らのちゃん、はじめてのおつかい。

七条ミル

はじめてのおつかい。

「おいらの! どこじゃ! らの!」

 とある神社の境内、老人の声が響きます。

 らのと呼ばれた少女が何をしているかと言うと――


 ――老人の部屋でこっそり本を読んでいました。


 らのちゃんは、本が好きなのです。

 らのちゃんは狐です。まだまだ幼い身ですけれど、もう変化の術を練習しているのです。

 でも、なんだってはじめてというのは難しいものです。らのちゃんはまだ、耳と尻尾を隠せないのです。

「師匠にまた怒られちゃう……」

 老人の声を聞いたらのは、そう言ってあたりをきょろきょろと見まわします。

 何を隠そうこのらのという子狐、なんと変化の術の練習をこっそり抜け出して本を読んでいるのです。所謂、サボタージュというやつなのです。

 まずい、このままここに居ると師匠に見つかっちゃう。

 でも――でも、お話が今いいところなのです。

「どうしよう」

 らのちゃんは頭をフル回転させます。

 ――このまま読み続ける? でもそしたらすぐに見つかっちゃうよね。

 らのちゃん、もっと考えます。

 ――だったら、この本を持ち出しちゃう? でも、どこにも隠せない……。

 あたふた、あたふた。

 ――ここに置いていこうにも……。

 らのちゃん、まだ栞というものを知らないようです。

 考えて考えて、考えあぐねて、とうとうらのちゃんは着物の懐に本を入れました。勿論、どこまで読んだかわかるように、カバーの袖を読んだところに入れてあります。

「よし!」

 これで完璧です。

「よしじゃないわ! どこへ行ったかと思えば、またこんなところで本を読んでおったんか!」

 あう。

 らのちゃん、撃沈。

 ずるずると引き摺られていき、終いにはぽて、と捨てられてしまいました。

 でも、今は人間のような姿をしていますが、本当は狐です。狐ですから、大抵のことは大丈夫なのです。たぶん。

「ほれ、一度解いてもう一度化けてみい。今度は尻尾と耳もちゃんと仕舞うんじゃぞ」

 尻尾と耳に気を付けて、そしてらのちゃんは白煙に包まれ、晴れるとそこには先ほどと同じ――尻尾も耳も生えた、正真正銘の狐っ子が居ました。

「また失敗か……」


 さて、正真正銘の狐っ子ことらのちゃんは、自分の部屋に入るなり、先ほど拝借してきた文庫本を出して読み始めます。

 さっきはあまり気にせず読んでいましたが、らのちゃん、表紙が他の文庫本とは一線を画すものであることに気が付きます。

 堅苦しいオブジェの写真みたいなものではなく、可愛い女の子と猫のイラストでした。

 表紙もタイトルもろくに見ずに読み始めた本でしたが、果たしてらのちゃん、この本を気に入ってしまいます。

 調べてみると、それはライトノベルと言うのだとか。

 らのちゃんはすっかり、ライトノベルのとりこになってしまいました。

 さてさて、ますます読書沼に嵌ってしまったらのちゃんは、修行にも身が入りません。続きが気になって気になって仕方がないのです。

 それでも少しずつ少しずつらのちゃんは師匠の部屋にあったライトノベルを読破していきます。それは師匠がライトノベルを買ってくるスピードよりも速いのですから、当然暫く経つとすべて読み切ってしまいます。


 ――もっと読みたい……!


 らのちゃんはそう思いました。

 そりゃそうです。大好きなライトノベルを読みたいのは当然です。べしです。

「師匠! ライトノベルがもっと読みたいです!」

 仕方なく、らのちゃんはそんなことを師匠に言ってみます。

「何を言うておる、先に変化の術を体得せねばならんだろう!」

 それはそうです。らのちゃん、言い返すことが出来ません。

 でも、どうしてもライトノベルを読みたいのです。

「どうして買ってきてくれないのですか!」

「お前さんを育てなきゃいけないからじゃ! お前さんが変化の術さえ使えるようになれば、お前さんは自分で買ってこれるだろう!」

 言われてみればそうです。ちょっと変化の術を頑張れば、自分で本を買いに行くことが出来ます。師匠が選んだ本じゃなくて、自分が読みたいと思った本を買ってくることが出来るのです。本屋というものはそういう場所なのです。


 というわけでらのちゃんは、それから暫くの間とても頑張りました。

 それはもう、今までにないくらいの頑張りようで、師匠も驚いたほどです。

 そして遂に、らのちゃんが変化の術を体得する日が来たのです。そりゃもう、らのちゃんも師匠も大喜び。

「お前さんも遂に一人前の狐じゃ……」

 一人前とは? と思いましたが、らのちゃんは口には出しませんでした。

「じゃあ私、街へ降りて本を買ってきます!」

 早速らのちゃんは出立の準備を始めます。しかし、そこですぐに行かせてくれないのが師匠です。

「まだ駄目じゃ。一回成功しただけでは、どういうときに解けてしまうのかもわからぬ。もう少し慣れてからにせい!」

「そんなこと言って一生行かせてくれないのは分かってます!」

「な、なんじゃと?」

 自分の経験がそう言っているのです。今行かなければ、結局行かせてもらえないような気がするのです。

「今日、今から行きます!」

 らのちゃん、そう言うと鞄を肩に掛けて神社を飛び出していってしまいました。

「……何も起こらんといいがな」


 らのちゃんのはじめてのおつかい、当然何も起こらないはずはありません。

 ひとりで人間界に来ること自体が、らのちゃんにとってしてみれば初めてなのです。人間とのかかわり方もあまり勉強出来ていないのに、いきなり買い物だなんて――でも楽しいからいいか、なんてらのちゃんは思いました。

 なんと言っても、大好きなライトノベルを買いに行くのです。きっとなんとかなるはずです。

 前に師匠に貰った街の地図を見ながら道路を歩いていくと、大通りに出ました。

 都会、というほど発展している場所と言うわけではないにしても、大通りに出れば人通りは増えます。

 こんなに人が沢山居る場所に行くのは初めてですから、らのちゃんに得体のしれない緊張が走ります。なんだか、身体がこわばって、胸がキュッとするのです。

 でも、こんな緊張になんて負けている暇はありません。

 ――よし!

 深呼吸をして、らのちゃんは再び本屋さんへと歩き始めます。

 目的の本屋さんは、とても大きな本屋さんでした。尤も、らのちゃんはまだ幼いですから、そのせいもあるのでしょう。

 兎に角、らのちゃんにはとてもとても広い本屋さんとして映ったのです。

 どうして、ゆっくりと硝子戸を開けて本屋さんに入ります。

 本が所狭しと並べられた建物の中は、師匠の書庫と同じようなにおいがしました。なんだか、落ち着きます。

 まずはライトノベルの棚を探すところからです。天井につるされた看板を見ながら、店の奥の方へと歩いていきます。

 ライトノベルのコーナーは、どうやら比較的奥まった場所にあるようでした。近くにはちょっとえっちな雑誌や、或いは漫画なんかが多いようです。

 らのちゃんは、そういうのは全然気にせずに、まっすぐライトノベルコーナーに足を踏み入れました。

 まずは平積みされた中から何冊かを手に取り、それから棚に入っているものからも、何冊かタイトルを見て手に取ります。

 結構沢山買ってきてよいとお金を渡されたので、せっかくなので沢山買おうと、らのちゃんは買い物かごを取ってきて、その中に沢山本を積んでいきました。

 ――これくらいかな……!

 それはもう、沢山積みました。


 店を出ると、少し雲行きが怪しくなってきました。

 夕立が来るのでしょうか。

 本が濡れてはいけないと、らのちゃんは神社の方へと走り出しますが、そんなことは知ったことではないと、強い雷雨は急に降り始めます。

 ――ヒッ。

 らのちゃんは、雷が怖いのです。

 雨に濡れ、雷を聞くうちに、少しずつ、少しずつ変化の術は解けていきます。

 そう、耳と尻尾が見え始めるのです。

 まだ街は抜けていません。あと少し、あと少しで神社のある山へと辿りつくことができるのに、雨も、雷も、ライトノベルさえも、変化の術への集中を妨げてしまうのです。

 あと少し、ほんの少しなのに。

「もうちょっと……ッ!」

 雨の道を狐っ子がひた走ります。

 でも、本を濡らさないためなら、変化の術なんて二の次なのです。


 そうしてらのちゃんは、何とか本を濡らさずに神社にたどり着くことが出来ました。師匠は、賽銭箱の横に座っています。

「やはり、解けてしまったか。大丈夫だったか?」

「本は買えました!」

「そうか、それはよかったな。あとは、怖いことや厭だと思うことがあったときに、如何にその集中を保つか、じゃな」

 師匠はひとしきり笑ったあと、わしは寝る、と言って奥へ引っ込んでしまいました。

 らのちゃんはお風呂に入って、それからさっそく買ってきたライトノベルたちを読み始めます。


 その頃師匠は、自分の部屋で薄い本を読んでいました。文字通りの薄い本です。隠語などではありません。

 らのちゃんのことを考えているのです。どうしてあの子は、あんなにも読書が好きになってしまったのかと。

「まったく、誰に似たのだか……」

 それは勿論、師匠その人なのでした。

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らのちゃん、はじめてのおつかい。 七条ミル @Shichijo_Miru

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