酒場の記憶

@

明け方

「ダンナの夢ってのはァァなんだ?」

祭り騒ぎも半ばに差し掛かった頃合い、それを背後にしてカウンター席で呑んでいると、頬を赤らめた40代ほどの中年が話しかけてきた。

いつもと変わらない、変わるはずがない一日が終わることに、何故そんなに騒いでいるのかが理解できず、大晦日は不思議なものであるなぁと考えていたのだが、中止せざるをえないようだ。

そうつまり、酔っ払いに絡まれたのだ。

「…なんだおっさん、急に」

酒気を帯びた人間は、大抵凶暴化する。そんなイメージがあることから、冷静になるべく丁寧に返答をした。

「オレはなぁ…大統領になるっていう夢がァァあるんだよォ」

「おいアンタ、またそんなこと言ってんのかい」

その中年は質問には答えず、自分の夢を大きな声で言い出した。しかもそれは大統領だという。当人の纏う雰囲気とはかなりかけ離れていたいたこともあり少し驚いたが、外野は何度か聞いたことがあるようで、盛大に笑っていた。

「大統領になったらだなぁ。まずは税金を下げる!そのあとは外国と交渉して良い商品を安く仕入れてだな。オレら庶民にとって──」

あ、長くなるやつだ。と思った時から、話は流すことにした。適当に相づちを打ち、時間が経つのを待つことにした。外野の中年仲間は別の話題で盛り上がっているようで、こっちの被害に気づいていないようだった。連れの面倒はしっかりと見てほしいものだ。


マスターのシェイクさばきを放心に眺めていると、ふと肩に感触があった。

「ダンナ、話聞いてたか?」

「ま、まぁな」

嘘をついた。話を繰り返されたらたまったものではないと思い、反射的に嘘をついてしまったのだ。

一瞬冷ややかな視線をぶつけられた。忘れかけていたが、相手は酔っ払いだ。何をされるかわからない。自分の判断ミスを嘆きつつ、警戒心を研ぎ澄ます。が…

「……そうか」

少し寂しそうにつぶやいた。罪悪感が芽吹きそうだった。微妙な間があり、仲間の元に戻ることを期待したが、そううまく物事は動かないようだ。

「…で、ダンナの夢はなんなんだ?」

最初よりも理性を感じる話し方で、再び問われた。変わらず頬は赤いままである。夢か…。

「特にないさ。夢なんか抱いていても、それが叶うかどうかなんて、誰かが保証してくれるものではないだろ?」

もちろん、このおっさんのように、大きく夢を掲げていた頃もあったが、実現するかどうかなど誰にもわからない。そう感じてしまったときから、夢はないものにしていた。


「なるほどねぇ…──だがダンナよォ」

顎を触り、何か考え事をしているおっさんは、ふとこんなことを言い出した。

「夢の実現には自分自身が保証人になるしかねぇんじゃねぇか?」

思わず考える。自分自身が保証人になる、自分で自分の夢を保証するってことはつまり、努力をするということだ。

「もちろん、夢っていうのは必ず叶うわけじゃねぇ。が、夢がある、夢を叶えたいっていう心意気があるのとないのとじゃあ、あるほうが頑張れそうな気がしてこねぇか?」

だが、現実っていうのは努力が必ず報われた結果を出すっていうほど簡単なものではない。それを知ってしまったが故に、夢などというはかないものは捨てることにしたのだ。

「頑張ったとしてもそれが必ず報われるわけじゃねぇ。その頑張りだって誰も見ていないかもしれない。が、もし人生が思い通りにいくのであれば、これほどつまらないものはないと思うんだぁ、オレは」

人生が全て思い通りに、か。想像してみるとさぞ良さそうに思えてきたが、何をやっても失敗がないというのも、なにかと恐ろしい気もしてくる。


「たとえ誰も見ていなくても、努力が実らなくても、その頑張ったということが何かしらの形で返ってくるものだと思うんよ」

おっさんの話を一方的に聞き、相の手を入れ忘れていたことを思い出し、慌てておっさんを見る。が、特に気にしていないのか、遠くを見るように目を細め、懐かしそうに続けた。

「オレだって20代前半は何もかも失敗だった。人からビックリされるくらい、何をやってもダメだったんだ。そりゃあ何もしたくなくなったんだが…ちょっとしたきっかけがあってよォ」

目が合うと何を思ったのか、少し照れたように小声で言った。

「粘りに粘って失敗ばっかり続けてて、気づいたら46にもなっちまったが、素敵なカミさんに去年出会えた。そのとき思ったさ。頑張ってみるもんだなぁって」

まさか20年後に努力が実るとは、と大きく笑い、その笑顔はとても幸せそうに見えた。

時化しけた面してないで、明るく前を向いて歩いていこうぜ?まぁ結局のところ、夢は掲げたほうがいいとは思うが、ダンナの人生だ。」

一頻ひとしきりに笑ったあとにそう言い出し、

「悪い後悔はしないように人生を歩けよ?」

そういう言い終えると、満足そうにおっさんは外野に戻っていった。

少し考え込んでいると、0時を告げる歌声が聞こえてきた。

──今年から少しずつ頑張ってみようかな。

そう思えた。

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