第23話 ともだちの話 その3
サナの家。
コンは受話器を置くなり、リビングを飛び出していった。
「コン、どこいくの」
テナの声が聞こえたが、返事をする余裕はなかった。
階段を駆けあがり、やって来たのはサナの部屋の前だ。
コンはドアをノックしようとし、一度ためらう。
目をつむり、深呼吸。
コン、コン コン。
「ねぇ、サナちゃん、おきてる?」
返事はない。
「サクラちゃんと、お友達が山で迷子になったって。さっき、サクラちゃんから電話あってんけど、すぐ切れてしもた。お友達の一人、怪我してるらしいねん」
扉のむこう側から、微かに物音がした。
「サナちゃん、お願い! サクラちゃん達を助けにいってあげて! サナちゃんやったら、サクラちゃんの居場所わかるんやろ!」
コンは叫んだ。
しかし、また、扉のむこうは静まり返った。
しばらく待ってみたが、返事はない。
コンは扉にもたれると、そのまま、膝を抱えて座る。
床を見つめながら、静かにいった。
「生きてたとき、タマキちゃんって友達がいてん。みんな、タマちゃんって呼んでた」
扉越しに、ヒトの気配を感じた。サナは、扉の近くにいるようだ。
コンは語り続ける。
「小学校に入ってすぐの頃、私に話しかけてくれるヒト、ほとんどいいひんで、ちょっとクラスで孤立しててん」
コンは自分の頬を指先でなぞる。
「私、顔に火傷あるやろ。それに、前ゆうたって? 私の左目見えてへんこと」
コンの左目は、近くで見ると白く濁っている。
「だから、正面見てるつもりでも、違うとこ見てるように見えることがあるらしい。そんなんで、みんなに不気味がられてた。特に、机の近かったタマちゃんは、私のこと怖がってた」
コンは一度、深呼吸する。
「ある日、給食でプリンが出たんやけど、たまたま、私の分、当番が配り忘れててん。私が、それをいう前に、一個多かったってことにされて、誰がそのプリンを食べるかでジャンケンがはじまってた」
クラスで孤立していたコンには、私の分がありません、といい出せる空気ではなかった。
「そのとき、八重垣さんの分がありませんって、ゆうてくれたヒトがいた。それが、タマちゃんやった」
コンはそっと、笑顔を浮かべた。
「それがきっかけで、タマちゃんとはちょっと喋るようになってんけど、ある日、聞いてみてん。みんな私のこと不気味やっていうのに、なんで私と喋ってくれんの? って。そしたらタマちゃん、こういうてん。確かに見た目は不気味やし、怖いけど、ホンマにそれがコンちゃんの全部か、見てみたいって。確かめたいって」
そのとき、扉のむこうで、ヒトが動く気配がした。
「……コンは、どうなの?」
弱々しい、サナの声が聞こえた。
「ヒトを怖がらせて、コンを傷つけて……私、もうどうしていいかわかんないよ」
コンは、ゆっくりと、首を縦に振った。
「私はな、怖かった。サナちゃんが、あんなおっきいキツネになって、それで、ヒトを襲おうとしてんの見て、怖かった」
「……コン……ごめん」
サナの声からは、絶望感が感じられた。
コンは立ち上がると、扉を開けた。
「そやけど、私は知ってる。あれがサナちゃんの全部じゃないこと、サナちゃんのいいところも、悪いところも、いっぱい、いっぱい知ってる。猫舌なんも、苦いもんが苦手なんも、甘いもんが好きなんも、全部知ってる」
サナは、驚きの表情でコンを見つめた。
「サナちゃん、私はサナちゃんのこと、嫌いになってない。サナちゃんのこといっぱい知ったけど、おっきいキツネも見たけど、それでもサナちゃんのこと嫌いになったりしてへん」
コンは、サナをまっすぐに見つめる。
「……ほんと?」
「ホンマ」
「コン、コンのこと、信じていいの?」
「ええよ」
コンは、いつもの柔らかい笑顔を浮かべた。
サナは、コンの腕のギプスに手をあてた。
「ごめんな、コン。痛かったろ? また、料理つくれるようになる?」
「気にせんといて。ちゃんと、元通りになるって、ウカさんがいってた。治ったら、またおいしいもんつくるな。なに食べたい?」
「私、いなり寿司食べたい」
コンは「うん、楽しみにしてて」といった。
サナは、ゆっくりと窓辺にいき、窓を開けた。風と共に、雨粒が吹き込んでくる。風で、サナの髪が風にたなびく。
「コンはヒドイよ。私、普通の人間になりたいのに、そうさせてくれないなんて」
「サナちゃんが神獣に生まれたんじゃくて、神獣やから、サナちゃんなんやで」
「しばらくお風呂入ってなかったから、髪パサパサだ」
サナは笑顔を浮かべると、窓の外へ飛び出した。
空中で巨大なキツネに姿を変えると、着地。ものすごい速さではしっていった。
その姿はまるで火の玉のようだった。
山奥。
「サクラ、どこだ!」
サナは立ち止まる。
「サナ……来てくれたんですね。遅いじゃないですか」
振り返ると、そこにサクラがいた。
サクラは、地面にうつ伏せになり、倒れてきた大木の下敷きになっていた。
「サクラ、大丈夫か!」
サナはサクラに駆け寄る。
「よかったです。あなたが来るまで、かたちを保っていられた」
「なにいってるんだ。今、助ける」
サクラは、泥だらけの顔を小さく横に振った。
「無駄です。もう、人形が人形として機能していません。アカリとリンコは、この道をまっすぐいったところにいるはずです。あなたなら、助けられます。いってください」
「なにいってるんだよ、サクラ」
巨大なキツネの姿のサナは、サクラの体の上の大木を咥え、力を込める。
ゆっくりと、木は持ち上がる。サナは渾身の力で、気を道端に投げ捨てた。
「だからいったじゃないですか。もう駄目だって」
木をよけると、サクラの体は押しつぶされ、腰のあたりで上半身と下半身が切断されていた。
「……サクラ」
サナは、人間の姿になる。
「そんな顔、しないでくださいよ」
サクラは笑顔を浮かべた。
「サクラにはじめて会ったとき、ウカ様のところへ帰れなんていって、ごめんな。本当は嬉しかった。若葉サクラは、私の理想だったから。それが、私を救いに来てくれたというのは、本当に嬉しかった」
サナは、一言一言、かみしめるようにいった。
「そうですよ。あなたが素直になってくれれば、どんだけ楽に物事が進んだか」
「私、やっぱりサクラみたいになりたいよ」
サナはいった。
「あなたは、なに一つ、わかっていないですね」
サクラは手を伸ばす。表面の皮が破れたところから、球体間接の骨組みがあらわになったその手を、サナがつかんだ。
「若葉サクラというキャラクターはあなたの中から生まれたもの。あなた自身の一面として、サクラの要素があるのです。サクラの強さも、優しさも。全部あなたの中にあったもの。あなたがすでに手に入れているものですよ」
サクラの全身が、徐々に半透明になっていく。
「逝かないで、サクラ」
「どこへもいきませんよ。私は、元々あなたの一部。元の場所へ、還るだけです」
そして、サクラの姿は消えて、見えなくなった。
「本当は、中学校の制服、着てみたかった……です」
最期に、声が聞こえた。
「サクラぁー!」
山の中に、サナの声が響いた。
サクラの言葉通り、道なりに歩いていくと、アカリ、そしてリンコがいた。
「サクラ……」
アカリはサナの顔を見るなりつぶやいた。
「アカリ、私だ。助けに来たぞ」
「サナ?」
サナは小さくうなずくと、リンコの頭の横にひざまずく。
「私に、治せるのかな?」
サナの脳裏に、記憶がよみがえる。
頭を怪我したキョウコ。
精一杯“術”を使っても、ふさがらない傷。
力を高めるための生贄として食べた、ピィちゃん。
血の臭い。口内を刺す羽毛の感触。
『大丈夫です。サナの力は以前よりずっと、高まっている。痛みや苦しみを越えるというあなたの強さと、友達のことを想う優しさで』
どこからか、声が聞こえた。
「ああ、そうだな」
サナはリンコの額の傷口に手をかざす。
「サナ、なにを……」
アカリの見ている前で、リンコの傷はみるみるふさがっていった。
夜明けと共にやって来た救助隊によって、サナたちは保護された。
文字通り、神の見えざる力が働き事は大きくなることはなかった。しかし、同時にサクラの存在は大半のヒトの記憶から消された。
魂の器となり、その姿を変える。そんな人形が存在することを知れば、死者はそれを求める。だから。
神の国である高天原の、いや、最高神アマテラスの判断だった。
そして、アカリとリンコも、サクラという少女のことを忘れた。
数日後。
病院の病室。
「お医者さんがね、ビックリしてたの。重症だった痕跡はあるのに、かなり傷がふさがってて、ほとんど治療がいらないって」
ベットの上で、リンコはそういった。
放課後、サナとアカリはお見舞いに来た。
「そっか。よかった」
アカリは微笑む。
「ごめん。私のせいで、アカリを危険な目に遭わせて」
リンコは、目を伏せる。
「いいって。このぐらい。それより、例の東京にいたときの友達とは?」
リンコはアカリに顔をむけた。
「バッチリ、だよ」
リンコは微笑んだ。
鳥取駅の近くにある病院から若桜町へ帰るには、列車に乗らなければならない。
サナとアカリは列車に乗り込み、ボックスシートにむかい合わせに座る。
間もなく、ドアが閉まり列車は走り出す。
「ねえ、サナ。色々と訊きたいんだけど」
おもむろに、アカリが切り出した。
「キャンプにいって、山で迷ったのは三人だった。私と、リンコと、もう一人。そのもう一人は、サナじゃなかった」
「気のせいじゃないのか?」
サナは窓の外を見ながらいった。
「そうだね。そうかもしれない。とても、曖昧だから」
アカリはそこで一度、言葉を切った。
「まだわからないことがあるんだ。サナが、どうしてあの場に来てくれたのか。リンコの怪我を治した、あれはなんだったのか」
サナは、ゆっくりとアカリの方を見る。
「それは……」
サナは、どうこたえようかと言葉を探す。
「サナは、超能力者かなにかなの? そうじゃないと、自分で納得できないんだ」
サナは、黙り込む。
「そっか、こたえられないんだ。ごめんね。もう訊かない。でも、サナが助けてくれたのは間違いないよね。ありがと。いろいろ迷惑かけちゃったけど、これからも友達でいてくれる?」
「私で、いいのか?」
サナはそういった途端、一気に笑顔になり、早口でいった。
「ありがとうございます、アカリ。これからも、サナをよろしくお願いします」
当然のサナの変化に驚きつつも、アカリは気が付いた。
笑うサナの表情は、アカリの中の“なにか”の記憶と重なった。
「……サクラ」
アカリ自身、なぜその名前を口にしたのか、わからなかった。
列車は、走っていった。
深夜。
サナの家。
廊下を歩いていたコンは、サナの部屋のドアのすき間から光が漏れていることに気付いた。
「サナちゃん?」
コンはそっと、扉を開ける。
サナは、机に伏せて眠っていた。手元には、便箋にしたためられた手紙があった。
手紙の宛名には『深草 京子ちゃん』と書いてあった。
「サナちゃん、おきて。ベットで寝よ」
片手でサナの体を揺らすと、サナはゆっくりと起き上がる。
「ああ、コン。つい○×▽※……」
サナは寝ぼけ眼でベットに移動するとそのまま横になり、寝息をたてはじめた。
「おやすみ、サナちゃん」
コンが部屋の照明を消そうとしたときだ。
「待ってください、コン」
サナがそういった。
今しがた眠ったはずのサナは、片目を開けてコンを見ていた。
「サナちゃん……じゃなくてサクラちゃん?」
「はい。コンに話しておきたいことがあるのです。サナが眠っているうちに」
コンは枕元へ移動した。
すると、サクラと呼ばれたサナは、ゆっくりと話しはじめる。
「人形が壊れ、私の魂は元々いた場所、サナの中へと還り、サナの魂と統合しました。そこまでは私の予想の範囲内でしたが、サクラとしての自我と記憶が消滅せず、さながら二重人格のような状態になってしまうのは驚きました」
「ホンマやで。私も最初に聞いたときはビックリした。でも、嬉しかった」
サナは、神妙な面持ちになる。
「でも、恐らくこの状態は長く維持できません。魂として圧倒的に強いのは本体であるサナの方です。統合されてしまった以上、私は徐々にサナに吸収されていき、やがてはこうしてサクラとして表に出てくることはできなくなるはずです」
「そんな!」
「静かに。サナがおきちゃいます。このことはサナは知りませんし、知ったところで吸収を止める方法はありません。完全に吸収されるまで二、三年はかかるはずなので、それまでは、サクラでいられるはずです。だから、それまでよろしくです」
コンは、うなずいた。
「呼び止めてごめんなさい。お話したいことはそれだけです。おやすみなさい」
「うん……おやすみ」
コンと狐と花咲く幻想人形(コンと狐とSeason2) 千曲 春生 @chikuma_haruo
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