第10話 最後の戦い
「仁政を施き、大義を為す方にお仕えしたい」
というのが若い頃の趙雲の初志だった。劉備と出会い劉備の行政を見てきた趙雲は、この方こそ初志に合う人物だと思い仕えてきた。しかし劉備は勢力基盤を持ってから趙雲の初志からは外れてきた。漢中王への即位、そして皇帝への即位、夷陵における復讐戦など、趙雲が思っていたものとは違うものに大義を見出したのか。あるいは諸葛亮の存在がそうさせたのかもしれない。劉備達に別の道を見せたのは諸葛亮である。諸葛亮にも志があり、それを遂げるために劉備を導き、劉備を漢の皇帝にまで押し上げたのか。趙雲には諸葛亮がどのような思惑を持っているのかわからない。しかし、確かな行政手腕を持っており漢の国政は安定している。賞罰もはっきりとしており、実際仁政と言っても良いのではないだろうか。趙雲の初志にかなうのは諸葛亮なのか。しかし趙雲の主は諸葛亮ではなく、皇帝の劉禅である。劉禅はといえば自分の色を出さずに諸葛亮に全権を委任している。趙雲から見ればわからない皇帝である。かつて二度、劉禅を救った趙雲だが教育などに携わったわけではない。劉禅も諸葛亮も趙雲からは遠い存在で、劉備、関羽、張飛らが懐かしく思えてくるのが趙雲の心境である。簡雍や麋竺、孫乾らも皆死んでしまい、趙雲と付き合いが長いのは陳到くらいである。その陳到は永安の守備を任され東へ出ていた。劉備の生きていた頃と比べて出世したといっていい。陳到の官位は征西将軍、永安都督である。趙雲も出世している。鎮東将軍に任じられた。麾下も珍しく万を越える兵力である。諸葛亮が南征している間にこの兵を調練し、いつでも出陣できるようにした。張飛は調練でよく兵を死なせていたな、となんとなく思い出した。関羽はそのようなことはしていなかったはずである。無論、劉備もである。趙雲は少し昔を懐かしんだ後に、楽朋の騎兵とぶつかり合い、次々と打ち落とした。散開した騎兵を尻目に歩兵に突っ込み、自部隊の歩兵に道を開けるようにして駆け抜けた。楽朋の騎兵が三部隊に纏まっていたので趙雲も騎兵を三隊に分けて牽制させ、その間に歩兵戦で大勢を決した。趙雲と楽朋の調練は趙雲の勝利である。
「また昔を思い出しておられましたか」
調練が終わると楽朋が声をかけてきた。
「わかるか」
「わかりますとも。時折将軍の動きが少し遅れます。それにつけ込む気になれない私も甘いものですが」
「戦になれば感傷に浸ったりはしないが、私も年老いたものだ」
「私もです。若い者に譲るべきか悩んでいますよ」
「汝に引退されては困るな。魏との戦いに支障が出る。それに統と広の面倒も見てもらいたい」
統と広とは趙統、趙広のことであり、趙雲の二児である。
「私は将軍の子の副官も務めるのですか。統殿にとっては煩わしいでしょう」
「そうでもない。二人共楽朋から戦の話を聞くのは楽しみらしい。耿祗ではそうもいかなん」
「では、今晩お邪魔いたしますか」
そんな話をしていた趙雲と楽朋に近づいてきた集団があった。
「趙子龍将軍、お久しぶりです」
微服の諸葛亮と護衛である。趙雲と楽朋は膝をつき、
「丞相のお越しとは知らず、失礼をいたしました。我らに如何な御用でしょうか」
「趙将軍に国の大事についてお話があり、こうして参りました。この後、我が邸で食事でも如何ですか」
趙雲と楽朋は顔を合わせたが、すぐに頷き、
「丞相の命とあらばお受けいたします」
と返した。
「命令ではありませんが、来てくださるなら幸いです。申し訳ありませんが、副官殿は…」
と諸葛亮は言葉を濁したので
「楽朋は我が家で食事をしていけ。耿祗には伝えておく」
と趙雲は傍の副官にそう言った。
「まとまったようですね。それでは、お待ちしております、趙将軍」
諸葛亮は去っていった。
「すまないな楽朋」
「何やら仔細がある様子ですので私は趙家で寛がせていただきましょう」
「歳をとって手慣れてくるのも考えものだな」
趙雲の家族と楽朋の付き合いも長くなったのである。孫軟児も物分かりよく夫を送り出し、楽朋と談笑し始めた。
諸葛亮の邸に着いた趙雲は一旦客間に通され、少し待った後に食事の席へ案内された。
「来ていただいたのに待たせてしまって申し訳ありません」
諸葛亮は謝罪から入った。どうやら政務が終わらなかったらしい。
「いえ、お構いなく。丞相にあってはお忙しい中、私にお話があるとか。如何様な話でしょうか」
「確かに話はありますが、まずは食事としましょう。詳しくは後ほど」
と言って趙雲を制すると、諸葛亮は用意された食事を食べ始めた。趙雲も遠慮なく箸をつけることにし、調練後とあってすぐに完食してしまった。諸葛亮はゆっくり食事をし、時折趙雲の昔話を聞きたがった。
食事を終えて一息ついた諸葛亮は、
「場所を変えましょう」
と言って、別の部屋へ趙雲を案内した。ゆったりとした客間のようであり、庭も見える。
「趙雲殿、あまり警戒しないでもらえますか。あと私のことは諸葛亮とお呼びください」
諸葛亮はそう言って趙雲の警戒を解こうとした。実際、国事についての話と聞いてこうして二人きりになってから趙雲は諸葛亮の意図を読めず警戒していたのは確かである。巷では諸葛亮が帝位を簒奪するのではと噂するものもいる。そのことに趙雲は触れた。
「ここで私に簒奪の意思は無いと言っても信じてはもらえないでしょう。私は行動によって証を立てなければなりません」
そう言って諸葛亮は簒奪を否定してから趙雲を見た。
「趙雲殿には北伐において重要な役割を果たして欲しいと思っています」
「やはり北伐に出られるか」
「北伐は為さねばなりません。それが漢の大義です。そして私自身の忠誠の証としてもです」
「諸葛亮殿自ら前線で指揮を取るというのか」
趙雲は僅かに驚いたが、諸葛亮は南征をして戻ってきたばかりであることを思い出した。主要な戦には自分で出ることで簒奪の噂を払拭する目的もあるだろうが、
「先主の意志を継ぐということか」
と趙雲は訊いた。諸葛亮は頷き、
「私が諸将を率いて北伐の主力軍とします。趙雲殿や魏延殿のような歴戦の将の力が必要です。是非協力していただきたい」
諸葛亮がわざわざこう言ったのは、趙雲とあまり接点が無かった事と、宿将と言える趙雲に配慮したためであろう。立場は諸葛亮が上だが、戦歴も年齢も趙雲が上である。劉備に仕えた期間も長い。特別な人物であると諸葛亮は意識していたのだろう。
「大義を為すためであれば協力は惜しまないつもりだ。存分に我らを使ってくれ」
「ありがたいお言葉です」
趙雲はくだけた話し方をしているが、諸葛亮は下手に出ているのを崩さない。
「つきましては趙雲殿、私と共に漢中に駐屯していただきたい。ご家族を漢中に移住させても構いません。漢中が北伐の拠点となります」
これは趙雲も予想していたことである。
「魏延殿が子午道を通って長安を奇襲するという策を考えていましたが、私は却ました。魏延殿は不服でしょうが、一度の奇策が失敗すると我が国の損失は大きいのです。国力は魏に比べて弱いと言わざるを得ません。そのような中で不用意に奇策を用いれば、成功すれば良いですが、失敗すれば魏延殿のような優れた将を失うことになります。それほどの余力はこの国には無いのです」
つまり諸葛亮は手堅く戦いたいのである。国力に大差がある以上、不用意な奇策で貴重な人材を失いたくない。
「しかし、策を用いなければ戦には勝てません。そこでですが、趙雲殿には長安の魏軍への囮となっていただきたい。漢中から箕谷を通って郿へ向かって欲しいのです」
「諸葛亮殿は…」
「祁山から涼州に入り、涼州と雍州を取ります。これで長安を攻める形が出来上がります」
「なるほど。それまでの囮か」
「無論、魏軍全軍を惹きつけるのは無理でしょう。主力軍を少しでも多く惹きつけられれば趙雲殿に功があります」
諸葛亮はこういう事を考える男だったか、と趙雲は認識を改めた。
「趙雲殿の佐将には鄧伯苗殿が良いと思っていますが、そこは漢中で相談しましょう」
そう言って一旦言葉を止めた諸葛亮はやや伏目がちに
「宿将である趙雲殿を死地に追いやることになる。私を恨んでくれて構いません。しかしこの囮は趙雲殿でなければ務まりません」
と言った。趙雲は
「戦場は常に死地だ。丞相が自身で死地に赴くというのに私だけ逃げては天下の物笑いだ。それに私は老将でな。死に場所を探していた所だ。ちょうどいい」
とはっきりと言った。諸葛亮は驚き、
「趙雲殿、簡単に死なないでもらいたい。死なれては私は片腕を失うようなものだ」
と慌てて言った。
「諸葛亮殿にそのように思われていたのだな。知らなかった。無論、簡単には死なん。虎威将軍のあだ名が伊達ではないことを教えて差し上げよう」
趙雲は定軍山での戦いぶりから軍中で虎威将軍と呼ばれている。
「頼りにしています」
諸葛亮はそう言って、あとは重要な事は話さずに趙雲を帰した。実際にこの囮作戦が実行されるのは翌年となる。
諸葛亮は出師表を劉禅に上奏し、北伐の兵を挙げた。諸葛亮と趙雲、呉班、陳式、王平、魏延、鄧芝、呉懿、馬謖らが漢中に集まり軍議を開いた。魏延は長安への奇襲を言ったが諸葛亮は却下し、漢軍の主力は涼州と雍州に向かうことが決まった。趙雲は当初の予定通り鄧芝と共に囮となる。鄧芝は孫権への使者になるなど外交能力はあるが、軍事を試された事は無く趙雲とは初対面に近い。ただし軍事に関わると趙雲は噂になっているので鄧芝は一方的に趙雲を知っていた。趙雲と鄧芝は顔を会わせて挨拶と軽い打ち合わせをして別れた。趙雲は魏延とも会い、
「丞相は慎重過ぎる。私の策を用いてくれれば長安を陥し、一気に涼州と雍州も手に入るだろうに」
と言った魏延に、
「丞相は魏将軍の身を案じていたよ。お互い無理はしないようにするとしよう」
と宥めた。趙雲は魏延が囮役に選ばれない理由をなんとなく察した。
趙雲と鄧芝は諸葛亮本隊に先んじて出陣し、箕谷を堂々と進んだ。
諸葛亮軍は速やかに涼州へ出て天水郡などを降し魏軍に備えた。
魏は曹真と張郃に軍を率いさせ、曹真が趙雲軍へ向かい、張郃は諸葛亮本隊を目指した。
「敵将は曹真か。相手にとって不足は無い」
と言うや、趙雲は防御を固めて曹真軍に当たった。曹真も趙雲を知っているため警戒し、無理な戦いはせずにじっくり腰を据える構えを見せた。鄧芝も突出するような人物ではないため、趙雲の後軍として落ち着いた戦いを見せた。曹真は騎兵の扱いにも長じている。騎兵を率いて撹乱を計ることもあったが、騎兵に長じているのは趙雲も同じである。馬防柵を作らせて、弩を並べて追い返した。趙雲の騎兵も魏軍に迫ったが、やはり騎兵への対策はされており容易には突破できない。歩兵同士の衝突になり、漢軍は魏軍に押された。魏軍は精強であり、趙雲の兵でも押し返せない。鄧芝が敵の側面に回り込んだためようやく敵が下がり、そこに趙雲は歩騎を率いて追撃をかけた。曹真が自ら兵を率いて遮ってくる。趙雲は戟で数騎を討ち倒し、曹真に迫ろうとしたが、曹真は接近をうまく躱して追撃を阻んだ。両軍は下がり、再び睨み合いになった。
報せが来たのは数日後である。馬謖率いる漢軍が街亭で張郃の魏軍に大敗し、涼州の維持が難しくなったため漢軍は全軍撤退するという。
「どれ、逃げるとするか」
と趙雲は鄧芝に輜重と共に先に撤退するよう命じた。
「趙将軍が殿をするのですか。無茶ではありませんか」
鄧芝は趙雲が死ぬつもりなのかと思った。
「老子龍とは言われるが簡単に死ぬつもりは無い。曹真に一泡吹かせてやるだけだ」
趙雲は半ば強引に鄧芝軍を撤退させると、自軍の一万余を率いて殿を務めた。曹真は追撃態勢に入っており、既に騎兵を鄧芝軍に向けて出していた。
「一兵足りとも通さぬ」
趙雲の騎兵は曹真の騎兵を防ぎつつ後退した。同じくして歩兵も後退した。曹真軍は趙雲軍の倍はいるが、歩兵もよく追撃を防ぎ、一旦膠着状態に入った。趙雲は騎兵隊三千を率いて曹真を防いだが、半数を失い歩兵と合流すると、
「敵は通していないな」
と確認した。歩兵を率いていた楽朋は応じて、
「鄧将軍は無事に退却しております」
と報告した。
趙雲は、
「夜中に歩兵も撤退させよ。楽朋、我らの最後の戦いだ。馬と乗れる兵を集めて騎兵を増やせ」
と命じた。趙雲はこの北伐が自分の最後の戦いになると戦いの前から感じていた。失敗した以上、次の北伐には数年を要するであろう。それまで自分は生きていられまい。
「楽朋、長坂を憶えているか」
「憶えております。将軍は単騎で敵中を駆けたのでしたね。今度は供が叶いますか」
「無論だ。共に曹真の度肝を抜いてやろう」
趙雲は歩兵を夜中に逃がし、騎兵のみで森へ入った。偵騎を出して曹真の動きを逐一報告させた。
曹真は趙雲軍が撤退したと知ると、騎兵を先頭に猛追し、趙雲軍の歩兵に追いつけそうになったところで背後に乱れを感じた。
馬首を返したところで二千騎余の騎兵隊が突撃してくるのが見えた。鮮やかに軍を断ち割ってくる。
「趙子龍見参。死にたい者から前に出よ」
先頭は趙雲である。戟を振るう趙雲を止められる者はおらず、趙雲の兵も前日までとは打って変わって鬼神のような戦いぶりであった。
「趙子龍が先頭にいる。討てば手柄だぞ」
と曹真は兵を励まし、騎兵を率いて趙雲に突撃した。
「死にに来たか、曹真」
「死ぬのは貴様だ、趙子龍」
趙雲隊と曹真隊は馳せ違い、互いに数騎を討ち倒した。更に馬首を返した両隊は真っ向からぶつかった。曹真の隊は数で勝っている。
「押し包んで討ち取れ」
と叫んだが、打ち掛かった魏兵が悉く返り討ちにあっている。特に趙雲に突きかけた兵は次々に弾き飛ばされ、兵が威圧されはじめた。趙雲隊は遂に曹真隊を断ち割り、更に再度歩兵をも蹴散らして、漢中方面へ撤退した。曹真は尚も追ったが、橋が落とされていたこともあって追撃を諦め撤退した。
この北伐の失敗で諸将は降格したり碌をへらしたりすることとなった。一人王平だけが街亭での善戦を評価され昇進した。趙雲も降格したが、諸葛亮が
「趙将軍は軍需物資を余さず持ち帰り見事に撤退してきた」
と言って褒賞を渡そうとしたので、
「それらは敗軍の将に与えるものではありません。冬の備えにすべきと考えます」
と受け取らず、諸葛亮を感心させた。
趙雲と鄧芝はしばらく屯田をした後帰還した。趙雲は調練などをしていたが、翌年に急に倒れた。介護されて意識を取り戻したものの、死期を悟った趙雲は趙統と趙広、楽朋、耿祗らを呼んで語り合い、妻の孫軟児を呼んだ。
「戦ばかりで苦労をかけたな。どうか許して欲しい。統と広を頼む」
「いいえ、貴方こそお疲れでしたでしょう。ゆっくり休んでくださいな」
孫軟児は涙ぐみながらも夫の労をねぎらった。
諸葛亮が入ってきた。
「趙雲殿、私にはまだ貴方が必要なのですが、逝ってしまわれるのですか」
「丞相。いや、諸葛亮殿。天命だけはどうしようもない。私はここまでだ。後は頼む」
「趙雲殿…。確かに任されました。見事な戦いぶりでした虎威将軍。さらばです」
諸葛亮は去った。
孫軟児らが見守る中、趙雲は眠るように息を引き取った。
諸葛亮は片腕を失ったようなものだと落胆し、漢軍の中にも動揺が広がった。趙雲指揮下の将兵は嘆き悲しんだ。皇帝劉禅にも訃報が届き、劉禅は趙雲を懐かしむと共に死を惜しんだ。
趙雲は錦屏山に葬られ、趙統が跡を継ぎ墓所を守った。
後年、順平候の
趙雲の名は竹帛に垂名されることとなった。
小説・趙雲別伝 雛人形 @prunuspersica24
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