第9話
「……才人……今の話はどういうことや……」
唸るような声に振り返れば、右手の襖がゆっくりと開くところだった。見れば、いつの間にか帰ってきていた英志の手には物騒な猟銃が握り締められている。この家のどこかでみつけたものだろうか。
「聞いた通りだよ、英志。彼女が言うには僕は不死身のアマビトで、香奈美ちゃんはバケモノに喰われてあのクソ不味い『ずぐ』になっちゃったらしいよ。悪趣味なジョークだね、まったく」
ゆっくりと上がった銃口が、まっすぐに僕の顔を撃ち抜ける位置でピタリと止まった。ひどく憔悴した、ドス黒い顔の中でギラつく眼には殺意の炎が揺れている。僕が槇山さんの言う通りだよ、と認めれば躊躇なく引き金を引くだろう……そんな風に思える凄みが今の英志にはある。
「おいおい、落ち着けよ英志。槇山さんは夜通し気違いじみた資料に目を通したおかげで一時的に神経を病んでいるんだ。少し休めばすぐ回復するし、落ち着いて考えればもっと論理的な答えも出せるさ」
しかし、英志は僕の意見に賛同するつもりはないようだった。僕の顔面をポイントしたままの銃口は僅かに震えているが、この距離では万が一にも外れることはないだろう。さらに装填されているのが散弾なら確実だ。
思わずため息が漏れる。やれやれ、飛んだ茶番を繰り広げることになってしまった。
「……撃てよ。それでお前の気が晴れるなら」
「何やて?」
「どうせ僕の言葉なんて聞く耳持たないんだろ? だったら、撃てばいい。それでスッキリ全てが解決するじゃないか」
僕は座ったまま英志と正面から向き合った。よけるつもりも逃げるつもりも、僕にはない。それぐらいの誠意を見せなければ、今の英志を説得することなどできないだろう。
「……わかったわ、才人……」
英志のギラついた瞳から憎悪の炎が、張り詰めていた肩から力が抜ける。
「ほんま、しゃーないなぁ」
少し困ったような笑みを浮かべた後、英志は迷うことなく引き金を引いた。
消えた。
轟き渡った銃声も、放たれた銃弾も……英志自身も。
だだっ広い部屋に残されたのは沈黙と、僕と槇山さんだけ。
「……英志さんは……どこへ……?」
「ん? あぁ、どこにも行ってないよ。と、いうより秋元英志なんて人間は最初から存在してなかったんだ。そういう世界に作り替えた」
槇山さんは少し考え、ゆっくりと頷いた。
「あらゆる時と次元を統べるもの……全知全能のもの……これが『よごす』……」
ぶつぶつと呟く声が震えている。これは恐怖……?
いや、歓喜の震えだ。
「……宇宙の真理の一端をこの身で体験できるなんて……なんて素晴らしい……んぐ! んが! あいぃ! よごす! よごす=ぞーす!」
雄叫びを上げる槇山さんの傍に寄って、僕はその細い肩に手を置いた。禁忌の知識に触れ、さらなる神秘を貪欲に求めるようになるなんて……思った通り、彼女は逸材だった。彼女こそ『よごす』に仕える永遠の従者たるアマビトの伴侶に相応しい女性だ。
「槇山さん……君は何を望む? 人としての穏やかな人生か、あるいは不浄と破滅を背負って汚濁の中を彷徨う人生か? 前者を選べば人としての幸福を、後者を選べば窮極の知と狂気を得ることとなるだろう」
僕が差し伸べた手に、槇山さんは躊躇なく手を伸ばす。それはかつての僕と同じく、彼女が人として許されぬ道を選んだ瞬間だった。
「では、共に行こう」
僕は彼女の手を取って立たせ、障子を開けて一緒に裸足のまま庭に出た。陽光に晒されて目の前に広がるのは、醜い秩序で凝り固まった偽りの世界。
僕は君に、永遠に朽ちぬ生命を与えよう。そしていつの日か必ず、閉じた世界の壁を破って大いなる『よごす』をこの世界に招き入れるのだ。その時こそ、全ての時間と空間は崩れ、混ざり合い、やがて宇宙は美しき原初の混沌へと還るだろう。
『よごすの心臓』が、新しい宇宙の誕生を告げる鼓動を打ち始めた。
よごすの心臓 蒼 隼大 @aoisyunta
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