どうしようもない私たち

砂鳥はと子

どうしようもない私たち

 八つ年上の幼なじみである奈央なおねえは最近、婚活に夢中だ。

 三十四歳になり、そろそろ実家の病院を継ぐことも考えて結婚を意識しているらしい。

 昔から容姿端麗、才色兼備を絵に描いたような奈央姉の人生は順風満帆で、何一つ汚点もなく完璧だった。

 しかし現在、結婚相手が見つからないという奈央姉にとってはあるまじき失態が発生してしまった。

「ねぇ、また男から連絡なくなった〜! 何で!? 何でだと思う? 私のどこがだめなの!?」

 居間のソファにタンクトップにショートパンツ姿でだらっと寝転がり拗ねている。

「そういう所でしょ?」

 私は味噌汁の中に豆腐を落としながら返した。

「そういう所ってどういう所よ! あぁ〜もうお腹空いた。琴梨ことり、まだ?」

「催促するくらいなら夕飯作るの手伝ってよ」

「嫌」

「ほら、そういう所だよ」 

 奈央姉は学生時代、中高共に生徒会長を努め、所属していた剣道部でも優秀な結果を残した。

 医大に進み、ミスキャンパスにも選ばれて、整形外科医としてメディアに出たこともある。

 明るくて朗らかで、人望も厚く、でもけして自分をひけらかしたりしない、非の打ち所がない春山はるやま奈央の本性を知っているのは私くらいなものだろう。

 きっと奈央姉の事を知っている他の人がこんな姿を見たら、目をひん剥くのではないか。

 本当は部屋を片付けるのが苦手で、すぐ散らかしがちなのを、私がいつも掃除している。料理するのは面倒くさいからとインスタントばかり食べるから、私が定期的に来て作っている。

 誰かが面倒を見なければダメなお姉さんなのだ、奈央姉は。

 いくら表では完璧でも人の目が届かないところではこんなもの。

(このダメなところも私にとっては愛すべきところなんだけど)


 出来た夕飯を食卓に並べる頃になって、奈央姉はダイニングまでやって来た。

 私が席に着くと「いただきます」と満面の笑みで挨拶をして、美味しそうに食べ始める。

 こんな風に食べてくれると作った甲斐がある。

「私、来週また別の婚活パーティーに参加してみようと思うんだ」

「時間の無駄なのによくやるね」

「時間の無駄って何よ。次は誰もが認めるような男見つけて来るから見てなさい」

「はいはい。いい男見つかるといいねー。見つからない予感しかしないけど」

 人に見えてる部分がハイスペックすぎるせいか、奈央姉はなかなかいい相手が見つからなかった。

 興味を持たれても自分とは釣り合わないと引かれてしまうか、ヒモになりたいお金目当ての男ばかりと巡り合っている。

「奈央姉の本当の姿知ってもドン引きしない男、現れるといいねぇ」

「琴梨みたいな男探して来るから大丈夫!」

「私みたいな男じゃなくていっそのこと私を選んでよ」と言いそうになって、私は口に出せない言葉を味噌汁で体の奥に流し込んだ。

 奈央姉の世話をしている私は結局ただの年下の幼なじみでしかない。

(ずっと奈央姉のこと好きなのになぁ)

 かっこいい奈央姉もダメな奈央姉も愛してるのに。

 きっとこの気持ちは一生伝わらないまま、奈央姉もいつかは人の物になってしまうのかと思うと憂鬱だった。



 二週間後、仕事を終えた私はスーパーで食材を調達し、家には帰らずに奈央姉が住むマンションに向かった。

 オートロックを解除して部屋まで向い、渡されている合鍵でドアを開ける。

 今日の奈央姉は休みだから家にいるはずだ。

 上がると、リビングのソファでタオルケットにくるまって眠っている姿を見つける。

(寝るならベッドで寝ればいいのに、いっつもソファでうたた寝して⋯)

 気持ち良さそうに眠っている。

「奈央姉!」

 名前を呼ぶが反応はない。 

 私は眠る奈央姉に静かに顔を寄せてそっと唇を合わせる。

(無防備にこんな所で眠ってるのが悪いんだよ)

 と言い訳して顔を離す。

 時々私は眠る奈央姉にキスをして、自分の行く宛のない気持ちを一方的に押し付けていた。

(バレたら軽蔑されるかな。絶縁されるかも)

 奈央姉が身動きしたので私は何事もなかったように離れて、台所に立つ。

 彼女でもないのにご飯を作って掃除して、お風呂も沸かして合鍵までもらってるのに、特別な関係にはなれない。

 妹みたいな存在な私が奈央姉に恋愛対象として見てもらうのは無理な話。

 そんな事とっくの昔から分かっていても、奈央姉が結婚するまではやめられないのだろう。

 少しでも私は奈央姉の側にいたい。

 夕飯がほぼ完成したところで奈央姉が目を覚ました。

 食卓についた奈央姉は好物を見つけて上機嫌だ。

「これ作ってくれたんだ。琴梨〜大好き。愛してる」

(妹として)

「本当に琴梨っていいこだよね。可愛い。大好き」 

(妹として)

 私たちの間にある幼なじみの壁は壊れることはない。

「喜んでもらえて良かった。寝起きで食べるの? お風呂も沸いてるよ」

「え〜もう、本当に琴梨は何から何まで気が利くなぁ。お腹空いてるから先にご飯食べるね」

「ところで、婚活パーティーどうだった? 行ったんだよね? いい男見つかった?」

「⋯⋯それは聞かないで」

「またダメだったんだ? 全然モテないよね奈央姉は」

 からかいながら私は内心、ほっとしていた。

「私を理解できない男が悪い!」

「うわぁ、モテない人が吐くセリフだ⋯⋯」

「琴梨ひどい〜。 次はもっといい男が集まる婚活パーティーに参加するからいいよ」

「男から逃げられないように祈っておくね。多分、何の効果もないと思うけど」

「それはどうかな。新しい彼氏を連れて来ても驚かないでね」

「最高にいい男以外じゃ喜ばないからね、奈央姉。私も驚くようないい男見つけられたらケーキでも作ってお祝いしてあげる」

「ハードルを上げるな」

 本当に結婚相手を連れて来られたら多分、泣いてしまう気がする。

 ずっとずっと奈央姉とご飯食べながらバカみたいな話をしていられたらいいのに。

 拗ねたり笑ったりする奈央姉が恋しくてたまらなかった。



「琴梨、今日泊まっていってよ。朝、起こして」

「⋯⋯目覚ましくらいあるよね。寝室にある青いやつ使えば」

「寂しいの。寂しいから琴梨泊まって」

 両手を握られて懇願されては断れない。

 実に身勝手で奈央姉らしい理由で泊まることになってしまった。

 時々、あることなので私も慣れている。

 自分の着替えも奈央姉の家に置いてあるので問題ない。

 夜は同じベッドの上で寝る。

 この家にはダブルベッドが一つしかないから、私がソファや居間で寝転がるか、奈央姉と寝るしか選択肢がなかった。

 奈央姉からしたら妹みたいな私と一緒に寝るくらい何ともないわけで、私としては少しやるせない。

 手を伸ばせば届く距離に奈央姉がいる。

「琴梨⋯⋯」

 奈央姉が私の腕を引っ張る。

「寝るにはまだ早くない?」

「奈央姉が今日は早く寝るって言ったんでしょうが」

 そのために十時にはベッドに入ったというのに。気まぐれな人だ。

「琴梨ってさ、年下なのにいつもいつも私の面倒見てくれるよね」

「奈央姉がダメ人間だから放っておけないんだよ。嫌ならしっかりしてよね。ちゃんとしたらもう奈央姉の面倒は見ないよ」

「これがね〜嫌じゃなさすぎてついつい琴梨を頼りにしちゃうんだよね」

「奈央姉、私がいなかったら生きていけないんじゃないの」

 もっと別の意味でそうであって欲しかったけれど。

「うん。それはある。琴梨がいないともっとダメになる自信がある!」

「そんな自信持つな!」

 何を思ったのか奈央姉は私のすぐ隣りまで近づくと、ピッタリと体を寄せて腕を絡ませてきた。 

 体の一番柔らかい場所が腕に当たり、そこにばかり意識が向かいそうになる。

「くっ、くっついてこないで。暑いから⋯」

「別にいいでしょ。人肌が恋しいの」

 好きな女に密着されてこっちは心中穏やかでいられないというのに、砂つぶほどでもいいから私の気持ちを察してほしい。

「ところで琴梨は女の人とキスしたことある?」

「⋯⋯は?⋯⋯えっ?」

 私が意識がない奈央姉に密かにキスしていたことがバレたのだろうか?

 そんなはずはない。

 じわじわと体中に緊張感が広がっていく。

「な⋯⋯⋯ないけど、⋯⋯何で?」 

「女同士のキスってどんな感じなのかなぁと思って」

「さ、さぁ? 別に男とするのと変わらないんじゃない?」

「本当に? 本当に変わらないと思う?」

「⋯⋯⋯私に聞かれても知らないよ」

 何度も触れた奈央姉の柔らかい唇の感触をありありと思い出す。

「それじゃあさ、本当に違うのか変わらないのか試してみない?」

「た、試す?」

 一体奈央姉はどうしたというのか。

 今日はお酒も全然飲んでいないのに。

 もしかして私の気持ちがバレているのだろうか?  

 だとしても、いきなりキスを試したいなんて言うはずがない。

 結婚したくて婚活までしている奈央姉が、私に恋愛感情なんて持つはずかない。

「うん。試したい」

「も、もう奈央姉いくら男運ないからって女に走る気?」

「そういうわけじゃないんだけど⋯⋯一度気になったら試してみたくなって。ただの好奇心」

 これもいつもの奈央姉の気まぐれなのだろう。

 純粋に疑問に思ったから、気になったから目の前の私で試してみたい。

 きっとそれ以上でもそれ以下でもない。

 奈央姉は婚活する前はそれなりに男性と付き合っていたわけだし、経験豊富とまではいかなくても人並みに経験がある。

 今更、私とキスするくらい何でもないに違いない。

 いや、そうだろうか? 外面がいい時の奈央姉なら私なんかじゃなくて、もっと可愛い人でも綺麗な人でも選べるはず。

 奈央姉の真意が分からない。でもこの人の事だから本当に純粋な好奇心なのもありえる。

「全く、奈央姉は手間がかかるね。まぁ⋯私もキスが初めてってわけじゃないし、ちょっとくらいなら⋯いいよ」

 と余裕ぶったけど、本当は心臓がばくばくしすぎて冷静ではなかった。

「本当に? いいの?」

 実は冗談だと返されることも想定したのに、奈央姉は思いの外、真剣な表情で私を見つめている。

「いいよ⋯⋯」

 奈央姉が私を抱き寄せて顔を近づける。

 ふわりと柔らかい感触が唇に伝わる。

 私がよく知っている感触。

 それで終わると思ったけれど、キスはそっとついばむような優しい触れ方から、徐々に絡みつくような貪るような深いキスへと変わる。

 あまりに気持ちよすぎて、奈央姉とキスできる幸せで脳が溶けそうだった。

 何で付き合ってもいないのにキスしてるんだとか、そんなことを考えそうになって振り払う。

(別に恋人同士じゃなくてもキスすることはあるし)

 いつかは奈央姉も結婚して、私の相手なんてしなくなるだろうし、私を必要としてくれることもなくなる。

(どうせ両想いになれないなら、これくらい⋯⋯)

 どれくらい唇を合わせていたか分からない。

 試すにはあまりに長くて濃密だった。

「ねぇ、琴梨どうだった? 私、キス上手くない?」

「⋯⋯こんなキスしておいて⋯⋯第一声がそれ?」

「下手だった? 琴梨が全然抵抗しないから夢中になっちゃった」

 何も悪びれていないあたり、奈央姉にとってはキスなんて挨拶みたいなものなんだろうか。

 複数人と同時に付き合ってはいなかったはずだけど、ちょっと心配になる。

「どこで覚えたか知らないけどキスだけは上手いね。まぁ、その⋯⋯気持ち良かったし」

「ありがとう。琴梨に認めてもらえて嬉しい! ねぇ、キスよりもっと気持ちいいこともしてみない?」

 私の頬に触れながら、ぞっとするほどに艶かしい瞳で見入られて、抗う理由が思い浮かばなかった。

「いいよ、奈央姉」

 私は深く考えるのをやめた。

 なるようになってしまえばいい。

 そして私たちは体の関係を持ってしまった。



 この一ヶ月ばかりの私たちは以前と変わっていない。

 私は相変わらず、奈央姉に食事を作って、掃除もして、お風呂も沸かすし、洗濯だってする。

 そしてその日の最後に奈央姉の腕に抱かれる。

「楽しかったから」

 という奈央姉の理由により、体の関係を続けていた。

 女であり、おそらく異性愛者であろう奈央姉が私を抱いても満足できるわけではないのに、本人的には楽しいらしい。

「私なんか抱いて何が楽しいの?」

「琴梨の気持ち良さそうな顔見られると勝った気になれるから」

「何なの、そのしょうもない理由⋯」 

 奈央姉らしいと言えばらしかった。

「ほら、琴梨にはお世話になりっぱなしだから、お返しみたいなもの! その分、琴梨のこといっぱい満足させてあげるから! 私キスだけじゃなく抱くのも上手いでしょ?」

 悔しいけど奈央姉に抱かれる快楽は離れがたいほどに、体中が甘く痺れる。

「お返しの方法が明らかに間違ってるよね」

「え〜それじゃあ、やめる?」

「いや、奈央姉なりの方法ってことでそれでいいけども⋯⋯。まぁどうせ奈央姉なんて彼氏できそうもないし、相手してあげるよ」

 やめる気がない私も大概だった。

「生意気なこと言わないの。でも琴梨可愛いから許しちゃう」

 と言って私のことをぎゅっと抱きしめる。

(可愛いとは言ってくれるけど⋯)

 私を抱く時に「好き」と言うこともなければ「愛してる」とも言わないのだから、そういうことだ。

 新しい楽しみを見つけたに過ぎない。

 奈央姉に本当に愛される未来は来ないのかもしれない。


 

気づけば季節は夏から秋に変わっていた。

 急に空気が冷たくなり、温かいものが恋しくなる。

 私は奈央姉の家の台所で簡単な鍋料理を拵える。

 ほぼ作り終えたところで奈央姉が帰って来た。

「琴梨、今日のご飯は何?」

 私はダイニングテーブルの上を指す。

「私が食べたいものよく分かったね」

「今準備するから、着替えてきなよ」

「その前にお風呂入りたい」

「沸いてるから入ってきて」

「琴梨も一緒に入ろう。ねぇ入ろう」

「何で」

 奈央姉は一度言い出すと聞かない。

「可愛い入浴剤も買ってきたから!」

 カバンからおしゃれな箱に入った入浴剤を取り出して見せる。

(これを試したいだけか)

 どうせ断っても奈央姉は私がうんと言うまで引かないのだから、諦めて一緒に入ることにした。

 

 湯船の中からシャワーを浴びる奈央姉を眺める。均整の取れた体は女性らしいボディラインを描いて、無駄なものがない。それでいて出るところは出ている。

 休日なんて部屋でごろごろしているわりに、きっちり体型は保っているのは羨ましい。

「なぁに琴梨、ジロジロ見て」

「別に。何にもしてないのに体型維持しててすごいなぁって思っただけだよ。奈央姉のくせに」 

「琴梨がまだ中学生の時に『奈央姉みたいなプロポーションになりたい』って言ってくれたことあったの覚えてる?」

 確かに昔そんな事を言った気がする。当時から奈央姉は見た目は完璧だった。

「ちゃんと見えない所で努力してるんだからね。憧れてくれた私でいるために」

(何で急にこんな事言うの⋯ずるいよ)

「ほ、本当は婚活のためでしょ」

「どうかな」

 奈央姉には笑って誤魔化されてしまった。 

 お風呂から出ると奈央姉が私にバスタオルをかけてくれる。それで自分の体を拭こうとしたら、奈央姉に抱き寄せられて顎を掴まれた。

「な、奈央姉⋯⋯」

 こちらの事などお構いなしに唇を重ねてくる。もうキス以外はできないとばかりに唇を蹂躙されて、離してくれない。

(何考えてるの)

 さすがに、このままキスを続けられたらおかしくなりそうだ。私が少し強めに抵抗すると、やっと唇が離れる。

「ごめん、嫌だった?」

「嫌っていうか⋯⋯ご飯食べないと」

「そうだね」

 と返事をしておきながら奈央姉はまた私にキスしようとする。

「話聞いてなかった? ⋯⋯これ以上は⋯⋯だめ」

「どうして?」

 奈央姉が唇で私の耳に触れる。

「どうしてって言われても⋯⋯」 

「身体が疼くから?」

「⋯⋯⋯⋯っ」

図星だった。こんな時の奈央姉は性格悪い。

「大丈夫だよ、琴梨。その責任はちゃんと取るから」

 多分、私が本気で嫌がれば奈央姉はそれ以上しないだろう。でも私にそれはできそうもない。誰より奈央姉に可愛がられたいのだから。

 

「もう奈央姉のバカ⋯⋯。鍋冷めてるよ」

 私はあの後、奈央姉から快楽を享受されまくってベッドの上に身体を投げ出していた。

「鍋は温めたらまた温かくなるよ」

 アホみたいな返しに脱力する。

「ああ、疲れた。お腹空いた。シャワー浴びてくる」

「琴梨、私も行く」

「絶対嫌だ。断る」

 また同じことのループになっては困る。

 奈央姉が付いて来ないことを確認して浴室に入る。

(婚活してるくせに女抱くって意味分かんない)

 私なんてちょっと面白いおもちゃなのかもしれない。それが分かっていて何回も奈央姉と身体を重ねている。本当にどうしようもない。

(いつか奈央姉に彼女として愛されることはあるのかな)

 中途半端な関係になってしまったせいで、叶わない夢ばかり追ってしまう。           

      

  

     


「先輩ありがとうございます! オレ、先輩には足を向けて眠れないです」

「おおげさだな〜。そこまで言うならちゃんと上手くいってよね」

「もちろんですよ!」

 今日は仕事後に職場の後輩とお茶してきた。

 彼は私と仲がいい後輩の女子に密かに片想いをしていて、最近恋愛相談を受けている。

 あまりに会ってるので端から見たら、私と彼が付き合っているように見えてしまうかもしれない。

 もし奈央姉が存在しなかったら、彼みたいな人と恋愛していたのだろうかと想像する。

 だけど、どうしても私が意識を向けるのは奈央姉ただ一人だ。  

「先輩も早くいい人、見つかるといいですね」

「それは彼女と両想いになってから言って」

「確かにそうですね」

 私は彼と駅で別れ、電車に揺られていつものように奈央姉の家へ向う。

(いい人か⋯)

 奈央姉は中身はダメ人間だし、よく分からない理由で私を抱くし、全然いい人とは言えない。

(でも奈央姉のこと、嫌いになれない)

 早く奈央姉のことを忘れられるような人が現れたら私も変われるのかもしれない。

(それより先に奈央姉がいい相手見つけて結婚するか)

 マンションに到着し、オートロックを解除したところで「琴梨」と背後から呼ばれた。

「奈央姉、今帰りなんだ。ナイスタイミングだね」

「⋯⋯そうだね」

 心なしか奈央姉の機嫌が悪い。

 いつも愛想の塊みたいなくせに、今日は眉間にシワをよせている。

(また変な患者に絡まれたのかな)

 奈央姉は女のせいか、患者に舐められた態度をされることが度々あるらしい。

 何度、愚痴を聞かされたか分からない。

 イライラしている時の奈央姉はお酒で解消しようとする。

 絡まれると家に帰れずに泊まるはめになることがよくあった。

(今日は抱いてくれないかも)

 エレベーターで移動中もむすっとしていて、話しかけにくいことこの上ない。

(触らぬ神に祟りなし)

 奈央姉が話すまでは黙っていることにした。


「奈央姉、何か食べたいものある?」

 取り敢えず夕飯でご機嫌でも取っておこうかと思い、冷蔵庫を覗いた。

「⋯って言ってもあんま食材ないなぁ。買って来ればよかった。今から買って来るね。三丁目のスーパーまだ開いてたよね」

 振り返ると真後ろに奈央姉が立ってたので、心臓が飛び出るかと思った。

「気配もなく背後に立たないでよ。びっくりした」

 相変わらず奈央姉は怒りを内に込めたような顔つきで、私の手首を強く掴んだ。

「痛いよ、奈央姉。また病院で嫌なことあったんでしょ。話聞くから、落ち着いて」

「彼氏いたの?」

「⋯⋯え?」

「彼氏いるんでしょ」

「いたら奈央姉の世話なんてしないよ」

 一体私のどこをどう解釈したら彼氏が出てくるのか。

 誰と付き合っても奈央姉のことを諦められなかったというのに。

「かっこいい男の子だったね。駅で一緒だった彼」

「駅で⋯⋯?」

 さっき後輩といたところを奈央姉に見られていたのかと思い当たる。

「彼はこ⋯⋯」

 事情を説明しようとして私は口を噤んだ。

 仮に私に彼氏がいたとして、奈央姉には関係ないはずだ。今までそれを気にした素振りすらなかったのだから。

 いたら私との関係は解消するつもりなのか。

 奈央姉は今、かなり不機嫌なのは一目瞭然。

 でも仕事で嫌なことがあったわけではなく、私に彼氏がいるということで怒っている。

(適当なおもちゃだと思っていても他人のものだったなんて悔しいのかな。それとも⋯⋯)

「ごめんね、奈央姉。うん、実は彼氏いたんだ。男運がない奈央姉からしたらムカつくと思って黙ってた」

「琴梨⋯⋯」

「彼氏、かっこよかったでしょ? 自慢の彼氏なんだ。今度、奈央姉にも紹介するね」

 奈央姉がどんな反応をするのか。

 いつまでもこんな有耶無耶な関係で居続けるのも無理がある。これは確かめるいいチャンスだ。

「何で⋯⋯何で? 琴梨は私のこと好きなんじゃないの?」

 今奈央姉が指す"好き"は"恋愛の好き"。

「好きだよ。好きじゃなきゃ毎日のように会いに来ないって。"お姉ちゃんとして"好きに決まってるでしょ」

「じゃあ、何で眠ってる私にキスしてたの? 何で私がキスしても抱いても受け入れたの!?」

「⋯⋯⋯それは何と言うか。受け入れたのは気持ち良かったから。それだけだよ」

 あの密かにキスしていたことを気づかれていた。きっとバレてないと思っていたのに。

「琴梨が眠ってる私にキスしてたこと気づいてないと思った? 最初はね、夢だと思った。でももし現実なら確かめたくてわざと眠ってるふりしてただけだよ」

「⋯⋯⋯何で、そんなこと」

「何でって、琴梨のことが好きだからだよ。好きだからどうしても側にいてほしくて、触れたくて我慢できなかった。私も琴梨にずっとずっと触れたかったんだよ」 

 奈央姉は掻き抱くように私を引き寄せる。

「好きでもない女抱けるほど私器用じゃない」

「だったら、何で婚活なんてしてたの? ずっと結婚したそうだったのに⋯⋯」

「婚活してた話はほとんど嘘」

「⋯⋯え?⋯⋯嘘?」

 随分と熱心に聞かされた話が全部、嘘だと言うのか。

「うん。琴梨の気を引きたくて。最初の頃はちゃんと婚活してたよ。誰か見つかったら琴梨のこと、諦められると思ったから」

「奈央姉⋯⋯」

「自慢じゃないけど、琴梨も知っての通り私、外面だけはいいからね。婚活なんてしなくても男見つけられるからね。私が結婚しそうになったら、琴梨が焦って告白してくれるかもって思って。でも全っ然そんな気配ないからじれったくて、手出しちゃった⋯⋯。キスするくらいなら絶対私のこと好きだって確信できたし」

 奈央姉はこれでもかと自信たっぷりな顔をする。

 ため息が出そうになる。

 盛大に回り道していた自分と奈央姉に。

「奈央姉は私のことが好きってことでいいんだよね?」

「うん。大好きだよ、もちろん。昔は本当の妹みたいに思ってたのに、いつの間にか琴梨のこと大好きで大好きで仕方なくなってた。琴梨が側にいてくれるとね、すごく幸せなの」

 奈央姉が心から愛おしそうに私に微笑む。

「⋯⋯彼氏と別れて私とお付き合いしてほしいって言ったらダメかな? 言ってもいい? 琴梨は好きだから私にキスしてたんだよね? 私の勘違いじゃないよね?」

「勘違いじゃないよ。奈央姉にずーっと恋してた。多分、物心ついた頃から奈央姉しか見てなかったよ。⋯あと、駅で一緒だったのは彼氏じゃないから。ただの職場の後輩⋯」

「本当に? でもさっきは⋯⋯」

「奈央姉の本当の気持ちを知りたかったから、彼氏いたらどんな反応するんだろうって」

「琴梨のいじわる! 男の人と一緒にいるの見てショックだったんだからね」

「奈央姉がしてたことに比べたらマシでしょ。⋯⋯ま、どっちもどっちか」

 まだ奈央姉と両想いだったことに実感が沸かない。

 いつかは離れ離れになって、この生活も終わると覚悟していたのに。

「琴梨、キスしてもいい?」

「ダメな理由がある?」

 私たちはしばらく時間も忘れて求め合った。



 翌週。

「奈央姉もやればできるんだ⋯」

 今日は珍しく奈央姉がご飯を作った。

 部屋だって私が片付ける必要がないくらいに整ってるし、家事のほとんどを自分でこなしている。 

「当たり前でしょ。最近は琴梨にやってもらってたから正直、面倒くさいけどね」

 作ってもらった料理を口に運ぶ。

 至って普通に美味しい。

「できるなら自分でやればいいのに。奈央姉、仕事で忙しいのは分かるけど⋯」

「だって、そんなことしたら琴梨が構ってくれなくなるから」

「まさか、わざとできない振りしてないよね?」

「うーん、それはどうかな。まぁ好きな人の側にいるために手練手管を使うのは常識でしょ」

 不敵な笑みを浮かべている。

 全くもって侮れない。

 まさか今までのダメっぷりが何もかも計算だったなんてことはないはず。

 振り返ると奈央姉はどこか抜けている部分はあったものの、ダメ人間になったのは私が二十歳くらいの時だ。

 私が奈央姉のマンションに初めて遊びに行った頃。

(思い出すのはやめよう。奈央姉は昔からダメ人間だったことにしよう)

 怖いから考えないことにした。


 夕飯を終えると奈央姉は

「よーし、今から琴梨といちゃいちゃする!」

 と恥ずかしいことを言い出す。こういう所は相変わらずだ。

「いちいち宣言しなくていいから」

 後ろから思いっきりハグをされる。

「琴梨はやっぱり可愛いね。本当にちっちゃい頃から知ってるから少し複雑だけど」

「えー、何で? 」

「だって私、中学生の時に幼稚園に琴梨を迎えに行ったこともあるんだよ!? あの無邪気に『なおねえちゃん』って懐いてた琴梨を裏切ってるみたいで」

「私、大人になってからけっこう経つんだけど? 子供の私に手出したわけじゃないんだから気にしないでよ」

「そうなんだけどね⋯。最近、琴梨にいやらしいことばっかしてるし」

「じゃあもう仲良くするのやめる? 別れる?」

「それは嫌だ! 琴梨のこといっぱい幸せにしたい」

「うん。幸せにしてよ。私も奈央姉のこと幸せにするから」 

 奈央姉の温かな体を感じながら目をつむる。

 大好きな人とこうして触れ合っているだけで充分に心が満たされてゆく。

 この先もまたどうしようもない事をしてしまうかもしれないけど、奈央姉と一緒ならずっと幸せだ。


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