ではまったくなかったというのに。


 アクセルは自身の頭の足りなさに心底呆れた。全身から力が抜けていく気分だった。かろうじてアクセルはその場を去る。無力感に苛まれて死人みたく歩きながら、彼は今後の身の振り方を考えるのだった。


 外へ戻ってからもアクセルは訓練に注力できなかった。どうにも指先や足先が弛緩していた。集中をしなければいけないと理解しているのに、わずかな隙間で物思いに耽ってしまう。そしてそれらを自覚するたびに、ため息が募っていくのだ。


 外周を半分ほど終えたころ、赤さび色の髪を揺らす人物に追い抜かれた。アクセルは遅れて、それをパイパーと認識した。


 もう訓練に戻っていたらしい。アクセルは彼女の背をぼんやりと眺めた。

 パイパーは相変わらずの速度と持久力をもってして、あっという間に遠くになる。


 アクセルは思った。きっとパイパーは知らない、と。グレイブス・カーネルが使用した煙玉は、自分に手渡されたものであることを。

 黙っていれば、このまま隠し通すことは可能だろう。


「……俺は迷宮救助隊だ。誇り高き軍人だぞ」


 するとアクセルの瞳に覇気が宿った。腑抜けた態度とは打って変わり、何かを決意したかのような顔つきになる。それからの彼は、訓練を懸命に取り組んだ。

 やがて正午を過ぎ、外周と走り込みの訓練が終わった。入隊初日に比べて鍛えられたアクセルは、地面にへばりつく時間が大いに減っていた。当然、アクセル以外の隊員が寝転ぶことは滅多にないが。


 一時間の休憩がリックより告げられた。立ち上がれずにいるアクセルを置いて、七人の隊員は昼食を摂りに行く。数分休んだのちに、アクセルも食堂へおもむいた。


 昼時のため、救助隊以外の軍人たちも多く、食堂は賑わっていた。パイパーはすでに、隅のテーブルへ着席していた。そこが彼女の定位置だった。


 勇気を振り絞ってパイパーのもとへ向かう。傍に来ても彼女が関心を示すことはなく、ただただ箸を進めている。


 アクセルは生唾を呑み込んだ。これから話すことを考えると、恐ろしくて堪らなかった。いったい彼女がどのような反応をするのか、想像もつかない。しかし、ここで逃げたら、生涯後悔することをアクセルは予感していた。だから言うのだ。


「……俺が間違っていました」


 唐突な告白に、パイパーはうろん顔になってこちらを見た。その目はすべてを見透かしているようであり、アクセルは顔を逸らしたくなるが、必死に耐えて向き合った。


「グレイブスさんが使った煙玉は、俺が渡したものなんです。万が一があると――」

「ふざけるな!」


 パイパーは激昂して、アクセルの胸倉に掴みかかった。同時に派手な音が響き渡る。彼女の立ち上がった勢いで椅子は蹴り倒され、皿が床を跳ねた。食堂の喧騒は静寂へと変わっていた。


「なんでそんなことをした!」


 激しく憤るパイパー。彼女は鬼の形相が浮かべていた。

 ここまで感情をあらわにするパイパーを、アクセルは初めて見る。冷静沈着の印象が強いだけに、その差は激しく感じられた。あまりの勢いに、アクセルは態勢を崩した。もはやパイパーの細腕に、半ば支えられるかたちとなっていた。


 アクセルは恐怖に竦みつつも、はっきりとした口調で返事をする。


「俺、パイパーさんの意図をまったくわかっていませんでした。煙玉を使ったあとのことを、想像できていませんでした」

 その答えに目を剥いたパイパーは、右腕を後ろに大きく引き絞った。

 殴られる、とアクセルは予感した。


「やめろ」


 そう言ってパイパーの腕を抑えたのは、ヨナバルだった。

 するとリックやモーガンまでもがあいだに割って入り、仲裁をする。

 しかしパイパーの興奮は収まらず、彼女は身をよじって吠えた。


「離せヨナバル! この馬鹿を殴らせろ!」


 リックとモーガンが力づくで引き止める。後ろからヨナバルがパイパーの膝を折った。床に膝を付けた彼女は、抵抗も虚しく立ち上がることができなくなり、抑え込まれる。

「くそがっ!」

 彼女は最後に悪態を吐いて、見かけだけは大人しくなった。


「アクセルさん、大丈夫でしたか」

 パイパーの腕を固めたまま、ヨナバルが声を掛けた。

 あまりの勢いに気圧されていたアクセルは、その声で我に返る。

「……ああ。大丈夫だ」

 と、どうにか返して、姿勢を直した。


 パイパーの瞳には、烈火のごとき怒りが燻ぶったままでいるようだった。その姿はまるで獣だ。獲物を逃すまいと凝視してくる双眸、敵意と共に歯を剥きだしにし、飛び掛かる機会を狙っている。彼女を縛る鎖がなければ、自分は今頃ひどい目に遭っているだろう。


 続ける言葉が見当たらず、アクセルは口ごもった。

 それを察したのか、リックが彼女をたしなめる。


「アクセル君に悪気があったわけではない。良かれとやった行動だ、責めてやるな。それに先輩バディとして意志の統一を図らなかったパイパーにも原因はある。そうだろう?」


 パイパーは頷くことをしなかったが、怒気がしぼんでいくのがわかった。しかしまだ、まともな話し合いが可能とは思えなかった。


「アクセル君」

 リックに呼ばれて、アクセルは返事する。

「は、はい」

「君は食事をもって部屋に行きたまえ」

「ですが」

「午後の訓練には遅れるなよ」

「……はい」

 この場にいては、パイパーの怒りも収まらないだろう。気を利かせたリックに頭を下げたあと、アクセルは食事だけ受け取って部屋に戻った。





 おそるおそる午後の訓練に顔を出したアクセルだったが、そこにパイパーの姿はなかった。ヨナバル曰く、彼女は自室に閉じ込められているという。危険な行動を取ったパイパーが全面的に悪いとみなされて、半日の謹慎になったそうだ。


 どこか釈然としない気持ちだった。もっともな反応をしたパイパーが罰を与えられ、他所で自分は訓練を続けている。良くも悪くも、半人前として甘やかされている気分だった。


 だからといってパイパーの処分に、言及することはしなかった。事態をより複雑にするだけだろう。アクセルは無心で身体を動かした。


 やがて日は暮れて、訓練が終わる。会議室へ移動して、夕方の定例会に臨んだ。そこでアガサは、報告が二点あると告げた。


「まずは迷宮管理組合主導の迷宮調査についてだ」とアガサ。「明日より深層の調査に乗り出すらしい。以前と同様に、多くの探索者が参加をする。危機的状況に陥っても彼ら同士でリカバリーでき得ることから、我々に要請が来る可能性は低いが、準備だけは怠らぬように」


 七人の隊員が異口同音に応答する。

 それからアガサは、

「そして次に、先日亡くなられたグレイブス・カーネルの遺体を発見した、と捜索班より報告があった」

 と言った。

 アクセルは息を呑み、続く言葉を待った。


「迷宮の二層にいたようだ」


 アクセルは目をつぶる。目頭が熱を持ち始めるのを自覚したのだ。

 現場は三層だった。つまりグレイブスは、どこかのタイミングで階層を上ったことになる。経緯や状況はまったくわからないが、それでもたしかなことが一つあった。


 ――グレイブス・カーネルは諦めていなかった。


 なぜ、とアクセルは激しく思う。なぜあの日、見つけてやれなかったのだろうか。グレイブスさんは諦めていなかったのに、なぜ我々は諦めて、地上へ帰ってしまったのだろうか。


 後悔しだすときりがなかった。アクセルは自分の不甲斐なさ、未熟さをことごとく呪った。そしてアクセルは、二度と同じ過ちを繰り返すものか、と決意する。


 もう誰も、死なせやしない。

 アクセルはこの日、自らに誓ったのだった。

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第 三 番 迷 宮 救 助 隊 @nemusugi

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