噂を信じたあとのこと
菜花
「彼女は尻軽だ」
2―Aの瀬田千夏はとんでもない尻軽だ――。
そんな噂が俺こと、比気涼太の耳に届いた。話したのは友人の梶山だ。こいつは嘘は滅多につかないし、ついてもバレバレの仕草ですぐ分かる。
ということは噂は事実なんだな、と俺は思った。
ある日、俺が高校の授業が終わって帰ろうとすると下駄箱でその女を見かけた。
瀬田千夏は下駄箱の前で普通に帰る準備をしていたようだが、そこで自分はすけべ心をおこした。何せ異性に関心が強い高二の頃だったから仕方ない。さらにあの噂の相手ということもあって軽い気持ちで言った。
「援交の相手でも探してるの?」
もちろん冗談のつもりだった。本当なら本当でしょうもねー女って見下すだけだし、間違いなら間違いで否定すればいいんだ。もっとも、火の無いところに煙は立たないっていうしな。
けどその女はびくっとした顔をすると、悲しそうに俯き、何も言わず校門まで去っていった。黙ってるってことは事実なんじゃねーの?
そんなことがあったのも忘れかけていた数か月後。
修学旅行で沖縄に向かったのだが、異常気象ともいえる暑さで俺は水分を欲していた。
「誰か、水持ってねえ?」
自分の持っていたぶんはとっくに空になっていた。俺はお調子者のキャラだから旅行先というのもあっていつも以上にテンションが高かった。そんなんだからすぐ喉がカラカラになってしまった。
「もう俺のも空だよ」
「自販機ねーの?」
「駄目だ見当たらない。知らない場所だから分かんねーよ」
視界が段々暗くなってきた。生まれて初めて死を意識したその時、誰かが俺にペットボトルを渡して来た。
「比気くん。どうぞ。口付けてないから」
瀬田千夏だった。
俺は受け取るなり一気に飲み干し、段々意識がクリアになってくると、改めて自分の命の恩人を見て思った。
噂が噂だったからまともに顔も見なかったけど、よく見ると可愛い系の顔だ。自分の好みドストライク。
死にそうになっている俺を前にわたわたするしかなかった友人達と比べて、瀬田千夏のなんと優しく用意の良いことか。人間困っている時にこそ本性が出るんだ。
噂が事実だろうとそれ以上に魅力がある人間じゃないか。
俺はその時、あんなに見下していた瀬田を好きになったと自覚した。
しかし自覚すると、前に言った発言が思い返されて仕方ない。俺は罪悪感に苦しめられた。
ちょっとからかうだけのつもりだった。それにあの噂はクラスの地味な子まで知ってる噂だったし。
――いや、そんなものは理由にならない。
修学旅行が終わって数日後、俺は一人でいる瀬田を呼び止めて謝った。
「今更だけど、あの時はごめん」
「……ううん、もういいの」
「俺に出来ることってある? あ、いまだに瀬田のこと悪く言うやつはぶっとばすよ?」
「そんなことしなくていいよ。本当に……もういいの」
尻軽という噂に反してなんて健気な子なんだろうと、俺はますます瀬田を好きになった。そして思った。あの噂、何かの間違いなのでは? と。確証がある訳ではないけど、瀬田という人間に関わってみるとどうもそういう人間と思えない。よし、俺が瀬田の誤解を解いて回ろう。そうして過去の迂闊な発言の罪滅ぼしをするんだ。そして……瀬田が見直してくれて好きになってくれないかなと期待をしていた。
けれど、やっぱりそんなのは都合のよすぎる話だ。
卒業間近、瀬田は同じクラスの男と付き合った。
それと同時に噂の出所が特定された。瀬田に告白して振られた男が逆恨みで流したらしい。そういうことするから振られるんだよ……。そいつは見事なまでに火の無いところから煙を出したって訳だ。
その噂を信じた連中が瀬田をからかう中、その男だけが「瀬田がそんなことするはずない」 と庇い続けたらしい。
もし自分が瀬田だったら……悪評を真に受けてからかってきた男と、ずっと信じてくれた男。どっちを選ぶかなんて、考えるまでもなかった。そうでなくとも一度でも噂を信じて馬鹿にしてきた男なんて普通好きになるだろうか。
俺が選ばれる可能性なんて、万に一つもなかったんだ。
卒業の日、恋人と帰っていく瀬田は綺麗な泣き顔をその男に見せていた。
「良いこともそうでないことも多かった高校生活だったけど、貴方に会えたことが一番の幸せだった」
恋人の男はそれを聞いて「彼女にこんなことを言って貰えるなんて、自分は世界一の幸せ者だ」 と泣き笑いしていた。
時が巻き戻れば、あの下駄箱の時に戻れば、俺は「お前はそんなやつじゃない」 って言って、彼女を励ますのに。そうしたら、あそこにいるのは俺だったかもしれない。
負け犬の俺は、そんな実現するはずもないことを夢想して気晴らしするしかなかった。
噂を信じたあとのこと 菜花 @rikuto
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