第8話

 窓から差し込む日差しで目が覚めた。

 身体を起こすと、部屋の隅っこで蹲ってる槇山さんの姿。一睡もしていないのか、かなり憔悴しているようにも見える。服も昨日のままであるところを見ると、風呂にも入っていないのかもしれない。


「やあ」


 僕が声を掛けると、彼女はゆっくりと僕の方を見た。


「……昨夜は迷惑をかけたね。この通り、体の方はもう大丈夫。そういや、英志はどこにいったのかな?」

「香奈美ちゃんを探しに行きました……姿が見えないので」

「へぇ……どこにいったのかな? 僕たちも探しに行こうか」


 槇山さんは小さく息をついた。


「石神さんはご存知なんじゃないんですか……香奈美ちゃんがどこへ行ったか」

「うん? どういう意味?」


 僕が訊くと、槇山さんは背中に手を回して一冊のノートを取り出して畳の上に置いた。表紙の四隅が黄色く変色しているところをみるとかなり古いもののようだ。


「蔵で見つけました……いえ、見つけさせられました」

「へえ」


 手にとってペラペラとめくると、変色したページが読みにくい文字や記号、象徴的なスケッチで埋め尽くされている。その全てがある異界的な存在を崇める、太古より世界中に存在しながら今なお秘される、ある信仰に関連する心騒がせられる記述だった。ヨグ=ソトース……この村では『よごす』と呼ばれる存在がその中心だ。


「そこにはアマビトに関する記述もありました……それによるとアマビトは年老いると古い身体を脱ぎ捨て、また一から成長することで永遠に生き続けるそうです。仙道の到達点ともいえる『尸解仙』とも共通点がありますね」

「ふ〜ん。やっぱりそういうことには詳しいんだね、槇山さん」


 素直に感心する僕だったが、槇山さんは無視して話を続ける。


「……かつて飢餓に苦しみ、全滅の危機に瀕したこの村の人々は人ならぬものに救いを求めました。人の手ではどうにもできない状況を打破するために神仏に縋るのは当たり前のことで、こういった山村に信心深い人が多いのはそのためでしょう」


 澱みなく槇山さんは言葉を紡いでいく。ノートを見つめる瞳が震えているのは恐怖のせいか、あるいは宇宙の秘密の一端に触れてしまった興奮のせいか。


「ですが、この村の祈りに答えたのは最悪の存在でした……現れたアマビトは『よごす』の『落し子』をもたらし、村人に『ずぐ』を与えたんです。それにより、村は全滅を逃れました……ある代償とともに」

「代償……」

「『ずぐ』とは『落し子』を通すことで希釈された『よぐ』の力の一端。それを取り入れ、時間の流れから外れることによって彼らは不老不死……多くはもう老人だったのですが……を手に入れました。ただしそれは『落し子』の影響力の及ぶ範囲だけの、限定的なものだったんです」

「もう老いてからの不老不死、ねぇ……あんまり意味なさそうに思えるけど、そこまで命が惜しいものかねぇ」


「それは分かりません」と槇山さんはあっさり首を振る。


「……そして『落し子』の傍から離れられない村人に変わって、贄を運んでくるのはアマビトの役目でした。近隣の村を襲い、贄を攫うアマビトは恐れられ……あの道路に並んでいた無数の石仏はそれで作られたものだと思います。人々は気付いていたのでしょうね……この村にアマビトが、そしてアマビトよりもさらに邪悪な存在……『よごすの落し子』が棲み潜んでいることを」

「そんなことよりもさ」


 僕はいつ終わるともしれない槇山さんの話を途中で遮った。


「香奈美ちゃんを探しに行った方がいいんじゃないかな? この村、面積だけは意外と大きいから英志一人じゃ手に余るだろうし」

「……もう、手遅れなんですよね?」


 顔を上げて僕を見る槇山さんの眼に、狂気に近づいた人間特有の異様な光が揺れている。


「近隣の村からの眼が厳しくなると、アマビトは別の手段を取ることにしました。両親のない幼子として人里に潜り込み、成長してから何らかの理由をつけて関わりを持った人間を贄として村に連れてくるように……どこかで聞いたような話だと思いませんか? そういえば、この家にも最初から違和感がありましたね……主人を失って僅か半年なのに、もうずっと使われていないような生活感の欠如。もしかしたら、これも偽装工作だったのかもしれません」

「ねえ、槇山さんは結局何が言いたいのかな?」


 槇山さんは確信をもって、僕の問いかけにはっきりと答えた。


「……石神さんはアマビトの子孫などではなく、アマビト本人ですよね」

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